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今日も試験勉強を終え、おやつを食べてから解散になった。
「紫の曜日なのに、フィルの家に遊びに行っていいの?」
「うん。今日は治療院もお休みだし、家族がお肉のお礼をしたいって、お菓子を焼いて待ってくれてるから、気にしないで来てよ」
「お菓子? 楽しみだな」
修太はコウを連れ、フィルについていくことにした。レコンとは家の前で別れ、アジャンやソロンとは、フィルの家の前で別れる。
フィルの家は大通りにある治療院の裏側だ。
立地の良い場所に治療院を構えているだけあって、瀟洒なお屋敷という雰囲気である。貴族の屋敷には及ばないが、庶民としては裕福なほうだろう。
コウには門前で待つように言い、玄関先で手を洗ってから、フィルの家に入る。
二階へ続く階段がある、小さな玄関ホールを奥に進むと、台所が土間にあり、一段高くなっている所に食堂があった。ソファーがテーブルを囲んでおり、フィルの家族が集まってゆったりと過ごしている。
「みんな、シューターを連れてきたよ」
「お邪魔します。シューター・ツカーラです」
修太があいさつすると、フィルによく似た優しそうな男が、椅子を立つ。
「こんにちは。君がツカーラ君かい? この間はヤミシシの肉をありがとう。家族でおいしくいただいたよ」
「あ、はい、あれは父さんからの、えーと、牽制みたいなものなので……」
そんなに喜ばれると、ちょっと気まずい。
思わず目をそらす修太の様子を笑い、フィルが教える。
「そのことは話してあるよ」
男は苦笑した。
「牽制なんてしなくても、賊狩り殿を敵視したりしないさ。怖い人だが、私も世話になったことがあるからねえ」
「……父さんが、世話?」
信じられないことが聞こえて、修太は思わず聞き返す。すると、穏やかな空気の女性がソファーを示す。
「まあまあ、立ち話もなんですから、こちらにお座りなさいな。フィル、お茶を淹れてね。母さんはお菓子を用意するわ」
「はい」
品の良い女性がフィルに声をかけ、フィルは素直に言うことを聞く。
「あ、ケーキを持ってきたんで、召し上がってください」
「ヤミシシの肉をいただいたのに、これ以上は過剰だわ」
「先にこっちを用意していて、父さんがイレギュラー対応をしたんですよ。アジャンの家にも置いてきたんで、気にしないでください。友達間に差別すると、後々面倒くさいから、俺の為と思って」
「まあ、あなたの言うことも分かるわ。では、ありがたくいただきますわね」
近所付き合いの気配りは理解できたようで、フィルの母親は困ったように微笑んだものの、修太が差し出した木箱を受け取った。
フィルの父はルオリス、母はフィリナ、それから奥の椅子にいる吊り目の綺麗な女性が姉のルナだそうだ。修太がルオリスの隣に座ると、ルナの隣にいた年配の女性と目が合った。
「さっきのケーキも一緒に食べようか。そちらは私の妹で、ミリエラというんだよ。君に会いたいと言うから、一緒に待っていたんだ」
「え? 知り合いでしたっけ」
修太がミリエラを思い出そうと努力していると、ミリエラがひどく申し訳なさそうに眉を寄せて謝った。
「あの時は、ごめんなさいねえええ」
「うわっ、何!?」
突然、ミリエラが涙目になるので、修太はあたふたする。ルオリスが事情を話す。
「薬師ギルドの前で、馬車の事故があっただろう? あの時、賊狩り殿の弟子の方を治療したのが妹でね。あの後、君が誘拐されたと聞いて、ずっと謝りたかったんだそうだ」
「ああ、あの時の親切な治療師さん! トリトラを助けてくれてありがとうございました。むしろお礼も言わなくてすみません」
顔はまったく覚えていないが、女性だったことだけ頭の片隅にある。ミリエラは首を振る。
「あの時、あなたも連れて帰れば良かったわ! でも謝りに行ったら、傷を掘り返しそうだし、遠慮していたの」
「いやいや、あれはあいつらに邪魔されたら、トリトラが死ぬかもしれないと思って、わざとそう仕向けたんですよ。あなたは気にしなくていいことです」
「分かっていて残ったの? どんだけ男気があるのよ、そんなに小さいのに!」
「小さくはないんで!」
思わず声に力を入れてしまい、フィルが噴き出した。
「ちょっと、どれだけ気にしてるんだよ。お茶をこぼすだろう?」
「それは俺のせいじゃない」
フィルが笑っているせいだ。
「はい、お茶をどうぞ。うちの薬草茶もおいしいよ」
「ありがとう。良いにおいだなあ。へえ、魔力回復系なんだな。この組み合わせもいいなあ」
「……まさかにおいで分かるの?」
「全部は分からないよ。マロネの実のにおいは分かりやすいからさ」
一口飲むと、爽やかな味が広がった。
「おお、さっぱりする」
「試しに、何が入ってるか分かる?」
「え? そうだなあ」
六種類ばかり適当にあげると、フィルの顔が引きつった。
「何が全部は分からないだよ、当ててるじゃないか」
「え、正解? 俺って味にうるさいからさあ」
「大食いなだけはあるね。まったくもう、サランジュリエの賢者なんて呼ばれるだけはあるよ」
「その恥ずかしい呼び名を口にするのはやめてくれ!」
修太は抗議したが、クレイン家の皆は納得という顔をして頷くだけだった。
「ミリエラさん、本当に気にしないでくださいね。悪いのは悪い奴で、あなたは仕事をしただけでしょう? おかげで、トリトラを人質にとられずに済んだので、あの時は本当に助かりました。でなかったら、あいつの契約書にサインしてましたよ」
「前任のギルマスがあんな悪党だったなんて、気づかなかったわ。あいつ、外面は良かったから。職務上、クズはいろいろと見てきたけど、あれにはゾッとしたわよ。人間が一番怖いわ」
「治療師ギルドって、そんなに人間の闇を見るものなんです?」
「そりゃあねえ。冒険者や衛兵の怪我ならよくあるけど、民間人になると、事故やら事件やらいろいろあるから。入院となると、家族問題も見えるもの」
ミリエラの話を、ルオリスがせき払いでさえぎる。
「ごほん! ミリエラ、暗い話はそこまでにしよう。おいしい食べ物がまずくなってしまう」
「それもそうね、兄さん」
これで事件のことは終わりにして、修太はおやつをごちそうになる。
フィリナが焼いてくれたクッキーは手の平ほどの大きさで、ナッツが入っている。しっとりしている生地に、ナッツの香ばしさが絶妙だ。
「このナッツ入りクッキー、絶品ですね! おいしすぎる」
「ありがとう。包んでいるから、持って帰ってね」
「ありがとうございます!」
フィリナはころころと笑い、修太の前に大きな葉で包んだクッキーを置いた。
「そういえば、おじさん。さっき父さんが世話をしたと言ってましたけど、何かあったんですか?」
修太が思い出して問うと、ルオリスはお茶のカップをテーブルに置く。
「ああ、あれかい? 私はたまにダンジョンに治療師として付き添うことがあってね。そこまで上には行かないんだけど、上の階に転移させられる罠に引っかかってしまって。そこが安全部屋だったから良いけど、外に出られなくなったんで、救援依頼を出したんだよ」
「ああ、救援ですか」
「サランジュリエで、賊狩り殿のお世話になった人はちらほらいるよ。モンスターに殺される前に、あの人に殺されるんじゃないかと怖くはなったけど、ちゃんと連れ帰ってくれたから感謝してる」
「はは。誉め言葉とセットで怖いが出てくるのがさすがだ」
修太がぼそりとつぶやくと、隣でお茶を飲んでいたフィルがせき込んだ。
「も、もうっ、笑わせるのはやめてよ」
「本当のことだろ」
「あはははは」
何かがフィルのツボに入ったらしく、フィルはお腹を押さえて笑い出した。
「しかし、彼の養子と息子が友人って不思議な感じだなあ。パパ友になるのか……」
「ふはっ。父さんまでやめてよね!」
今度は、ルオリスの独り言が、フィルを刺激したらしい。
「ちょっと参観日が楽しみなような、怖いようなだよねえ」
「参観日ですか?」
こちらの世界にも、そんな行事があるのか。
口元をぬぐったフィルは、呆れた目を向ける。
「シューターってば、学園のパンフレットに書いてあったでしょ。年間行事について。学園祭のことだよ。収穫祭くらいだからまだ先だけど、中間テストが終わったら、準備が始まると思う。姉さんの時がそうだったよね」
静かに座っている姉のほうを見て、フィルが確認する。ルナは頷いた。
「ええ、そうよ」
「へえ。フィル、学園祭って何があるんだ?」
「授業参観がメインだね。座学もあるけど、特に注目されるのは対抗戦だよ。戦闘学の成果を示すってことで、学年ごとに個人戦があるんだ。それがこの町じゃ、お祭りみたいになってるんだよ」
「なるほどなあ。それって優勝すると良いことがあるのか?」
修太が関心を示すので、フィルが熱を入れて話す。
「そりゃあもちろん! 上位十人まで、授業料が一ヶ月分免除される特典があるし、騎士科なら卒業後に騎士団への推薦枠を手に入れられるチャンスだよ」
「冒険者科は?」
「上位三人まで、武器か防具がもらえるんだ」
「すごいな、太っ腹じゃないか」
さすがに学校行事で景品が出るとは、驚きだ。授業料が一ヶ月分免除されるだけでもすごいのに。
「他にはね、外部から商人を入れて、屋台も出るし、フリーマーケットもあるよ。対抗戦の後は後夜祭があって、ダンスパーティーが開かれるんだ。楽器の持ち込みもできるから、みんなで騒いで楽しむんだって」
「なるほどな」
その時は楽器を選ぼうと、修太は心の中で決意した。音痴に、ダンスのステップが踏めるわけがない。
「運営資金ってどうなってんの? スポンサーがいるとか?」
「学園祭はチケットさえ買えば、外部の人でも出入り自由なんだよ。お小遣いで買うには高いから、僕は行ったことないけどね」
「チケット代で運営してるのか。商売上手だな……」
学校行事でも、慈善事業ではないらしい。
「ダンジョン都市といっても、個人戦なんて見られないから、サランジュリエでは、一年の行事の中でも、特に大きな娯楽になってるんだよ。騎士団がある場所なら模擬戦が見られるらしいけど……。あとは王宮での御前試合くらいじゃないかな? 高級チケットを買えば、平民でも観戦できるって話だよ」
「へえ、レステファルテの日祭りを思い出すなあ」
御前試合はあの雰囲気だろうか。
修太が思い出していると、ルオリスが説明を付け足す。
「サランジュリエだと、パーティ・メンバー候補探しに、冒険者が見に来るんだよ。よそのダンジョン都市からも、大規模派閥が様子見に来たりしてね。サランジュリエの冒険者ギルドは、派閥は少ないんだけど、王都には大規模なものがあるんだ。個人主義の冒険者だけど、大規模派閥に入ると安定して成長できるし、大規模派閥も戦力を手に入れられるから、どちらもメリットがあるんだよね」
「おじさん、大規模派閥ってなんですか?」
「あれ、冒険者ギルドで聞いてない? パーティの人数が大きくなった集団のことだよ。そういう所はお金があるから、後輩を育てることもあるんだ。サランジュリエにある派閥は、護衛専門と死体や遺品の回収屋だから、冒険者の中でも特殊職みたいなものだね」
そういえば、ダンジョン研究者がダンジョンで調査したがることがあり、護衛を専門にしている冒険者パーティにしか頼まないという話を聞いたことがある。死体を回収する人のことも、小耳に挟んだことがあった。
確かに、組織的に後輩を育てないと厳しそうな仕事だ。
「気づかなかったなあ」
「まあ、派閥の事務所は別にあるから、冒険者ギルド内だとパーティで動いているしね。見た目は他の冒険者と変わらないと思うよ」
冒険者にもいろいろとあるんだなあと、まだ知らないことがあるのに修太は驚いた。
「シューターが分からないのも当然じゃないかな。黒狼族は協調性がないから」
「ははっ、確かに。集団行動が嫌いだもんなあ」
「でも、お父さんやお弟子さんと一緒に旅をしてたんでしょ?」
「そうだな、仲間十人くらいで動いてたかな? あいつらは自由だから放ってたよ」
修太の答えに、ルオリスが驚きを見せる。
「十人! そんなに?」
「黒狼族がそのうち三人だったんですよね。仲間でも、俺か幼馴染のケイを中心にしてるかって感じで、行動する時は二つに分かれていた感じです」
啓介達が黒狼族達にいつまでたっても仲間扱いされていないのを思い出して、修太はしょっぱい気分になった。もう少し優しくすればいいのに……。
「えー、シューターとお友達が中心にいたの?」
「うん、まあ、俺と幼馴染が旅してるところに、仲間が増えてった感じだからな。ケイは明るくて誰とでも仲良くなるタイプで、俺はこの通り静かにしてるから、性格が正反対すぎてな。なんだろうなあ、仲間内で仲が悪い人もいるけど、信頼はしてるっていう感じだったな。父さんとササラさんなんて、犬猿の仲だし」
「えー、一緒に旅してるのに、仲が悪いなんてぎすぎすしない?」
フィルが興味津々で問うので、修太は首を傾げる。
「ぎすぎすはしてないよ。たまにぴりっとはしてたかな。仲が悪くても、俺はどっちも好きだしさ。仲良くしなくていいから、そこにいるのを尊重してほしいって話してたよ。それから一方の味方にはならないって言っておいた」
「若いのに達観してるわね」
ミリエラが感想を呟く。
「シューターってときどき占い師のおじいちゃんみたいだよね」
「なんでみんなして俺を老人扱いするんだよ!」
フィルの言葉に、修太はすぐに言い返した。




