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「うわあ、お屋敷だ……」
修太の家に来ると、リックがパカッと口を開けて呟いた。
「風呂のある家が良いって言ったら、ここがちょうど良かったんだ。とりあえず上がってくれ。あ、玄関では靴を脱いでくれよ。このスリッパを使って」
「分かった。へえ、この規模だと土間がないんだな」
「他の屋敷だと土足で出入りしてるみたいだけど、そうすると掃除が大変だからさ」
物珍しそうにしているが、リックはブーツを脱いで、スリッパに履き変える。慣れているトリトラは先に中に入り、様子を確かめて戻ってきた。
「大丈夫だよ、家政婦がいるだけ」
「あらあら、お帰りなさいまし。今日のお帰りは遅くてらっしゃいますね」
ニミエが奥から顔を出し、やわらかく微笑んだ。灰色の髪を布で覆い、パチッとした茶色の目は心配そうにしている。灰色の仕事着姿だ。
「ただいま、ニミエさん。もう帰ってるかと思ったよ」
「旦那様から、留守中はシューター様のことに気を遣うようにおおせつかっておりますの。あら、お客様ですか?」
「リック・ウィスコットさんだよ、しばらく護衛に雇ったんだ。ニミエさん、何か変なことがあったら教えてくれ」
「変なこと、ですか……?」
ニミエは迷いで目を揺らす。修太は驚いて問う。
「えっ、さっそく何かあった?」
「今日、こちらに伺いましたら、玄関先に小鳥の死骸が落ちていたんです。コウのいたずらかと思ったんですけど」
「オンッ」
今日は留守番していたコウが二階から駆け下りてきた。足にじゃれついてくるので、修太は首回りを撫でてやる。
「コウ、ただいま。お前、今日、鳥を捕まえたのか?」
「オン?」
「玄関前だって」
コウはよく分からないと言いたげに、頭を傾げる。
「コウじゃないって」
「そうでしたか。ごめんなさいね、コウ」
「いやいやいや、なんであっさり犬を信じるんだ?」
修太とニミエの様子に、リックが頭を抱えている。気にせず、トリトラが問う。
「その死骸って? 見せてくれる?」
「はい、ただいま」
ニミエは台所の裏に行き、ちりとりに小鳥の死骸をのせて戻ってきた。トリトラは小鳥をつまんで首をひねる。
「特に変なにおいはしないし、食べるには小さすぎる。たまたま扉にぶつかって死んだだけじゃないかな」
「とりあえず、要注意だな。ニミエさんも気を付けて。しばらくは明るい時間帯だけ来てくれ」
修太がそう頼むと、ニミエは頷いた。
「分かりました」
「それから、しばらくリックが泊まるから、その分の洗濯物もお願いしたいんだ。一人分を追加で払うよ」
「いえ、旦那様がいらっしゃらないので、その分で間に合います」
「寝具とかを洗ってくれてるから、それは別だよ。罪悪感があると、ニミエさんに仕事を頼みづらくなるから、遠慮しないでくれ。確かお孫さんの誕生日が近かっただろ? プレゼント代の足しにしたらいい」
「そういうことでしたら、畏まりました」
孫の話題が出たからか、ニミエは相好を崩す。
「そこまで気にしていただけて、うれしいですわ」
「ああ。それじゃあ、今日はもう上がってくれ。トリトラ、悪いんだけど……」
もう外はだいぶ薄暗い。今の状況で、ニミエを一人で帰らせるのは不用心だ。
「彼女を家に送ればいいんでしょ。分かった」
「そんな、滅相もございません」
「俺がちょっとよそともめててさ。ニミエさんに何かあると、ご家族に顔向けできないから、気にしないで」
「シューター様がもめごとですか? ササラ様にご相談なさいました?」
ニミエの質問で、修太はそのことを思い出した。
「あ、ギルドの帰りに寄るつもりだったのを忘れてたな。まあ、いいか。明日で」
「お早めにお願いしますね。何かあればくれぐれもと念押しされていまして……」
「えっ、ササラさん、ニミエさんにそんなこと言ってるの? ごめん、迷惑かけて。あの人、俺のことになるとちょっとヒートアップしちゃって」
困って修太が謝ると、なぜかトリトラとリックが声をそろえる。
「「ちょっと?」」
トリトラが首を振る。
「あれはちょっとって言わないよね。暑苦しいし」
「冒険者ギルドでもすごい勢いで燃えてたじゃないか、あのお姉さん」
リックまでそんなことを言い、ニミエは苦笑している。
「分かったよ、ちゃんと相談する! はあ、またアレンににらまれるよ」
頭をかき、アレンに文句を言われるのを想像して、勝手に溜息がこぼれる。それからニミエが帰り支度をすると、トリトラはカンテラを手に、ニミエを連れて家を出ていく。
「シューター、この借りは僕の好物で返してね」
「はいはい」
戸口での催促に修太は了解を返し、扉に鍵をかけた。
「よし、じゃあ、リック。まずは使ってもらう部屋を教えるから」
「よろしくお願いします」
急にリックの態度が殊勝になったので、修太は驚いた。
「え? どうしたんだ?」
「これからは仕事なんで、仕事モードで応対しようかと」
「やめてくれよ、家の中で堅苦しい。仕事してくれるなら、いつもの調子でいいよ。仕事しなかったら、クビにするけどな」
一応、口では牽制しているが、リックが手抜きするとはまったく思ってもいない。いつも受付にいるのを見かけていて、その仕事ぶりが丁寧なのは知っている。
「もちろん、仕事はちゃんとするさ。では、依頼主のおおせのままに」
大仰なお辞儀もさまになっている。暗みがかった金髪と青い目を持った好青年だ。さわやかで人好きする雰囲気があり、冒険者ギルドでは結構モテている。それが老若男女、先輩や後輩としてだったり、親戚扱いだったり、知り合いが多いタイプなので、啓介とはちょっと違う好かれ方だ。
付き合いは広いのに、仲は浅い。リックが誰にも踏み込まないからだと、なんとなく察していた。
「客室はそんなにないから、トリトラの隣な」
修太は宿泊部屋に案内し、部屋の鍵を渡す。
「俺もニミエさんも中には入らないから、掃除して欲しい時はニミエさんに言っておいて。で、洗面所のこの籠に洗濯物を入れておいてくれたら、ニミエさんが洗っておいてくれるよ」
それから風呂場の使い方も教える。四十三度くらいのお湯が出る魔具と、水が出る魔具があるので、それで湯加減を調整するのだと説明する。
「石鹸とかも自由に使っていいよ。で、タオルはここな。風呂場は好きな時に使っていいけど、真夜中は静かに使ってくれ」
「そこらの宿より設備がいいな」
「藍ランクなんだから、リックの家も立派だろ?」
「うちは両親から受け継いだ古民家だよ。手はかけてるけど、さすがに家に風呂はない。冒険者は装備品やアイテムに金がかかるからなあ、ついあっちを優先しちまうな」
「命を守る道具なんだから、当たり前だよ。それと、食べ物でなんか好き嫌いある? アレルギーとか」
「ねばってしたやつ以外はなんでも食べるよ」
オクラみたいな野菜があるので、それのことだろうか。
「分かった。それじゃあ、俺は料理してるから、護衛のほうは頼むな。あとはトリトラと話し合ってくれ」
「了解」
修太は手洗いとうがいをしてから、台所に向かう。冒険者ギルドの帰りに、市場で食材を買っておいたのだ。トリトラの希望で、ケテケテ鳥のから揚げをこしらえる。ササラから醤油を手に入れたので、醤油とにんにくのたれに鳥肉をひたしておき、その間に買っておいたパンを切る。葉物サラダと豆入りのピリッと辛いスープも作る頃に、トリトラが帰ってきた。
「ちゃんと家まで送ってきたよ」
「ありがとう。細かいことはリックと話してくれよ。休憩時間とか」
「分かった。あー、いいにおい。リームのにおいはくさいけど、カラアゲはおいしいよね」
修太が戸口を振り返ると、トリトラは黒い尾をパタパタと振りながら、台所の入口を立ち去るところだった。楽しみなのが尻尾に出ていて分かりやすい。
半鐘かけて食事の用意を終えると、トリトラが手伝ってくれた。
「あいつ、周りを見てくるって。夜は二鐘で交代して見回りするから、安心してよ」
「分かった、よろしく。トリトラ……お兄さんにも依頼料を出そうか?」
料理を食卓に並べて席に着くと、トリトラはさっそくから揚げにかぶりつく。修太も食べてみると、ちょっと味が薄いもののおいしい。
「いらないよ。弟分からお金をとる気はないし、この間、媒介石をもらったからね。懐は温かいから問題なし」
「あの石は、俺のじゃねえけど?」
「でも、モンスターに好かれて、あげるって言われたのは君だろ。ボスモンスターは僕らにはどうしようもないから、君がいたからできたことだ」
「そうかな?」
「そうだよ。本当、なんでそう評価が低いかなあ。笑えるけど、あの好かれっぷりは才能だよね」
「そこで笑うから、褒められてる気がしないんだっつーの」
言い合っていると、リックが戻ってきた。
「周りは特に異常は……えーとさすがは賊狩りって感じだったが良しとしよう。うん。異常なし」
どうして疲れた顔をしているんだろうか。リックの言うことは謎だが、問題はないようだ。
「ご苦労さん。とりあえず食事をとれよ」
「俺もいいの?」
「もちろん。俺が作れない時は、勝手に台所の食材を使っていいよ。それか、出かけてきてもいいし」
ダンジョン都市なので、朝からあちこちで屋台が開いている。自分で作るよりも安くておいしいので、この都市の人は一般人もよく外食をしている。修太も総菜屋や屋台はよく使うが、自分好みの料理は、自分で作るしかない。それに、今は人ごみを避けたい。
「いや、できるだけここを離れたくないから、適当に食ってるよ。――うわあ、なんだこれ。鳥肉をこんなふうに食べるのは初めてだ! うまい! 他のもおいしい!」
「はは、ありがとう。つっても、俺は簡単なのしか作れねえけどな。父さんの料理のほうがおいしいぞ」
修太がグレイの話題を出すと、リックはむせた。
「ぐっ、げほっごほっ。え! 賊狩りの兄さん、料理できるの?」
「ああ。黒狼族って生活力が高いから、だいたいなんでもできるんだ」
「すげえ……意外だ」
信じられないと顔いっぱいに書いているリックに、トリトラが胸を張る。
「そうだよ、師匠はすごいんだ。身の回りの物はだいたい作れるからね。服とか」
「服……。駄目だ、全くイメージできない」
考え込んでいるリックの前で、修太は大皿に盛ったから揚げを取る。
「ほら、早く食べないとなくなるぞ」
「えっ。うわ、いつの間にこんなに減ったんだ! 俺も食べる!」
山盛りのから揚げが三分の一までなくなっている。もちろん、修太とトリトラの胃袋に消えたのだ。男が三人もいれば、用意した料理はあっという間に食べ終わる。
食後に茶を飲みながら果物を食べ、明日からの護衛について話しあう。登下校はトリトラかリックが必ず付き添ってくれることになった。
※ 一鐘=二時間。半鐘=一時間。って意味です。
ちんたら進んでます。本編より丁寧でゆっくり書いてるんですけど、書きすぎてる気はしてますね。




