19 トリトラ視点
トリトラ視点
治療師ギルドで目を覚ましたトリトラは、どこにいるか分からなくて戸惑った。
(なんだ? 消毒薬くさいな……)
すると三十代くらいの女治療師がベッドに駆けつけてきた。
「起きたのね、お兄さん! 良かったわ~。弟君も喜ぶわよ」
「弟?」
「あら、混乱してるのかしら。黒いフードをかぶった少年のことよ」
「シューターはどこに!」
慌てて起き上がると、頭がくらっとした。そのままベッドに戻る。
「駄目よ、思ったよりも血を流してて、貧血なんだから。怪我は治したし、小さなガラス片も取り除いておいたわ。増血剤を飲んでゆっくりしてたら、夜には帰れるわよ。それから、治療費なんだけど」
「金なら払うから、それよりシューターだよ!」
「ああ、そうよね。一緒に事故に巻き込まれたんだものね」
この治療師ときたら、のらりくらりとしていて会話の要領を得ない。トリトラはものすごくイライラした。
「彼なら打撲だけだったから、治療しておいたわ。今は薬師ギルドよ。事故の件で、衛兵から事情聴取があるらしくて。そういえば、来ないわね。あなた、この人の弟さんを知らない?」
「まだ来てませんよ」
「おかしいわねえ。あんなに心配してたのに」
助手の返事に、治療師は首を傾げている。
「薬師ギルド……!」
最悪だ。結局、連れて行かれたらしい。治療師に渡された増血剤を飲むと、トリトラはいったん目を閉じて、思考を巡らせる。
ここで単身で乗り込んでもしかたがない。それこそ、傷害罪という大義名分をあちらに与えることになる。
「悪いんだけど、冒険者ギルドに行って、リックにトリトラがここにいると伝えてもらえないかな」
暇そうな助手を手招きして、駄賃を渡す。少年はにこっとして駄賃を受け取った。
「いいですよ、すぐに行ってきます」
冒険者ギルドに伝えれば、修太の家まで行ってリックを呼んでくれるだろう。やがてリックが駆けつける頃には、トリトラの貧血は良くなっていた。
「トリトラ、なんでまた治療師ギルドに?」
「してやられた。迎えの馬車に他の馬車を激突させられて、僕はこのザマ」
「ええっ、シューターは?」
「ここにいないんだから、分かるだろ。怪我はないって」
リックは胸をなでおろし、深い溜息を吐く。
「そうか、良かった……。いや、良くないけど、でも」
「言いたいことは分かるけどね。たぶん例の奴の所だろうけど、僕一人じゃ罠にはめられそうだ」
「それならシューターの師匠を頼ろう。いや、その前にヘレナさんがいいな。まず冒険者ギルドで簡単に報告して、ヘレナさんとウィルって人の所に行くんだ。何か用事を作って、堂々と正面から訪ねる」
「オッケー、そうしよう。僕ももう動ける」
トリトラはベッドを降りて、治療師に治療費を払った。ガラス片を取り除く手術をしただけあって、結構高くついたがしかたがない。
「黒狼族って本当に頑丈ね。もう大丈夫だなんて驚くわ」
最後に簡単に診察を受け、治療師は帰宅許可を出した。
「念のために言っておくけど、あの怪我は人間だとまずかったからね。あまり無茶しないように」
「ありがとう。急ぐから失礼するよ」
お節介な注意にお礼を言うと、トリトラはすぐに治療師ギルドを出る。下手に言い返すより、説教が短く済むのだ。
「さっきの治療師、お前の顔を見てポーッとなってたな。うらやましいことで」
「いつものことだよ」
「嫌味だなあ」
リックがぼやいているが、トリトラは気にせず冒険者ギルドに移動する。リックがマスターに報告している間、トリトラは医療部に駆け込んだ。驚いているヘレナに事情を話すと、眠たげな顔がキリリとなった。
「なんですって、うちで将来働く子に!」
「予定だろ」
「駄目よ。先にツカーラ君に目をつけたのはこっち! 薬師ギルドにはやらないわよ!」
「そういう問題じゃないんだけど」
ヘレナは、トリトラの予想とは違う方向で切れている。協力してくれるなら、なんでもいいと割り切って、待合室に戻った。すると、ギルドマスターのダコン・セリグマンが浮かない顔をして、階段を下りてくるところだった。
「トリトラ、聞いたぞ。あの事故、お前と坊主のだったんだってな。それで、お前の怪我はいいのか?」
「親切な治療師のおかげでね。薬師ギルドに担ぎ込まれた所に乗り込んで、治療師ギルドに連れて帰ってくれたんだってさ。おかげでこの通り、全快だ」
「ぶるっときたぜ。そのままだったら、お前、死んでたかもな」
「怪我の治療と引き換えに、シューターに交渉したんじゃない? 僕の運のほうが良かったね、ざまあみろって感じ」
トリトラは鼻で笑ったが、いらだちで目をすがめる。
「それより、シューターのことだよ。彼は持病もあるし、体が弱いんだ。拷問でもされたら耐えられない。堂々と乗り込んで、あの連中をボコるしかないね!」
「落ち着け。あの件についてはこっちでも調べたんだが……」
ダコンは待合室にいる冒険者がこちらに注目しているのに気付き、二階に場所を移すことにした。応接室に入り、扉を閉めてから話を続ける。
「これまでの薬草採りを調べて、嫌がらせを受けた様子のある者に、秘密裏に話を聞いたんだ。金に困ってるみたいでな、薬師ギルドには黙っているという条件で、金をやればすぐだったよ」
「やっぱり被害者がいるんですね」
リックが確認すると、ヘレナが青筋を立てて椅子を立つ。
「許せーん! 薬師の風上にも置けない奴! 我が一族の誇りにかけて、あいつを引きずり落としてやる!」
「やめんか! あっちのマスターとお前の親戚は仲が悪いだろ。ただの私怨ととられるぞ!」
「むううう」
ダコンに頭をはたかれ、ヘレナは頭を押さえて座りなおす。ちょっと涙目だ。そのまま膝を抱えてすね始め、ダコンを恨みたっぷりににらむ。ダコンはばつが悪そうに謝る。
「叩いて悪かった。あー、お前が言っていた薬、取り寄せていいから」
「しかたないわね、許してあげる」
現金なヘレナはあっさりと許し、姿勢を正す。
「それで、続きは?」
トリトラが促すと、ダコンは気を取り直して話し始める。
「その被害者の話だとな、怪我をさせられることはないんだそうだ。証拠が残るとまずいってことで、嫌がらせ以外は何もしないらしい」
「それじゃあ、どうして行方不明になった後、あのマスターの言いなりになるんだよ」
トリトラはイライラと突っ込む。本当は話し合いをするより、行動に移すほうが楽だ。それでもここにいるのは、あっちのほうが知恵が回る分、厄介なのを分かっているからだ。
「窓のない部屋に監禁されたそうだ」
「それがどうしたのさ」
ダコンは深刻な顔をしているが、トリトラには意味が分からない。ヘレナが口を挟む。
「あのね、トリトラ。あなた達は夜目がきくからあんまり関係ないでしょうけど、人間だと暗闇に放置っていう拷問があるのよ」
「水や食事抜きで餓死させるってこと?」
トリトラがダコンを見ると、ダコンは首を振る。
「朝と晩に食事をくれるって話だな」
「へえ。飲食付きで眠り放題だね」
どこが問題なんだ。トリトラには謎なのだが、ヘレナが再び口を出す。
「だーかーら! 普通は精神的に追い詰められるのよ。その弱った状態だと洗脳しやすいの」
「じゃあ、その連中は洗脳されたってこと?」
「そうかもしれないし、精神的に参って、部屋から出たくてサインしたのかも」
「なるほど。暴露したら、また部屋に閉じ込められるかもしれないから、被害者は何もしゃべらないってことか。暗所恐怖症には最悪だろうね」
トリトラはやっと納得できた。
「それなら、シューターはひとまず大丈夫かな。旅人の指輪を取り上げられてなければ……だけど」
「何だ、それ」
リックが問うので、トリトラは口を滑らせたことに気付いた。しかし説明しないとどうしようもないので、簡単に話す。
「ツェルンディエーラの古代遺産。保存袋みたいなやつで、親の形見なんだって」
「そんなものを持ってたのか。シューター、育ちが良さそうだから、本当の両親もそれなりだろうな。なんか納得」
「シューターの魔力の波長じゃないと使えないらしいよ。あれが分かる目利きはそういないけど、持ち物を取り上げられていたらまずいな……。シューターは精神的にはタフなほうだから、暗闇程度ならしばらくはもつだろうけど、心配だな。仲間には甘いから、僕のことで脅されてないといいけど」
案外、あっさりと命を差し出すところがあるので、そこが気がかりだ。
うーんとうなっていると、なぜか部屋が静かになった。
皆、驚きに息を飲んでいる。
「嘘でしょ、あなた達でも心配することがあるのね!」
「ごめん、俺もびっくりしてる」
「本当にあの坊主、賊狩りといい、対応が規格外だな」
その反応に、トリトラは気を悪くした。
「あのね、僕らだって仲間の心配くらいするよ? 彼は僕にとっては仲間だからね。その他とは違う。君達はその他だけど」
「お前さあ、その一言多いところをどうにかしろよ。だからもめるんだろ」
リックが苦言を口にするが、トリトラは首を傾げる。
「え? ただの事実だよ」
「そういうとこだぞ!」
何を怒ってるんだか、意味不明だ。
「リック、無駄よ、黒狼族だから」
ヘレナが諦めろと首を振り、ダコンも付け足す。
「そうだぞ、まともに相手をしてもらいたかったら、認められるしかない」
「いや別に、トリトラと仲良くする気はねえけど」
「お前ら、なかなかいい勝負だぞ!」
リックの返事に、ダコンがツッコミを入れた。
「とりあえず、だ。いったん落ち着いて、様子見で乗り込もう。あっちのマスターのとこにいるか分からねえしな。監禁場所が分かれば助けやすいだろ」
「ちょうど学会の件の報告があるから、ウィル兄さんと行くわ。トリトラはこれを着て、私の助手のふりね」
医療部の制服で、フード付きの外套だ。ひとまず受け取ったものの、トリトラは何故かと問う。
「あなただって分からないほうが油断するかもしれないでしょ。においで分かることがあったら、後で教えてちょうだい。でも、お願いだから、大人しくしていてね」
「シューターがいたら別だよ?」
「それは私も同じよ。ツカーラ君は、将来、うちで働くんだから、それこそはりきって保護するわ!」
「いや、それは予定だろ」
トリトラは言い返したが、ヘレナは話を聞いていない。
(シューター、この調子で押し切られそうだな)
苦い顔を思い浮かべながら、トリトラは外套を羽織って、しっかりとフードを下ろした。
ウィルも巻き込んで、一緒に薬師ギルドのマスター、ブランドンの執務室に行ったら、これといった収穫はなかった。
ウィルの研究室に行き、トリトラは分かったことを話す。
「うっすらとシューターと僕のにおいがしたから、あそこに運び込まれた可能性もあるし、分からないな」
「君のにおい?」
「ああ、僕、怪我をして血まみれだったからさ。シューターが止血しようとして、ハンカチで押さえてくれたんだよ」
正直、自分の血のにおいのほうが強くて、修太のにおいはあまりよく分からなかった。それからトリトラを取り押さえたムカつく薬師のにおいもした。
「薬師ギルドのマスターが関係してるのは間違いないけど、一度、怪我で運び込まれたから、あのことを出されたら何も言えないね」
「でも、ツカーラ君は帰ってないのに?」
納得がいかないと主張するウィルに、トリトラは推測を返す。
「薬師ギルドから帰ったけど、後は知らないって言われるだけだろ」
「衛兵からの事情聴取は?」
「受けたか知らないよ。そっちは受付君が……」
ちょうどリックが研究室に顔を出した。
「その件だけど、御者からの分で済ませたみたいだよ。事故相手は、馬が暴走して言うことを聞かなかったって言い張ってる。示談にしたって」
「は? 示談って、大怪我したのは僕だけなのに。治療費は出してくれるって?」
「治療師ギルドからいなくなったから、探してたんだって。俺が御者を訪ねたことで冒険者だって分かったから、冒険者ギルドに治療費を預けておくってさ」
「ちっ、根回しが良いな」
その仕事の速さを他に使えよと、トリトラは舌打ちする。それからウィルにずばり問う。
「そういえば、このギルドの中で、窓がない部屋ってどこにあるの?」
「地下室かな。薬草と薬品の保管部屋。でも、大きな荷物を運び込んだ様子はなかったけどな。職員の出入りもあるし、人を閉じ込めるスペースなんてないよ」
「このギルド、地下牢は? ギルド法違反者や犯罪者の留置所は?」
「半地下だから、光は入るよ。ちょっと待ってて、一応、見てくるから」
ウィルは即座に研究室を出て行き、すぐに戻ってきた。首を振る。
「そんな分かりやすい場所にいるわけないか。くそ、ムカつくな。居場所が分からないんじゃ、忍び込んでも無駄だし……。そもそも薬師ギルドっていろんなにおいが混ざってて、鼻のききが悪いんだよな。もう!」
いろんな意味で不利すぎて、腹が立ってしかたがない。
ヘレナやリックがお手上げだという顔をしている前で、ウィルは何か考えこんでいる。トリトラはウィルの顔の前で手を振った。
「ねえ、君、もしかして寝てるの?」
「起きてるよ!」
ウィルは驚きとともに言い返し、急に椅子を立つ。
「そうだよ、そうしよう。トリトラ君、酒場に行こうか!」
「は? なんなの、急に。真面目にやってくれる?」
「ウィル兄さん、思い立ったら説明を省くところ、悪い癖よ。どうしたのよ」
こぶしを固めるトリトラを止め、ヘレナがウィルに問う。
「ブランドンの配下はたまにはぶりが良くて、酒場で散財するんだよね。僕なんて、残業で遅くなりすぎて、しかたなく食事に寄るだけなのに。いつも元気だなーって思ってたんだけど、なんか急に腑に落ちた。あいつの仕事を手伝う利点って、お金なんじゃないかなって」
「なるほどね。トリトラ、他に変装できそうな服を持ってないか? フード付きのやつ」
リックの問いに、トリトラはベルトポーチを示す。灰色のマントを保存袋に入れている。
「持ってるよ」
「じゃあ、ここを出てから、物陰で着替えて、ウィルさんと合流な。どこの酒場が多いんですか?」
リックはウィルを見る。
「ここのすぐ近くだよ。南のほう。トリトラ君、僕は広場の端で待ってるから、合流ってことで。ヘレナとリック君は、今日は帰ってくれるかな。あんまり一緒にいると怪しまれるからね」
ヘレナは唇をとがらせる。
「ええー。私も一緒に行きたかったな」
リックがすかさず止めた。
「駄目ですよ、ヘレナさんは目立つんですから」
「美人だから?」
「変人でしょ。いたっ」
「あんた、モテないでしょ! このっこのっ」
「痛い! 蹴らないで! いたた! 小指を狙って踏まないでくださいよ!」
ヘレナに攻撃され、リックは逃げながら研究室を出ていく。ヘレナはその後を憤然と追いかけた。
「いいなあ……」
閉まった扉を見つめ、ウィルが呟く。トリトラはそんなウィルにうろんな視線を向ける。
「え? 蹴られたいの? 君ってそういう趣味の人?」
「違うよ!」
ウィルは慌てた様子で否定した。




