13
ご近所との亀裂は回避したが、これからも油断ならない。
グレイが紫ランクの冒険者だし、修太は薬草やモンスターからのもらい物のおかげで、金銭にはかなり余裕がある。例えばこの間の事件だ。地竜スーリアからもらった媒介石があるので、少しずつ売れば、一生遊んで暮らせるくらいだ。
いつでも引っ越せるという余裕があるので、こんな嫌がらせはたいして響いていない。
(でも、下請けの薬草採りがこんな真似されたら、精神がすり減るよなあ)
その後、数日行方不明になり、薬師ギルドのマスターに従順になるという辺りが恐ろしい。ウィルによれば怪我はなかったみたいだが、拷問されていてもおかしくない。
家に帰ると、料理の良いにおいがした。
台所では、ササラとディドが料理している。
「アレンは手伝わないのか?」
「僕に料理ができると思います? 焼いて塩を振るくらいしかできません。でも、お茶くらいは淹れられますよ」
長テーブルでお茶を飲みながら、アレンが言った。きっとササラに邪魔だと追い払われたのだろう。少しすねている。
修太は苦笑し、マントのフードを外す。
「え」
「え?」
「フード、外していいんですか?」
アレンは修太の後ろのほうを気にしている。
「ああ、リック? 引っ越してきた時に見せたことあるから、大丈夫。な?」
「賊狩りの兄さんが、〈黒〉だから家の警備は厳重にしたいって言ってたんですよ」
リックは返事をして、トリトラを呼ぶ。ちょうど庭から戻ってくるところだった。
「トリトラ、さっきのネズミはどうした?」
「庭で焼いたよ。ネズミは病気を運んでくるから、置いてたら駄目なんだろ?」
「それくらいは知ってるんだな、良かった。黒狼族はめったと病気にならないから、そういうのを知らないだろ?」
「イェリのおじさんに、スラム街のネズミは食べるなよって注意されたんだよね」
そういう覚え方かと、修太は黒狼族の薬師イェリを思い浮かべた。あの人なら言いそうなことだ。
「イエーリ? 知り合いのこと?」
「イェリだよ」
どんな知り合いかまでは説明しないトリトラに、修太は声をかける。
「ネズミにさわったんなら、手を洗ったほうがいいよ。俺も洗面所に行くから、ついでに行こうぜ」
「僕は頑丈だから大丈夫だよ」
「その手であちこちにさわると、感染源が増える」
「そういうこと。なんか面倒くさいんだね」
修太が説明すると、トリトラは頷いた。リックも気になったようで、皆で手洗いうがいをしてから、食堂に戻る。修太もお茶を飲みたいので、ポットを取り上げて、薬草ブレンドティーを淹れなおした。
その間にトリトラが見回りに行ってしまったので、自分とリックの分だけついで、席につく。
「薬師だから、どんな嫌がらせが地味に効くか、よく分かってるよな」
「ギルドマスターのくせに、狭量な男ですね。しかし薬師ギルドに入らないといけないんですか? 君なら、働かなくても暮らしていけるでしょうに」
アレンの問いに、修太は頷く。
「食べられる野草を知りたくて覚えたことだけど、せっかくサーシャが教えてくれたし、何か少しでも誰かの役に立てたらいいなって思ってさ。そもそも、家でのんびり暮らすだけってのは性に合わないんだよな」
「あのダークエルフの彼ですか? ええと、まさかお亡くなりに?」
そういえば、アレンはサーシャがどうしているか知らないのだった。
「いや。でも、もう会えないんだ。サーシャは役に立てなんて言ってないし、幸せに暮らすようにしか言ってなかったよ。でも、薬草や野草にふれてると、サーシャがいるなあって思うんだ」
「人の中で、知識として生き続ける? ふふ、詩的ですね。嫌いじゃないですよ、そういうの」
薄く笑うアレン。リックは思い出したと頷いた。
「ああ、確かに、人を喰う本の件で、ダークエルフが一緒にいたな。集落に戻ったのかな。ダークエルフは人嫌いで、閉鎖的だもんな」
「まあ、そんなとこ」
真実は話せないので、修太はリックの勘違いに乗っかった。そこにトリトラが戻ってきた。
「異常なしだよ。ここは通りに面してるから、通行人のふりをして、物を投げ入れるのは簡単だよね。ケテケテ鳥とネズミだと、においが違う」
「この程度の嫌がらせは問題ないけど、怖いのは放火だよな」
「君の知識が欲しいのに、焼き殺すわけがないでしょ。『いつも見てるぞ』っていう気持ち悪いおどしだよ」
「ストーカーか……」
「誰か訪ねてきても、君が出るのは禁止だよ」
「分かった」
こういうことは、旅の間で慣れている。修太は素直に受け入れた。
「学園が少し心配ですね。冒険者や騎士の卵がごろごろしてるんですから、付き添い程度ができる人はいないんですか?」
さらに守りを固めるべきだと、アレンが提案する。
「相手が薬師ギルドのマスターだから、友達はこっそり助けてはくれるけど、おおっぴらは無理そうだ」
「ここの領主の息子はどうです? この間の事件で、目の敵にされてるって言ってたでしょ」
「へ!?」
予想外すぎる質問に、修太はのけぞる。
「待て、相手は領主の息子だぞ。俺みたいな平民の護衛なんかするかよ。というか、あんまり関わりたくない!」
「ぜいたくを言ってる場合ですか。権力者には権力者をぶつける。当たり前でしょうが」
「くそ、元貴族のお前が言うと説得力がありすぎる。相変わらず腹黒だなあ」
「策士と言ってくれませんかねえ」
じっとりと半眼でつぶやいて、アレンは急ににっこりした。修太は身構える。
「な、なんだ、その笑顔はっ」
「お代をいただけるなら、僕が頼んできましょう。僕、紫ランクなんですよね、覚えてます? 同じランクでも、君の養父にはこんなことはできないでしょうね~」
「父さんが貴族に頼みに行くとか、想像もできねえよ。むしろ犯人を捕まえて、水底森林地帯でサメの餌にしそう」
修太がそう言うと、トリトラがあっけらかんと口を挟む。
「え? 別にそこの森に埋めてくればいいでしょ」
「むちゃくちゃ怖いから、やめろ!」
修太が叫ぶ横では、リックは遠い目をして耳をふさいでいる。
「俺は何も聞いてない。犯罪に巻き込むのはやめてくれ」
「冗談だよ、たぶんな。しないって、恐らく」
自分で言ってみて、まったく信じられないが、そういうことにしておく。
「あんまり気は進まないけど、慎重なアレンがそんなことを言う程度には、俺の状況って結構危ないのか?」
「君はときどき抜けてますからね。ああいう輩は、何かミスを突いて罪を作りだすかもしれません。それでなくても、それを理由に一人だけ呼びつけることができる。不法な契約書にサインさせるような輩と二人きりになるのは、絶対に避けねば。意思が強い者でも、相手のふところに入ってから抜け出すのは難しいですよ」
「訪問販売には絶対に扉を開けるなってことだろ、分かる」
「そういうことですね」
修太は腕を組んで考えこむ。
「うーん……ウィルさんから教わってるから大丈夫だと思うけど、採取が違法な薬草にかすってるって言われたら、ちょっと自信がないな。俺は普通に見つけられるんだけど、周りには見つけにくい貴重種があるらしくて」
「なるほど、保護種を採取したといちゃもんをつけられたら、ちょっとまずいですね。やっぱり貴族を引き込みましょう。呼ばれたら同席してもらうんです」
「なるほど、分かった。で? お代に何を要求する気だよ」
「ちょっと二人きりで相談できません? 大丈夫ですよ、君の得意分野なんで」
「なんだよ、気になるなあ」
なぜか台所のほうを気にして、アレンは言いづらそうにしている。しかたがないので修太の部屋に移動すると、アレンはすぐに切り出した。
「体を温めるのに良い薬草?」
「はい。あのですね、僕は子どもが欲しいんですよ」
「はあ」
それとこれがどう関係するのか。修太は続きを身を入れて聞く。
「サランジュリエを気に入ってますが、毎日、季節がころころと変わるでしょう? たまにすごく体を冷やすのが、女性にはあんまり良くないみたいなんですよね」
「それでササラさんに体調を整えてもらって、万全を期して子どもが欲しい、と。でもなあ……」
「分かってますよ、さずかりものだってことは。しかし、できる努力は全部したいんです。想像してみてくださいよ、ササラにそっくりな子どもです。絶対に可愛い……!」
「お前にそっくりかもしれないだろ」
アレンの子どもか……。少し考えた修太は、良い子に育ちますようにと、まだ見ぬ赤子に祈ってしまった。だって親がアレンだと、性格がひねくれそうだ。
「主治医に相談して、あるとうれしい薬草の一覧をもらったんです。でも特に薬効が高いものは貴重種で、専門業者でもめったと手に入らないみたいなんですよ」
アレンが差し出したメモを読み、修太はなるほどと頷いた。
「そりゃあそうだ、この薬草は双子山脈のほうでしか採れないからな。この辺じゃ無理だよ」
「〈四季の塔〉でなら、レアドロップで出ることもあるそうですが、五十階より上ですし、本当にめったと落とさないんだそうです」
「そっか、ダンジョンがあったか」
「持ってないなら、君を連れて双子山脈まで行きたいですね」
アレンが本気で言っているのが分かったので、修太は手を上げて止める。
「持ってるよ。そんなに数はないけど……」
旅人の指輪から該当の薬草を取り出す。すぐに使わない薬草は、劣化を防ぐために指輪に入れっぱなしなのだ。三十本と少しを、十本で一束にしてまとめている。
「これで代価になるか?」
「多すぎるくらいです。この辺だと、一束で五千エナくらいですよ。質も良いので、もう少し行きそうだ」
五千エナが、だいたい日本円で五万くらいだ。そんなに高価だったろうかと、修太は首をひねる。恐らく双子山脈周辺での取引額が頭にあるんだろう。とりあえず、気になることを問う。
「貴族に頼むんだから、そんなもんじゃないのか?」
「いえ、実は以前、誘拐事件に巻き込まれたご子息を助けたことがあったんですよね。緊急クエストの報酬はもらいましたけど、それ以来、慕われてまして。彼にちょっと困ってるから助けてくれとお願いしたら、僕の言うことを聞いてくれそうな気がするんですよ。あちらが善意でしてくれるなら、実質、無料ですね」
「だからそういうとこが腹黒いんだって! 子どもの憧れを利用すんな、馬鹿!」
修太はこめかみを指で押さえた。
人間の相手は専門外と言うくせに、アレンは腹芸が得意だから困る。
「俺はただ働きは罪悪感が湧くから、付き添いでも報酬は出すって言っておいてくれるか」
「色よい返事をもらえたら、冒険者ギルドで正式に依頼書を出しましょうか。最初にきちっとしておかないと、後でもめますからね。薬草の差額を、僕から払いましょう」
「金はいいから、お前だけで突っ走らないで、ササラさんともちゃんと話し合えよ? 俺は結婚してねえからよく分かんねえけど、子どもは二人の問題だろ。ササラさんの気持ちをおろそかにして不幸にしたら、俺が許さねえからな!」
修太がたんかを切ると、アレンは複雑そうに眉をひそめる。
「それ、ササラが聞いたら大喜びしそうですね。はあ、妬ける」
「分かったかっつってんの!」
「ええ、分かりました。そうですね、ちょっと僕が先走ってるところはあるので気を付けます。僕ら、二十代後半で結婚が遅いじゃないですか。他の家庭ではすでに子どもがたくさんいるのが普通なので、ちょっと焦ってしまって。はあ、まったく、らしくないですね」
額に手を当て、アレンは弱った顔で溜息をつく。
常にひょうひょうとしているアレンらしくはない。だが、人間味が感じられて、修太には好印象だ。
「そういう顔をササラさんにも見せればいいのに。俺に見せてどうすんだよ、ったく」
「君、話しやすいんですよねえ。僕のことを利用する気がまったくないし、ずばずば言いたい放題なのに、思いやりはあるんで傷つける気はない。なかなかいないですよ?」
「ディドさんには相談できないの?」
「なんで子分に悩みを話さないといけないんですか。言ったところで、彼はこう言うだけですよ。『そんなに悩まなくても、いつかできますって、ははははは』」
「言いそう……」
思わずつぶやいたが、子どもなんて繊細な話題、ディドもうかつに触れられないだろう。
「別に相談に来るのは構わねえけど、手土産持参でよろしく。できれば料理長の肉料理がいい」
「はいはい、分かりましたよ。とりあえず、賊狩り殿が帰るまではこの調子で様子見をして、それでも危険そうなら、うちに来てもいいですから」
「なんだ急に、いつもは迷惑がるくせに」
「賊狩り殿が不機嫌だと、冒険者ギルドの空気が最悪になるんで、皆が迷惑をこうむるんですよ。働きやすい環境を整えるのも、紫ランクの勤めですから」
これが照れ隠しなのか、本当なのかよく分からなかったが、まあいいかと修太は頷いた。
アレンがサランジュリエを拠点にしたのは、本編で修太が十三歳の頃なんで、だいたい四年前。
リュークたちが「小さい頃に」発言してるのはちょっと微妙だろうかと思ったけど、彼らが十二歳くらいで誘拐されたとして、そう言っても大丈夫でしょうかね…?




