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断片の使徒 After   作者: 草野 瀬津璃
薬師ギルドでの騒動編
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 17

 ※流血表現注意。



 少しの間、深く寝入っていたようだ。

 治療師に声をかけられた修太は、ぼんやりと瞬きを繰り返した。修太が起き上ったのを見て、治療師(ヒーラー)の女はやんわりと話しかける。


「起こしてごめんなさいね。さっきセヴァン先生がいらしてね、午後にあなたが受ける授業は礼儀作法だけだから、今日は帰っても大丈夫だそうよ。寝ている間に、おうちのほうにご連絡したの。そろそろ着くでしょうから……」


 それで起こされたようだ。ちょっと寝たおかげで、気分の悪さは軽くなっている。今のうちに帰宅したほうがいいだろう。


「分かりました。ありがとうございます」


 マントを着なおしてフードをかぶったタイミングで、医務室にリューク達が顔を出した。


「ツカーラ、早退するんだろ? うちの馬車を呼んだから、使っていいよ」

「ええっ」


 そんなあっさり!?

 怖いから嫌だと断ったのにとセレスを見ると、両手を合わせて、申し訳なさそうな顔をしている。彼女には止めきれなかったらしい。


「あなた達、礼儀作法の授業中でしょう?」

「私達は学習済みなんで、抜けてきました」

「だからって、さぼっては駄目よ」

「彼の護衛にはアレン・モイスさんからの個別指導がかかってるんで、ちょっと見逃してください!」

「あの紫ランクの? うーん、それじゃあ、しかたないかしらねえ」


 医務室勤務の治療師の女性――ルルージャ・テネはしぶしぶ許した。銀色の髪を編みこんでいて、大きな青い目が温和そうに見える。肉付きは良いが痩せ型なほうで、健康的だ。教師にも生徒にも慕われているみたいで、昼休みや放課後には誰かの愚痴に付き合っている姿を見かける。いわば学園での相談役だ。

 三人は「やった!」と顔を見合わせて喜ぶ。


「一緒に玄関まで送りましょうか。そろそろお迎えが着いていると思うわ」

「はい、ご一緒します!」


 修太が何か言う前に、話がまとまっていた。

 アレンの稽古が目当てとはいえ、この熱意には驚く。

 ルルージャは医務室の扉にかけている札をひっくり返し、「不在」にした。皆で連れ立って廊下を歩きだす。研究棟から外に出て、教室棟の前を通って玄関まで来たところで、グラウンドのほうから生徒が駆けてきた。


「テネ先生! 大変なんです、ちょっと一緒に来てください!」

「どうしたの、その怪我!」


 男子生徒は左腕を押さえているし、服には血がついている。ルルージャがすぐに魔法で治したが、顔色は悪い。


「それが、仲の悪い生徒同士で喧嘩になって……。それはいつものことなんですけど、今回はパーティ同士になっちゃって。先生が止めに入ったけど言うことを聞かないし、仲裁しようとした生徒も怪我してしまって。俺もそうなんですけど」

「またなの? 相変わらず荒れてるわね、あなたのクラス」

「ダンジョン実習からずっとですよ……。レアドロップ装備の分配で不満があって、パーティも組み直したのに、その時のリーダーがまたトラブルを起こして」

「次は退学って話じゃなかった? キディー先生もかわいそうに。ダンジョン実習は、三年からのほうがいいんじゃないかしら。ごめんなさい、緊急性があるから、私はあちらに行くわね。あなた達、ツカーラ君の保護者としっかり顔を合わせて、それから見送ってあげてくれる?」


 ルルージャの問いに、セレスは手伝いを名乗り出る。


「先生、私、治療できるのでお手伝いします」

「そう? 助かるわ、お願いしようかしら」


 ルルージャが頷くと、ライゼルがセレスの傍に立った。


「リューク、俺はセレスの傍にいる。先輩達に巻き込まれて怪我をしそうだ」

「分かった、頼むよ。それじゃあ行こうか、ツカーラ」


 グラウンドへ駆けていくルルージャ達を横目に、修太はリュークと玄関に向かう。ここからでも、見慣れない緑の馬車がとまっているのが見えた。あの色は辻馬車だ。


「すでにお迎えが来ているみたいだね」

「ああ」


 修太は頷いたものの、意外に思った。トリトラのことだから、馬車なんて呼ばずに、背負って帰るつもりで迎えにきそうだ。今はリックがいるので、彼の気遣いだろうか。


「シューター!」


 馬車に近付くと、トリトラが手を振った。前へ踏み出す仕草をしたと思ったら、あっという間に横に来たトリトラに、リュークがぎょっと身構えた。


「だから休めばいいのにって言ったのにー」

「それより、驚かせるなよ。こちら、ここの領地の領主のご子息で、リューク・ハートレイさんな」

「そう」


 修太がリュークを紹介したのに、トリトラは一言で片づけた。気を悪くしたかもと、修太はトリトラの態度を謝る。


「すみません」

「いいよ、気にしてない。黒狼族だからしかたない」


 リュークはひらひらと手を振る。セーセレティーの民は、「黒狼族だから」で片づけるので寛容だと思う。


「一応、トリトラです。父さんの弟子の一人なんですよ」

「賊狩り殿って、そんなに弟子がいるの?」

「四人。一人はすでに亡くなりましたけど」

「そんなに! って、君は具合が悪いんだから、立ち話に付き合わせたら悪いね。気を付けて」

「どうもありがとうございます」


 会釈をして、修太は馬車のほうへ向かう。


「リックは?」


 中には誰もいない。修太の問いに、トリトラは家の方角を一瞥(いちべつ)した。


「留守番してるよ。僕は、君くらいは背負って帰れるのに、体調不良なら馬車を使えよって言うんだよね。君の家の良いところは、広場が近いから、すぐに辻馬車が見つかることだよ。それで、馬車で合ってたの?」

「ああ、助かるよ。ありがとう」


 修太はどっちでも良かったが、リックの顔を立てておいた。それにトリトラに背負われると、通行人にじろじろと見られるのが苦手だ。修太が馬車に乗り込むと、トリトラはリュークに声をかける。


「それじゃあ、弟分が世話になったよ。また、よろしく」

「は、はい、こちらこそ……」


 リュークは頷いたものの、そんなふうに声をかけられるのは予想外だったらしい。


御者(ぎょしゃ)さん、広場を西に行ってくれる?」

「へえ」


 トリトラは声をかけてから扉を閉め、修太の向かいに座る。ややあって馬車が動き始めた。


「すぐそこだから、なんか悪いな……」


 近場にタクシーで行くような感じだろう。トリトラはわずかに首を傾げ、提案する。


「チップをはずんでおけばいいんじゃない?」

「なるほど」


 それならこちらも良心が痛まない。

 馬車は門の所でいったん止まり、御者が門番にあいさつする声とともに広場前に出た。広場は馬車のロータリーになっているので、決まった方向にぐるりと回ってから、西へと抜けていく。

 だから恐らく、広場を抜けるかどうかという地点だったのだと思う。学園からたいして離れていない辺りで、外から御者と女の悲鳴が聞こえた。


「うわあああ」

「きゃああ、危ない!」


 なんだこの声は。修太が窓から外を見ようとした瞬間、馬車の側面に衝撃が走った。


「えっ」


 馬の悲鳴のようないななきが聞こえる。

 訳が分からないまま、修太は座席から放り出された。

 そして目の前が真っ黒になり、ドスンという衝撃とともに天と地が分からなくなる。

 もしかしたら、少し気絶していたのかもしれない。

 ハッと気付いたら、目の前が黒く、身動きがとれなかった。


「ぐ……ぅ……くそ……」


 上からうめくような声がして、修太の頭と体を押さえていた手がゆるんだ。ひじをついて、ゆっくりと起き上ったトリトラがいまいましげに顔をゆがめ、こちらを見下ろした。


「ト……リトラ、血が!」


 トリトラは頭から血を流して、右目を閉じている。見るからに重傷だ。頭が真っ白になりつつも、修太は急いで起き上がる。手がチクッと痛んだので手の平を見ると、ガラス片だった。つまんで放り捨てる。ぷっくりと赤い血が浮かんだが、それよりも周りのことが気になった。

 扉が上にあって、壁がひしゃげている。あちこちにガラス片が散乱していた。車内の様子から、どうやら馬車が横転したようだ。さっき座席から落ちてそのまま窓のほうへ叩きつけられる前に、トリトラがかばってくれたらしい。


「くそ……こういうふうに来るとはね。あの連中の本気をなめてた」


 トリトラは不愉快そうに呟くと、馬車の端のほうにペッとつばを吐く。口の中を切ったのだろうか、つばが赤黒い。修太は焦りでくらくらしている。


「ど、どういう? え? 何? どういうこと?」

「怪我は?」

「分からない」

「痛くない?」

「ない……」


 混乱しつつも、修太の頭の中は「止血」でいっぱいで、ハンカチを取り出して、トリトラの頭を押さえる。その手を払い、トリトラは真剣に言い含める。


「いい? 僕のことは放っていていい。馬車から出たら、逃げるんだよ。走って、家まで」

「どういう? 待って。置いていけない」

「通行人がいるから、僕に手出しはできないはず。あいつら、これで堂々と君を連れていくだろう。逃げるんだ、いいね」

「わ、分かった」


 嘘だ。全然分からない。だが、旅の間、理解できなくても、身を守るために命令を聞くことは覚えた。

 呆然としている修太の前で、トリトラはふらつきながら立ち上がる。天井にある扉を殴り飛ばした。

 ドガッと音がして、扉が吹っ飛ぶ。

 トリトラは扉のへりに指を引っかけて、するりと猫みたいに上へと登った。そして、こちらに手を差し出した。それにつかまると、上へ引っ張りあげられる。木製の馬車は側面が歪んでいたが、なんとか転ばずに地面へと下りた。通行人が歓声を上げる。


「良かった、無事よ!」

「奇跡だわ。怪我人はこっちです!」


 周りで声がして、誰かを呼ぶ。

 それで初めて、修太はトリトラが言っていたことの意味を悟る。薬師ギルドの職員の格好をした男達が駆けつけたところだった。


「これは大変だ。ほら、手当てをしよう」


 心配そうに近づいてきた薬師は、一瞬、口元を笑みの形にした。

 それを目にした修太の背筋に、ぞわっと悪寒が走る。

 どうやってか知らないが、彼らはこの事故を引き起こし、治療を理由にして修太を連れていく気らしい。


「近付くな! どけ!」


 血まみれのトリトラが威嚇(いかく)すると、周りにいた人々が恐れた声を上げ、輪が少し広がる。

 こんな大怪我をしているのに、トリトラは修太を守ってくれようとしている。その姿に、修太の胸は申し訳なさでいっぱいになった。せっかく学園に通えたからと意地にならず、トリトラの言うことを聞けば良かった。


「ああ、怪我のせいで、混乱しているようだ。誰か、鎮痛剤(ちんつうざい)を」


 薬師が後ろの仲間を振り返った瞬間、トリトラが修太の腕を押した。


(――今だ!)


 修太は群衆のほうへ走り出す。

 今度の言葉は、ちゃんと聞かなければ。

 あっけにとられている通行人の間を抜けて走るが、途中で、通行人に止められた。


「君、どこに行くんだ! 手当てしてもらいなさい」


 親切そうな老人に見えたが、今はどの人間も敵に見えて恐ろしい。振り払おうとしたが、思いの他、強い力で押さえつけられた。


(何……?)


 違和感を覚えた時、老人は優しい態度で、馬車のほうを示す。


「君の仲間がどうなってもいいのかい?」

「あんた、あいつらの」


 やっぱり敵だった。

 トリトラの逃げろという指示で頭がいっぱいだったが、老人の示す先で、トリトラが取り押さえられているのを見て、もう駄目だった。


「大人しくついてきてくれるね?」


 こんな状況で、拒否できるわけがない。

 悔しさと心配で唇を噛み、修太は頷いた。



 2019.4/20 文章を少し修正しました。


 連絡役への疑問があるでしょうけど、後のほうで種あかしするので、それまでお待ちくださいね。修太視点だから書くところがなかったんで。

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