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ちび王様と自衛官な私  作者: 吉田
インゼリア
8/28

三歩以上は駆け足!



「いっち、いっち、いっちにっ! そおーれっ! いっちにいっちにぃっ」


 『三歩以上は駆け足』が基本な自衛官な私。

 走り出すとついぶつぶつと歩調をかけてしまう、これも洗脳のたまもの――いや、もはや呪いに近い。

 同期とね、バスで40分――街に降りるまで40分だぞ、しかも片道640円!――かけて遊びに出て、しゃべりながら歩いていてさ。何が悲しいかって、見事に二人の歩調がぴったり合っていることだよ! 行進か!

 なんか、人と足並みが揃ってないとお尻がムズムズするんだよね。そして一列縦隊とかになっちゃうんだよね。1で左から踏み出せよ!みたいな。

 極めつけに、通り過ぎる一般人に思わず敬礼しそうになった時には、ああもう早くなんとかしないければって思った。自分に対して。

 上官に敬礼欠くとまずいから、人を見たら反射的に手が上がるっていうか。「お疲れさまです!」って言いたくなるっていうか。

 だから、中庭に出る為に角を曲がって、誰かにぶつかった時に反射的にそう言っちゃったのは私がおかしいんじゃないよ!?


「うわ、おっ、お疲れさまですっ!」

「ぐあっ」


 こんなマタドールと闘牛的な状況下において、それでも挨拶を忘れなかった自分を褒めてあげたい。というか、痛い。

 額を思い切り誰かの胸に打ち付けてしまったらしい。涙目で額を抑えると同時に、私がぶつかった相手は地面に転がって悶絶した。まだ、下が草地なのが幸いだったなあ。

 額をさすりつつそんなことを考えている私の前で、その人は思いきり咳き込んでいた。どうやら頭突きがみぞおちにクリーンヒットしたらしい。私、石頭だしね……。


「す、すみません! 大丈夫、ですよね……?」


 あまりに長く苦しんでいるその姿に、思わず確認口調になってしまう。インゼリアにおいて『緑の乙女』とか『俺の嫁』とかいう称号ならまだしも、『頭突きで肋骨ろっこつを折った女』とかは嫌だなあ。

 地面に膝をつき、倒れたままのその人を顔を覗き込む。

 薄汚れてぼろぼろになった布の下から覗くのは、同じようにくたびれて汚れきった衣服。靴の先まで泥にまみれていて、どう見てもインゼリアの人ではないように思える。

 なにか、テレビの中でよく目にした、戦乱によって行き場を失った人たちのような……。そこまで考えて、私はさっきの隊長の言葉を思い出した。


『ナツメから難民が来ている』


 もしかして、この人がそうなのかな。

 胸に手をあて、肩で息をしているその人を私はさらにじっと見つめた。布に隠れていて顔がよく見えないけど、印象としては……目が細い。すごく細い。これ、ちゃんと前見えてるのかな。

 そんな失礼なことを思っていると、その人は深呼吸を繰り返した後、ようやく私を見て口を開いた。


「見苦しいところをお見せしまして、申し訳ございません」


 まだ少し苦しげだけれど、とても丁寧で落ち着いた口調に、私はほっとして手を差し伸べた。どうやら不名誉な称号はもらわないで済むっぽい。


「こちらこそ、ごめんなさい。急いでいて、前方不注意でした!」

「いえ、私こそぼうっとしていたものですから、どうぞお気になさらず」


 私の手を取って立ち上がったその人は、意外と上背のある大人の男の人だった。頭から被った布の間からのぞく髪は灰色。少し乱れてはいるが、几帳面に整えられ、後ろのほうでまとめられているらしい。

 私の感覚で言えば、そこそこ整った顔立ち。今は煤や泥で汚れてはいるが、なかなかの容貌なんじゃないだろうか。目は細いけど。


「あのう、もしかしてナツメからいらした方ですか?」


 転がった際についた泥を神経質に払いのけているその人に、ぶしつけかとは思いながらその質問をぶつけてみる。個人的に、できるだけ周囲の状況を知っておきたいというのは、一種職業病だろうか。

 私のその問いに、目の細い男性はあからさまにびくりと肩を揺らせた。そして探るような、恐れるような視線を私に向ける。


「失礼ですが、あなたは……」

「あっ、すみません! 私、末葉って言います。ええと、その、インゼリアの近衛隊見習い……の見習い、みたいなもんで」

「近衛兵? 女性が、ですか?」


 私のそのしどろもどろな自己紹介に、糸のような瞳が少しだけ見開かれる。一瞬覗いた瞳の色は、私と同じ黒色。

 本当は体操指導員みたいなもんだけど、「この国の王様の暫定嫁です」とか言うよりかは、そのほうがいいよね。頭の残念な子扱いされたくないし。ここは、もっとボロが出る前に退散しといたほうがいいのかなあ。

 訝しげに眉をひそめた男性を前に、私は誤魔化すように愛想笑いを浮かべて頭を下げ、当初の目的通りに王宮へと向かおうとした、その時。


「ここにいたのか、クガツ」


 指の先を痺れさせるような、深い声音。特に高音でも低音でもなく、だけれどもどこか人を惹きつけて止まない、そんな響きが背後から聞こえてきた。

 ほとんど反射的に振り向けば、そこにはやはり長身の人影。目の前の、クガツと呼ばれた男性と同じように薄汚れた格好のその人は、びっくりして固まる私の前にゆっくりと歩み寄ってきた。

 そして、どこか洗練された物腰で膝を折る。


「失礼。私はフクと申します。この者が何か粗相を?」


 どこかの物語に出てくる騎士のようなその仕草に、思わず顔が赤くなるのがわかる。膝をついたままこちらを見上げる瞳は、鮮やかな緑色。顔を上げる動作につられてさらりとこぼれた髪は、眩しいほどの金色だった。

 整いすぎといっても過言ではない秀麗な顔は、やはり泥にまみれて汚れている。この人も、ナツメからの難民なんだろうか。


「いえ、あの、私のほうがぶつかってしまって。えっと」

「申し訳ありません。私たちは決して怪しい者ではなく、この度ナツメより参ったものにございます」


 美しいって一種暴力だよね、なんて思いつつ、私があたふたと要領の得ない説明をすると、その人――フクさんはにっこりと笑って立ち上がった。

 ナツメから……やっぱり、なにかよくないことが起こっているんだろう。この二人の姿を見ただけで、私にも容易に察することができる。何か、不穏な空気。ふたりとも、少し疲れて見えるのはそのせいなんだろう。

 そんなことを考えつつ私がフクさんをじっと見つめていると、その視線を勘違いした彼は自嘲気味な笑みを零した。


「これは醜き姿を……。大変失礼致しました」


 すっと右腕で隠すように抑えたその場所に、あるはずの左腕が見えない。頭から被った布に覆われてはいるけれど、不自然に空いた空間に自然と目がいく。左腕が、肩のすぐ下あたりでなくなっていた。

 あ、と自分のぶしつけな行為を思い返して恥ずかしくなる。最初は気がつかなかったとはいえ、その後にも見つめ続けるなんて失礼だ。


「ごめんなさい! あの、そういう意味じゃなかったんですけど!」

「かまいません。突然現れたのはこちらのほうですから」


 儚げに笑う美人さんを前に、猛烈に私は恥ずかしくなる。

 ああああ、これはもう、陸曹試験に落ちたあとの中隊飲み会くらいにいたたまれなさ全開!

 私が「あー」とか「うー」とか唸りながら、なんとか弁明しようと頭を捻っていると、不意にその頭に温もりを感じて、私は再び固まった。

 見れば、どことなく真剣な光を宿したフクさんが、私の髪をするりと撫でる。


「黒き髪……黒き瞳……、その容姿……」


 まるで何かに取り憑かれたかのように、さっきまでの柔らかさが消え失せ、どこか茫洋とした瞳でそう繰り返す。私の肩口よりも少しだけ長い髪を、何度も撫でる。

 ああ、ちび様台風のあと、結ばないで放ったらかしにしておいたのがまずかったのか。私がどうしようかとうろうろ視線をさまよわせれば、傍にいたクガツさんがはっと我に返ってその手を止めた。


「ふ、フク。気軽に娘の髪を触るものではありま……いや、ない、と思う」


 なんだかすごく言いづらそうに、これでもかという苦渋の表情をしてクガツさんがそう言えば、その言葉にふと我に返ったかのようなフクさんが私の髪から手を離した。


「失礼、致しました……」

「いえ、あの、お気になさらず。私、ちょっと急ぎの用があるので……」


 どこか呆然と謝罪を口にしたフクさんに、私は笑みを見せてから軽く頭を下げる。

 ちび様や隊長の言うところによると、悪意をもつ人は国にすら入れないらしいし、特に悪い人たちではないんだろう。むしろ、大変な思いをしてインゼリアに来たとしたら、失礼な態度をとっちゃったかも。

 その挨拶に軽く頷いてくれたクガツさんにもう一度頭を下げて、私は当初の予定通りに自分の部屋へと走り出した。

 それにしても、『クガツ』に『フク』だなんて、こっちにも似たような発音があるもんだ。特に『フク』なんて大叔母の名前だし。

 地味な名前にあんなに綺麗な顔だと、そうそう忘れられないよなあ。

 そんなくだらないことを考えながらも、私はなんとか迷わず自分の部屋にたどり着いたのだった。


 だからもちろん、シムさんが物凄く機嫌良く私の部屋に向かっていたなんてことは、知るよしもなく――。



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