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「あ、もうお昼だ。暑いから、庭仕事はこれで終わり! 続きをするなら、涼しくなってきた夕方頃にしなよ。シュー、ちゃんと薬飲んだ? しっかり食べて休みなよ、それじゃあね!」
イスヴァンは世話焼きなことを言うと、修太がお裾分けした野菜と薬草を抱え、孤児院に帰っていった。
「お前はおかんか……」
玄関で見送り、修太はつぶやく。
さすがは孤児院で義理の弟妹達の世話をしているだけはある。口うるささは、父親を通り越して、母親みたいだ。
まあ、良い奴なのに違いないので、放っておこう。
修太は扉を閉めると、その足で風呂に向かう。庭仕事で汗だくだ。さっと汗を流して着替えると、入れ替わりにバルも風呂に行った。修太は肩にタオルを引っかけたまま、台所に移動する。
今日の昼ごはんは、昨日のうちに買い置きしておいたパンと、緑瓜と肉入りスープだ。
食べやすく切ったパンを山積みにし、スープは鍋ごとテーブルに運ぶ。
ちょうどバルが風呂場から出てきたので、修太は声をかけた。
「バルも食べるか?」
「もらう」
すんっと鼻を鳴らし、バルがスープ鍋に寄ってきた。
「なつかしいにおいがする」
「ああ、これ、グレイが作るスープの真似だからな。黒狼族風ってやつ?」
グレイほど上手くは作れないが、暑い日にはピリッとした味がとても合う。
「ちょっと味付けが違うが、まあ、美味いんじゃないか」
味見をして、バルはつぶやいた。
黒狼族の郷土料理だけあって、バルにはささいな違いが分かるみたいだ。それから食卓につくと、たった二人で、山盛りの食事をたいらげた。知り合いの黒狼族は、そんなに量をとらなくても平気そうにしているが、さすがに十三歳という食べざかりのバルはよく食べる。
それとも、バルが大食いなのか?
疑問が芽生えたが、バルが食べようが食べなかろうが、修太にとってはどうでもいい。必要なら、自分で作るだろう。
食後にデザートを食べようと台所に向かいかけ、修太はバルを振り返る。
「お前も、プリン、食べる?」
「何それ」
「デザート」
「……つまり、甘いものってことか?」
「卵のお菓子」
「???」
意味が分からないと言いたげにしたものの、バルは頷いた。
修太の両親はあまり菓子を作らないのだが、小学生の時、修太が誕生日プレゼントにバケツプリンを食べたいとせがんだことがある。
ちょうどテレビ番組で見て、食べてみたくてしかたなかったのだ。
それなら皆で作ろうということになって、三人で作った。
ほとんど混ぜるだけで簡単だったのと、仕事の忙しさからあまり台所に立たない父親が参加したことがうれしかったので、作り方をよく覚えている。
バロアが甘味好きなので、そういえばと思い出して、昨晩、試しに作ったのだ。
冷蔵庫の魔具に入れて、味見もしていない。
この間、フルーツティーを淹れたら大好評だったが、これもバロアは喜んでくれるだろうか。
遠方からわざわざグレイの家族が訪ねてきたので、修太はどうも浮かれている。バロアはちょっと面倒くさいが、親戚という響きがうれしい。日本にいた時ですら、親戚には縁遠かったせいだろうか。
「なんだこれ、黄色いのにソースがかかってる……のか?」
「それは砂糖で作ったカラメルだよ」
修太が説明しても、バルは恐る恐るプリンを口に運んだ。その目が見開かれ、びっくりという顔で固まる。
「うま!!」
よっぽど衝撃的だったのか、尻尾の毛が逆立っている。
あんまり見ているとにらまれるだろうから、修太は気付かないふりをした。
「バロアさん、喜ぶかな?」
「間違いねえだろ」
バルは太鼓判を押し、ちびちびとプリンを口に運ぶ。
上手く作れたようだ。修太は口元を緩める。
「良かった。それじゃあ、後で出してみよう」
修太も食べてみたが、首を傾げる。
「うーん、もう少し気泡をつぶせば良かったかな。少し舌触りが……」
「これで微妙なできなのか?」
「俺が味にうるさいだけだよ」
「卵は貴重だから、これだけで充分だと思うがなあ。これ、どこの料理?」
記録するつもりらしく、バルが食いついてきた。学者肌といえばいいのか。調査好きな奴である。
「どこって、俺の故郷」
「その見た目だと、スオウか?」
「いや、えーと……東のほう?」
「なんであいまいなんだよ」
「説明しにくいんだ」
嘘は言っていないので、バルはけげんそうながら頷いた。
「ふーん?」
「そういや、バル、もう体調はいいのか?」
上手く説明できる気がしないので、修太はあからさまに話題を変えた。
「ああ。しばらく宿に泊まるのはごめんだけどな。人間って、足音がうるさいんだよ。ちょっとの物音で目が覚めるほうだから、睡眠がまったくとれなくてな。いくら俺達には人間ほど睡眠がいらないといったって、ゼロだとまいるよ」
「繊細なんだなあ」
「野宿をしている時、物音がしても、ぐーすか寝こけてたら死ぬだろ」
「お前の価値観、生きるか死ぬかしかねえの?」
何かと生存率を話題にあげるので、修太はうろんに思った。
「それから、におい? レステファルテほどじゃねえけど、香水と体臭、汗が混じったにおいは気持ち悪い」
「うげ。それは想像するだけで吐きそうだな」
最悪のブレンドだ。修太は顔をしかめた。
「この家は過ごしやすいよ。お前、眠ると静かだろ。夜中にまったく物音がしないから助かる」
「ああ。死んだみたいに眠るから怖いって、よく言われる」
「そこまでかよ。ここは草のにおいがするが、香水じゃないから平気だ」
「俺もグレイも、そういうにおいは駄目だからな」
しかし、グレイは薬師はくさいから嫌いだと言うので、その辺は気を付けようと思う。
修太はプリンを食べ終えると、食後にお茶を飲んでから、持病へのもろもろの薬を飲む。丸薬がほとんどだが、魔力吸収補助薬だけは噛み砕いて飲まないといけない。
しかめ面でしぶしぶ飲んでいると、バルがまじまじと薬の袋を眺めていた。
「体が弱いとは聞いてたが、そんなに飲むのか?」
「俺、〈黒〉だから、もともと魔力欠乏症をわずらってて。旅の間に、強い魔法を何回か使った反動で、心臓に負荷がかかったらしくてさ。気を付けないと発作を起こすんだよな」
「その発作とやらの時は、俺はどうしたらいいんだ」
緊張をあらわにするバルに、修太は首を傾げる。
「薬を飲んで休んでおけば大丈夫だけど、悪い時は、なじみの医者か治療師の所に連れてってくれると助かるかな。〈青〉の魔法でだいぶ治まるから」
「分かった。子守としては、ちゃんと把握しておかないとな」
「うっせーよ、子守って言うな!」
相変わらず一言多いので、修太は即座に言い返した。
「はあ。ちょっと疲れたから、本でも読みながら休むかな」
「本! さっき、部屋にも本があったが、お前も読書家なのか? グレイは?」
「グレイはあんまり読まないよ」
たまにセーセレティー国内について書かれた情報誌や、モンスターや動物の生態についての本をめくっているくらいだ。そう考えると、バルと興味の範囲がかぶっていそうである。
「そこの本は好きに読んでいいぞ」
表玄関側の窓際には、本棚と長椅子をセットで置いている。修太がフードを外して室内をうろついているので、念を入れて、外から覗けないようにいつもカーテンは閉められていた。そうでなくても日差しが熱いので、日よけは必須だ。
小さな卓もあるので、たまにグレイが酒を飲みながら、そこで本や書類を読んでいる。共に過ごした数年で、グレイは読み書きがかなり上達して、ときどき修太に単語の意味を訊くことはあっても、一人で読めるようになっていた。
おかげで冒険者ギルドからの依頼を受ける時に、事前に資料に目を通せるから助かっているらしい。
バルはすぐに本棚に向かい、タイトルを一つずつ読んで、頷いた。
「面白そうなものばっかりだな」
「そんなに読みたいなら、サランジュリエの図書館は庶民も利用できるから、行ってみたら? 俺が持ってる本も、興味あるなら貸すけどさ」
「トショカン? なんだ、それは」
バルは初めて聞く言葉だったようだ。
修太が図書館について説明すると、バルはいっそう目を輝かせる。
サランジュリエの図書館が日本と違うのは、少額の入館料をとることだ。特別許可をとらない限り、本の持ち出しも禁止だ。出入口では守衛が目を光らせており、手荷物チェックをされて、保存袋を持っていたらロッカーに一時的に預けることになる。
「よそ者でも読めるのか?」
「ああ、入館料はとられるけどな。書き写すのは大丈夫だったと思う」
図書館にはほとんど行かないので、あいまいだ。必要なら、本を買うことが多い。
「俺が作りたいような本があるかもしれないな!」
「あっても、情報が古いんじゃないか? お前はお前で作ったらいいよ」
「ああ、それもそうだな。この都市はすごいな。レステファルテでは考えられない」
「ダンジョン都市は、よそ者には寛容なんだ」
こうして楽しそうにしていると、年相応の子どもっぽい。
「そういや、バルって辞書って分かるか? 分からない単語があったら、これで調べるといいぞ」
「なんだ、これ」
修太が本棚から分厚い本を引っ張りだすと、バルは最初は不思議そうに見ていた。使い方を教えると、辞書のすごさを理解したようだ。
「なんて画期的なんだ! すごい!」
そして長椅子に座り、かじりつくようにしてページをめくり始めた。
(本の虫だなあ)
ここまでの本好きはめったといない。
(黒狼族だと、こういうタイプって珍しいんじゃないか? イェリさんも変わり者扱いだもんな)
学問をする者は下に見られがちだというから、バルが許されていたのは、族長の子どもだからだろう。族長夫妻が読書家なのは、武力だけでは集落を治められないと分かっているからだと思う。
スレイトがシュタインベル学園に興味を示していたのといい、黒狼族も少しずつ変わっていこうとしている。バルみたいな者がいるのは、これからにとって良いことのように思えた。
「そんなに本が好きで、周りから嫌味を言われたりしなかったのか?」
「まあ、変人扱いされてたけどな。文字を読めるより、獲物を狩って帰ったほうが褒められるんだ。生きるためだ、しかたがない」
「子どもなのに、シビアだなあ」
「読書なんて道楽だろ。でも、役に立つものもあるんだ。レステファルテ人の悪意から身を守るには、あいつらと同じくらいの知恵をつけないとな」
「ふーん。立派だなあ」
バルは集落を出た後でも、マエサ=マナのために働くつもりでいるみたいだ。
「それで余計なお世話って言われたらどうするんだ?」
「俺が勝手にすることだから、あいつらがどう思おうがどうでもいい。役立ててくれたらうれしいだろうけど、それは俺のえごだろう。でも、知恵をつけたことは、俺の役に立つのは間違いない。これも強くなるためだ」
「はあ」
バルなりに、強くなるために努力しているみたいだ。
なんとなく日々を生きている身なので、真面目だなあと感心するばっかりだ。
そこでバルは辞書から顔を上げ、心底迷惑そうに言った。
「ところで、うるさいからそろそろ黙ってくれないか」
「俺が悪かったけど、ほんっと失礼だな、お前」
修太は首を振り、お茶を淹れなおしてから、自分もテーブルについて薬草の本をめくる。
しばらくページをめくる音と、修太がたまにカップを置く音がするだけで、午後は静かに過ぎていった。
なかなか料理に移らないですね。意外と長くなってしまった。




