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ホテル〈ブルー・ローザ〉。王都の中央通りという、高級店のつどう一画にあるホテルは、どう見ても貴族の邸宅だ。
石造りの三階建てで、横にも広い。青い薔薇の名にあわせてか、あちこちに青い薔薇のモチーフがあり、色とりどりの薔薇が品良く植えられている。
出入り口には屈強なガードマンが二人立ち、客の出入りに目を配っていた。
修太なら怖気づくところだが、グレイは気にせず近付いて、招待状を見せる。
「失礼ですが、身分証を拝見してもよろしいでしょうか」
ガードマンの丁寧な問いかけを受け、グレイはギルドカードを見せる。ガードマンはカードの内容を読むと、礼を言って返す。
「確認いたしました、ありがとうございます。賊狩りグレイ様ですね、支配人よりお話は承っております。どうぞこちらへ」
「倅とペットもいいか?」
グレイがこちらを振り返る。
サランジュリエ支部の冒険者ギルドが伝書鳥で返事を出してくれたそうだが、もしかしたらグレイ達のほうが早く着いた可能性がある。それくらい、無茶苦茶な速度でやって来た自覚がある。
「ええ、お伺いしておりますので、ご一緒で構いませんよ。ですが、そちらの犬は足をふかせていただいても?」
「ああ」
グレイが了承すると、ガードマンは修太に声をかける。
「申し訳ありませんが、ペットをこちらまでお連れいただけますか」
「はい。ほら、行くぞ、コウ」
修太が声をかけると、コウは修太の横にピタッとくっついて、いかにも「自分は賢い犬です」という顔をした。石段を上り、玄関脇で待つ。ガードマンが中に声をかけ、従業員らしき少年が雑巾とバケツを持ってきた。
少年がコウの前脚を手に取る前に、コウは前脚を出す。右、左、後ろの右、後ろの左といった具合に。
「賢いワンちゃんですね」
「オンッ」
少年の褒め言葉に、コウは「まあね」とでも言うかのように返す。胸をそらして得意顔だ。そんなコウの様子に、修太と少年はもちろん、ガードマンの強面も少し緩む。
「ふかせていただいてありがとうございました。お出かけからお戻りの際は、犬を中に入れる前に、フロントにお声がけくださいね」
「はい、そうします」
修太が丁寧に返事をすると、少年は優雅にお辞儀をして退席した。下っ端まで教育が行き届いているようで、修太は余計に緊張してきた。
土足で中に入っていいのかとはらはらしながら、ホテルの中に踏み込む。
中はひんやりと涼しい。天井には周囲の気温を下げる魔法陣が縫い取られた布が下がっているので、あれのおかげだろう。
「賊狩りグレイ殿、ようこそいらっしゃいました!」
恰幅の良い中年男が、ホテルの奥から現れた。四角い顔に、カモメを逆さにしたみたいな口髭が生えている。銀製のサークレットには雫型のアメジストを配し、白い布地に青い糸で紋様をえがいた、おしゃれな正装を身にまとっている。いかにも都会の人といった雰囲気だ。
「私はこのホテルのオーナー、ミルド・ローザと申します。先日は甥のスティーブを助けていただいて、まことにありがとうございました」
白い歯を見せて笑い、ミルドは修太にも微笑みかける。
「ご子息がご一緒にいらっしゃるとおうかがいしていますが、そちらの方でしょうか?」
「ああ。俺の養子でな、シューター・ツカーラだ。そっちはシューターの飼い犬のコウだ。倅はカラーズだから、目を見せる気はない」
きっぱりと断り、グレイは「どうだ?」というようにミルドを見る。
「もちろん、大丈夫ですよ。そもそも、我々は冒険者ギルドから『グレイ殿は誰の招待だろうと断るから期待しないように』とお伺いしておりましたので、ご参加いただけると聞いて、とてもうれしく思っております。ご家族にもお会いできて、光栄です。甥も喜ぶことでしょう」
ミルドはそう言ったが、少しだけ顔を曇らせる。
「しかし、盗賊団に下働きとしてこき使われていたため、精神的に少し参っているようなのです。パーティーには顔を出すと思いますが、今すぐは無理かと」
「そんな状態で、俺に会って平気か?」
グレイはけげんそうに問う。
修太も心配になった。グレイを見たことで盗賊団を思い出して、フラッシュバックを起こすのではないだろうか。
「今回のお礼は、甥の強い願いですので、その点は大丈夫ですよ。あなたは英雄だと言っておりました。グレイ殿に助け出され、被害者だけで小屋にかくまってもらえたことに感謝していましたよ。次に会えたらお礼を言うつもりだったのに、騎士団に後をたくして帰ったと知って残念だったとか」
「ふん、物好きな奴だな。――礼はどうでもいい。金を払えというなら、払う。ここのレストランの料理が美味いと聞いてな、倅に食わせてやろうかと思っただけだ。サランジュリエ支部のマスターから、予約が半年待ちだと聞いている」
珍しく、グレイが招待に乗るか迷ったのは、ダコンの後押しがあったせいらしい。
修太が大変だった時、グレイがオーナーの甥を助けていたのだと思うと、ちょっぴり複雑な気持ちにさせられるが、大勢を助けるグレイの仕事は、修太にとっても誇らしいことだ。
それに、こうして過ぎ去ってみると、グレイが人助けをしたおかげで、修太まで素晴らしい料理にありつけるのだから、悪くない気がする。だんだんおいしい料理のほうに、気持ちが傾いてきた。
……うん。やっぱりいいことだ。おいしい食べ物は正義だ。
「セリグマン様ですね、王都にいらっしゃる際には、当ホテルをごひいきにしていただいております。お客様のご期待に添えれば、うれしく存じますよ。それから、念のためにお断り申し上げますが、これは甥の命を救っていただいたお礼ですので、代金はいただきませんよ。ごゆるりとお過ごしくださいませ」
丁寧に断りを入れるミルドに、グレイは一つ、頷きを返す。
「分かった。だが、何か問題があるなら言えよ。お前達人間はすぐに『察しろ』と無茶を言うが、俺には意味が分からんのでな。とにかく、俺が望むのはこいつの安全だ。そこさえしっかりしてれば、あとはどうでもいい」
グレイの過保護発言に、修太はフードの下で赤面する。
――やめろ、その微笑ましいものを見る目をこっちに向けるな。
そうミルドに念じてみたところで、無駄だった。意外そうに眉をはね上げた後から、にっこにこである。
「当ホテルの警備は万全です。怪しい者は、そもそもホテルには入れませんのでご安心ください。――しかし、お客様同士のトラブルとなると話が変わってまいりますので、ご不安がおありの時は、すぐにお呼びくださいませ」
ミルドはそう言うと、グレイと修太に保安について説明する。
客室には呼び鈴があり、客室の近くの部屋では、従業員やガードマンが二十四時間体制で待機している。呼び鈴を激しく鳴らすと、すぐに駆けつけてくれるということだ。
説明後、ミルドは修太達を客室まで案内してくれた。そして、部屋の使い方を簡単に説明し、ミルドは退室した。
細かいことが知りたい時は、専属の客室係に言えばいいそうだ。
(専属がいるのか……)
いつも中規模の宿がほとんどだから、常識が違いすぎてくらくらする。
「すごい部屋だなあ」
扉を入ってすぐは、居間と食堂を兼ねた部屋だ。長テーブルと椅子が並び、長椅子やローテーブルもある。
扉の左側には小さなミニバーがあり、酒や飲み物がずらりと並んでいた。
(グレイ達、好きそうだ)
グレイはもちろん、酒が好きなトリトラやシークの顔を自然と思い浮かべる。
(俺が飲めそうなものはあるのかね)
興味をひかれてミニバーを見てみると、修太がよく知る魔法陣が描かれた箱があった。冷蔵庫みたいな魔具だ。
箱の蓋を開けると、ひんやりした空気が漂う。中には飲み物やデザートが入っていた。ガラス瓶がキンキンに冷えている。ラベルにはジュースと酒の名前があった。それから、レモン風味な味がするシャナが浮いている水も。
さっそくシャナ入りの水を開け、グラスに注ぐ。
「父さんも飲む? シャナ・ウォーター」
「ああ」
部屋を見回していたグレイが、こちらを見て頷いた。
それから絵や棚に近付いて、細かいところをチェックしている。グレイは警戒心が強いので、宿に泊まる時は罠がないか一通り調べるのだ。コウも一緒になってくんくんとにおいをかいでいたが、そのまま日ざしが降り注ぐ窓辺に落ち着いた。ふかふかした犬用の寝床に寝そべって、幸せそうに目を閉じる。
さっきまでビクビクしていたので、安心している様子が微笑ましい。
部屋のチェックはグレイに任せ、修太は水を用意して、テーブルに向かう。テーブルやローテーブルには、皮をむかなくてもすぐに食べられる果物が置いてあった。
ひとまず一息つくと、他の部屋も見てみることにした。
居間の両側に扉があって、それぞれ修太とグレイの部屋に分かれている。天蓋付きのふかふかのベッドが置いてある寝室の奥には、風呂とトイレがある。どうやら一部屋ずつについているみたいだ。
「なんか……すごいとしか言えないんだけど」
「安全のためにこういう宿に泊まったことはあるが、どうも落ち着かねえな」
「え、何かやらかしたのか?」
「同胞の女が裏にさらわれて、仲間を集めて救出しに行った。それで一ヶ月以上、悪党どもに追い回されてな……。これくらいの宿は警備がしっかりしてるから、しかたなしに泊まった」
「理由がグレイらしいなあ」
さすがとしか言えなくて、修太は笑いをこぼす。
「俺一人なら、可能ならギルドで寝泊まりするからな。何かある都度、ギルドに呼び出されるから移動が面倒だ」
用がなければ、紫ランクは一定時間、冒険者ギルドで待機している。ギルドに宿泊できるのは職員だけだが、紫ランクは幹部なので利用できるみたいだ。
「この後はどうする?」
「お前、まだ出歩きたいのか?」
あちらこちらで悪霊払いがあって面倒くさいことこの上ないのに? という裏の意味が含まれていることに気付いて、修太も苦笑いを返す。
「いや。今日はゆっくりしたいよ」
「同感だ」
半日走り通しでも疲れを見せないグレイが、うんざりした空気をばらまいている。
祭りの時期のセーセレティーって面倒くさいということで、意見が一致した二人だった。
疲れている時は、断片の使徒を書くに限りますね。栄養剤がわりですよ。これ書いてると、元気が出るんですよねー。




