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深夜を回ってから帰宅したグレイは、居間に入るなり足を止めた。
トリトラが腕を組んで仁王立ちして待っていたのだ。
「何か俺に言いたいことがあるようだな」
いかにも不服をあらわにしているので、グレイはトリトラを促す。
「あるから、こうして待っていたんですよ。師匠、今日は何日かご存知ですか?」
「紫夕の月、二十五……じゃないな。もう二十六日か。それがどうした」
「そ、れ、が、ど、う、し、た~?」
トリトラは、小声で話しながら圧力をかけてくるという器用な真似をした。トリトラが後ろを気にしているので、グレイはそちらを見る。食堂のテーブルに、小さな照明の魔具が置いてある。そのそばに突っ伏して、修太が寝息を立てていた。
「おい、どうして部屋で休ませない?」
「昨日は何日でした?」
「だから、紫夕の月二十五日だと…………あ」
グレイは珍しく、間抜けな声を出した。日にちは把握していたのに、約束があったのをすっかり忘れていたのだ。
ぶわりと全身の毛穴が開いて、鳥肌が立った。厄介なモンスターに遭遇した時ですら、こんなに冷や汗が出たことはない。
「…………どうすればいいと思う?」
混乱。一言で表わせば、まさにあれだ。
グレイは無意識のうちに、弟子にそんな馬鹿な質問をしていた。
「ご立派な大人なんですから、正々堂々と謝ってはいかがです?」
トリトラのこちらを見る目が冷たい。
それもそうだ。グレイは師匠として、弟子には誤りを認めて謝罪するように教えている。トリトラのチクチクした視線をやり過ごしながら、グレイは修太に近づいた。
今日のサランジュリエは秋なので、夜中は空気がひんやりしている。
グレイの心臓の当たりが、なぜだかひやりとした。嫌な感じがする。
こんな所で寝て、また体調を崩したらどうするのかと思ったが、そうなったら、原因はグレイにあるわけだ。修太のことだから、誕生日に食事をする約束をしたから、グレイを待っていたというところだろう。ときどき見せる頑固さで、トリトラがなだめるのも聞き入れなかったのではないか。
「シューター、起きろ。自分の部屋で休め」
グレイは修太の肩を軽く揺さぶった。
修太はすぐに目を覚まし、バッと身を起こす。
「あっ、父さん! お帰り!」
慌てた様子でグレイを上から下まで確認すると、修太はふうと息をついた。
「良かった、どこか怪我でもしてるんじゃないかと思って心配してたんだ。何を調べているのか分からないけど、あんまり危険なことはしないでくれよ」
グレイはなぜか、喉の辺りに変な感じを覚えた。息苦しいと言えばいいのか。
誕生日の約束をすっぽかしたのに、修太ときたら、開口一番にグレイの心配をするのだから、グレイはどうすればいいのだ。
グレイはその場に片膝をついて頭を下げた。
「……悪かった」
「んえあ⁉」
修太は初めて聞く奇妙な声を上げた。
「ななな何をしてるんだ、グレイ。やめてくれよ、ほら、立って!」
修太はグレイの右腕をつかんで、ぐいぐいと引っ張る。
「年に二回しかない約束を忘れたというのに、俺に怒らないのか?」
「えっ、その約束、ものすごく重い扱いされてる? 怒ってないよ。ちょっとがっかりはしたけどさ。用事があって無理なら、先に言ってくれたら、延期するから」
修太は困った顔をしている。とりあえずグレイは立ち上がった。
「それなら、どうしてここで待っていた」
「家族を心配するのは悪いことなのか? 顔を見たら安心できそうだったから、俺が勝手に待ってただけだよ」
すると、トリトラが横から口を挟んだ。
「そうは言ってるけど、シューターは朝から誕生日祝いを楽しみにしてたよ」
「トリトラ、余計なことを言うなって!」
修太がすかさず文句を言ったが、トリトラはつんとそっぽを向いた。トリトラがグレイに当てつけているのは間違いない。
「父さん、家族になる時、確かに約束したけどな。そもそも俺は、自由な黒狼族を縛りつけるつもりはないんだ。これが負担になるなら、やめても構わない」
「この程度、負担でもなんでもない。今回は調査に集中しすぎた。次はそんなへまはしないと誓う」
「……うん。そうしてくれるならうれしいけど」
「なんだ?」
「俺はグレイが健康で長生きしてくれたら、それが一番だよ。そちらの約束は覚えておいて」
胸にグサグサと突き刺さるものがあり、グレイはうめいた。
下手に責められるより、よほど威力がある。自然と反省をうながされた。
「……努力する」
「うん」
「その……遅れたが。シューター、誕生日おめでとう」
グレイがしぼりだすように祝いの言葉を口にすると、修太はきょとんと瞬きをしてから、照れくさそうに笑った。
「ありがとう!」
今後は絶対に忘れないようにしようと、グレイは心に固く誓った。恐らくこののしかかるような圧迫感は、罪悪感というやつだ。ものすごく嫌な気持ちになる。
「シューター、すまない。言い訳ではないが、俺が何を調べているかについて話をしてもいいか」
修太はグレイの仕事に口出ししないが、今回はグレイから打ち明けることにした。グレイにとっては仲間のほうが大事なのに、今の状況では、それより重要視しているものがあると誤解されかねない。
「え? いいのか?」
「ああ。とりあえず……茶でも用意する。そこにいろ」
「分かった」
修太は寝間着の上に、羊毛のショールをかけている。しかし、居間の空気は冷えきっていた。砂漠の寒さに比べればなんてことはないが、黒狼族に比べればずっと弱い青年には、温かい飲み物でも与えたほうがいいという判断だ。
「師匠、僕も聞いていいですよね」
「……好きにしろ」
一部始終を見ていたトリトラは、にやにやと笑っている。今回ばかりはグレイが悪いので、弟子の生意気な態度は不問にした。




