101.師の教え
廃神殿ですぐに試練が行われるというわけではないようだった。
アラタは神殿の一階を探索したが、それらしきものは何も見つからなかった。
となると残るはダンジョンだった区画しかない。
アラタは一階にある上半身の崩れた女神像の裏手に回った。
女神像の台座の裏側は扉になっている。かつてパララメイヤと探索したダンジョンの入口だ。
幸運という他あるまい。
消去法で試練はこの先にある。
もしこのダンジョンを攻略したことがなければ、まず入り方を探すところから始まっただろう。
そう考えるとアラタはツイていた。
アラタは廃神殿地下のダンジョンを進みながら物思いに耽っている。
自分が巻き込まれている事態と、今の自分の心境について。
そして、消滅してしまうかもしれないということについて。
シャンバラの人間は「死」についてなど考えない。
なにせ死なないのだから。
かつてはそういった概念があったと知っていても、実感を持って理解するのは難しい。
自分が消滅する、思考することができなくなる、そしてそれが永遠に続く。
眠っている時の意識がない状態が永遠に続くようなものか。
想像をすることはできても、やはりそれが自分に訪れる可能性があるという実感を持てなかった。
かつての人間はすごいと思う。
データ上ではない、地球上に生きていた人間は、もれなく死んできたのだから。
自分が消滅するという現実を受け入れて、それでも積み重ねて今の文明を作り上げたのだ。
アラタとしては信じられない話だ。
誰であろうと絶対に死ぬ。
アラタはそれを考えようとして首を振った。
その考えは、遠い宇宙で働く途方もない力を想像した時のような、えも言えぬ恐怖を感じた。
勝てば全て解決する。
簡単な話だ。それだけを考えればいい。
しかし、本当にそれでいいのかという疑問がつきまとっていた。
アラタの師匠が言っていたのだ。恐怖が人の力になることもあると。
かつてあった生き死にの場面などはまさにそれで、死に直面した物だけが出せる力もあると説いていた。
文字通りの必死というやつだ。
アラタは師匠のそんな言葉を笑っていた。
なにせアラタたちがやっているのは遊技領域でのゲームなのだ。
負けても死ぬことなどない。
そう言っても師匠は死ぬ気でやれとアラタに言い続けていた。
お前に足りないのは必死さだと。
結局、最後までわからない話であった。
アラタとて全力でやっているつもりであるし、結果もそれなりに出ている。
一戦一戦を取り返しのつかない戦いだという心構えでやれというのはわからないでもないが、本気でそれを信じ込むのはエデンで自己改変できるようにならなければ不可能な気がする。
今なおそれを思い出し、老いぼれの戯言と無視できなかったのは、最後まで勝てなかったからだ。
師匠に。ヴァン・アッシュという人間に。
0勝214敗。
それが師匠との戦績だ。
それを最後に、師匠は姿を消した。
十年以上前のそんな出来事を思い出すのは、今がまさに必死になるべきであろう時だからだ。
アラタは一人でダンジョン内を進む。
敵が現れることはなく、ダンジョン内の仕掛けも既に解いた扱いで、道中はただ進むだけであった。
アラタは、自分でも驚くほど平静だった。
普通にソロのゲームを攻略している時と何も変わらない。
試練というのが何をやらされるかはわからないが、大方戦闘だろうとは思う。
これで試練がクイズ大会の類だったりしたらアラタは間違いなく消滅するが、それはさすがにないだろう。
未知の敵に、己の存在をかけて戦う。
そうなのだろう。
それでも、どうにも危機感に欠けている気はしていた。
感覚としては攻略情報を見ずにボスに挑む感覚と近い。
そしてそんな感覚は、もう数え切れないほど経験していた。
もし今のアラタを師匠が見ていたら、こういうだろう。
――――だからお前は俺に勝てねぇんだよ。
そんなことを考えているうちに、気づいたら最深部にたどり着いていた。
あの巨大な熊のボスがいた広間だ。
そこにたどり着いても、まだ何もなかった。
ただ広大な広間があるだけ。
今は熊が埋もれていた瓦礫もない。
アラタは広間を進む。
歩きながら小石を蹴ると、他には誰もいない空間に思いの外大きな音がこだましていた。
意外だったのは、エデン人の接触が何もなかったことだった。
ネメシスかあの老人、どちらかの接触はあると思っていた。
そのどちらの接触もないというのは、いきなり試練に挑むアラタの反応が見世物としてほしいからなのだろうか。
アラタは広間を横切り、最後の小部屋へと入る。
パララメイヤと宝箱を開けたあの部屋だ。
ここに何もなければ困ったことになると思っていたが、そんなことはなかった。
小部屋の正面、かつては宝箱のあった祭壇の上に異変があった。
ポータルらしきものが開いているのだ。
らしき、というのは通常のポータルとは違ったものだからだ。
周囲の空間が歪んでゲートのようなものが開いているという点は同じだが、その色が違った。
通常のポータルの場合、歪んだ空間の中は薄い水色になっているが、このポータルの中は真っ黒だった。
それは光が届かないことで黒く見えているというよりも、闇そのものが閉じ込められているような、そんな不気味な色をしているように見えた。
アラタは祭壇への段を登り、何の躊躇もなくそのままの足取りでポータルに踏み込んだ。
後から考えてみると、やはり師匠の言っていたことは正しかったのだろう。
アラタには、緊張感が足りていなかった。
メンテナンスまで残り三日。
敗北した場合、どうせ三日間は動けなくなる。
つまり、何をしようとチャンスは一度きりだったわけだ。
それなら、せめて一日休むだけでもすべきだった。
それだけでも集中力に違いは出たはずだ。
他にも三日あれば、できたことはまだあったはずだ。
なのにアラタはそうせずに挑んだ。
己の存在がかかっているはずなのに。
まさしく必死になるべき事態であるはずなのに。
アラタは自分では覚悟しているつもりで、迷いなくポータルに踏み込んだ。
もう、取り返しはつかないのだけれど。




