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数日後。
リックの予想通り、ジルフォイはグレイを訴えなかったが、代わりに市長にクレームを入れた。事業への支援を打ち切ると言い出したようで、怒った市長が冒険者ギルドに乗り込んできた。
「ジルフォイ氏を笑いものにしたというのは本当か! この都市の運営にも影響が出る。どう責任を取るつもりなんだ」
市長は背が高く、がっしりした体躯をしている。そんな男がすごむとなかなかに迫力があったが、この程度のおどしは、このハイレベルのダンジョンに挑むような冒険者には通用しない。
突然現れて、マスターを呼べと怒鳴る市長の登場に、待合室にいた冒険者達は殺気立った。冷ややかな視線に、息巻いていた市長もさすがに身の危険を覚えたようで、いくらか落ち着きを取り戻す。
そこへ、ダコンが悠々とした足取りで階段を下りてきた。片手を上げ、にかりと笑ってあいさつする。
「おう、市長さんじゃないか。だから言っただろ、うちを観光ツアーになんて組み込むのは無理だって。騎士団みたいに、お行儀の良い連中じゃないんでね」
事前に言っただろうと、気にせずに返すダコンに、市長は言い返す。
「だが、モンスターに宙吊りにさせたというではないか!」
「あんた、ジルフォイって野郎の言い分だけを聞いたんだろ」
ダコンは冷静に答え、図星だった市長が黙り込んだ隙に、話を続ける。
「あの野郎は、ツアー中の最初から最後まで態度が悪かった。それに加え、わざわざ職場で、うちの職員を笑いものにしたんだ。ついでに言うと、それを止めた職員の友人が、あいつに杖で殴られそうになった。……というのは聞いてないだろう?」
「まさか! あの礼儀正しいジルフォイ氏が? 嘘をつくな」
市長が言い返すので、ダコンは受付にいるリックのほうを見た。リックは肩をすくめる。どうやらジルフォイは、権力者の前では猫をかぶっているらしい。
こちらの言い分より、市長は自分の考えを押し通すことに決めたようだ。
「とにかく、だ。ジルフォイ氏は、支援を打ち切らせたくなかったら、罠にかけた冒険者を連れてきて、土下座させろと言っているんだ。責任は取ってもらうぞ!」
唾を飛ばしながら市長が怒鳴りつけると、待合室がざわついた。
「お、おい、あいつ、本気で言ってんのか?」
「うわぁ、誰のことか分かってねえだろ」
「どうなるか、見ものだな」
冒険者達がひそひそと言い合う中、待合室の端にひっそりといたグレイが音もなく立ち上がった。
「面白い。お前が、俺を土下座させるって?」
グレイは無表情のせいで、リックには何を考えているか分からないが、言葉通り、声には楽しげな響きがある。狼が獲物をどう仕留めようか算段しているような、そんな方向で。
(市長に、幸運を!)
リックだけでなく、冒険者達も無意識に両手を合わせて祈りのポーズをとった。
グレイが目の前に立ったので、市長の顔が分かりやすく引きつる。
「え、お、お前は……!」
一瞬ひるんだが、市長は果敢にも立ち向かった。
「貴様のせいで、都市の運営に支障をきたしているんだぞ! 一緒に来て、謝ってもらおうか!」
すると、グレイはくつくつと笑い出した。
「何がおかしい!」
顔を赤くして怒鳴りつける市長に、グレイはおおげさに肩をすくめてみせる。
「お前の言い分が、あまりに馬鹿すぎてな。俺は何も悪いことはしてねえのに、どうして謝るんだ?」
いや、何もということはないだろう。
リックは心の中でツッコミを入れる。きっと周りもそう思っただろうが、グレイが怖いので口を閉ざしている。
「経緯を聞いていないのか。しかたねえな。飲み込みの悪いその頭にも分かるように、丁寧に教えてやるから、じっくり聞けよ」
グレイは上から目線でそう言って、わがままな子どもをなだめるみたいに、馬鹿丁寧に説明する。
市長は怒りに震えているが、グレイのハルバートが気になるようで、ちらっとそちらを見て、大人しく話を聞いた。
「冒険者ギルドにツアー客が来るのは迷惑だし、ダンジョンに入れれば、ああいったことも起こりうる。お前は利益のために、客の命をわざわざ危険にさらしたいと言っているわけだ」
そして、グレイはわずかに首をかしげる。
「お前にとっては大事な客のはずなのに、どうしてそんな真似をするんだ? 馬鹿すぎて理解できん」
「ダンジョンに入れる必要は……」
「今回のように、権力をかさに来て、意見を押し通すやからもいるのに? 毎回、お前がここに来て止めるなら構わんがな。そうなると、市長の仕事っていうのは、ずいぶん暇みたいだ」
「どうして私が? そこからは、冒険者ギルドの仕事だろう」
「問題は、そこだ」
グレイの口端が吊り上る。まるで罠にかかったと言いたげだ。
「こちらに仕事を押し付けて、お前は自分で仕事をしたくないってことだろ。お前の提案なのに、他人事とはどういうことだ。お前がしたいなら、お前自身が働くべきだ。――そうじゃないか?」
グレイがダコンを見て、それから周りの冒険者達を見回した。
ダコンはもちろん、冒険者達はわっと拍手する。
(市長がどれだけ弁がたとうと、黒狼族相手に、ごまかしは通用しない。説得したいなら、最悪の相手だな)
リックも歓声を上げ、グレイを応援する。
おっかない御仁だが、こういう時は頼りになる人だ。
「う。そ、それは……」
痛いところを突かれ、市長が言いよどむ。
グレイは本当に不思議そうに、市長を眺める。
「まさかここまで言っても、無理だと理解できないのか? そんなに身をもって分かりたいなら、俺が教えてやるよ。ついてこい」
「……え?」
かちんと固まる市長だが、そこにダコンが追撃をしかけた。
「ほら、お前達、お客さんをダンジョンに案内してさしあげろ。あの書類も忘れんなよ」
「お、おい、待て、ダコン!」
慌てだした市長の前に、女性職員がにっこり笑顔で、自己責任の書類を持ってくる。そして、リックと同僚の男は腕まくりをして、市長の両脇をガシッと固めた。
「はい、こちらにサインお願いします~。一名様、ご案内お願いしますね~!」
ほとんど無理やりサインをさせ、女性職員は奥の通路を示す。リックは市長の右腕をつかみ、市長を誘導する。
「さあ、行きましょうか、市長」
「ダンジョンは楽しいですよ~。命がけで、スリルと背中合わせ。最高ですよね」
普段は大人しい同僚は、こめかみに青筋を立て、左腕をつかんだ。
「お、おい、待て! やめろ! これは犯罪だぁぁぁぁ!」
市長の悲鳴は、冒険者達の連携により無視された。
そして、ジルフォイと同じように、モンスターに宙吊りにされた市長は半鐘ほど暴れていたが、最終的に諦めて、ツアーから冒険者ギルドを外すことを受け入れた。
グレイを土下座させるなんて真似はもちろん不可能で、むしろグレイの顔を見るとおびえて逃げ出してしまった。
「っていう感じで、一件落着?」
後日、リックは土産を手にして、修太宅をたずねた。結果を教えると、修太は黒い目をきょとんとさせ、首をかしげる。
「落着してるのか……?」
「俺達を敵に回したらどれだけ怖いか、身に染みて分かったみたいだから、いいんじゃないか?」
「そういうとこは、お前も悪い奴だな」
誰と比較しての言葉なのかは、簡単に分かる。
「いやあ、シューターの親父さんにはかなわないよ」
リックが笑うと、修太も苦笑した。反論はないようだ。
「それで、はい、これ。マスターから、お礼にって」
クッキーの詰め合わせが入った缶を差し出すと、修太は受け取る。
「ああ、父さんに? 分かった。でも、ギルドで渡せば良かったのに」
「違うよ、シューターに」
「は? なんで俺? 何もしてねえけど」
修太が首を振って缶を押し返すので、リックはもう一度スライドさせた。
「お前が俺をかばって、ジルフォイ氏に叩かれそうになったから、賊狩りの兄さんが出てきたんだ。おかげで万事解決だ。でも、危ないから、あんまりああいう真似はしないでくれよ」
「友達として、当たり前のことだよ。友情がかかわってるなら、余計にもらえねえ」
「頑固だな。くれるって言うんだから、もらっておけって。俺はうれしかったよ。だってお前、俺に非があるなんて、まったく思ってなかったもんな」
力くらべで押し負けた修太は、しぶしぶ缶を受け取る。
「だってお前、誠実だろ。借金があったとしても、踏み倒す真似はしない」
それがどうしたと言わんばかりに、修太はあっさりと言い切った。まったく気負いもなく放り投げられた褒め言葉が、ズドンとリックの胸に響く。
そして、缶を開けて歓声を上げる。
「おおっ、うまそうなクッキー! リックも食べていけよ。――どうした?」
「お前……そうやって周りの信頼を勝ち取ってるんだな。くそぅ、照れる……!」
赤くなった顔を手で隠して、リックはうめいた。
「あのなあ、リック。信頼関係は勝ち取るんじゃねえよ。先に信頼するんだ。それで相手が受け入れないなら、あきらめるだけだよ。もしそれでだまされたとしても、俺が決めたことだ。リックは家族としてさんざんだったかもしれないが、俺はリックの親父さんは後悔してなかったと思うぞ」
「父さんの友達は、夜逃げしたのに?」
「その友達にも事情があったんだろ。なあ、友達に裏切られたからって、リックの親父さんが良い人だったってことは揺るがないと思うぞ。だからリックは、家族のことを悲しんでも、胸を張っていていいんだ」
そんな考え方はしたことがなかったので、リックは戸惑う。
「父さんのせいで、母さんは自殺して、俺は苦労したのに?」
修太はしばし考え込んで、こう返す。
「うーん、想像だけどさ。リックは他人を信頼できないんじゃなくて、親父さんのことが好きだから、信頼しないようにしてるんじゃないかなって」
「……どういうこと?」
そもそも、過去について誰かに話したこともないので、こんなふうに言ってくれる人もいなかった。リックの胸はざわめいたが、とりあえず話を聞いてみようと続きを促す。
「あくまで、俺の考えだぞ? 他人との信頼関係を肯定してしまったら、リックの親父さん達の関係性もあれで良かったってことになる。親父さんは裏切られたのに。否定してあげないと、親父さんがかわいそうだ……みたいな」
リックはじっくり考えてみた。もじゃもじゃとからまっている感じがするが、「父親が好きだ」という気持ちは、胸にすとんと落ちた。
「……ああ、そうだな。俺は両親のことが好きだったよ。いや、今でも」
そう認めた時、こみあげてくるものがあった。ぼろぼろと零れ落ちてくる涙に、リックは慌てる。
「うぇ!? なんだ、これ。すまん。なんでもない……!」
修太は笑いもせず、洗面所に行って、タオルを持ってきた。
「はい」
「落ち着いてるな、お前は!」
リック自身、わけが分からなくて混乱しているのに。
「好きでいいじゃないか。大事な家族だ。苦労したことを許せなくても、そのまま好きでいるってのはどうだ?」
「複雑だなあ、それは。そんなあいまいでいいのか?」
「心はシンプルじゃないからな。お茶、もう一杯飲んでいけよ。落ち着くやつを出してやる」
「ああ。すまん、洗面所を借りる」
「おう」
顔を洗ってみると、いくらか気持ちが落ち着いた。
(許せないまま好きでいるなんて、考えたこともなかった。俺は父さんと母さんを好きなままでいいのか……)
二人の考えを許してしまったら、リックの人生を否定するような気がしていた。
でも、別にそうはならないらしい。
居間に戻ってくると、修太はお茶を淹れなおし、クッキー用の小皿を並べているところだった。
「俺、シューターと友達になれて良かったよ。ありがとう」
胸のつかえが少しだけとれて、胸が温かい。
「こっちこそ。――ってなんか照れるなあ。水くさいから、やめろって。ほら、座った座った」
かすかにはにかんだ笑みを浮かべ、修太は誤魔化すように乱暴に言った。
こうして話してみると、誰とも馴れ合わないグレイが、彼を養子に迎えたのは当然のように思える。
(そうだな、父さん。友達って、いいものだ)
父親のことを許せる日は、いつか来るのだろうか。
ひとまず今は、この言葉だけ信じてみよう。
お茶のカップを見下ろして、リックは静かに微笑んだ。
十話、おわり。
友情がテーマな回でした。
本編のほうの更新に戻るので、アフター編はしばしお休みします。




