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ウィルの研究室専用の倉庫で薬草を干すと、今日のところは、修太は帰ることにした。
「女の子を待たせちゃいけないぞ」
「そうですわ」
ウィルとエスター、弟子達の温かい目で見送られた。
(何か勘違いしてるな……)
ただの友達だと言っても信じない気がするし、イミルを待たせると悪いので、特に否定もせずに研究室を出る。廊下で待っていたイミルがぺこっと会釈した。
「ごめん、雑用があって」
「私も片付けをしてから来たの。気にしないで」
イミルに手招かれ、薬師ギルドを出ると、玄関脇で待っていたコウがじゃれついてきた。
「あ、コウだ。可愛い。お行儀が良いわね。撫でていい?」
「ああ。コウ、覚えてるか? イミルとラミルって双子がいただろ。イミルのほうだぞ」
「オンッ」
はたしてこの返事はイエスなのかノーなのか。どちらか分からないが、コウはイミルの前に座り、撫でられる姿勢になっている。イミルはコウの首から背中をわしゃわしゃと撫でた。
「イミルってまだ学園に通ってるんだな。俺、てっきりもう卒業したかと思ってたよ」
最後にこの都市で会ったのは四年前だ。翌年の試験に合格しているなら、もう卒業しているはずだ。
「一回、試験に落ちたのよ。聖堂の安い講義か、古本での独学だから、限界があって。でも、だいたいの試験の感じが分かったから、その次は合格できたわ。今年で三年目ね。私とラミル、どちらも文学科よ」
「俺も文学科だ」
「そうね、私達は〈黒〉だもの、よっぽど武芸に秀でていないと他の科は厳しいわ。私もラミルも、魔法を使いすぎると気分が悪くなって動けなくなるから、冒険者科や騎士科は無理ってことになって。おかげで筆記試験の難易度が上がってしまったのは誤算だったけど」
「なるほどな」
イミルが話す理由を聞いて、一度落ちたのも理解できた。むしろ、家庭教師も雇えずに、古本を頼りにがんばった彼らがすごいのだろう。
「なんか、イミルって少し変わった?」
「え?」
「前よりしゃべってるだろ」
修太の指摘に、イミルが小さく噴き出す。
「ラミルと二人きりだった時と違って、今は学園に通っているから、少しは社交的になったわ。いつまでもラミルの後ろに隠れているわけにはいかないし、私もがんばらなきゃ」
前向きなことを言うわりに、イミルの声は沈んでいる。イミルはコウを撫でるのをやめて、すっと立ち上がる。こちらを向いた。
「シューター君、さっきのこと、ラミルには黙っていて欲しいの」
「ってことは、ラミルはイミルの師匠があんなだって知らないってことか?」
イミルはこくりと頷く。
「ラミルね、王宮の下級文官に内定が決まったの」
「王宮の! それはすごい。おめでとう」
「うん、ありがとう。できれば本人に言ってあげて、喜ぶから。――それでね、今、準備で忙しいから、私のことで邪魔できないのよ」
うつむき加減に、イミルは言う。
「私、こんな性格だから、使用人になるのは怖くて。でも、薬師なら一人でもなんとかやっていけると思うの。一人で薬草の採取に行くのが難しい場合は、ギルドで何人かと組んで、一緒に行くこともできるし……。薬草園の管理や医院での調合師なら、住み込みの仕事もあるから」
住み込みは怖いけど、とイミルはつぶやいた。
「いつまでもラミルのお荷物になりたくない。だからシューター君、お願いだから、ラミルには黙ってて!」
「イミル……」
修太もイミルの気持ちはよく分かる。断片の使徒として旅をしていた時も、修太はお荷物だった。それに、こんなふうに必死に頼まれては、駄目だとは言えない。
「分かった。でも、無理はするなよ? 俺、薬草のことは結構詳しいから、その辺は頼ってくれていいからな」
「それじゃあ、シューター君をラミルの代わりにするみたいでしょ。甘えたくない。私、もっとがんばりたいの」
「あのな、それは違うと思うんだよ」
修太がはっきり返すと、イミルはたじろいだ。
「え……?」
「俺はさ、幸運なことに良い仲間に恵まれて、今はグレイの養子になったんだ。でも、二人は親がいないのにがんばってるだろ。俺は仲間に助けられてきたけど、それは甘えてるってこととは違う。運が良かったんだ。だったらさ、イミルだって、俺っていう友達がいる幸運は、バンバン利用していいと思うんだよな」
「でも、シューター君には迷惑でしょう? 私を助けて、いったいなんの得があるの?」
「そうだなあ。うーん、世界平和……とか?」
思いついたことを言ってみると、イミルは心配そうに問う。
「ええと……大丈夫?」
「そんな本気で不安がらないでくれ! あのな、俺は普通の人間なんだ。誰も彼も助けられるわけじゃないけど、目の前にいる友達一人くらいなら、ちょっと助けるくらいはできると思うんだよ。イミルが少し幸せになったらさ、たぶんラミルも少し幸せになるだろ?」
「そうかな?」
「うん。俺は仲間が幸せそうなら、俺もうれしいから、そうだと思うんだ。そんなふうに少しずつ幸せが広がっていったら? ほら、世界が少し平和になるじゃないか」
修太は真面目に話しているのだが、イミルは思い切り噴き出した。
「あはっ、あははは。シューター君、面白すぎる! 聖職者のご高説より、分かりやすくていいと思うわ」
「からかってるだろ。本気で言ってるんだぞ!」
「うん。そういうところは、ケイと友達って感じね。あなた達、まるっきり正反対なのに、親友な理由がやっと分かったわ」
そういえばスオウ国にいる間は、双子は案内人として、啓介達の傍にいたのだ。
フードの下から覗くイミルの口元が、ほんのりと笑みの形になる。
「ありがとう。気遣ってくれて」
「うん、まあ、分かってくれたらいいんだ。薬師見習い同士、よろしく頼むぜ、先輩」
「ふふっ。そうね、後輩ね。それじゃあ、見習いになったのは最近?」
「もう少し長いけど、学園の試験勉強でずっと休んでたんだ。だから薬のことは全然」
「お互いに教えあいっこしましょ。それならいいわ」
「ああ」
イミルがゆずってくれたので、修太はフードの下で笑みを浮かべる。
そこで周囲がすっかり暗くなっているのに気付いた。玄関前は明かりがついているが、広場のほうはすっかり闇の中だ。
「あー、もうこんな時間だな。冒険者ギルドにグレイがいるから、一緒に家まで送ろうか? もう暗いし、危ないだろ」
「ううん、平気。ラミルが迎えに来るの。夜道を一人で帰ると怒られるから、大人しく待ってなきゃ」
「それなら、ラミルが来るまで一緒にいようかな。イミルを放っておいたって知ったら、ラミルが怒るだろうし」
相変わらず、妹思いの優しい兄のようだ。
そうして薬師ギルドの玄関口――アーケードのようになっている屋根の下に立っていると、ウィルの研究室の弟子達とすれ違った。生暖かく笑って、バイバイとあいさつして帰っていく。
友達なんだけどなあとちょっと気まずくなってしまったが、小腹が空いたので、飴玉の入った瓶を出して、イミルと分け合って食べることにした。
そうしながら、雑談をする。
イミル達は三年生で、成績次第では学園から推薦状がもらえて、王宮の試験を受けることができるらしい。イミルは薬師の方面をがんばって、卒業間際までに〈黄〉に昇格できたら、職場を探すつもりなんだそうだ。
「ってことは、弟子だけど、もう〈橙〉ランク?」
「そうよ。二年生から弟子入りしたから、ちょっと遅いほうかもしれないわ。でも、〈黄〉にならないと、師匠の許可がなければ薬の販売もできないし……それまでは我慢するの」
「あとちょっとなんだ?」
イミルがラミルに内緒にしてと言うのは、その辺もあるのだなと、修太は少しほっとした。あんな無頼漢の傍にいつまでも友人を置いておくのは、嫌な気分になる。
「うん。材料を集めたら、試験官の前で、〈黄〉が作れる薬を一通り作るのよ」
「試験官の前で?」
「そうでないと、不正をする人もいるでしょ」
「一度に?」
「ううん、何日かに分けて、よ。まずは簡単なものを複数で一度にして、少し手間がかかるものだけは個別らしいわ。器材と材料をそろえるのが、一番大変ね」
詳しい話を聞いていると、広場を突っ切って走り寄る影があった。
「イミル!」
「シスフェル、どうしたの?」
青い腕章を付けているので、騎士科の生徒のようだ。明かりの傍まで来ると、白に近い銀髪と金の目を持った、なかなか顔立ちの良い青年だと分かる。左目の下の泣きぼくろが目にとまった。
「ラミルから頼まれて、迎えに来たんだよ。アンソニー先生に、急に書庫の整理を任されたらしくて」
「まあ……」
「うわあ……」
イミルと一緒に、修太もうめいた。あの恐ろしい教師アンソニーの頼みを断れる生徒はいないだろう。
「ん? そいつ、誰。イミルに付きまとってるんじゃないだろうな」
シスフェルは態度を一転させて、修太をにらんだ。背が高いので、上からにらまれるとかなり迫力がある。
「違うわよ、彼はシューター君。スオウに行く船で知り合ったお友達なの。シューター君、こっちはシスフェル・ナルダン。ラミルの友達で、私ともクラスメイトよ」
「シューター・ツカーラです、よろしくお願いします、先輩」
修太が改めて名乗って会釈をすると、シスフェルの態度がいくらかやわらかくなった。
「ああ、黄色の腕章ってことは文学科か。二年生には文学科はいないから、一年生?」
「はい」
「ラミルから雑談で聞いてたよ。へえ、なんか思ったより地味だな」
イミルが苦笑を浮かべた。
「シスフェルってば……。ごめんね、シューター君。良い人なんだけど、なんていうか、率直で」
「うん。あんまりフォローできてないよな」
「あっ。ご、ごめんね?」
「冗談だから、落ち込むなよ。それじゃあ、お迎えが来たみたいだし、俺は父さんの所に行くよ。待ってると思うから」
「うん。賊狩りさんにもよろしくね」
「ああ、またな」
修太は返事をして、コウを連れて歩き出したが、「賊狩りさん」という響きに笑いがこみ上げてくる。イミルは泥棒にもさん付けをするタイプに違いない。
「ええっ、賊狩り!?」
後ろでシスフェルの驚く声がした。修太は慌てて振り返り、イミルに注意する。
「イミル、そのことは内緒で。俺、今のクラスで友達が欲しいんだ!」
「分かったわ、お口に鍵ね」
真面目に返すイミルの言葉を聞いて、隣のシスフェルが微笑ましそうに相好を崩している。
あんまりしゃべったことがなかったが、イミルは使う表現が可愛いらしい。周りにいないタイプなので、ちょっと和んだ修太だった。




