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 食器の片付けを終えると、修太は薬師ギルドを出て、冒険者ギルドに向かう。

 グレイを待たせすぎている。機嫌が悪くなっているかもしれないと、広場の真ん中を突っ切って、真向かいにある冒険者ギルドの会館へと走っていく。

 待合室に入ると、奥の壁際、全体が見える位置に陣取っている黒衣の男を見つけた。

 グレイは口端に煙草を引っ掛けたまま、両腕を組んで、瞑想でもしているみたいにじっと目を閉じていた。グレイの周辺だけ、綺麗にテーブルが空いている。


(ああ、機嫌が悪そうにしてたんだな……)


 グレイがイライラしていると、冒険者達はグレイの怒りを恐れて距離をとる。まあ、平常時でも遠巻きにしているが、今日はテーブルの空きが多いので、グレイの様子も分かろうというものだ。


「父さん、ごめん、遅くなった」


 修太が声をかけると、グレイは目を開けてこちらを見た。


「ああ。そろそろ迎えに行こうかと思っていたところだ」


 そう言って、火のついた煙草の先を灰皿に押しつけて消す。灰皿にはかすが山になっている。


「ほんっとうにごめん。師事する相手を見つけるのに手間取って……ちょっとお茶を買ってくるよ。飲む?」


 短い首肯が返ったので、修太は売店で二人分のポポ茶を買ってきた。ほうじ茶みたいな味のするお茶だ。

 それからグレイの真正面の椅子に座った。


「ふう、疲れた」

「見つけたのか?」

「ああ。あっちから声をかけてくれたんだ。ウィル・クリーバリーっていう人。薬師ギルドの職員で、藍ランクなんだって。明日の午後過ぎから来るようにって」


 修太がそう説明したところで、女性の甲高い声が響いた。


「ツカーラ君、ウィル兄さんがどうかしたの~?」


 灰色の髪の女性が、ゆらゆらと独特の歩き方をして近付いてくる。胸元が大きく開いた緑のシャツワンピースの上に、白衣を着ている。彼女が傍に来ると、薬草のにおいが漂った。

 藍色の目を持つ、三十代半ばほどの女性はヘレナ・アンブロースという。ここの冒険者ギルドの医療部のトップだ。冒険者ギルドという、怪我の絶えない職場で腕を磨いている現役の医者である。

 治療師としても薬師としても藍ランクを持つ優秀な職員だ。

 だが、普段は彼女の部下が治療を担当しており、ヘレナは冒険者ギルドの薬草園を管理して、薬師としての研究に没頭している。

 〈四季の塔〉は、階層が上になるにつれ、仲間と協力し合わないと通過できない仕組みが増えるだけでなく、毒を持つモンスターが増える。その毒の解析と解毒薬の開発がヘレナの仕事だ。


「ヘレナさん、こんばんは。ウィルさんとお知り合いなんですか?」


 修太はヘレナに丁寧に話しかけた。

 こちらに引っ越してきてから、冒険者ギルドに出入りするうちに、ヘレナと知りあった。研究室にこもりきりなのに、好奇心を刺激されるとじっとしていないヘレナは、賊狩りグレイの養子を見物に来たのだ。

 薬草について雑談するうちに、薬草園を見せてくれ、バイト代をもらって手入れを手伝う中で、薬師ギルドの入り方を教えてくれたのが彼女だった。


「うん、従兄弟(いとこ)なのよ。私の母の兄――伯父(おじ)の子ね。母の一族は、薬師を生業(なりわい)にしてるんだ~」


 語尾が間延びした話し方をするヘレナは、眠そうにあくびをした。


「それで、ウィル兄さんがどうしたの?」

「弟子にしてくれました」

「えっ、この間のこと、本気だったの? もう、言ってくれたら、最初からウィル兄さんを紹介したのに。あそこじゃ、一番まとも……マシよ」


 言い直したつもりなのだろうが、全然フォローになっていない。


「どういう意味だ」


 グレイが口を挟む。


「薬師って商人でもあるから、金儲け主義の連中が多いのよ。気を付けないと、弟子にとった相手から、何かにつけて金をとろうとする奴もいるの。教育代とか言って」


 ヘレナはそれが気に入らないのか、鼻に皺を寄せて、顔全体で苦い表情をした。女性がそんな顔をしていいのだろうかと、修太は少し心配になった。


「そういうヤバそうな人は断ったので、大丈夫ですよ。一鐘と半分くらいねばってたら、帰るところだったウィルさんが声をかけてくれて」

「そうなんだ、良かったね。あの人、腕は良いからじっくり教わるといいよ。いつも仕事を抱えてるのは、お人好しすぎて断れないだけだから。いつか過労死しそうで心配だわ」


 ヘレナにここまで言われる程とは。

 徹夜してふらふらしていたウィルを思い出して、修太はなんだか気の毒になった。


「弟子にも会いましたけど、ウィルさんが好きって感じですよね」

「人たらしなのよ。特に年下や部下に人気があるわね。薬師って、見て覚えろ派が多いから、説明してくれるだけで優しいって思われちゃうところがあってね。ま、先生としては良い人よ~」

「ん? 他に何かあるんすか?」

「交際や結婚相手としては最悪。仕事と患者と部下のことばっかりで、恋人は後回しするから、いまだに独身」


 ヘレナは遠慮なく言って、けらけら笑っている。


「いーっつも相手に振られてやんの。かわいそうよね」

「……はは、は」


 修太は誤魔化し笑いを浮かべ、ゆらゆらしながら歩いていくヘレナを見送った。


「身内にひそむ敵ってのは、ああいう奴か」

「ま、まあ、親戚ってあんな感じで暴露(ばくろ)したりするよな……」


 グレイの呟きに、修太はあいまいに返す。


「明日からって言ったか? 俺も会う」

「え?」

「どんな奴か気になる」

「分かった」


 修太は了解したものの、ちょっと過保護ではないかなと思ったが口にはしなかった。




 翌日、昼食後の時間帯、修太はグレイとともに薬師ギルドに向かっていた。

 すると、途中でウィルを見つけた。セーセレティーでは金髪は珍しいし、背が高いので目立つ。


「あ、あの人がそうだよ、父さん。あの金髪の人」

「あいつか」


 修太達の屋敷を出てすぐ、商店通りとの交差点にある露店にいて、店主と話している。

 すると、ウィルの傍で老婆が転んで、荷物をぶちまけた。

 ウィルはすぐに駆け寄って、老婆の荷物を拾うのを手伝う。

 だが、雑踏の男がジャムの瓶を拾い上げ、そのまま盗んで立ち去ろうとする。


「あっ、こら待てー!」


 ウィルの荷物でもないのに、ウィルは男を追いかけて走り出した。


「うわっ」


 男がこちらに来るのを見て、修太は後ずさる。代わりにグレイが前に出て、何げないそぶりで、右足を前に突きだした。


「うお、ぎゃふっ」


 グレイの足に引っかかり、ものすごい声を上げて、盗人が石畳にベチャンと転ぶ。つぶれた蛙みたいで、修太も顔をしかめた。


「あれっ、君、昨日の……。ありがとう、助かったよ~。おばあちゃーん、ジャムは取り返したよー!」


 ウィルが瓶を拾って手を振ると、辺りで拍手喝采(かっさい)が起きる。


「いや、捕まえたのはグレイだと思うけど」

「どうでもいい」


 ぼそぼそと言う修太に、グレイはそっけなく言って、盗人の後ろ襟を掴んで引っ張り上げた。


「衛兵に……」


 グレイが言う前に、ウィルが盗人の前に立つ。


「もー、駄目でしょう、人のものを盗んじゃあ。お腹が空いてるんなら、これで食べなさい」


 ウィルは盗人を叱りつけたものの、財布から硬貨を取り出して、男の手に握らせた。千エナ白銀貨を三枚も渡す。


「え……、いいのか?」


 盗人は目をパチクリさせて、戸惑いを込めてウィルを見つめる。ウィルは頷いた。


「いいよ。それだけあれば、しばらく生活できるでしょ? これから仕事を見つけて、自分で稼ぐって約束してくれ」


 だいたい、一般人は一ヶ月に一万エナから一万二千エナくらいを稼ぐので、一週間は暮らせることになる。仕事探しには充分な金額だろう。


「いい? こんな幸運は、人生でたびたび起きることじゃない。君はこの瞬間から、生まれ変わるんだ。できる?」


 ウィルの真剣な問いかけに、盗人の顔つきが真面目なものに変わる。グレイが後ろ襟から手を離すと、盗人はウィルに深々と頭を下げた。


「ありがとうございます! こんな親切をしていただいたのは初めてです。がんばります」


 涙ぐんでお礼を言うと、老婆にも謝ってから、盗人は立ち去っていった。老婆もジャムの瓶を手に、何度もお礼を言って帰っていく。

 盗賊には厳しいグレイだが、場がまとまったのを見て、衛兵を呼ぶのはやめたようだ。だが、皮肉を込めて、ウィルに話しかける。


「おい、焼け石に水って言葉を知ってるか?」

「ははは、僕のしてることは無駄だって言いたいんでしょう? 言われ慣れているよ、でも、放っておけないんだ。これで何か変わるかもしれない」

「こいつは、本物のお人好し馬鹿だな」


 グレイは呆れ混じりにつぶやいた。

 そして、修太の肩をポンと叩いてきびすを返す。


「俺は帰る。どういう奴かは分かった。せいぜい、(はげ)めよ」

「あ、うん……」


 修太はぽかんとしつつ、グレイを見送る。


「え? 何、どういうこと? 知り合い?」

「ええと、あの人は俺の養父なんです。たぶん、ウィルさんは認めてもらえたんだと思います」

「ふーん?」


 よく分からないという顔で、ウィルは適当に合槌を打つ。


「あんなことをしていて、破産しないんですか?」


 彼は藍ランクの薬師だ。稼ぎはあるのだろうが、修太はなんとなく気になった。ウィルは肩をすくめて返す。


「まあ、できる範囲でしかしてないよ。だからこれはただの自己満足だ。僕もね、昔、助けてもらったことがあって、涙が出るくらいうれしかった。たったそれだけで改善することもあるんだ。だから、稼げるようになったら、同じことをしようと決めてたんだよ」


 ウィルはなんでもないことみたいに、にっこりとして言った。

 今日のウィルは、髪は整えられているし、無精ひげは綺麗にそられている。服装もきちんとしていて皺一つないから、昨日会った時のくたびれたおっさんさは無い。


「なんか……違う人みたいですね」

「一晩眠って回復したよ。回復の速さだけが、僕の取り柄なんだ~。ま、疲れっぽいから、プラマイゼロだけどね。君も四十代になれば分かるよ。はははは」


 はつらつと笑うこの感じ、昨日のヘレナと雰囲気が似ている。


(なるほど、親戚だ……)


 容姿は全然似ていないのに、不思議なものだ。


「さ、行こうか。昨日は、簡単な話だけで帰って悪かったね。赤から緑の曜日は弟子を指導するけど、残りの三日は僕の仕事をメインとしてるんで、君はこの四日で来られる日には、朝から来て欲しい。二の鐘から三の鐘の間くらいかな。それから、夕方までだね」


 ウィルは通りを歩きだしながら、隣に並んだ修太に説明する。

 セーセレティー精霊国での一週間は、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫となっている。ウィルは週の前半に来るように言っているのだ。それから、朝日が昇ると一の鐘が鳴るので、だいたい六時に朝日が出た場合、八時から十時の間に来るように、という意味になる。


「分かりました」

「雑用をしながら仕事を覚えてもらうけど、弟子期間中は、給料は出ないよ。代わりに、練習用の器材や薬草はこちらで用意するから、安心して」


 ふむふむと修太は頷く。

 最初のうちは失敗も多いだろう。その辺りも見越して、給料は出ないようだ。


「薬草は庭で育てているものもあるので、先に伝えていただければ持ってきます」


 修太がそう言うと、ウィルは足を止めた。グリンと勢いよく振り返るので、修太はビクリと肩を揺らす。


「君、庭で育ててるって言った?」

「はい」

「ちなみに、どういうふうに育てるって、誰かに教わったのかな」


 恐る恐るとした問いに、修太は首を振る。


「いえ、森で適当に引っこ抜いてきました!」

「あああああ、素人(しろうと)がする違法パターン!」


 ウィルは頭を抱えてうなる。


「え? 何か問題が?」

「個人での栽培が禁止されているものもあるんだよ。薬師や許可証を持ってる人は栽培していいものもあるけど、君、分からないだろ?」

「分かりません!」


 きっぱり答えると、ウィルはますます頭を抱える。


「ええと、ちょっと待って……。まず、助手に仕事を任せてくるから。先に、君の家の庭を見せてもらおう。今ならセーフだ。もし間違えていても、見なかったことにする。こっそり処理しよう」

「……なんかすみません」


 ウィルが胃が痛そうにしているので、修太は謝った。



※一鐘=約二時間

 一鐘と半分=約三時間


日本での、一刻=二時間 とあわせての表現にしてます。

(※時代によって、刻の時間は変わるそうなので、あくまで一般論での話)

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