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104.原初の恐怖


 動け。

 アラタは恐怖に染まりつつある思考を振り払うように動いた。

 虎はアラタの事情などお構いなしに猛攻を続ける。


 本当に負けるのか。

 本当に消えるのか。

 

 攻撃を通せないという、そんなくだらない結末で。


 何かまだ手はあるはずだ。

 考えろ。考えろ。考えろ。

 アラタの中で、原初の力が動き出しつつあった。

 

 目の前の脅威を取り除こうとする力。

 自身の存在を継続させるための力。

 太古の人間が、生存本能と呼んだ力が動き出しつつあった。


 研ぎ澄まされた意識でなんとか手をひねり出そうとする。

 虎の猛攻を半ば自動で躱しながら、思考は現状を打開する方法だけを考えている。


 地面に広がる黒い染みを見るに、残り時間はもうほとんどない。

 それなら、一撃で決めるしかないわけだ。

 

 一撃、それが問題だった。

 雷神はなく、MPも使い切った以上八重桜も使えない。

 できるのは刀剣による攻撃だけ。

 攻撃が通るのはわかっている。

 八重桜が通った以上、物理攻撃が無効というわけではない。

 一定以下のダメージを無効化するようなパッシブスキルが発動しているだけだ。


 ならば無理ではないはずだ。

 スキルではなく業で攻撃を通す。


 やるしかなかった。

 ポイントは、この戦いがPvPと同じ仕様だということだ。

 それが間違いないのは、アラタの血濡れの左肩が物語っている。

 ならば、相手が即死するような攻撃をしかければそれで勝負は決まるはず。

 アラタはその一点にかけることにした。


 アラタは襲いかかってくる虎に背を向けて縮地を切った。

 そこからさらに脱兎の如く逃げ出す。


 虎とアラタの速度は虎がわずかに上だった。

 開いた距離は不意をついた初動で稼いだ分だけ。

 アラタはすぐに反転し、虎に向かって全力で走り出す。


 脳天を一刀両断する。

 スキルなしに、自身の技量だけでそれをやる。


 虎との相対距離を勘で捉えて、踏み込みを決めた。

 勢いを殺さぬように細心の注意を払い、独楽のように半回転してほとんどの運動量を右手に乗せた。


 虎が殺人的な速度で迫る。

 アラタとの相対速度は途方もなく、体当たりだけで死ねるのは見た瞬間にわかった。


 アラタは右手を振るった。

 全力で。

 ここに関しては技量もクソもない。

 野球選手の全力投球のように、全ての力を乗せて飛びかかってくる虎の鼻っ面を狙った。


 非の打ち所のない一撃が入った。

 下半身から腰へ、腰から上半身へ、上半身から右腕へ。

 極限の集中力が、無茶苦茶な力の移動をほとんど損失なしに成功させた。

 さらにそれを虎との衝突に合わせ、部位の狙いまで行ったのだ。

 神業としか言いようのない一撃であった。


 右腕に馬鹿げた衝撃。

 忍者刀を取り落としてしまうが、そんなものを気にしている暇はない。

 アラタは振りかぶった勢いのまま前転して虎の突撃を躱した。


 アラタの右手首がおかしな方向に曲がっていた。

 だが、確かな手応えはあった。


 虎が着地する。

 落下したわけではなく、四肢を綺麗に使っての見事な着地であった。


 心臓が内側に吸い込まれるような奇妙な感覚。

 胸が苦しい。舌がピリピリとする。

 どんな手段を使ってでもこの場から逃げ出したい。

 アラタは、悪夢でも見るような目で虎を見ていた。


 無事に着地したということは、それは絶望を表わしている。

 アラタの一撃が虎への致命傷になっていたならば、虎が無事に着地できるはずなどないのだから。


 虎がのっそりとした動きでアラタを振り返る。

 虎の鼻面から額にかけて、斬撃の傷痕があった。

 

 手応えは、あった。

 それでも虎についた傷痕から、それが致命傷ではないのは明らかだった。

 どう見ても脳にまで達しているということはない。

 しっかりと頭蓋骨で刀が止まった、そういった傷痕だった。


 身体の力が抜けていく。

 この右手では同じ威力の攻撃を繰り替えすなど不可能だし、残り時間がわずかだということまで考えればそれは夢のまた夢だ。


 敗北。

 消滅。


 アラタの頭に浮かんだその言葉に対して理性が考えたのは、嘘だろうという一言だった。

 未だにそれが信じられない。

 信じられないのだが、実感だけはあった。


 地面の染みはもう全面に広がっている。

 フィールド全体が真っ暗な暗黒。

 それなのに視界だけは不思議と確保されている。

 気づけば荒野は老人が夢の中に現れた時のような空間になっていた。


 何かできることはないか。

 何かできることはないか。

 何かできることはないか。


 アラタはまさしく必死で考える。

 こうなったら足技か。

 徒手空拳なら足技は一番威力が出しやすいが、MPがない以上練気が乗せられず、忍者刀以上の威力が出せるとはとてもではないが思えない。


 ならば、ならば、ならば――――


 負けではないのか。

 アラタの中の冷静な部分が言っていた。


 虎の咆哮が響く。

 地面に電撃の予兆が走る。

 今度は安置などない。


 よく見れば、地面どころか宙空まで含めた全方位に電撃の予兆がはしっていた。

 今までと明確に違った攻撃の予兆。

 これが時間切れであることには賭けてもいい。


 これで終わりなのか。

 本当にゲームオーバーなのか。

 信じきれていなかった現実が、アラタの心に浸透し始めていた。


 消える。

 終わる。


 今の今まで、どこかでそれを信じきれていなかった。

 自分ならなんとかなるだろう。

 自分ならなんとかできるだろう。

 心のどこかでそう信じていた。


 その結果がこれか。


 もう二度と、自分の領域で気ままに過ごせないのか。

 Beginner Visionの曲を流しながら伸びたカップ麺を食べて、それから安っぽい布団に寝転んでなんのゲームをやるか考えることもできないのか。


 アラタは動かない。動けない。

 もうこれ以上できる攻撃がない。

 極めつけには時間までない。完全な詰みだ。


 約束。

 こんな局面でアラタはそんなことを思い出していた。

 メイリィと会う約束をしていた。

 ユキナと会う約束をしていた。

 パララメイヤと会う約束をしていた。


 それも、もう叶うことはないのかもしれないけれど。


 アラタが戻らなかったら、あの三人はどう思うだろうか。


 空間を満たす電撃の予兆がさらに激しさを増していた。

 もういくらも残された時間はないだろう。


 謝ることができないのが、心残りだった。


 虎の咆哮が響く。

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