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相変わらず失礼な奴だと、イスヴァンに憤慨しながら、修太は帰宅した。
すでに夜に足を踏み入れる時間だというのに、まだニミエが屋敷にいたので驚いた。
「あれ、ニミエさん。こんなに遅くまでどうしたんだ? もしかして、商人ギルドに頼んだ支払いが上手くいってなかったとか?」
ちょうど給料の支払い日が近かったこともあり、修太は心配になった。ニミエは気まずそうに頭を下げる。
「申し訳ありません、ツカーラ様。今日は孫が暑気あたりを起こしてしまい、傍についていたんです。掃除だけ済ませておきました。お洗濯はできなかったので、明日まいりますわ」
「暑気あたり? お孫さん、大丈夫だったの?」
ニミエは縮こまって、青ざめている。そんなに孫の体調が思わしくなかったのだろうか。
「怒っていないんですか? 連絡もせずに、仕事に遅れましたのに……」
「体調不良ならしかたないだろ。明日してくれるんなら、それでいいよ」
「ありがとうございます。できるだけこんなことがないようにしますので」
ニミエが言うには、仕事に出かけようとしたら、孫の一人が家を訪ねてきて、妹の様子がおかしいと泣いていたらしい。孫の両親は共働きで、今日はたまたま子どもの世話をしてくれる者に用事があって休んでしまい、いくらか年上の子どもに任せて出かけてしまったそうだ。
「ええっ、年上といっても、お孫さんって七歳と五歳でしたよね?」
「そうなんです。時間に余裕があれば、聖堂に預けていたのでしょうけど……。せめて私に相談してくれれば、聖堂に連れていったのに」
結局、五歳の孫娘が体調不良のために聖堂に預けるわけにもいかず、親が戻るまで、ニミエが面倒を見ていたのだそうだ。
「お孫さんの様子は?」
「お水を飲ませて、体をふいてあげながら、扇子であおいであげていたら、そのうち良くなりました」
「熱中症だなあ。冷やしてあげたのが良かったんだろうな。俺の故郷は夏の暑さで倒れる人がいるから、予防に飲んでるドリンクがあるんだ。水差し一杯の水に、塩と砂糖をさじで一杯ずつ入れて、柑橘系の果物をしぼって入れておくんだ。それをよくかき混ぜて飲むといいよ」
「まあ、そんな飲み物があるんですね。簡単ですし、飲ませてみます。薬草に詳しいだけあって、物知りでいらっしゃるのね」
ニミエは尊敬をこめて、修太を見つめる。
「脱水症状が出ている時も効くらしいけど、寝ている時や気絶している時は、窒息するから飲ませたら駄目だよ。ちゃんと自分で飲める状態の時だけ。これは守ってくれ」
「分かりました」
「お孫さんはニミエさんがいてくれて、とてもうれしかっただろうな。仕事も大事だけど、命のほうがずっと重要だから、そういう時は遠慮なく休んでいいから。仕事なんて、後で調整すればいいだけだ」
「寛大さに感謝します。どんな理由があっても、厳しい方は解雇しますもの」
修太は目を丸くした。
「ええっ、そんなに厳しいの?」
「使用人というのは、替えがきく仕事ですから」
ニミエは困り顔をした。そんなものだとあきらめているようだった。
「とりあえず、何かあったら相談してくれ。休暇を取りたい時も教えてくれよ。臨時の代理を探さなきゃいけないから」
「臨時ですか?」
「ニミエさんみたいな信頼できる人に来てほしいんだ。よほどのことでもない限り、こっちから解雇することはないと思うよ」
「まあ」
ニミエは目をうるませて、ハンカチで目元をぬぐう。
「そんなうれしいこと、初めて言われました。明日もよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をすると、ニミエは暗い中を帰っていこうとする。さすがに心配なので、修太は足元にいるコウに言い聞かせる。
「コウ、ニミエさんを送ってやって。家に着いたら戻ってきていいから」
「オンッ」
コウは良い子の返事をして、ニミエの傍にすっと寄り添った。
「まあ、私一人でも大丈夫ですよ?」
「コウは番犬として優秀だから、連れていって。賢いから、俺の言うことは分かってる。家についたら帰るように言えばいい」
「そうなんですか? よろしくね、コウ」
「それじゃあ、気を付けて」
玄関先でニミエとコウを見送ると、いったん玄関の鍵をかける。
コウが帰宅したら、玄関の前で吠えて知らせるだろう。
翌日は、修太が学校に行く前の早朝に、ニミエがやって来た。
「お食事中に失礼します。ツカーラ様、昨日はありがとうございました。お洗濯を済ませたら、いったん他の仕事に行って、終わったらまた戻ってまいりますね。お洗濯ものの取りこみまでしますから」
「取りこむくらい、俺でもできるよ」
「いいえ! 昨日、無断で遅刻したのですもの。これくらいはさせてください」
さすが、商人ギルドで信頼度が高い家政婦だけあって、ニミエは真面目だ。
「そこまで言うなら、お願いします」
ニミエの押しに負け、修太は頷いた。修太から話を聞いていたグレイは、ニミエに話しかける。
「おい、ガキが倒れたんなら、そっちのほうを優先すべきだ。お前の判断は正しい。後始末もすると言うんなら、こちらが言うことは何もない。だが、お前まで倒れられると困る。無理はするな」
「父さんが優しいことを言ってる!」
「なんだ? 危機管理の話だろ?」
「それ、冒険者的な判断なの?」
やっぱりグレイとは、ときどき噛み合わない。
それでも、ニミエはうれしそうにお辞儀をした。
「旦那様もありがとうございます」
そこで思い出したのか、ニミエは修太に質問する。
「そういえば、ツカーラ様。昨日おっしゃっていた、暑気あたり予防の飲み物ですけど、不思議なことがあったんです」
「何?」
「暑気あたりで倒れた子はおいしいと言って、兄のほうがまずい、と。私はおいしいと思ったんですけど、後で飲んだらまずかったんですよ」
どうしてそんなことになるのかと、ニミエは単純に疑問を抱いたようである。
「ああ、それはそうだ。薬もそうだけど、体調が悪い時に飲むとおいしく感じるんだよ。体が必要なものを分かっているってこと」
「では、私も暑気あたりになりかけていたってことですか?」
「そうじゃないか? 慣れていても、暑さにまいることはあるよ。おいしいと思ったら、コップ一杯は飲んでおいたほうがいい」
「なるほど。そういたしますわ。やっぱりツカーラ様は賢者様なんですねえ。こちらのお屋敷にお仕えできて、光栄です」
「は?」
ニミエは感激した様子で、セーセレティーの民らしくお祈りをしてから、洗濯の仕事に向かった。
「なんで今、拝まれたんだ?」
修太は目を白黒させ、食卓に集まっているグレイやトリトラ、バルに向けて問う。
「役立つことを教えてくれたから、感動したんじゃない? さっすが賢者様~」
ヒュウと口笛を吹いて、トリトラはにやにやする。グレイがぼそりと言う。
「お前はそうやって、自然と年配に好かれるよな」
「そう? うちは祖父母に縁がなかったから、年配の人に好かれるとうれしいよ」
ああいった良い人ならば、なおのことうれしい。
すると、トリトラが修太の頭をわしゃっとかき回す。
「よしよし」
「おいっ、なんで頭をなでたんだ、トリトラ!」
相変わらず、トリトラは手加減が下手だ。首に痛みを覚えた修太は、慌ててトリトラから距離をとる。
「良い子だなあと思って」
「子ども扱いすんな!」
「残念でした、弟分扱いです~」
「なんで俺が負けたみたいになってんの? ムカつくなあ」
トリトラのどや顔に、修太は眉を寄せた。
「そういえばお前、あの家政婦にもおすそ分けするんだろ?」
「ああ、そうだった。ニミエさん」
ニミエは風呂場で洗濯物をしているから、修太はそちらに顔を出す。荷物の整理をしていて、不要な手芸品が出てきたことを説明し、居間のローテーブルに連れて行く。
「あそこの木箱に入れているのは、全部持って帰っていいよ。洗濯物を取りこむ時についでに持ってって。いらないものがあったら、テーブルに置いておいてくれたらいいから」
「まあっ、無断で遅刻したことを許していただいただけでなく、お裾分けまで?」
「それとこれとは別だよ。孤児院や知り合いにも配ってるから、気にしないで。旅していた時の、モンスターのドロップ品なんだ」
実際はモンスターからもらったものだが、彼らが闇に還る際に残していったものだから、ドロップ品であることに変わりはない。
「こんなに綺麗な布をドロップするのですか?」
一番上に積まれた柄入りの綿布を見て、ニミエは目を丸くしている。
「面白いよな。全部持って帰って、いらないものは知り合いに分けてもいいし。この箱の分は好きにしてくれ」
「分かりました。ありがとうございます、ツカーラ様」
深々と腰を折り、ニミエは丁重に礼を言う。
「それじゃあ、俺は学校に行くから、これで」
「はい、失礼します」
ニミエは洗濯の続きに戻り、修太は残っている食事をかきこんでから、ばたばたと二階に上がった。
十七話、のんびり日常回になります。起承転結がないと思う。




