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 3



 深夜を回ってから帰宅したグレイは、居間に入るなり足を止めた。

 トリトラが腕を組んで仁王立ちして待っていたのだ。


「何か俺に言いたいことがあるようだな」


 いかにも不服をあらわにしているので、グレイはトリトラを促す。


「あるから、こうして待っていたんですよ。師匠、今日は何日かご存知ですか?」

「紫夕の月、二十五……じゃないな。もう二十六日か。それがどうした」

「そ、れ、が、ど、う、し、た~?」


 トリトラは、小声で話しながら圧力をかけてくるという器用な真似をした。トリトラが後ろを気にしているので、グレイはそちらを見る。食堂のテーブルに、小さな照明の魔具が置いてある。そのそばに突っ伏して、修太が寝息を立てていた。


「おい、どうして部屋で休ませない?」

「昨日は何日でした?」

「だから、紫夕の月二十五日だと…………あ」


 グレイは珍しく、間抜けな声を出した。日にちは把握していたのに、約束があったのをすっかり忘れていたのだ。

 ぶわりと全身の毛穴が開いて、鳥肌が立った。厄介なモンスターに遭遇した時ですら、こんなに冷や汗が出たことはない。


「…………どうすればいいと思う?」


 混乱。一言で表わせば、まさにあれだ。

 グレイは無意識のうちに、弟子にそんな馬鹿な質問をしていた。


「ご立派な大人なんですから、正々堂々と謝ってはいかがです?」


 トリトラのこちらを見る目が冷たい。

 それもそうだ。グレイは師匠として、弟子には誤りを認めて謝罪するように教えている。トリトラのチクチクした視線をやり過ごしながら、グレイは修太に近づいた。


 今日のサランジュリエは秋なので、夜中は空気がひんやりしている。

 グレイの心臓の当たりが、なぜだかひやりとした。嫌な感じがする。


 こんな所で寝て、また体調を崩したらどうするのかと思ったが、そうなったら、原因はグレイにあるわけだ。修太のことだから、誕生日に食事をする約束をしたから、グレイを待っていたというところだろう。ときどき見せる頑固さで、トリトラがなだめるのも聞き入れなかったのではないか。


「シューター、起きろ。自分の部屋で休め」


 グレイは修太の肩を軽く揺さぶった。

 修太はすぐに目を覚まし、バッと身を起こす。


「あっ、父さん! お帰り!」


 慌てた様子でグレイを上から下まで確認すると、修太はふうと息をついた。


「良かった、どこか怪我でもしてるんじゃないかと思って心配してたんだ。何を調べているのか分からないけど、あんまり危険なことはしないでくれよ」


 グレイはなぜか、喉の辺りに変な感じを覚えた。息苦しいと言えばいいのか。

 誕生日の約束をすっぽかしたのに、修太ときたら、開口一番にグレイの心配をするのだから、グレイはどうすればいいのだ。

 グレイはその場に片膝をついて頭を下げた。


「……悪かった」

「んえあ⁉」


 修太は初めて聞く奇妙な声を上げた。


「ななな何をしてるんだ、グレイ。やめてくれよ、ほら、立って!」


 修太はグレイの右腕をつかんで、ぐいぐいと引っ張る。


「年に二回しかない約束を忘れたというのに、俺に怒らないのか?」

「えっ、その約束、ものすごく重い扱いされてる? 怒ってないよ。ちょっとがっかりはしたけどさ。用事があって無理なら、先に言ってくれたら、延期するから」


 修太は困った顔をしている。とりあえずグレイは立ち上がった。


「それなら、どうしてここで待っていた」

「家族を心配するのは悪いことなのか? 顔を見たら安心できそうだったから、俺が勝手に待ってただけだよ」


 すると、トリトラが横から口を挟んだ。


「そうは言ってるけど、シューターは朝から誕生日祝いを楽しみにしてたよ」

「トリトラ、余計なことを言うなって!」


 修太がすかさず文句を言ったが、トリトラはつんとそっぽを向いた。トリトラがグレイに当てつけているのは間違いない。


「父さん、家族になる時、確かに約束したけどな。そもそも俺は、自由な黒狼族を縛りつけるつもりはないんだ。これが負担になるなら、やめても構わない」

「この程度、負担でもなんでもない。今回は調査に集中しすぎた。次はそんなへまはしないと誓う」

「……うん。そうしてくれるならうれしいけど」

「なんだ?」

「俺はグレイが健康で長生きしてくれたら、それが一番だよ。そちらの約束は覚えておいて」


 胸にグサグサと突き刺さるものがあり、グレイはうめいた。

 下手に責められるより、よほど威力がある。自然と反省をうながされた。


「……努力する」

「うん」

「その……遅れたが。シューター、誕生日おめでとう」


 グレイがしぼりだすように祝いの言葉を口にすると、修太はきょとんと瞬きをしてから、照れくさそうに笑った。


「ありがとう!」


 今後は絶対に忘れないようにしようと、グレイは心に固く誓った。恐らくこののしかかるような圧迫感は、罪悪感というやつだ。ものすごく嫌な気持ちになる。


「シューター、すまない。言い訳ではないが、俺が何を調べているかについて話をしてもいいか」


 修太はグレイの仕事に口出ししないが、今回はグレイから打ち明けることにした。グレイにとっては仲間のほうが大事なのに、今の状況では、それより重要視しているものがあると誤解されかねない。


「え? いいのか?」

「ああ。とりあえず……茶でも用意する。そこにいろ」

「分かった」


 修太は寝間着の上に、羊毛のショールをかけている。しかし、居間の空気は冷えきっていた。砂漠の寒さに比べればなんてことはないが、黒狼族に比べればずっと弱い青年には、温かい飲み物でも与えたほうがいいという判断だ。


「師匠、僕も聞いていいですよね」

「……好きにしろ」


 一部始終を見ていたトリトラは、にやにやと笑っている。今回ばかりはグレイが悪いので、弟子の生意気な態度は不問にした。

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