みなさんに笑われるのもお仕事のうち
ようやく自分の部屋で一息ついた私は、清潔に整えられた寝台の上に荷物を並べ、唸っていた。
鉄鉢、迷彩服上下、サスペンダーに弾帯、それにつけてた弾倉入れや空弾倉、救急品袋やら銃剣。あと、なんとか泥だけ落として出来る限り磨いておいた半長靴。
私がここで貴重品と呼べるのはこれらの官品と、あとは89式小銃くらいだ。いや、最後が一番大切か。
だけどさあ、『祭』ってお祭だよねえ。しかも『収穫祭』とか言ってたよねえ。なんか、こういう外国っぽい場所の収穫祭なんて想像つかないけど、唯一わかるのはそんな中にフル装備で小銃担いだ私がまったく似合わないだろうってことだ。
想像するだけで腹筋崩壊する。シュールすぎるだろう、いくらなんでも。
富士の訓練に行く時に寄るサービスエリアでの、あの一般客に混じった時のいたたまれなさの倍はするね、きっと。
そして、訓練場までのトラックの荷台で顔を緑に塗りたくっている時、後ろの一般車にものすごく指さされて笑われた時のあの感じ。
赤いスポーツカーで彼女といちゃいちゃドライブっぽいその車に向かって、発砲許可を求めたのは私だけじゃなかった。少なくとも、二戸3曹は目がマジだった。
「やっぱり、89くらいかなあ。なくなるとすごく困るけど、持ち歩き可能なものって」
ひとりごちつつ、小銃を手に取る。側は黒く鈍い光沢を放つそれは、見た目より重くはない。新隊員の時に持たされていた64式に比べれば、なお軽く感じられる。
私専用の小銃なので、愛着もある。同期の武器オタクには負けるけど、密かに『レイ・セフォー』という名前まで付けてある。
ここ1ヶ月、一応時間を見つけては、余っている布と油っぽいものを調達して整備済み。複雑な造りじゃない89でよかったよ、本当に。
まあ、今手元にある装備品の中ではこれが一番重要だし、これを持って歩くことにするか。
先に銃剣付けておけば、ちょっと変わった剣ってことでなんとかなりそう?
「まあ、最悪富士に戻った時、他は無くしたって言ってもなんとかなる、よね」
もちろん、なんとかしてもらう立場ではあるけれど。
とりあえず、そんなこんなで貴重品について自分の中で折り合いを付けると、寝台の上に引っ張り出したものをまた元の箱の中に収める。どうか盗まれませんように!
手のひらを合わせて思わず神頼みをしていたその時、突然大きな音を立てて部屋のドアが開く。
あまりのどっきりに盛大に身体を揺らし、あわあわと扉のほうを振り返った私の目の前にいたのは、白髪のロマンスグレー――いや、この国で2番目に偉いはずの、シルワールム宰相だった。
「しっ、しっ、シムさんっ!?」
「ウラバ様!」
変に裏返った声で私がその名を呼べば、五十年くらい前はさぞかし女泣かせであったろうその美形のダンディ宰相様は、なぜか物凄く感激に満ちた表情でこちらに突進してきた。
そのまま無言でがしりと両手を取られる。あれっ、なんだろうこの既視感。
「ウラバ様、よくぞご決断下さいましたな!」
「え、あの」
「ウェイフォン様の幼少より、そのご成長を見守ってきたこの私。もう歓喜のあまりいても立ってもいられず、失礼を承知で参りました……!」
やばいやばいやばい。なんかよくわかんないけど、すごい勢いでやばい感じがするよ!
だって、シムさんなんか号泣してるし!
普段落ち着き払ったこの方が、女性の部屋にノックもなしに突撃してきた時点で私の何かが詰んだよね。なんていうか、ちび様関係の何かが。
「し、シムさん、あのですねっ」
「ああ、これは申し訳ございません! 私としたことが肝心なことをすっかり忘れておりました! よい、入れ!」
き、聞こうよ! 私の話も聞こうよ! インゼリアの人たち!
懐から出した上品なハンカチで顔を拭い、シムさんは扉の向こうへと声を上げた。すると、入ってきたのは街の奥様方。手に手に、なんだか煌びやかな衣装を携えている。
うわあ、なんかものすごく読みたくない空気が蔓延してるよ。そして、シムさんが笑顔。めっちゃ笑顔。
「急ぎ用意したもので、ウラバ様のお身体に合わないものもあるかとは思いますが、とりあえず当てて見てみるだけでもと思いまして」
「ええと、それはまたわざわざ、ありがとうございます……、じゃなくてっ」
「こちらの純白のものは、ここ最近の流行のものらしいのですが、私はやはりこの深緑のほうがよろしいかと」
どうしよう、にこやかで穏やかながら、この人ものすごく押しが強い。さすが一国の宰相様……なんて感心している場合じゃないよ!
にこにこ笑っている奥さん達が私の身体に当てているそれは、どこからどう見てもドレス。しかも、婚礼衣装的な何か! 誤魔化さないで言えば、ウェディングドレス!
あまりの展開についていけない。口を開けたまま固まる私に構わず、シムさんは私の顔と衣装を見比べながらひとり真剣な口調で語りかける。
「うむ、やはり深緑ですな。……ああ、何だかウェイフォン様の母君を思い出します。ウラバ様とよく似たお顔立ちに、黒髪黒い瞳がまた緑の衣装によく映えて……」
どこか遠い目をして、そんなことをシムさんが話し始めたその時。ひどく乱暴な足音が遠くから聞こえてきたかと思ったら、再び私の部屋の扉が乱暴に開け放たれた。
ねえ、ちょっとノックするとかそういうことはないのか、この国!
「シムっ! 姿が見えないと思ったら、やっぱりここかよ!」
「おお、ウェイフォン様! ちょうどよかった、今から誰か呼びに行かせようかと」
肩で荒く息をしながら、走ってきたからなのか他の何かか、顔を真っ赤にしたちび様がそこにはいらっしゃった。いらっしゃっちゃった。
全身から怒りのオーラを発しながらこちらへやってきたちび様は、衣装と私を交互に見て深いため息をつく。いや、私の希望じゃないですよ!? 私はどっちかっていったら白のほうが好みですよ!?
……私も今、とても混乱しているんです。
「訊きたいわけじゃねえが、一応訊く。シム、ここで何をしてるんだ?」
引きつった笑みを浮かべたちび様が、威厳を保つように腕組みをしてシムさんを睨み付ける。律儀すぎて涙が出るよ、ちび様。
対して、シムさんは恐ろしくマイペースに口を開いた。
「それはもう。もちろん、ウェイフォン様とウラバ様の婚礼の打ち合わせにございますよ」
「だから、んなことぜってえ、あり得ねえっつっただろうが!」
雷が落ちるっていう比喩がこんなに当てはまる場面を、私は初めて見たかもしれない。勢い、ちび様の身体から例の法力って奴が放たれて、強い風が吹き抜ける。煽られてばらばらになった衣装を、奥さん達は慌てることなく拾い集め始めた。
なんていうか、これって日常? みなさん、温かい目で見守ってらっしゃるんだけども。
「そのように恥ずかしがらずとも。そのお歳で初婚というのは確かに照れるのでしょうが、妻を持つとはよいものですよ、ウェイフォン様」
「おまえ、昔から無自覚に失礼なんだよ! っていうか、別に照れてねえ!」
そんなに真っ赤な顔をして言っても、あんまり説得力がないです、ちび様。
ちび様の怒りを悠々と受け流し、シムさんはシムさんでマイペースに話を続ける。なんだろう、おじいさんと孫?
そろそろ私の話も聞いて欲しいかな、なんて思いながら私は、ただただそんな二人をぼけっと見ているだけ。
その私にちらりと視線を向け、気まずいような複雑な表情をしたちび様は、咳払いをひとつ。
「とにかく、そんな話は後だ、シム。さっきジュンレンから報告が上がった。ナツメの難民が王宮についたとな」
「ナツメの……!」
その単語が出た途端に、今までのゆるい空気はすぐに緊張を孕んだものに取って代わる。驚き目を見張ったシムさんに、ちび様は大きく頷き返した。
「予測よりも早かったが、中庭にまでは入れてある」
「中庭、ですか……少し近すぎるのでは?」
「だが、うかつに民達の中に入れるわけにもいかねえからな。俺もおまえもいる王宮に配した方が対処のしようもあるだろ」
「御意」
ちび様の言葉に同意を示したシムさんが、ちらりと視線を私のほう――衣装を持った奥さん達に向けると、彼女たちは心得ているかのように静かに一礼し、部屋を出ていった。
取り残された私はどうしたらいいもんかと、ちび様とシムさんを交互に見つめる。これって、私が聞いていてもいい話なの?
「問題は、こいつか……」
眉間に幼い顔には似合わない皺を寄せ、ちび様が私を見る。い、いちいち失礼だなあ!
しかしからかうでもないその真剣な表情に、文句を言う為に開きかけた口を閉じる。その深い青色の瞳の中には、案じるような色が見えた気がしたから。
そのちび様の様子を見て、シムさんが安心させるかのような口調で告げた。
「それならば、近衛をつけましょう。ジュンレンは出せませんが、他の者を――」
「あのっ、別に私に人を割いてもらわなくてもっ」
事情はよくわからないけれど、なんだか私がいることによって多少なりとも迷惑っぽくなってるような気がして、私は慌てて会話に割って入る。
これからお祭りやらなんやらで忙しくなるって時に、10人しかいない近衛隊から私のために人を割いてもらうなんて。これでも私、腐っても自衛官だし!
と、特技は車両整備だけどもさ!
「ウラバ」
さらに言い募ろうとした私に、いつの間にか傍に来ていたちび様が静かに声をかけた。ひと言、名前を呼ばれるだけで背筋が伸びるような、そんな声音で。
強い決意を含んだような、けれどどこか人を安心させるような、そんな表情をした彼はそっと私の手を握る。私が驚いてちび様を見ると、彼は動揺することなく微笑した。
「おまえは俺が守ってやる。だから、言う通りにしろ」
力強いその言葉に思わず頷く私に、ちび様は今度はいつも通りの笑みを返して手を離した。遅れて自分の頬が赤くなるのを感じる。なんだ、これ!
離れていった小さな体温が、寂しい、だなんて。お、乙女過ぎるだろう、自分っ。
そんな私たち二人を黙って見つめていたシムさんが、振り返ったちび様に向かってひとつ頷く。それだけで、二人は意志の疎通がなったらしい。
「ジュンレンには『収穫祭』の指示を出してある。忙しくなるぞ、シム」
「はい」
そうして二人は私に、できるだけ部屋にいるようにと指示を出すと、連れだって扉から出ていった。
急に静かになった部屋で、私はしばらく立ち尽くす。あ、あれえ?
一向に下がらない顔の、というより全身の熱。今し方起こったことについて考えるのを放棄した私は、脱力して寝台に寝っ転がった。ち、ちくしょう、ちび様! 男前すぎるってば!
さっきのちび様の言葉を、脳内エンドレスリピートしてしまった私は、そのまま夜まで意味不明な叫びを上げ続けたのだった。




