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「お前は馬鹿か」
夕方、医務室に駆け付けたグレイは医師から事情を聞くや、一言、冷たく言い放った。呆れも含まれている。
「申し訳ございませんでした」
医務室のベッドで寝たまま、修太は弱弱しく謝る。
「でも、言い訳させてもらうと」
「……聞こう」
傍らの椅子に座り、グレイはじろりと修太を見下ろす。琥珀の目は不機嫌そのもので、ひどくおっかない。
「魔法を使うつもりはなかったんだ。まさか魔力酔いを『鎮静』しちまうとは思わなくて」
「俺が馬鹿だと言ったのは」
グレイの眉が寄り、目に見えて分かるほどの苛立ちが表情にあらわれる。普段が無表情なので、ギャップがものすごく怖い。
「事件に首を突っ込むなと言ったのに、自分から飛びこんでいったことだ。しかも、階段から突き落とされたってのはどういうことだ」
そこまで話したのかと、修太は焦って医師を探す。目が合った医師の男は、にこりと微笑んだ。
(ああ、説教されろっていう目だ……)
この医師は優しいけれど、容赦がない。修太は諦めた。布団を鼻まで被って、もごもごと言う。
「だって啓介やフランが頑張ってるから、俺も何かしたくて」
「それでお前がそんなざまじゃ、あいつらは喜ばねえと思うがな」
「……ごもっともです」
さすがはグレイだ。弟子を四人育てただけあって、痛いところを的確に突いてくる。修太は反省を余儀なくされた。
「ええと、階段から落ちたほうは、クラスにいる黒狼族がたまたま居合わせて助けてくれたよ」
恐らくレコンも図書室に用事があったのだろう。でなければ、教科ごとの授業準備係が配置されたので、準備室に教材を取りに来たのかもしれない。どちらにせよ、ついていた。
グレイは深々と溜息をつき、うなるように言う。
「お前、こんなことが続くようなら、学校なんて辞めさせるからな」
「そ、それは待って! うっ」
慌てて起き上がったところで、胸に痛みが走って、修太は動きを止める。医師が慌ててすっ飛んできて、修太をベッドに寝かせる。
「こらこら、まだ寝てなさい。君の場合、魔法の無理な使用の反動で、心臓に負担がかかっているんだ。無茶をすると死ぬぞ」
「魔法を使わなければ大丈夫だって、他の医者から聞いてましたけど」
「ああ。だが、君は魔法を使ったからこうなっている」
「……すみません」
そうでした。
修太はしゅんとなって、細く息を吐く。あれからもう四時間は経つはずなのに、相変わらず息苦しくてしんどい。体全体に疲労を覚えている。
医師はグレイに話しかける。
「今日は医務室に泊めますよ。もう少し落ち着いてからでないと、移動が負担になります。どうします? あなたの宿泊許可をとりましょうか」
医師の問いに、グレイは頷いた。
「そうする。必要なものは?」
「この子の着替えやあなたがたの食事などですな。あいにくと学園の食堂は、昼食時しか使えませんので」
「それならいったん帰宅して、準備してくる。こいつを頼む」
「ええ、もちろんです」
初老の医師は、丁寧に返す。グレイはもう一度溜息をつき、修太の額を軽く指でつついてから、医務室を出て行った。呆れてはいるものの、許してくれたようだ。
だが、言葉が少ないだけにグレイの怒りの度合いが知れるので、修太は戦々恐々としている。彼がここまで分かりやすく、態度に出すことは滅多とないだけに、ひやひやする。扉を閉める音にすら、苛立ちが感じられた。
(学校に通うのだって、最初は反対されたのを説得したっていうのに。俺の馬鹿……)
修太はすっかりしょげている。
グレイが怒るのは、心配してくれているからだ。黒狼族は頑丈だから、ただでさえ人間は弱く見えるらしいのに、修太はその中でもひ弱ときた。
以前、彼が修太のことを、まるで卵の殻みたいだと、ぽつりと零していたのを思い出す。力加減を間違えると、卵の殻は、あっさりともろく砕けてしまう。エレイスガイアでは圧倒的に強者なだけに、グレイには修太はそれくらいはらはらする生き物に見える……らしい。
「先生に来ていただけて良かったわ。ありがとうございます」
常勤の治療師である三十代くらいの女が、医師に礼を言う。どうも彼は、学園と契約している非常勤の医師らしい。
「あとは君が、たまに治療の魔法をかけてあげてくれ。もう少し落ち着くまではいるけど、明日の朝、また来るからね。くれぐれも無茶をしないように」
「はい……」
医師が釘を刺すので、修太は頷きを返した。
それからしばらくして、グレイが鞄に荷物を詰め込んで戻ってきた。
治療師が「隣の宿直室にいるから何かあれば呼ぶように」と言って出て行くと、修太はグレイと医務室に二人きりになった。空いているベッドを使っていいと言われていたが、グレイは寝るそぶりもなく、ベッド脇の椅子に座り、壁に背を預けている。
「なあ、養子なんて面倒くさいって思ってる?」
いい加減、沈黙が重すぎて嫌になり、修太は恐る恐る声をかける。グレイはじっとこちらを見た。今は感情が見えない。
「養子がどうした。他人はどいつも面倒だ」
なんともグレイらしい、辛口のきいた返事を聞いて、修太はなぜかほっとした。返事があるだけありがたい。
「解消したくなった?」
「そのつもりなら、ここにいると思うか?」
「うっ、すみません……」
修太は再び掛け布の中に潜りこんだ。地雷を踏んだ気がする。再びグレイのほうを見ると、彼は窓の外に視線を向けていた。
「お前は分かっていない。俺もお前も、いつ死ぬか分からねえ。昨日元気だった奴が、今日、思いがけないことで死ぬ。世の中、そんなもんだ」
淡々と話すことに、修太は耳を澄ます。
「事故かもしれない、賊に殺されるかもしれない。はたまた、落ちてきた瓦が直撃するかも。いちいち気にしていたら生きてられねえが、そんな偶然はごろごろしてる」
「……うん」
「お前は体が弱い。魔法を使いすぎれば発作が起きる。〈黒〉だから敵もいる。だが、これらはすでに分かっていることだ。予測できる危険は、自分で回避すべきだとは思わないか」
グレイに静かに問われ、修太はうなだれた。
「本当にすみませんでした。気を付けます」
「謝るな。お前が自分の行動をわきまえて、それでいいと考えたなら、その結果はお前の責任だ。俺は軽率さには腹が立つが、この感情も俺のもので、お前の問題じゃない」
割り切った線引きには、冷たさすら感じる。
「でも、心配をかけたなら謝るべきだ。ごめん」
修太が再び謝ると、グレイの空気がふっと緩んだ。
「お前といると飽きん。感情なんざ分からなかったが……、こいつは面倒だが悪くはねえな」
これで本当に許してくれたようで、グレイは修太の頭をぐしゃぐしゃと掻き回すと、一言付け足す。
「もう寝ろ」
「……うん。おやすみ、父さん」
修太もようやく安堵して、ほっと息をつき、目を閉じる。
体がしんどいのもあり、あっという間に眠りに落ちた。
その日は医務室で過ごし、翌朝、もう一度診察を受けてから帰宅した。
卵の殻うんぬんは、そのうち本編で言わせる予定……。ここでネタバレになってるけど。




