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断片の使徒 After   作者: 草野 瀬津璃
のんびり小休止編
104/178

 8



 数日後。

 リックの予想通り、ジルフォイはグレイを訴えなかったが、代わりに市長にクレームを入れた。事業への支援を打ち切ると言い出したようで、怒った市長が冒険者ギルドに乗り込んできた。


「ジルフォイ氏を笑いものにしたというのは本当か! この都市の運営にも影響が出る。どう責任を取るつもりなんだ」


 市長は背が高く、がっしりした体躯をしている。そんな男がすごむとなかなかに迫力があったが、この程度のおどしは、このハイレベルのダンジョンに挑むような冒険者には通用しない。


 突然現れて、マスターを呼べと怒鳴る市長の登場に、待合室にいた冒険者達は殺気立った。冷ややかな視線に、息巻いていた市長もさすがに身の危険を覚えたようで、いくらか落ち着きを取り戻す。

 そこへ、ダコンが悠々とした足取りで階段を下りてきた。片手を上げ、にかりと笑ってあいさつする。


「おう、市長さんじゃないか。だから言っただろ、うちを観光ツアーになんて組み込むのは無理だって。騎士団みたいに、お行儀の良い連中じゃないんでね」


 事前に言っただろうと、気にせずに返すダコンに、市長は言い返す。


「だが、モンスターに宙吊りにさせたというではないか!」

「あんた、ジルフォイって野郎の言い分だけを聞いたんだろ」


 ダコンは冷静に答え、図星だった市長が黙り込んだ隙に、話を続ける。


「あの野郎は、ツアー中の最初から最後まで態度が悪かった。それに加え、わざわざ職場で、うちの職員を笑いものにしたんだ。ついでに言うと、それを止めた職員の友人が、あいつに杖で殴られそうになった。……というのは聞いてないだろう?」


「まさか! あの礼儀正しいジルフォイ氏が? 嘘をつくな」


 市長が言い返すので、ダコンは受付にいるリックのほうを見た。リックは肩をすくめる。どうやらジルフォイは、権力者の前では猫をかぶっているらしい。

 こちらの言い分より、市長は自分の考えを押し通すことに決めたようだ。


「とにかく、だ。ジルフォイ氏は、支援を打ち切らせたくなかったら、罠にかけた冒険者を連れてきて、土下座させろと言っているんだ。責任は取ってもらうぞ!」


 唾を飛ばしながら市長が怒鳴りつけると、待合室がざわついた。


「お、おい、あいつ、本気で言ってんのか?」

「うわぁ、誰のことか分かってねえだろ」

「どうなるか、見ものだな」


 冒険者達がひそひそと言い合う中、待合室の端にひっそりといたグレイが音もなく立ち上がった。


「面白い。お前が、俺を土下座させるって?」


 グレイは無表情のせいで、リックには何を考えているか分からないが、言葉通り、声には楽しげな響きがある。狼が獲物をどう仕留めようか算段しているような、そんな方向で。


(市長に、幸運を!)


 リックだけでなく、冒険者達も無意識に両手を合わせて祈りのポーズをとった。

 グレイが目の前に立ったので、市長の顔が分かりやすく引きつる。


「え、お、お前は……!」


 一瞬ひるんだが、市長は果敢にも立ち向かった。


「貴様のせいで、都市の運営に支障をきたしているんだぞ! 一緒に来て、謝ってもらおうか!」


 すると、グレイはくつくつと笑い出した。


「何がおかしい!」


 顔を赤くして怒鳴りつける市長に、グレイはおおげさに肩をすくめてみせる。


「お前の言い分が、あまりに馬鹿すぎてな。俺は何も悪いことはしてねえのに、どうして謝るんだ?」


 いや、何もということはないだろう。

 リックは心の中でツッコミを入れる。きっと周りもそう思っただろうが、グレイが怖いので口を閉ざしている。


「経緯を聞いていないのか。しかたねえな。飲み込みの悪いその頭にも分かるように、丁寧に教えてやるから、じっくり聞けよ」


 グレイは上から目線でそう言って、わがままな子どもをなだめるみたいに、馬鹿丁寧に説明する。

 市長は怒りに震えているが、グレイのハルバートが気になるようで、ちらっとそちらを見て、大人しく話を聞いた。


「冒険者ギルドにツアー客が来るのは迷惑だし、ダンジョンに入れれば、ああいったことも起こりうる。お前は利益のために、客の命をわざわざ危険にさらしたいと言っているわけだ」


 そして、グレイはわずかに首をかしげる。


「お前にとっては大事な客のはずなのに、どうしてそんな真似をするんだ? 馬鹿すぎて理解できん」

「ダンジョンに入れる必要は……」


「今回のように、権力をかさに来て、意見を押し通すやからもいるのに? 毎回、お前がここに来て止めるなら構わんがな。そうなると、市長の仕事っていうのは、ずいぶん暇みたいだ」

「どうして私が? そこからは、冒険者ギルドの仕事だろう」

「問題は、そこだ」


 グレイの口端が吊り上る。まるで罠にかかったと言いたげだ。


「こちらに仕事を押し付けて、お前は自分で仕事をしたくないってことだろ。お前の提案なのに、他人事とはどういうことだ。お前がしたいなら、お前自身が働くべきだ。――そうじゃないか?」


 グレイがダコンを見て、それから周りの冒険者達を見回した。

 ダコンはもちろん、冒険者達はわっと拍手する。


(市長がどれだけ(べん)がたとうと、黒狼族相手に、ごまかしは通用しない。説得したいなら、最悪の相手だな)


 リックも歓声を上げ、グレイを応援する。

 おっかない御仁だが、こういう時は頼りになる人だ。


「う。そ、それは……」


 痛いところを突かれ、市長が言いよどむ。

 グレイは本当に不思議そうに、市長を眺める。


「まさかここまで言っても、無理だと理解できないのか? そんなに身をもって分かりたいなら、俺が教えてやるよ。ついてこい」

「……え?」


 かちんと固まる市長だが、そこにダコンが追撃をしかけた。


「ほら、お前達、お客さんをダンジョンに案内してさしあげろ。あの書類も忘れんなよ」

「お、おい、待て、ダコン!」


 慌てだした市長の前に、女性職員がにっこり笑顔で、自己責任の書類を持ってくる。そして、リックと同僚の男は腕まくりをして、市長の両脇をガシッと固めた。


「はい、こちらにサインお願いします~。一名様、ご案内お願いしますね~!」


 ほとんど無理やりサインをさせ、女性職員は奥の通路を示す。リックは市長の右腕をつかみ、市長を誘導する。


「さあ、行きましょうか、市長」

「ダンジョンは楽しいですよ~。命がけで、スリルと背中合わせ。最高ですよね」


 普段は大人しい同僚は、こめかみに青筋を立て、左腕をつかんだ。


「お、おい、待て! やめろ! これは犯罪だぁぁぁぁ!」


 市長の悲鳴は、冒険者達の連携により無視された。

 そして、ジルフォイと同じように、モンスターに宙吊りにされた市長は半鐘ほど暴れていたが、最終的に諦めて、ツアーから冒険者ギルドを外すことを受け入れた。

 グレイを土下座させるなんて真似はもちろん不可能で、むしろグレイの顔を見るとおびえて逃げ出してしまった。




「っていう感じで、一件落着(いっけんらくちゃく)?」


 後日、リックは土産を手にして、修太宅をたずねた。結果を教えると、修太は黒い目をきょとんとさせ、首をかしげる。


「落着してるのか……?」

「俺達を敵に回したらどれだけ怖いか、身に染みて分かったみたいだから、いいんじゃないか?」

「そういうとこは、お前も悪い奴だな」


 誰と比較しての言葉なのかは、簡単に分かる。


「いやあ、シューターの親父さんにはかなわないよ」


 リックが笑うと、修太も苦笑した。反論はないようだ。


「それで、はい、これ。マスターから、お礼にって」


 クッキーの詰め合わせが入った缶を差し出すと、修太は受け取る。


「ああ、父さんに? 分かった。でも、ギルドで渡せば良かったのに」

「違うよ、シューターに」

「は? なんで俺? 何もしてねえけど」


 修太が首を振って缶を押し返すので、リックはもう一度スライドさせた。


「お前が俺をかばって、ジルフォイ氏に叩かれそうになったから、賊狩りの兄さんが出てきたんだ。おかげで万事解決だ。でも、危ないから、あんまりああいう真似はしないでくれよ」


「友達として、当たり前のことだよ。友情がかかわってるなら、余計にもらえねえ」

「頑固だな。くれるって言うんだから、もらっておけって。俺はうれしかったよ。だってお前、俺に非があるなんて、まったく思ってなかったもんな」


 力くらべで押し負けた修太は、しぶしぶ缶を受け取る。


「だってお前、誠実だろ。借金があったとしても、踏み倒す真似はしない」


 それがどうしたと言わんばかりに、修太はあっさりと言い切った。まったく気負いもなく放り投げられた褒め言葉が、ズドンとリックの胸に響く。

 そして、缶を開けて歓声を上げる。


「おおっ、うまそうなクッキー! リックも食べていけよ。――どうした?」

「お前……そうやって周りの信頼を勝ち取ってるんだな。くそぅ、照れる……!」


 赤くなった顔を手で隠して、リックはうめいた。


「あのなあ、リック。信頼関係は勝ち取るんじゃねえよ。先に信頼するんだ。それで相手が受け入れないなら、あきらめるだけだよ。もしそれでだまされたとしても、俺が決めたことだ。リックは家族としてさんざんだったかもしれないが、俺はリックの親父さんは後悔してなかったと思うぞ」


「父さんの友達は、夜逃げしたのに?」

「その友達にも事情があったんだろ。なあ、友達に裏切られたからって、リックの親父さんが良い人だったってことは揺るがないと思うぞ。だからリックは、家族のことを悲しんでも、胸を張っていていいんだ」


 そんな考え方はしたことがなかったので、リックは戸惑う。


「父さんのせいで、母さんは自殺して、俺は苦労したのに?」


 修太はしばし考え込んで、こう返す。


「うーん、想像だけどさ。リックは他人を信頼できないんじゃなくて、親父さんのことが好きだから、信頼しないようにしてるんじゃないかなって」

「……どういうこと?」


 そもそも、過去について誰かに話したこともないので、こんなふうに言ってくれる人もいなかった。リックの胸はざわめいたが、とりあえず話を聞いてみようと続きを促す。


「あくまで、俺の考えだぞ? 他人との信頼関係を肯定してしまったら、リックの親父さん達の関係性もあれで良かったってことになる。親父さんは裏切られたのに。否定してあげないと、親父さんがかわいそうだ……みたいな」


 リックはじっくり考えてみた。もじゃもじゃとからまっている感じがするが、「父親が好きだ」という気持ちは、胸にすとんと落ちた。


「……ああ、そうだな。俺は両親のことが好きだったよ。いや、今でも」


 そう認めた時、こみあげてくるものがあった。ぼろぼろと零れ落ちてくる涙に、リックは慌てる。


「うぇ!? なんだ、これ。すまん。なんでもない……!」


 修太は笑いもせず、洗面所に行って、タオルを持ってきた。


「はい」

「落ち着いてるな、お前は!」


 リック自身、わけが分からなくて混乱しているのに。


「好きでいいじゃないか。大事な家族だ。苦労したことを許せなくても、そのまま好きでいるってのはどうだ?」

「複雑だなあ、それは。そんなあいまいでいいのか?」


「心はシンプルじゃないからな。お茶、もう一杯飲んでいけよ。落ち着くやつを出してやる」

「ああ。すまん、洗面所を借りる」

「おう」


 顔を洗ってみると、いくらか気持ちが落ち着いた。


(許せないまま好きでいるなんて、考えたこともなかった。俺は父さんと母さんを好きなままでいいのか……)


 二人の考えを許してしまったら、リックの人生を否定するような気がしていた。

 でも、別にそうはならないらしい。

 居間に戻ってくると、修太はお茶を淹れなおし、クッキー用の小皿を並べているところだった。


「俺、シューターと友達になれて良かったよ。ありがとう」


 胸のつかえが少しだけとれて、胸が温かい。


「こっちこそ。――ってなんか照れるなあ。水くさいから、やめろって。ほら、座った座った」


 かすかにはにかんだ笑みを浮かべ、修太は誤魔化すように乱暴に言った。

 こうして話してみると、誰とも馴れ合わないグレイが、彼を養子に迎えたのは当然のように思える。


(そうだな、父さん。友達って、いいものだ)


 父親のことを許せる日は、いつか来るのだろうか。

 ひとまず今は、この言葉だけ信じてみよう。


 お茶のカップを見下ろして、リックは静かに微笑んだ。




 十話、おわり。

 友情がテーマな回でした。


 本編のほうの更新に戻るので、アフター編はしばしお休みします。

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