6
教室に戻ると、何故かリューク・ハートレイと黒狼族のレコンが一触即発の空気になっていた。
黒板の前でにらみあっている。
「なあ、この状況って何?」
教室に入り、一番前の席の少年に問うと、彼はひそひそ声で教えてくれた。
「ハートレイが彼を怒らせることを言ったんだ」
「何を?」
「どうせ、常識の押し付けでもしたんだろ? あいつ、昔っから正義の押し売りでめんどくさいところがあるからなあ。」
アジャンが後ろで、乾いた笑いを零した。少年が目を丸くする。
「すごい、よく分かったな。黒狼族に『名前で呼べ』なんてことを言ったんだ」
「なるほどな」
修太はこくりと頷いた。
彼らは名前を大事にする。基本的に、認めた相手の名前しか呼ばない。ただし仕事上では例外もある。
「私と勝負して、勝ったら名前を呼んでもらう!」
「いいだろう」
リュークの提案に、レコンは首肯を返した。
「なあ、うちの校則で私闘って大丈夫だっけ?」
修太がアジャンに問うと、予想外のところから返事があった。
アジャンの後ろから教室に入ってきた、ローズマリィ・メルヴィータが涼やかに答える。
「戦闘学の教師の立会いのもとでしたら、大丈夫ですわよ。そうですよね、先生?」
「ああ。まったく、二日目からやらかして面倒な奴らだな」
痩せた体躯の男が、険しい顔でぼやく。さらりとした銀髪を肩に垂らし、眼鏡の奥には緑の目が覗いていて、苛立った様子だ。
「君達、授業の邪魔だ。その件は、後で担任に進言したまえ」
男に追い払われて、リュークやレコンはそれぞれ自分の席に戻る。様子見していた生徒達も、ようやく移動できた。
男は教壇に立つと、教科書を広げる。
「私はアンソニー・シュタインベルだ。エターナル語と、戦闘学の魔法部門を担当しているが、司書の仕事がメインのつもりだ。いいかね、私の授業では、遅刻と私語と提出物の遅れは一切禁止だ。一つで一点ずつ減点していき、十点になったらその学年での単位はやらん。誰であろうと――だ」
アンソニーはぎろりとリュークをにらむ。
「リューク・ハートレイ、マイナス一点だ。時間はわきまえたまえ」
「しかし」
「さらに減点されたいか?」
アンソニーの容赦ない言葉に、リュークは黙り込んだ。
「それでいい。では授業を始める」
淡々と話し始めるアンソニー。彼の理不尽な怖さに、皆、気をのまれて、教室は静まり返っている。
(こわっ。シュタインベルって苗字だし、校長先生の息子かな?)
厳格な面だけ色濃く受け継いでいるようだ。
(ウェードさんを思い出す感じだなあ)
知り合いのエルフの青年を思い浮かべる。人間嫌いで、いつ会ってもつんけんしていておっかないのだ。
「皆も知っているだろうが、エターナル語とは、永久青空地帯にある霊樹リヴァエルが、まだ地上にあった頃から存在する言語といわれている。そこには創造主オルファーレンという神が住んでいるという伝説がある。南方、レステファルテ国以南で使われている一般言語は、ここから派生した方言のようなものといわれ――」
小難しい説明を聞いていると眠くなる。昼食後にすぐにこれはきつい。
エターナル語の成り立ちについて説明した後、授業の目的について話し始めた。
「――というわけだ。もし貴族の屋敷や宮仕えをしたいなら、丁寧な言葉遣いも学ばなくてはならない。それから、報告書などで文字の読み書きは必須になる。君達も試験を受けたのなら、最低限は出来るのだろうが、この授業ではさらに上を目指すことになる。心してかかりたまえ」
アンソニーは目を鋭く光らせた。
「返事は?」
「「「はい!」」」
生徒達が声を揃えたのは言うまでもない。
私語は禁止と言ったのに、返事はしろなんてひどい。
うとうとしかけていたけれど、はっきり目が覚めた。
四時間目は戦闘学の格闘部門の時間だ。
騎士科と冒険者科の面々は更衣室で着替え、その後、校庭に移動してそこで鍛錬を行うようだ。
修太はどうすべきなのか、そういえば聞いていなかった。
自習なのか、帰宅していいのか。研究棟に行って、担任のセヴァンに質問しようかと立ち上がったところで、セヴァンが顔を出した。
「お、いたいた。悪いな、ツカーラ。説明してなかったが、お前さんは戦闘学の間は自習だ。それが嫌なら、各教科の先生の部屋に顔を出して、手伝いでもするといい。質問してもいいぞ」
「そうなんですか」
修太は返事をして、少し考えこむ。ちょうど本を持っているから、読書してもいい。
「戦闘学の見学は?」
「やめとけ。黄色を怪我させると退学だからな、皆、気が散って授業に集中できなくなる」
「それもそうですね……」
訓練なら武器を飛ばしてしまうこともあるだろう。邪魔になりそうだ。
「いきなりだもんな。暇が嫌なら、今回は俺の手伝いをするか? 今、標本作りをしててよ。押し花を冊子に貼りつけて、分類してるところだ」
「面白そうですね。手伝わせてください」
「よしきた、じゃあこっちだ」
修太は荷物を旅人の指輪にしまうと、教室を出る。セヴァンは修太と並んで廊下を歩きながら、アドバイスを口にする。
「お前さんが文官として城仕えする気なら、教師の手伝いをしてまわるのは、結構勉強になるぞ。雑務が多いらしいからな。ちとおっかないが、アンソニー先生のところで、本の整理を手伝うといいかもな」
けだるげで面倒くさがりそうな感じだが、セヴァンは世話好きのようだ。オススメの教師について話してくれたが、修太は口元を引きつらせた。
「ちょっとどころか、かなりおっかないです」
「だが、本の分類については知っておくと役に立つぞ。他にも本の修繕とか、書類の整理方法とかな」
「なるほど」
「まあ、先生に慣れた頃にでも行ってみろよ」
セヴァンは修太の腰が引けているのを見て、提案はするものの、押し付けなかった。修太はほっと安堵の息をつく。そこで気になっていたことを思い出して、セヴァンに質問する。
「そういえば先生、要注意人物のもう一人って誰なんですか?」
「ん?」
「俺、リューク、セレス、ライゼル、ローズマリィの五人でしょう?」
「よく分かったな。まあ、そうだな。あいつらは親が厄介でね。ハートレイとメルヴィータは貴族だから、他所の学校もすすめたんだが、ここがいいらしい。最後のもう一人はレコンだよ」
セヴァンの返事が意外すぎて、修太はまじまじとセヴァンの横顔を見つめる。
「なんだ、どうして不思議そうにしてる? 黒狼族の生徒は珍しいんだ。しかも我が強いから、こっちも手を焼くんだよ。――ああ、親父さんが黒狼族だから、変に思わないのか?」
「いえ、あいつらが好き勝手やってて自由で、殺伐としてておっかないのはよーく知ってますけど」
「けど?」
「正直、人間よりずっと信用できる人達です。誇り高くて、信念がある」
修太はきっぱりと言い切った。セヴァンは同意した。
「そうだなー、俺も戦士としての彼らは尊敬してるよ。――だが、生徒になると駄目だな。弱い奴の言うことなんか聞けるかって態度だし、協調性がなくてすぐに単独行動をとる。うちの戦闘学じゃあ、パーティ――班を組むからな。しかも三年を通して同じ班だ」
「団体行動ですか! 最悪の組み合わせですね」
セヴァンの指摘に、修太はものすごく納得した。個人の能力はかなり高いが、とにかく団体行動に不向きなのだ、彼らは。
「どうなることだか」
「そういえば昼休みに、リュークがレコンに勝負を挑んでましたよ。勝ったら名前を呼ばせるそうです」
「まじかよ? かーっ、あの坊ちゃんは。これだから正義感の強い奴は苦手だ」
セヴァンは額に手を当てて、天井を仰ぐ。
「でもそれで授業の開始が少し遅れたので、アンソニー先生に減点されてました」
「そりゃあいいな。貴族だろうが、学んでもらわないと困る」
「そういえば、あの事件、進展ありました?」
「いや、全然。魔具の瓶らしきものが落ちてたが、中身は空だったんでな。風に乗って拡散するタイプの魔法じゃねえかって、治療師と話してたんだが……。何しろこんな魔具は前例がないんで困ってる」
修太が事件の関係者だからか、セヴァンはあっさりと教えてくれた。そして、どうしてそんなことを問うのだと、修太をけげんそうに見る。
「なんだ? 何か問題か?」
「リュークに目を付けられてるだけです」
セヴァンは灰色の髪をがしがしとかく。
「まあ、上手いことかわしてくれや。どうしてもやばくなったら、俺か校長か、医務室に来れば、かくまってやるからよ。リスメル先生はやめとけ。あの人、作法の教師だから、権力者におもねらないと仕事がないんだよ。迷惑をかけるのは嫌だろ?」
「ええ。でも先生はいいんですか?」
「俺はどこでも仕事出来るからな。嫌になれば、リストークに戻るしよ」
「ああ、自治都市の? ミストレイン王国の手前の町ですよね、医術の盛んな。一度、行きましたよ」
「そ。だから俺もこうして薬師になったんだ。冒険者ランクも持ってるが、そっちのほうがおまけだな。薬の材料探しに行ってるうちに腕が上がっただけでね。――っと着いた。じゃあ手伝ってもらうとするか、ちょっとためこんじまってなあ。これだけあるんだ」
研究室の鍵を開け、セヴァンは中へと入っていく。
中は結構広い。壁は本棚や棚で埋まっており、八人掛けの長テーブルが一つと、奥の窓際には執務机があった。ふわりと香る薬草のにおいは、どこか懐かしい。
きょろきょろしていた修太は、セヴァンが示した長テーブルを見て、目を丸くした。紙二枚に挟み込まれた薬草が、山になっている。
「これを薬の効能ごとに分けて収納予定だな。お前さん、薬草に詳しいから出来るだろ?」
「ええ」
「分類はこれだから、とりあえずこの通りに分けて置いてくれ」
「はい」
薬草の名前がのった表を受け取り、修太はさっそく仕分けしていく。そしてすぐに困った。
「あの、この薬草、傷薬と食べ物の劣化防止なんですけど、この場合は?」
「……あ? なんだって? 劣化防止?」
自分の執務机で書き物をしていたセヴァンは、こちらを見て、修太の手にある薬草に気付くと眉を寄せる。
それから四半鐘――三十分も経つ頃には、頭を抱えていた。
「ああ、お前さんの知識をあなどってたぜ。またギルドで検証かな……。お前さん、論文を書く気は?」
「ありません」
そもそも書き方も分からないし、なんだか面倒くさそうだ。薬草の扱い方は覚えたいが、研究には興味がない。
セヴァンは代替案を出す。
「そんなら検証後に、俺が代理で発表しても? もちろん、ツカーラの名前ものせる。試験の分は、ギルド側が報告書にまとめることに合意したって聞いてる。それと同じことを俺がするだけだ」
「構いませんけど、薬師ギルドのウィルさんに、一度確認してもらっても? 前に似たようなことを言ってました」
修太の話に、セヴァンはきょとんとした。
「なんだ、お前さん、ウィルの兄貴の知り合いかよ」
「一応、師事してます。ええと、二ヶ月前くらいからですかね? まったくの素人すぎて誰も相手してくれなかったんですけど、ウィルさんだけ色々と薬師ギルドのことを教えてくれて……」
「ああ、あの人は愛すべきお人好しなんだ。かなり人望があるんだぞ、良い人についたな。分かった、俺の兄貴分だから、こっちで確認しておくよ。いやあ、そっかー、ウィルの兄貴のね」
セヴァンはうんうんと頷いて、「ランクは?」と問う。
「赤で、見習いです。まだ薬草のすり潰しくらいしかしてません」
ランクはどこのギルドも同じで、「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」という虹の七色で決まっていて、赤が一番低くて、紫が一番高い。
修太の返事は意外だったようだ。
「あれだけ知識があるのにか?」
「はあ、食べ方とか、お茶なら詳しいんですけど、薬は全然分かりません。試験勉強もあって、たまにしか顔を出せてませんし。前に薬草を売りに行ったら、大騒ぎになって面倒だったんで、余計に足が遠のいて……」
ごにょごにょと言い訳しつつ、標本をちらっと見ては分類していく。判断に困ったものだけ手前に置いた。
「終わりました。こちらは……」
「ああ、うん。とりあえずメモするから、教えてくれ」
「はい」
セヴァンは困った様子で、がしがしと頭をかき、天井を仰ぐ。
「……分かった、こうしよう。お前さん、自習の時はここを使ってもいいぞ。後で合い鍵をやるからよ。野放しにすると危険だから、学園にいる間は、弟子として育てることにする。ウィルの兄貴にも話しておくよ」
「いいんですか!? それじゃあ、薬草園にも出入りしても? 俺、自宅でも育ててるんですよ。面白いですよね」
「それ、ウィルの兄貴に相談したか?」
「はい。なんか、育てたらまずいものもあるって聞いて……。適当に森で引っこ抜いてきた苗を植えてたんで、少し焦りましたよ」
セーフだったと返すと、セヴァンは再び頭を抱えた。
「ぐあ――! これだからろくに知識のない奴は! いや、知識がかたよってる奴は、か。お前さん、まじで要注意人物だな! めちゃくちゃバランスが悪いじゃねえか、面倒くせえ」
修太は感心を覚えた。
「すごいっすね、先生。ウィルさんと似たようなことを言ってる。似た者同士だ」
「誰でも言うわ! はあ、今年もはずれだぜ。なんでか俺が担任になると、引きが良すぎるんだよなあ。少しくらい、濃い奴がばらけてくれりゃあいいのに、集中してきやがる」
セヴァンは溜息をつき、頷いた。
「薬草園はぼちぼちな。俺も今は、生徒に慣れるので手一杯だからよ」
「あ、そうですね。俺には先生は一人だけど、先生にはたくさんいるんでした。気を付けます」
「素直なのは助かるぜ。でもお前さん、変わってるって言われねえか?」
「…………」
どうしてセヴァンまで、同じ質問をするんだ。
修太は無言で目をそらした。




