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※流血表現注意。
少しの間、深く寝入っていたようだ。
治療師に声をかけられた修太は、ぼんやりと瞬きを繰り返した。修太が起き上ったのを見て、治療師の女はやんわりと話しかける。
「起こしてごめんなさいね。さっきセヴァン先生がいらしてね、午後にあなたが受ける授業は礼儀作法だけだから、今日は帰っても大丈夫だそうよ。寝ている間に、おうちのほうにご連絡したの。そろそろ着くでしょうから……」
それで起こされたようだ。ちょっと寝たおかげで、気分の悪さは軽くなっている。今のうちに帰宅したほうがいいだろう。
「分かりました。ありがとうございます」
マントを着なおしてフードをかぶったタイミングで、医務室にリューク達が顔を出した。
「ツカーラ、早退するんだろ? うちの馬車を呼んだから、使っていいよ」
「ええっ」
そんなあっさり!?
怖いから嫌だと断ったのにとセレスを見ると、両手を合わせて、申し訳なさそうな顔をしている。彼女には止めきれなかったらしい。
「あなた達、礼儀作法の授業中でしょう?」
「私達は学習済みなんで、抜けてきました」
「だからって、さぼっては駄目よ」
「彼の護衛にはアレン・モイスさんからの個別指導がかかってるんで、ちょっと見逃してください!」
「あの紫ランクの? うーん、それじゃあ、しかたないかしらねえ」
医務室勤務の治療師の女性――ルルージャ・テネはしぶしぶ許した。銀色の髪を編みこんでいて、大きな青い目が温和そうに見える。肉付きは良いが痩せ型なほうで、健康的だ。教師にも生徒にも慕われているみたいで、昼休みや放課後には誰かの愚痴に付き合っている姿を見かける。いわば学園での相談役だ。
三人は「やった!」と顔を見合わせて喜ぶ。
「一緒に玄関まで送りましょうか。そろそろお迎えが着いていると思うわ」
「はい、ご一緒します!」
修太が何か言う前に、話がまとまっていた。
アレンの稽古が目当てとはいえ、この熱意には驚く。
ルルージャは医務室の扉にかけている札をひっくり返し、「不在」にした。皆で連れ立って廊下を歩きだす。研究棟から外に出て、教室棟の前を通って玄関まで来たところで、グラウンドのほうから生徒が駆けてきた。
「テネ先生! 大変なんです、ちょっと一緒に来てください!」
「どうしたの、その怪我!」
男子生徒は左腕を押さえているし、服には血がついている。ルルージャがすぐに魔法で治したが、顔色は悪い。
「それが、仲の悪い生徒同士で喧嘩になって……。それはいつものことなんですけど、今回はパーティ同士になっちゃって。先生が止めに入ったけど言うことを聞かないし、仲裁しようとした生徒も怪我してしまって。俺もそうなんですけど」
「またなの? 相変わらず荒れてるわね、あなたのクラス」
「ダンジョン実習からずっとですよ……。レアドロップ装備の分配で不満があって、パーティも組み直したのに、その時のリーダーがまたトラブルを起こして」
「次は退学って話じゃなかった? キディー先生もかわいそうに。ダンジョン実習は、三年からのほうがいいんじゃないかしら。ごめんなさい、緊急性があるから、私はあちらに行くわね。あなた達、ツカーラ君の保護者としっかり顔を合わせて、それから見送ってあげてくれる?」
ルルージャの問いに、セレスは手伝いを名乗り出る。
「先生、私、治療できるのでお手伝いします」
「そう? 助かるわ、お願いしようかしら」
ルルージャが頷くと、ライゼルがセレスの傍に立った。
「リューク、俺はセレスの傍にいる。先輩達に巻き込まれて怪我をしそうだ」
「分かった、頼むよ。それじゃあ行こうか、ツカーラ」
グラウンドへ駆けていくルルージャ達を横目に、修太はリュークと玄関に向かう。ここからでも、見慣れない緑の馬車がとまっているのが見えた。あの色は辻馬車だ。
「すでにお迎えが来ているみたいだね」
「ああ」
修太は頷いたものの、意外に思った。トリトラのことだから、馬車なんて呼ばずに、背負って帰るつもりで迎えにきそうだ。今はリックがいるので、彼の気遣いだろうか。
「シューター!」
馬車に近付くと、トリトラが手を振った。前へ踏み出す仕草をしたと思ったら、あっという間に横に来たトリトラに、リュークがぎょっと身構えた。
「だから休めばいいのにって言ったのにー」
「それより、驚かせるなよ。こちら、ここの領地の領主のご子息で、リューク・ハートレイさんな」
「そう」
修太がリュークを紹介したのに、トリトラは一言で片づけた。気を悪くしたかもと、修太はトリトラの態度を謝る。
「すみません」
「いいよ、気にしてない。黒狼族だからしかたない」
リュークはひらひらと手を振る。セーセレティーの民は、「黒狼族だから」で片づけるので寛容だと思う。
「一応、トリトラです。父さんの弟子の一人なんですよ」
「賊狩り殿って、そんなに弟子がいるの?」
「四人。一人はすでに亡くなりましたけど」
「そんなに! って、君は具合が悪いんだから、立ち話に付き合わせたら悪いね。気を付けて」
「どうもありがとうございます」
会釈をして、修太は馬車のほうへ向かう。
「リックは?」
中には誰もいない。修太の問いに、トリトラは家の方角を一瞥した。
「留守番してるよ。僕は、君くらいは背負って帰れるのに、体調不良なら馬車を使えよって言うんだよね。君の家の良いところは、広場が近いから、すぐに辻馬車が見つかることだよ。それで、馬車で合ってたの?」
「ああ、助かるよ。ありがとう」
修太はどっちでも良かったが、リックの顔を立てておいた。それにトリトラに背負われると、通行人にじろじろと見られるのが苦手だ。修太が馬車に乗り込むと、トリトラはリュークに声をかける。
「それじゃあ、弟分が世話になったよ。また、よろしく」
「は、はい、こちらこそ……」
リュークは頷いたものの、そんなふうに声をかけられるのは予想外だったらしい。
「御者さん、広場を西に行ってくれる?」
「へえ」
トリトラは声をかけてから扉を閉め、修太の向かいに座る。ややあって馬車が動き始めた。
「すぐそこだから、なんか悪いな……」
近場にタクシーで行くような感じだろう。トリトラはわずかに首を傾げ、提案する。
「チップをはずんでおけばいいんじゃない?」
「なるほど」
それならこちらも良心が痛まない。
馬車は門の所でいったん止まり、御者が門番にあいさつする声とともに広場前に出た。広場は馬車のロータリーになっているので、決まった方向にぐるりと回ってから、西へと抜けていく。
だから恐らく、広場を抜けるかどうかという地点だったのだと思う。学園からたいして離れていない辺りで、外から御者と女の悲鳴が聞こえた。
「うわあああ」
「きゃああ、危ない!」
なんだこの声は。修太が窓から外を見ようとした瞬間、馬車の側面に衝撃が走った。
「えっ」
馬の悲鳴のようないななきが聞こえる。
訳が分からないまま、修太は座席から放り出された。
そして目の前が真っ黒になり、ドスンという衝撃とともに天と地が分からなくなる。
もしかしたら、少し気絶していたのかもしれない。
ハッと気付いたら、目の前が黒く、身動きがとれなかった。
「ぐ……ぅ……くそ……」
上からうめくような声がして、修太の頭と体を押さえていた手がゆるんだ。ひじをついて、ゆっくりと起き上ったトリトラがいまいましげに顔をゆがめ、こちらを見下ろした。
「ト……リトラ、血が!」
トリトラは頭から血を流して、右目を閉じている。見るからに重傷だ。頭が真っ白になりつつも、修太は急いで起き上がる。手がチクッと痛んだので手の平を見ると、ガラス片だった。つまんで放り捨てる。ぷっくりと赤い血が浮かんだが、それよりも周りのことが気になった。
扉が上にあって、壁がひしゃげている。あちこちにガラス片が散乱していた。車内の様子から、どうやら馬車が横転したようだ。さっき座席から落ちてそのまま窓のほうへ叩きつけられる前に、トリトラがかばってくれたらしい。
「くそ……こういうふうに来るとはね。あの連中の本気をなめてた」
トリトラは不愉快そうに呟くと、馬車の端のほうにペッとつばを吐く。口の中を切ったのだろうか、つばが赤黒い。修太は焦りでくらくらしている。
「ど、どういう? え? 何? どういうこと?」
「怪我は?」
「分からない」
「痛くない?」
「ない……」
混乱しつつも、修太の頭の中は「止血」でいっぱいで、ハンカチを取り出して、トリトラの頭を押さえる。その手を払い、トリトラは真剣に言い含める。
「いい? 僕のことは放っていていい。馬車から出たら、逃げるんだよ。走って、家まで」
「どういう? 待って。置いていけない」
「通行人がいるから、僕に手出しはできないはず。あいつら、これで堂々と君を連れていくだろう。逃げるんだ、いいね」
「わ、分かった」
嘘だ。全然分からない。だが、旅の間、理解できなくても、身を守るために命令を聞くことは覚えた。
呆然としている修太の前で、トリトラはふらつきながら立ち上がる。天井にある扉を殴り飛ばした。
ドガッと音がして、扉が吹っ飛ぶ。
トリトラは扉のへりに指を引っかけて、するりと猫みたいに上へと登った。そして、こちらに手を差し出した。それにつかまると、上へ引っ張りあげられる。木製の馬車は側面が歪んでいたが、なんとか転ばずに地面へと下りた。通行人が歓声を上げる。
「良かった、無事よ!」
「奇跡だわ。怪我人はこっちです!」
周りで声がして、誰かを呼ぶ。
それで初めて、修太はトリトラが言っていたことの意味を悟る。薬師ギルドの職員の格好をした男達が駆けつけたところだった。
「これは大変だ。ほら、手当てをしよう」
心配そうに近づいてきた薬師は、一瞬、口元を笑みの形にした。
それを目にした修太の背筋に、ぞわっと悪寒が走る。
どうやってか知らないが、彼らはこの事故を引き起こし、治療を理由にして修太を連れていく気らしい。
「近付くな! どけ!」
血まみれのトリトラが威嚇すると、周りにいた人々が恐れた声を上げ、輪が少し広がる。
こんな大怪我をしているのに、トリトラは修太を守ってくれようとしている。その姿に、修太の胸は申し訳なさでいっぱいになった。せっかく学園に通えたからと意地にならず、トリトラの言うことを聞けば良かった。
「ああ、怪我のせいで、混乱しているようだ。誰か、鎮痛剤を」
薬師が後ろの仲間を振り返った瞬間、トリトラが修太の腕を押した。
(――今だ!)
修太は群衆のほうへ走り出す。
今度の言葉は、ちゃんと聞かなければ。
あっけにとられている通行人の間を抜けて走るが、途中で、通行人に止められた。
「君、どこに行くんだ! 手当てしてもらいなさい」
親切そうな老人に見えたが、今はどの人間も敵に見えて恐ろしい。振り払おうとしたが、思いの他、強い力で押さえつけられた。
(何……?)
違和感を覚えた時、老人は優しい態度で、馬車のほうを示す。
「君の仲間がどうなってもいいのかい?」
「あんた、あいつらの」
やっぱり敵だった。
トリトラの逃げろという指示で頭がいっぱいだったが、老人の示す先で、トリトラが取り押さえられているのを見て、もう駄目だった。
「大人しくついてきてくれるね?」
こんな状況で、拒否できるわけがない。
悔しさと心配で唇を噛み、修太は頷いた。
2019.4/20 文章を少し修正しました。
連絡役への疑問があるでしょうけど、後のほうで種あかしするので、それまでお待ちくださいね。修太視点だから書くところがなかったんで。




