115.望んでいたはずだったもの
ネメシスの姿に警告メッセージが被る。
アラタの網膜に投影されたシステムメッセージだ。
警告メッセージは、あと15分でメンテナンスを開始するので速やかにログアウトをしろと言っていた。
ネメシスがこちらに来いとでも言うようにアラタを見ていた。
このまま何事もなくログアウトして終わり、という気はしていなかったがその通りになったわけだ。
アラタが向かうと、ネメシスはすぐに口を開いた。
「まずはおめでとうと言っておくわ」
違和感があった。
テーブルに腰掛ける銀髪の幼女は、正直めちゃくちゃに目立つ。
それなのに周囲はそれを気にするような気配を見せなかった。
メンテ直前で大多数の人間が落ちたとはいえ、残ったものが全員気にしていないというのはどうにもおかしい。
もしかしたら、周囲のプレイヤーにはネメシスが見えていないのかもしれない。
「助かりましたよ、攻略情報。これでようやくアルカディアともオサラバできます」
アラタの言葉を聞いたネメシスは無表情だったが、眼差しの強さが増したような気がした。
ネメシスがテーブルから降りて言う。
「戻ってこないつもりなの?」
「もちろんです。命がけというやつが骨身にしみましたからね。僕はシャンバラでのんびりと過ごすことにしますよ」
「そんなことをしていたら、そのシャンバラが滅ぶわ」
「それですよ」
「それ?」
「僕はそのシャンバラが滅ぶというのを信じていません。確か星の試練の報酬が願いの種子なるウィルスで、シャンバラを自由に改変できるという話でしたか?」
「その通りよ」
「星の試練を受けている星を追うものは僕以外にもいて、そいつが邪な願いを叶えたがっていると」
「ええ」
「やっぱり信じられませんね」
「なぜ?」
「まず、シャンバラを自由にできるウィルスの存在が信じられない。シャンバラは今や全人類の住居だ。いくらエデン人とてその防衛機構をどうにかできるとは思えません。それに、そもそも僕以外の星を追うものとやらが邪な願いを持っているとなぜ知っているのですか?」
そこでネメシスは明確に表情を変えた。
困っているようにも見えるが、それよりもどこか悲しように見える、そんな表情。
「それは……言えないわ……」
「おかしな話ですよね、それ。アルカディアから開放されるまでいくらか手助けをしてくれたことに感謝はしますが、それすらマッチポンプである可能性は否定できない」
「……信じて、としか言えないわ」
「難しい話です。特に天秤の片側に僕の命が乗る場合は」
気付けば、周囲にはもうほぼ人がいなくなっていた。
メンテナンス終了まであと10分と警告メッセージが出ている。
夜の草原に無数のテーブル。花火だけが観客がいなくとも上がり続けているのが不気味にすら思えた。
「全てが本当だったとしても、何重もの高いハードルを越えない限りシャンバラは滅びないでしょう。そんなものは地球に隕石が衝突して滅びるようなものです。申し訳ない気持ちもありますが、僕は退かせてもらいますよ」
ネメシスはあきらかに困っているように見えた。
とても演技とは思えない。
だが、ネメシスとてエデン人の複製体だ。それくらいの演技はできるかもしれない。
「わかったわ。確かに無理にとは言えない。でも、最後にひとつだけお願いを聞いてもらっていいかしら?」
「またログインしろ以外でできることならだいたいは。僕もそれくらいは感謝しているので」
「ありがとう」
ネメシスは、心底安堵したような顔をしている。
「あっちにあるちょっと小高い丘、あそこに行ってみてくれる?」
言ってネメシスが指さした。
ネメシスが指した方を見ると、確かに少し盛り上がった丘のような場所がある。
無限に草原だけの地形ではなかったらしい。
「いいですけど、近くないですよ?」
網膜の警告メッセージはメンテナンス開始まであと七分と表示されていた。
丘は歩いてでは七分で行ける距離には見えない。
「だから急いで行って」
「……わかりました」
アラタは丘の方に向きを変えて、
「さようなら」
そう言って走りだした。
聞き逃していないならば、ネメシスの返事はなかったように思える。
こんなパーティ会場で急に走り出せば人目を浴びるかと思ったが、そうはならなかった。
もはや人はまばらにしかいないが、皆アラタなどいないかのように振る舞っている。
本当に見えない状態になっているのかもしれない。が、確かめる気もしなかった。
メンテナンス開始まで残り四分を切っている。
しんどいのは、どうやらステータスが反映されてないところだ。
いつもの俊敏さがアラタにはない。普通にシャンバラで過ごす人間が走るようなペースでアラタは進む。
たぶん、トラブルが起きないようにこの領域では全プレイヤーが共通のステータスになっているのだろう。
走っている最中でも、どんどんプレイヤーがログアウトして消えていく姿が見えた。
アラタは走る。ネメシスのことは信用していないが、完全に疑っているというわけでもない。
シャンバラの危機という極小の可能性と自身の危険を天秤にかけた結果戻らないことに決めたが、ネメシスを憎むつもりは毛頭ない。
だから、最後の願いくらいきくべきだと思った。
それが最低限の礼儀というものだ。
アラタが丘まで辿り着いた時にはもう、メンテナンス開始まで一分を切っていた。
果たしてここに何があるのか。
罠の類だったらそれはもうアラタの自己責任だが、そうではない気はしていた。
かといって何が待っているか想像がついているわけでもない。
アラタはさらに走り、そこで小高い丘の中腹付近に人がいるのを見た。
離れていると月明かりだけではよく見えない。
もしやあの人物を見せるのがネメシスの目的なのだろうか。時間はもう三十秒もない。
アラタは速度を緩めずに登り、その人物を見た瞬間に足がもつれそうになった。
それは、白髪交じりの中年だった。
眼帯で左目を隠し、顎にはだらしない無精髭。
そしてその顔つきは、自分が世界の中心だと信じて疑わないような自信に満ちているように見えた。
知っている顔だった。
探していた顔だった。
ヴァン・アッシュ。
十年以上前、アラタに遊技領域での手ほどきをした人物。
消息不明だったアラタの師匠だ。
なぜここにいる。
あまりの衝撃に足を止めそうになるが意思の力で足を進める。
メンテナンス開始まであと十秒もない。
確認がしたかった。
その姿は、かつてエバーファンタジーという遊技領域で師匠がとっていた姿だ。
それが本人だという証拠は何もない。
だからこそ話して確認したかった。
それでも、時間は非情だった。
三秒あれば、目の前までたどり着ける。
もう十秒あれば一言は話ができる。
そんな時間は、もうないのだけれど。
メンテナンスを開始します。
強制ログアウトを行います。
網膜にメッセージが流れる。
あれほどしたかったログアウトを、こうまでしたくなくなるとは思わなかった。
ログアウトの瞬間、師匠の姿をした何者かがアラタの姿を認めた。
そうして、口を開いた。その口は、まるでこう言っているように見えた。
「よお」
アラタの視界が、真っ黒に染まる。




