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ウィルの研究室で、修太は自分の前に積まれた論文の束に頭痛を覚えていた。
「な、なんすか、この書類の束!」
「学園の試験で君が解答した薬草学の件についての研究結果だよ。こちらが代理で調査した手前、君の確認がいるんだ。よろしくね! 読み終えたら、これにサインして。今度、学会で発表するから」
サインする書類だけでも分厚い束ができていた。
「え? でも、俺が解答したのは六つのはず……」
「こっちは君が僕の研究室に出入りするようになって明らかになった薬草の効能ね。まだ少ししか論文にまとめてないんだ。僕も助手も忙しくてね。セヴァンがいくつか担当してくれるっていうから助かったよ」
「少しって、三束ありますけど……」
「動物から始めて、人間での臨床試験とかあるから、ほとんどデータだよ。危険性の低いものだけ先にしておいたんだ。人間でしか試せていないけどね。できれば他種族のデータも欲しいな。例えば黒狼族なんて、薬が効きすぎることがあるから少量でないといけないんだけど、試験に協力なんてしてくれないから、推測で調合するしかなくってさあ」
ウィルが期待を込めて修太を見つめるので、修太は即答で断る。
「無理です! 父さんが協力するわけないじゃないですか」
「駄目?」
「駄目というか、無理! 父さんにそんなの頼もうなんて、ウィルさん、度胸ありすぎでしょ!」
「お金に困ってそうな黒狼族がいたら紹介してね! 臨床試験は高額だよ~」
ウィルはにっこり笑って、指でコインのマークを作った。良い人だが、薬がかかわると情熱がすごい。修太は力なく首を振るばかりだ。
「いや……無理ですよ。そんなの紹介したら、俺が黒狼族に絞められるでしょ」
「……駄目?」
「絶対に、無理!」
堂々巡りの会話をしていると、助手のエスターが研究室に飛び込んできた。
「大変ですわ、ツカーラ君! あなたの彼女が、とうとうあの悪党の手に!」
「は? 誰の彼女?」
「とぼけてないで、一緒に来なさい!」
「え、でも俺、これを読まないと……。うわああああ」
訳の分からぬまま、鬼の形相をしたエスターに拉致られ、医務室に連れていかれる。長椅子で休んでいたのはイミルだった。
「ええっ、イミル。どうしたんだ、怪我でも?」
「シューター君……これ……ありがとぉぉ」
握りしめていたものを突き出して、イミルが堰を切ったように泣き出した。医務室にいた女性の助手が、イミルの隣に座って優しく抱擁する。それを受け取った修太は、防犯グッズだと気付いて目を丸くした。
「えっ。あの悪党、とうとうやったのか! 怪我は? とりあえずラミルを呼んでくるよ」
「ご家族には連絡したから大丈夫よ。彼女に怪我はないわ、発見が早かったおかげね」
医務室助手の女性がそう言い、ちらっと壮年の男性医師を見る、彼に手招かれて廊下に行き、事の次第を聞いて、修太はさらに驚いた。
「はー!?」
「暴行未遂ってことで、衛兵に突き出したよ。いくら卒業間際の師匠変更に怒ったからって、年若い女性にあんな真似をするとは……。薬師ギルドの……いや、薬師の品位をおとしめる行為だ。許せん」
事情を理解した修太は、どうやらギルド側はイミルに同情的のようだと察して、内心ではほっとした。
「モンスターの警戒音を大音量で鳴らすアイテムというのは、画期的だな。人というのは厄介事を避けがちだが、モンスターの警戒音なら、実際がどうか確認しないと落ち着かないからね」
「あれは友達の試作品で……。ええと、モンスターの警戒音っていうのは?」
「高レベルのモンスターの中には、敵への威嚇のために、耳障りな声で鳴くものがいてね。それよりも低レベルのモンスターなら、その声を聞いただけで逃げていくんだ。草地にいる程度のモンスター避けにはうってつけだよ」
つまり、その音を聞いたのでギルド職員が駆けつけて確認したところ、イミルの師匠は現行犯でお縄になった……ということらしい。
「彼女は身の危険を感じて、とっさに相手をアイテムでしびれさせたらしい。それでも怖かっただろう。薬師ギルドの倉庫を、そんなことに使おうとは! 許せん!」
医師は腹が立ってしかたないみたいで、ぶつぶつと文句を言っている。
「イミル、大丈夫かな……」
怪我がなかったと言っても、トラウマになるかもしれない。心の平穏について心配していると、ラミルが現れた。
「イミルの家族です! 事件に巻き込まれたってどういう……」
医師は扉を開けてイミルの無事を確認させると、ラミルにも説明した。すっかり青ざめたラミルは、それからイミルと会って、今日のところは帰ることになった。薬師ギルドが馬車を出してくれることになり、それを待つ間、ラミルが修太のほうにやって来た。
「シューター、お前がくれた防犯グッズのおかげで、イミルは無事だったって聞いた。ありがとう」
修太の腕に手をかけて、ラミルは涙ぐんでいる。
「たった一人の家族なんだ。あいつに何かあったら、耐えられない」
「あとはもう大丈夫だよ。イミルの師匠は豚箱行きで、師匠も変更することになったんだから」
「……お前は知ってたんだな。イミルの問題」
「えーと、悪い」
ラミルの責める目に、修太は謝った。ラミルが面白くないと思うのは当然だ。
「どうせイミルが言うなって止めたんだろ。人見知りで怖がりなのに、ときどきすごく頑固なんだ。ああなると、俺でもどうにもできねえし……。シューターは悪くねえけど、なんかな。なんで俺を頼ってくれないんだろう。俺ってそんなに頼りない?」
修太はフードの下で苦笑する。
こうなるから、イミルにはラミルに相談するように言ったのだ。予想通り、ラミルは激しく落ち込んでいる。
「違うだろ。お前が大切だから、言いたくなかったんだろ。俺はたまたまイミルが怒鳴られてるとこに出くわして、状況を知っただけだ。相談されたわけじゃない。今回のことも、お節介をしてただけ」
「……もしかして、イミルが好きなのか?」
「お前もかよ、違うよ。俺とラミルは友達だろ?」
「ああ」
「イミルはお前の妹だ。あんまり話したことはないけど、友達だ。友達が困ってたから助けようって思っただけだよ」
「そんなことして、お前になんの得があんの?」
訳が分からないと言いたげなラミルに、修太はイラッとして、ラミルの背中を叩く。
「シビアすぎだろ! 友情に見返りなんかいるかよ」
「シューターは良い家で育ったんだな。やっぱり俺達とお前って違うんだ。痛い目にあったことがないんだろう。うらやましい」
「お前、何言ってんの? 生まれた時から、俺とお前は違う人間だろうが。俺だって痛い目くらいあったことあるし、むしろ人間不信だっつーの! 俺がお前らを助けたくなるのは、お前らががんばってるからだ。無条件で信じるわけねえだろ、啓介じゃあるまいし」
すっかりすねているラミルの額に、修太はデコピンした。
「いてっ」
「しっかりしろ、お前はイミルの兄貴だ。お前が落ち込んでる場合か。妹を励まして、安心させてやれるのは、お前だけだろ? たった一人の家族なんだから。分かったら、ここでうだうだしてねえで、何をすればいいか分かるよな?」
ラミルは額に手を当てたまま、ハッと顔を上げた。暗くよどんだような表情に光が差す。
「うん。そうだな。そんな場合じゃなかった。イミルと一緒にいるよ」
「分かったら、戻れよ。家族が生きてるってだけで、安心するものなんだ。お前の立場は誰にもおびやかされねえし、イミルにとって、ラミルが一番の家族だ。そもそもあっちは女なんだぜ。女心がお前に分かるのかよ」
「なんだよ、シューターには分かるのか?」
「分かるわけねえから、言ってんだろ」
堂々とした修太の返事に、ラミルがこらえきれずに噴き出した。
「そんな自信満々に言うことかよ。そうだな、俺も女心なんて分からない。イミルのことを分かったつもりでいたけど、もっとちゃんと話すよ」
「その意気だ。頼むから、変にこじらせんなよ。王宮で働き始めてから後悔したって遅いんだからな」
「分かった。なんかお前、俺より年下のはずなのに、言うことが兄貴みたいだな」
ラミルは首を傾げながら、医務室に戻っていく。
周りがそう言うのは当たり前だ。修太の実年齢は、五歳は上なのだから。エレイスガイアに迷い込んだ時に、蓄積時間を落として若返ったせいだ。
「あなた、変わってるけど良い子ですわねえ」
すっかり存在を忘れていたエスターがぽつりと感想を零し、医師にフードの上から頭を撫でられる。
「良い子って……。ってか、撫でないでくれます!?」
「あっ、すまん。つい!」
それからなぜか、医師の息子が王都に勉強に行っていて寂しいという話を聞かされてから、修太達はイミル達の馬車を見送って、ようやく解散した。
後日。
修太は冒険者ギルドの一角――ヘレナの研究室にいた。他にはヘレナと医療部の面々、イミルとラミル、そしてなぜかウィルの研究室の面々もそろっている。
「イミルの歓迎会と、クソなクソ野郎を蹴落としたその勇気を評して、かんぱーい!」
ヘレナはヴィオーレ・ジュースを手に叫んだ。皮は紫色をしている実は白く、リンゴみたいな味のジュースだ。
「かんぱーい」
皆でグラスを掲げる。
「これ、お酒は入ってませんよね?」
ヘレナのテンションが異様なので、修太は一応、ヘレナの助手に確認する。
「入ってないわ。ヘレナさん、雰囲気酔いしてるみたい」
「はあ」
修太はあいまいに頷く。相変わらず、変な人だ。
「か、かかか、乾杯」
ウィルはグラスを手にガタガタ震えている。
ヘレナのことが好きだというのは本当のようだ。それにしたって、緊張しすぎだろう。薬草園管理の新入り予定であるイミルの歓迎会に、なぜウィルの研究室の面々が加わっているかというと、ウィルがイミルの元師匠をやり込めたと聞いて、ヘレナの中でウィルの株が急上昇したせいらしい。
イミルの歓迎会は口実で、本当は悪党を撲滅してすっきりしたから、それを祝う会だと助手がこっそり教えてくれた。いや、そこは素直に歓迎会にしておけよと修太は思ったが、ヘレナのことだから、それっぽい理屈をこねまくって、修太の反論など撃破するだろう。疲れるから言わない。
「あのー、俺まで良いんでしょうか。完全に部外者ですけど」
所在なげに首をすくめているラミルに、ヘレナは頷く。
「もちよ、もち! あんなことがあった後でしょー、仕事仲間がどんなか見ておきたいかなと思って。医療部には夜番があと五人いるけど、だいたいこんな感じよ。私がトップにいるうちは、あんな真似させないからね。ま、毒の魔女に喧嘩を売ろうなんて猛者がいたら、会ってみたい気はするけど~」
ゆらゆらと体を揺らしながら、ヘレナは明るく笑う。しかし、医療部の人々は、なんともいえない顔をして、それぞれ視線を散らした。
「「毒の魔女?」」
修太とラミルの声が重なった。ヘレナが自分で説明してくれた。
「私ってー、ダンジョンのモンスターや仕掛け毒の解析をしてるじゃない? 解毒薬に詳しいってことは、毒も扱えるってこと。私を不気味がる人も多いのよ」
「へ、へえ……」
ラミルは気まずげに、戸惑った相槌をするが、修太はふーんと返す。
「敵に回さなきゃいいだけですよね。味方だとこんな心強い人いませんよ。俺が毒に当たったら、助けてください。よろしくお願いします」
「いいよ~、その時はできる範囲で助けてあげる~。ほんっと良い子だねえ、君。よしよし」
「なんで皆、俺の頭を撫でるんすかー! やめてくださいよっ」
わざわざテーブルを回ってきてヘレナが修太の頭を撫でるので、修太は身を引いて逃げた。研究室にどっと笑いが湧く。いい感じに空気が緩んだところで、ヘレナが修太を勧誘し始めた。
「学園を卒業したら、うちにおいでよ~。君みたいに偏見をもたないタイプは、冒険者ギルドにふさわしいよ。何かあっても守ってあげるからさ~」
「ヘレナ、駄目だよ、無理強いしちゃ。進路を決めるのは彼なんだから」
ウィルがたしなめると、ヘレナはそちらをにらんだ。
「何よ、自分の弟子だからって偉そうに! そんなお人好しなことばかり言ってるから、良い人材を逃すんじゃないの。恋人も逃がしてるくせに」
「なっ、こ、恋人は関係ないだろ」
「いい加減、落ち着きなよ、ウィル兄さん。伯母さんの愚痴聞くの、面倒くさいんだから」
「ぼ、僕は、ずっと好きな人がいて……」
「え? 好きな人がいるのに、恋人を作ったの? 兄さん、見かけによらずクズね」
「ひどいな! 忘れようと努力したのに、できなかっただけだよ!」
ちょっと涙目になっているウィルがかわいそうだが、まさかその相手がヘレナだとは言えない。ウィルの研究室の面々は苦笑し、二人のやりとりを眺める。しかたなく、修太は口を挟む。
「えーと、ヘレナさん。今日はイミルの歓迎会なんでしょ? 身内ネタはそれくらいにしてよ」
テーブルにはイミルが大量に作ってきたクッキーや、それぞれが持ち寄った料理がある。修太はいつものように、行きつけのカフェテラスでケーキを購入してきた。
イミルは歓迎会をうれしそうにする一方、元師匠の話になると暗い顔をする。元師匠の人生が狂ったことに、少しの罪悪感を抱いているようだ。
その元師匠はというと、暴行未遂を処罰する法律はないからとすぐに解放された。だが、薬師ギルドのほうは事態を重く見ていた。悪習は以前からあり、今までは見て見ぬふりをしてきたが、今回の件は大勢の証人がいるから隠ぺいもできない。
ことなかれ主義であいまいに済まそうとするギルドマスター一派に対し、以前からどうにかしたかったウィルが働きかけて、これを機に悪習を排除するべきだと訴えたのだ。おかげで元師匠は薬師ギルドの職員の席を追われることになり、医療にたずさわる者にふさわしくないからと、ランクを一つ下げて〈緑〉になったらしい。どちらにせよ、あんな醜聞の後でギルドでは働けないだろう。
ウィルのほうは、このまま噂が消えて議題が流される前に、師弟制度について根本から見直そうと、ギルドのルールについて会議を重ねるつもりのようだ。ヘレナがウィルを見直したのは、この辺りもあるのだろう。
(いっそ、ウィルさんがギルドマスターになればいいのに)
修太はそう思うが、ギルドマスターは紫ランクでないといけないらしい。この都市にいる紫ランクの薬師は、今のギルドマスターしかいないんだそうだ。
しかしウィル本人が望んでいないのに、派閥ができているあたり、ウィルの上に立つ者としての資質は高いと思う。もう少し野心的な性格だったら、事態は変わっていたのかもしれない。
「ああ、そうだった、そうだった」
修太にうながされて、ヘレナはイミルの歓迎会だと思い出したようだ。
「それじゃあ、もう一回。かんぱーい!」
適当なことを言って、ヘレナは再びグラスを持ち上げる。
皆もグラスを上げ、歓声を上げた。
「「かんぱーい!」」
その日は午後遅くまで、料理に舌鼓を打ちながら、互いに情報交換をして盛り上がった。
特にウィルは、差別は絶対禁止の冒険者ギルドルールについてヘレナから教わり、かなり参考になったらしい。
途中からヘレナへの恋心のことを忘れたのか、完全に仕事モードになっていた。
「せっかくのチャンスなのに、なんで仕事の話してるんだよ、ウィルさんってば」
ウィルの研究室メンバーに修太がこぼすと、エスターが残念そうに言う。
「そう簡単に進展するなら、こんなにこじらせてませんわよ。『ウィルさんを応援する会』で報告しなくては……」
「何それ」
聞き間違いかと思ったが、弟子仲間のメアリーとレスティが、バッジを見せてくれた。
「ウィルさんのファンクラブみたいな?」
「幸せを応援する会だよ。ツカーラも入る?」
ウィルに仕事を頼まれるとうれしそうに全力でがんばるだけあり、二人はその会員らしい。
「いや、遠慮しときます……」
修太は顔を引きつらせて断った。
ウィルの派閥ってもしかしてファンクラブなのだろうか。人畜無害の顔でへらへら笑っているウィルを横目に、修太は一人うなっていた。
第五話 終わりです。
・2018.12/10 後半に加筆。




