16
なんとか要点だけ読み終え、チェックしたことを書類にサインしてから、夜遅くに帰宅した。
疲れて動きがゆっくりしている修太を見かねて、トリトラが声をかける。
「ちょっと、大丈夫? 無理したんじゃないの?」
「もう休むから大丈夫だよ。夕食は適当に食べておいて」
「君が食事をとらないってだけで、僕からしたら天変地異の前触れみたいなんだけど!」
食欲がわかないくらい、今は寝たいだけだ。
騒がしいトリトラに溜息をつき、修太は二階への階段に向かう。しゃべる気もしない。
居間をうろうろしているトリトラに、リックが提案する。
「トリトラ、後でつまめそうなものを作って、シューターの部屋に置いておいてやったら? それと飲み物もあったほうがいいんじゃないか」
「そうなの? 分かった。えーと、いい食材はあったかな」
修太はとりあえず寝たのだが、夜中に目が覚めると、書き物机の上に、サンドイッチと水差しが置いてあった。虫よけとほこりよけのための食卓カバーがかけられている。
空腹を思い出した修太は、水を飲んでサンドイッチを食べた。薄切りにしたハムとチーズ、野菜が挟んであって、味付けは塩コショウだけというシンプルさだが、とてもおいしい。満足して寝なおす。
週末の休みで体調が良くなったので、週明けには学園に行くことにした。
「ねえ、今はこの状況だし、休んだら?」
トリトラはそわそわと落ち着きなく問う。修太は首を振る。
「いや。せっかく学園に入れたのに、なんであの連中のせいで、授業を受ける権利を放棄しなきゃいけないんだよ。ムカつく」
「……君はそういう人だよねえ。師匠だったら絶対に休ませると思うんだけどなあ。そこまで言うんじゃ、しかたないな」
修太の返事を聞いて、トリトラは説得をあきらめた。
「調子が悪くなったら、医務室に行きなよ? 迎えが必要なら、呼んでよね」
「分かった」
トリトラの念押しに頷き、修太は少し早めに家を出る。弁当を作るのが面倒だったので、屋台で買い込んでから行くつもりだ。
「嫌がらせの黒幕を捕まえられたら良かったんだけどな」
隣を歩きながら、リックがつぶやいた。
「通りがかりの子どもを使ってるあたり、嫌がらせ慣れしてる感じが怖いぜ」
よくもまあ、これまで明るみにならなかったものだと、修太は違う方向からの感心をしている。
ネズミ以降、小鳥を最後に、動物の死骸は届いていない。トリトラが玄関近くの屋根の上で見張っていて、犯人を捕まえたせいだ。死骸を投げ込んだ子どもの前に着地して、「ここはゴミ捨て場じゃないぞ」と注意したら、子どもはびっくりして腰を抜かした。
それから衛兵を呼んで、嫌がらせの犯人だと子どもを突きだした。容赦がない仕打ちに子どもは泣き出したが、幼くとも、やっていいことと悪いことがある。
見知らぬ者から、これを玄関先に置いたら駄賃をくれると言われて、おこづかいになるからと引き受けたのだそうだ。他の件は知らないと言うので、黒幕は無作為に選んだ通行人に頼んだのだろう。
また嫌がらせが起きるかもしれないと、衛兵が見回りを強化してくれることになった。それ以来、あの嫌がらせはやんだ。
こうやって一つずつつぶしていくしかないのだろう。
「君が定住者じゃなかったら、夜に忍び込んで、あの男を脅して終わりなのにな」
面倒くさそうに、トリトラがぼやく。
「俺は何も聞いてないからな。頼むから巻き込まないでくれよ!」
リックが耳をふさいで言い、トリトラが鼻で笑う。
「ふん。君ってお上品なんだな」
「それはこっちの台詞だ。お上品そうな顔に似合わず、言うことが乱暴だよな」
「どういう意味? 顔は関係ないだろ!」
女顔がコンプレックスなトリトラが怒り、修太は手を叩く。
「はいはい、やめろ! リック、それは触れちゃいけないことだ。トリトラは意外と短気だから気を付けて」
「先に嫌味を言ったのはトリトラだ」
「トリトラにかわって俺が謝るよ。うちの兄貴分が悪かった」
つーんとしていたトリトラが、修太の一言で機嫌が良くなった。
「兄貴分……! そうだね、弟分の顔を立てないとね。余計なことを言ったよ、ごめん」
あっさりと謝ったトリトラを、リックは恐ろしげに眺める。
「ああ。……シューター、お前、扱いが上手いな」
こそこそと付け足された言葉に、修太は肩をすくめる。そう言っておけば丸く収まるかなとは思ったが、ここまでころっと変わると笑える。ここで噴き出したらトリトラがすねるのは間違いないので、なんとか我慢した。
「昼飯を買うから、急ごう」
修太の家からは商店の多い通りが近いので、ちょっとの寄り道で済む。ピザみたいなものやサンドイッチを山盛り買った。
昼休みが近づくにつれ、だんだん気分が悪くなってきた。
魔力欠乏症の影響だろう。ちょうど薬草学の時間だったので、セヴァンが目ざとく気付いた。
「ツカーラ、体調が悪いなら、遠慮せずに医務室に行っていいぞ」
「……そうします。すみません」
「ウィルの兄貴から聞いてるから、大丈夫だ」
え、そんなに頻繁に情報をやりとりしてるの?
教材を片付けながら、修太は意外に思った。
「今は学会の準備で、よく会うんだよ。入学試験の件で、俺が報告書を書いてるだろ」
「ああ、そうでしたね。重ね重ねすみません」
「いいからいいから。誰か、付き添いを……」
セヴァンはリュークのほうを見たが、セレスが挙手した。
「はい、先生。私が行きます」
「そうか。授業はもう終わるから、リュークに課題のプリントを渡しておくな」
「ありがとうございます」
セレスはお辞儀をすると、修太のほうに優しく笑いかけた。
(ああ、第一聖堂の娘って感じだな)
これは熱烈なファンができるわけだ。病人や怪我人には、こんな感じで優しいのだろう。
廊下に出ると、修太は謝った。
「すみません、授業中に……」
「いいのよ。今日の授業は知っている内容だったから、リュークやライゼルより、私が適任と思っただけなの。あなたの付き添いは、私達三人のパーティで引き受けているから、気にしなくて結構よ」
「そういえば、学園でのパーティって決まったんですか?」
「まだよ。雨季休暇明けに決めるの。でも、リュークはすでにメンバーに目星をつけてるわ」
学園では、水祈の月と黒眠の月が長期休暇となっている。地球でいう、六月と十二月だ。水祈の月と黒眠の月は祭祀が多く、国全体が忙しい。家の手伝いで授業を休みがちになるため、休みと設定してあるのだ。他にも、収穫祭や精霊の誕生祭でも休みになる。
それに加え、冒険者やアルバイトをしながら学園に通っている生徒も多いので、彼らにとっては学費と生活費の稼ぎ時だ。
あと数日もすれば、長期休暇である。グレイが帰ってくる日にち次第では、休みに入っているかもしれない。
「早くお父様が帰ってきてくださるといいわね。盗賊団の壊滅依頼が、指名で回ってくるんでしょう? 長い間、留守にしがちだと大変ね」
「帰ってきてくれたらうれしいけど、別に俺は父さんの行動を縛る気はないんで。自由にやってくれたらそれでいいです」
「そう? 私のお父様はいつもお忙しくて、家にはほとんどいらっしゃらないの。とても寂しかったわ。たくさんの方を癒すのがお仕事とはいえ、家族とも一緒にいて欲しい」
「それも分かります」
修太は理解を示したが、グレイ達のことになると、賛同できない。
黒狼族は自由だ。野生の鳥は、家で飼われると短命で終わることが多い。彼らも同じだろうと思うのだ。
「でも、一緒にいるだけが愛情表現じゃないでしょ。セレスさんのお父さんとセレスさんでは、そういう考えの定義が違うのかもしれないな」
「定義? そんなことを言う人、初めて会ったわ」
「家によって、常識って違うでしょう? 知ってます? 黒狼族がなんでも好きに言いたい放題なのは、不愉快なら相手が言い返すと思ってるからだそうです。人間は本音と建て前があるけど、あの人達は違うんだ。しょっちゅう、勝手に言葉を深読みするなって注意されるよ」
「彼らと過ごしているだけあるわね。私、お父様に聞いてみようかしら。家族愛についてどう思うかって」
セレスはそう呟いた後、小さく笑った。
「とても同年代とは思えないわね。占い師のおじいさんみたい」
「……老人扱いしないでくれ」
ここでも年寄り扱いかと、修太はため息をつく。そこで医務室に着いた。医務室に常駐している治療師に話し、ベッドで休ませてもらうことにした。
「早退するなら、馬車を手配しましょうか? リュークなら、子爵家の馬車を好きに使えるわ」
「えっ、やめてください。怖いんで」
「そう?」
「休めば治ると思うんで、大丈夫ですよ」
「分かったわ。手伝いが必要なら言ってね。あなたを助けたら、アレンさんとの稽古日が一日増えるから、遠慮しなくていいのよ」
「はは……。はい」
修太は乾いた笑いをこぼしたが、セレスの場合、リュークと違って、負担に思わせないための冗談だったようだ。思ったよりも心配そうにこちらを見ていたので、ちょっと驚いた。
「また後で様子見に来るわね。先生、よろしくお願いします」
セレスが声をかけると、ちょうど鐘が鳴る音が響いた。
「ええ。あら、お昼休みになったようね。あなたも食事に行きなさい」
治療師に促され、セレスは医務室を出ていく。治療師は鍵をかけてから、他に生徒がいないと教えてから、修太にフードを外すように言った。
「ツカーラ君、今日はどうしたの? 顔色が悪いわね」
「魔力欠乏症のせいだと思うんで、しばらく寝かせてください」
「食欲はある? まずは食事をして、お薬を飲みましょうね」
治療師に促されるまま昼食をとり、持ち歩いている薬と魔力混合水を飲んでからベッドに入る。しばらく様子見をして、それでも調子が悪いなら早退するように言われた。




