夜間訓練でよく行方不明になるのが私です
「あ、ウラバ様、どこに行かれるんですか?」
森から王宮へと行く途中、厩舎の近くを通り過ぎようとした私に声をかけたのは、午前中一緒に自衛隊体操をしていた見習い君たちだった。
にんじんみたいな赤毛に優しい顔立ちをしているのがティアオで、その声に家畜の間からひょっこりと顔を見せた、明るい茶髪なのがクワイ。そして黒に近い焦げ茶の髪に、静かな灰色の瞳をこちらに向け一礼したのはガン、かな。
ちょうどいいや、隊長がどこにいったか訊いてみよう。
「ちび様の命令で王宮にね。みんな、隊長がどこに行ったかしらない?」
「こちらには来ていませんけど……ふたりとも、知ってる?」
ティアオの言葉に、少し離れたところにいた二人は手にした道具を置いてこちらに寄ってきてくれた。いい子たちだなあ。3人とも、年の頃は15、6歳くらいだろうか?
身長は私よりも少しだけ高いが、こちらを見つめるその顔にはまだ幼さの名残が見える。
「隊長なら宰相さまんとこじゃねえかなあ。最近、むっつかしい顔してこそこそしゃべってんだあ!」
底抜けに明るい声でそう言ったクワイが、「なっ?」と隣にいるガンをつつくと、彼は少し考えた後に「ん」と頷いた。
面立ちの優しいティアオがリーダー格で、落ち着きのなさそうなクワイがムードメーカー、ガンは真面目な実行役……みたいなものかな。なんとなく見ていて楽しい3人ではある。
二人のその言葉に、私はシムさんの執務室までの道順を思い浮かべた。そんなに広い王宮ではないけど、正直真っ直ぐたどり着く自信がない。見た目よりも中はかなり複雑な造りになっているからだ。
むむ、と眉を寄せた私の顔を見て、ティアオが首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「うーん、王宮の中っていまいちわかりづらいっていうか……迷子になりそうで」
「ああ、そうですよね」
ティアオが笑って頷く。すると隣のクワイも「俺なんか、いまだに一回でたどりつけねー!」と声を上げる。近衛隊の見習いとして、それはどうかと思うよ、クワイ。
「王宮内は敵に侵入されても簡単に攻略できないよう、わざと複雑に作られているんですよ。前に隊長にそう教わったことがあります」
「建物全体に、王族の力。見た目より、広い」
わかりやすいティアオの説明に続けて、端的な言葉でガンが言う。建物に王族の力? 見た目より広いってどういうことなんだろう。
疑問だらけの表情でガンを見れば、彼はすでにそれ以上言うことはないようで、ただ黙って頷いてみせる。いやいや、そんな「な?」みたいな顔をされても。
「法力の力が加わっているんです。だから、外観と中の広さが合わないんですよ」
つまり――不思議建物だ。私には攻略不可能だと言うことだけはわかった。
私が理解できていないことを理解したティアオは、困ったように笑う。ごめん、ごめんよ。夜間訓練でよく行方不明になるのが、私です。
新隊員の時に車両の夜間誘導訓練で、ひとりだけ違う道に誘導してしまった忌まわしい記憶が甦る。多分、昼間やっていても結果は同じだっただろう。
ここは恥ずかしがってる場合ではなく、3人の誰かに案内してもらったほうがいいよなあ。
そう思って口を開きかけたちょうどその時、王宮のほうからやってきたのはまさに、今の私の探し人であるジュンレン隊長その人だった。
「ちょうど良かった。おまえたち、ウェイフォン様を見なかったか!?」
珍しく息せき切って慌てた様子の隊長に、問いかけられた3人が私を見返る。ということで、素直に手を挙げる。
「はい、私知ってます。裏の森の、禁域ってところです。それで、ちび様も隊長を呼んでました」
「禁域だって? ウラバ、『招かれた』のか?」
とんでもない言葉を聞いたって感じで隊長が、その茶色の目をまん丸くする。結構いい年齢だと思うんだけど、そんな表情をするとなんか可愛らしく見えるから不思議だ。例えると、森の熊さんぽい。ハチミツ大好きなほうの。
禁域、の言葉に隊長だけではなく見習い3人も即座に反応した。まるで珍獣でも見るかのように、まじまじと私を見つめてくる。なんていうか、私何かまた間違えました?
ちび様の時のように、いきなり攻撃されないかなあ、なんて警戒しつつ頷く。
「招かれたっていうか、勝手に入り込んだっていうか。あ、でもちび様は別にいいみたいなこと言って……はいないかも……」
言いながらだんだん不安になってきた。そう言えば、入っていいなんて許可は受けていない。何だかんだとその話題がずれただけだった。
でも、ちび様あの後別に怒ってなかったし、と言い訳しようとした私の手を、なぜか隊長はがしりと両手で包み込んだ。え?
「おめでとう、ウラバ!」
「おめでとうございます、ウラバ様!」
ぶんぶんと上下に手を振られ、その遠慮のない力にあわあわとしていた私に、見習3人までもが嬉しそうな笑顔を見せる。
なんで? なんでええ!?
「よ、よくわからないんですけどっ」
「ああ、こうしていられんな! とにかくウェイフォン様に会わなければ! ナツメから難民が来ているんだ」
ナツメ。地面に転がっていた時に小耳に挟んだその名前。難民ってことは、やっぱりどこかで戦争があったってことなのかな。
私が隊長に訊くよりも早く、彼は大柄にしては素早い動作でさっと裏の森へと走り去ってしまった。な、なにもかもわけのわからないうちに……。
激しく事情置いてけぼりをくらった感のある私は、唖然としたまま3人を振り返る。
そこにあったのは、きらきらと期待に満ちた六つの瞳。
「なんかよくわからないんだけど……めでたいの?」
「もちろんです!」
「あったり前だろうっ」
「ん」
穏やかなティアオが興奮したように頷くのを始めとして、クワイは何言ってんだみたいな口調だし、無口なガンまでも何度も深く頷いている。落ち着こうよ、君たち。
とりあえず3人に合わせ、私も少し引きつった笑みを浮かべてみせる。こう、空気を読んで周りに合わせちゃうのは日本人だよなあ。
そんなことをぼんやり考えている私の前で、3人はなんだかしみじみとした口調で話し合いを始めた。
「これでようやく隊長も安心だよね。十年かあ、長かったねえ」
「ソワンさんも喜ぶって。周りからせっつかれてっし」
「慶事」
うわあ、なんかアウェイ感ハンパない。なんか、私が禁域に入れたのが喜ばしいことで、それがなぜだか隊長の喜びにもつながる、と。
わっかんない。全くわっかんないよ!
「なんか今の会話の中でそんなに嬉しいこと、あった?」
「だって、ちび様が禁域に入れたんだろ? だったらめでたいじゃん。なんか言われたろ?」
そんなに大事な場所だったんだろうか。知らないって恐ろしい。人ごとのように思いつつ、先を促す。
「それと隊長となにがつながるの?」
「隊長は長いこと付き合ってる女性がいるんですけど、どうしてもちび様がご結婚するまでは自分が先にできないって言い張っていて……」
「頑固」
髪と同色の眉を困ったように下げてティアオが言えば、追い打ちを掛けるようにガンが同意の言葉を重ねる。うわあ、なんか一気に昼のワイドショー的な展開。
そうだよね、隊長だってあの通り責任ある仕事に就いているし、いい歳だし。そういう相手がいたっておかしくない。むしろ、まだ独身ってほうが驚きかも。
「だけど、ちび様がウラバ様を禁域にいれたってんなら、隊長も結婚できるじゃん! だからめでたいのっ」
「えええええ!?」
なにそれ、そんなこと聞いてないんだけど!
っていうか、なんでそうなる!?
驚きのあまりぱくぱくと口を開いて、言葉にならない思いを表す私に、3人はいまさら何驚いてんだみたいな表情になる。
そんな意味があるなら、むやみやたらに入り込まなかったって!
「あれかもしれないですね。ちび様の母上様に少し面影が似ているというか……」
「あっ、それ俺も思った! ウラバ様、のっぺりしてるし!」
クワイの邪気のない評価に、知らずに顔が険しくなるのを止められない。
そりゃあ、このインゼリアの人たちに比べたら、私の顔は少々……いや、かなりのっぺりとして見えるよ。確かにね!
だって、なんかインゼリアの人たちは外国感ありまくりだし、彫りも深いし美形は多いし。私が悪いんじゃない、人種の違いだ!
クワイの情け容赦ない表現に、ちょっとだけ涙目になりながら反論しようとしたその時。ちび様のところへ行ったはずの隊長が、来た時よりもずっと切迫した表情でこちらに向かって走ってきた。その顔には、いつもの余裕すら感じられない。
「よかった、まだここにいたか!」
たどり着いて、少しだけ肩で息を整えると、隊長は真剣な面持ちで私たち4人を見た。
「ウェイフォン様からの伝達だ。これより『祭』を行う。各自、準備に当たれ。今回は『収穫祭』になるだろうから、迅速に近衛の指揮下に入れ。わかったな?」
初めて聞く隊長の固い声に、知らず私までもが肩を強張らせる。見習いの3人はもっと、ずっと真剣な表情でそれを聞き、隊長の視線を読んだかのように何も言わずに機敏に走り出した。
呆然とそれを見送る私に、隊長が声を掛ける。
「ウラバ、おまえも大事なものを身につけておいてくれ。『祭』の間は王宮の警備も手薄になるからな」
「は、はい。……わかり、ました」
納得はできないけど、隊長がそう言うならばそれはちび様の命令なんだろうし、それに従って動き始めた3人を見ても、そうとう重要なことなんだと感じる。
祭がそんな風に王様の意向で突然始まるなんて、私には経験がないけど。郷に入りては郷に従え。私は隊長に向かって頷いてみせると、一礼して自分の部屋へと走り始めた。




