泣いてもハイポートは終わりません
「さ、散歩です! すごい勢いで散歩です!」
「体中に草をはっつけて地面に寝転がるのがお前の国の『散歩』かよ?」
でーすーよーねえええ。
幼いながら無駄に整った顔の人間に冷たく睨まれ、私の体感温度が一気に下がる。そんなに怒らなくたっていいじゃないか。これはあれだよ、人間関係の潤滑油的な会話の妙だよ、うん。
とか心の中で愚痴りつつ、しかしその小さな身体から発されるプレッシャーに押されるようにして、私は素直に立ち上がった。身長ならば私のほうが高いんだから!
「の、覗くつもりはなかったんですよ? 私が転がってるところにちび様達が来たのであって! つまり、私は悪くないと思ったり思わなかったり……」
「言いながら自信をなくすんじゃねえよ……」
しどろもどろな私の言葉に大きくため息をつき、ちび様はちょっと癖のある笑みを口の端に乗せた。そして腰に下げた剣に手を掛け、頭ひとつ分は高い私を見上げる。
光の加減で黒くも見える、濃い青の瞳。その中にある縦長の瞳孔が、獲物を狙いすます獰猛さを湛えて、きゅっと縮まった。
次の瞬間、発される威圧感。少年特有の細さを残す身体が何倍にも大きくなったように感じる。背筋はぞわりと泡立ち、私は直立したまま少しも動くことができない。やばいやばいやばい、これ絶対に殺られるよ!
「死にたいか?」
「め、滅相もない!」
低く問われた言葉に速効全否定。マジですか。
慌てて首を振る私を、今度は真正面から突風が襲う。ちび様の身体から吹き付けるその暴風に、私は息も出来ない。腕で顔を庇いつつ、ただひたすら耐える。耐えることしかできない。
襲い来る風は私の身体についた草を宙へと飛ばし、まとめていた髪すらぐちゃぐちゃにしていく。なんだこれ!?
時間的に言えば5分もなかっただろうその現象は、情けないことに私が腰を抜かすことで終了となった。
その場にへたりこんだ私を見てちび様は剣から手を放し、自らもその場に腰を下ろす。そして、まるでいたずらに成功した後の子供のような笑顔で、緊張で血の気を失った私の顔を覗き込んだ。
「なんだ、本気にしたのかよ?」
……何この子、めっちゃ腹立つ!
軽くかけられたその言葉に、息を整えようと大きく深呼吸を繰り返していた私は瞬間的な怒りを覚えた。大いにかちんときたよ、たった今!
頭で考えるより先に、目の前の彼に向かって繰り出される頭突き。自分もダメージ必至だが、年下で生意気な奴には制裁としてこれくらいが一番。現に、私の可愛い弟はこれで大体言うことを聞く。味わえ、私の石頭。
そうして、がつっといういい音を立て、私の額とちび様の額が激突した。
「いってえ! 何すんだよ!」
「馬鹿か! もう、2回言うよ、馬鹿ですか! あのねえ、こっちは丸腰でちび様は武装してて、そんなんでびびらない奴がいるわけないでしょっ。大体、私はそんな剣持った人間と会ったこともないし、それで脅されたら怖いに決まってるじゃん! わけわかんない風まで吹くし! 冗談でしたなんて、そんな、そんな……」
そんな風に言い募りながらも、不意に緩みそうになる涙腺。それに私は、女教隊班長の言葉を思い返すことで辛うじて耐える。
『泣いてもハイポートは終わらないぞ!』
そう、そうだった。ここで泣いてもしょうがない。こらえろ、こらえろ私。
そうして限界まで目を見開いて深呼吸を再開した私に、少し赤くなった額を抑えてこちらを睨んでいたちび様がふと、表情を改める。悔いるような、そんな顔をして私に向かって手を伸ばしてくる彼に、反射的に身を竦ませる。
一瞬、迷うように引いた手はもう一度ゆっくりと伸ばされ、そっと乱れた私の髪に触れた。まだ成長途中の細い指が、絡まった髪の毛を器用に梳いていく。
「あ、あの、ちび様?」
「……ごめん。お前に害意がないのわかってて、意地の悪ぃことした」
頬を優しく撫でて離れた手のひらの感触に、私は目の前にいるのがこの国の王様なんだ、と実感する。触れていたそれは少しごつごつしていた。彼はただ守られているだけの王様なんかじゃない。これは、剣を握る手。
小さくても、ちび様は王様なんだ。
そう意識してしまうと、さっきの自分の行動がものすごく申し訳なくなり、私も慌てて頭を下げた。
「王様、私のほうこそ、ごめんなさいっ! あの、頭突きとか」
「気にしてねえからいいって。あと、王様って呼ぶのやめろ。さっきまでちび様って呼んでたろ、おまえ」
「いや、でも、その……王様、だし」
「気ぃ使うな。どうせ民達は遠慮容赦なく『ちび様ちび様』呼びまくってるし、シムもジュンレンも俺のことは名で呼ぶから、『王様』って改めて呼ばれるとこそばゆいんだよ」
微妙な空気を払うようにからりと笑ったちび様に、私もようやく入りっぱなしだった肩の力を抜いて笑みを見せる。すると彼は見るからに安心した顔になり、気を取り直して口を開いた。
「そんで、何してたんだ、こんな所で」
あんな格好で、と続けられた言葉に私は唸る。そこはスルーしてくれないかなあ……どう説明したらいいものか。
「く、訓練ですよ。私のいた近衛隊みたいなところでは、よくやるんです。身体に草を付けて地面をはいずり回ったり、ひたすら人が隠れられる穴を掘って周りに草を植えてみたり」
「……おまえの国、変わってんな」
自衛隊について説明するたびに、何だか私だけが大怪我していくような感覚は気のせいだと思いたい。でも、シンプルにわかりやすく言葉にしてみると、これはひどく怪しい集団だ。
自衛隊の中でさえ、私みたいな後支隊の人間が興味本位で「ねえねえ、普通科って普段何してるの?」とか訊いたりしてみろ。その問いに対する普通科の人間に、「物品の数かぞえたり。ええと、数をかぞえたり……念のためにもう一回かぞえたり……俺、いったい何してんだろうな……」とか、人生の深淵に片足突っ込ませかねない。そんな危険な組織なのだ。
さっきとは違う意味で冷や汗を掻く私を眺めながら、ちび様はまあいいや、と鷹揚に頷いた。
「別に問いつめるともりもねえけど。ここは禁域で、俺の許可がないと入れねえ場所だから驚いたんだよ。何も感じなかったのか?」
「はあ、特には」
「妙だな。王の血族以外、壁に弾かれるはずなんだけど」
「中庭からここまでなんとなく歩いてきたんですけど、壁みたいなものは見当たらなかったですよ?」
そんなものあったらとっくに引き返してるし。
何おかしなこと言ってるんだろうこの子、という本音が顔に出たのか、ちび様は違えよと首を振る。
「そういう物体としての壁じゃねえ。防壁だ、防壁」
「防壁?」
「お前のとこにはねえのか? 法力を使って作った力の壁だ」
「法力?」
なにそれ美味しいの、と言いたくなるのをこらえて問えば、大きなため息がひとつ返ってきた。わけわからんこと言い出したの、ちび様のくせに!
まずそこからかよ、とぶつぶつ言いながら、彼は手のひらを私に向けた。なんだろうと近付いた私の顔に、さっきと同じような突風が吹き付けて、すぐに消え去る。驚いてちび様を見れば、にやっと意地悪な笑顔が返ってきた。
「これが法力だ」
ああそうですか。もっと穏便な感じで説明してくれてもよかったんじゃないですかね!
再びむっとして、私は顔をしかめながらとりあえず理解した、というように頷く。なんていうか、魔法だよね、魔法。
なんだか本格的にファンタジーな世界になってきたなあ。そのうち、竜とか出てきたりして。
「私のとこじゃそういうのは魔法って言いますけど、物語の中にしか存在しないので」
「まあ、ここでだってそんなありふれたもんじゃないけどな」
「ちび様は使えるのに?」
「……俺は古い血を継いでるからな」
少し苦しげにひそめられた眉に、それ以上疑問を重ねられずに戸惑う。なんか地雷を踏んでしまったんだろうか。
そう言えば、ちび様には他に家族がいないみたいなことを隊長が言ってたし。ちび様の歳を考えたら、お父さんとかお母さんが死んだのってそんなに昔じゃないよねえ。私、もしかして古傷抉った?
ぐるぐると思いを巡らし、さっきの失言をどう訂正しようか悩み始めた私を見て、ちび様は困ったように笑った。
「なに気ぃ遣ってんだか知らねえけど、気にすんな。 法力ってのは、簡単に言えば血の力だ。力が宿る血を受け継いだもんだけが使える。時々、混血の果てに先祖返りして法力を持った奴が産まれることもあるが、まあ稀だ」
「じゃあ、法力を使える人って少ないんですか?」
「多くはないが少なくもないってところだな。古い国の王族なんかはこの力を持つ者も多いし、それらを除くとちっとは珍しがられるって感じだ。法力を操る奴は法術士って呼ばれて、大抵その国のお抱えってことが多いから、民の感覚で言えば一般的ではねえな」
「ふうん」
わかったようなわからないような。
一連の説明にとりあえず感心したような声を出すと、ちび様はそれを見抜いたかのように肩を落とした。昔から座学は苦手なんですって。
「知識として知っておけばいいよ。お前には使えねえみたいだし」
「ええっ。なんでわかるんですか!」
「さっき思いっきし力ぶつけてやっただろうが。あんな攻撃を受けても壁のひとつも作れねえってことは、潜在的にも力がねえってことだ。法力が使える奴ならどんなに無力なふりしたって、とっさに身を守ろうとするもんだ」
「……もしかして、それを確かめたかったってこともあります?」
「結果的に、だけどな」
なんとなくバツの悪そうな顔をして、ちび様は頷く。
なんだ、ただの意地悪じゃなかったわけだ。ちび様の言葉に、むしろほっとした私はつい顔を綻ばせた。
「なんだよ、なんで笑うんだ」
「ちび様は王様なんだなあ、と思いまして」
「どういう意味だ」
「そんなに睨まないでくださいっ」
馬鹿にされたと勘違いして険しい顔を作るちび様に、私は慌てて続きを口にする。
「だって、私って突然現れたよそ者じゃないですか。そんなどこの誰かもわからない人を、何も調べずに放っておくのって、この国の最高責任者としてどうなのって思うし。ここがどういう情勢の中にあるのかわからないけど、私に気を遣うよりも国の人たちを守る為に手を打つのが王様の仕事ですよね?」
個人的にどう思っているかは別として、この国に有利になる方向に動かなくちゃならないのが王様の責務だ。そういうことで試されたのだとしたら、よそ者の私はそれを甘んじて受けるべきだと思う。というか、そうするべきだ。
そもそも、こんな風に私が自由に歩き回れるってことのほうがおかしいのかも。
なぜか隊長や近衛隊のみんな、出会う街の人たちも私に対して好意的だから、私も警戒されるってことを忘れていたんだ。
「お前、顔に似合わず深いこと考えてんのな」
「し、失礼だ!」
せっかく人が真面目な話をしていたというのに、このちびっ子め。
思わず声を上げた私を見て、ちび様はくつくつと笑い声を零す。その顔は今までにないくらい無防備で、いつも大人びている彼を年相応に戻してみせた。
「別にお前を不審者として見てるわけじゃねえ。あの扉から招かれたのは俺もシムも見てるし、一応『緑の乙女』ってことになってるし」
「それですよ、それ!」
一番の疑問だった言葉がするっと彼の口からこぼれ、私はすぐさまそれに反応する。
疑問中の疑問な単語、『緑の乙女』。シムさんを始めとして、隊長に聞いても「ウェイフォン様と宰相がおっしゃらないことを、俺が言えるわけがない」なんて意味深にはぐらかすもんだから、余計気になるってのなんの。
この際だから詳しく聞きたい。私のこの国での扱いとか、どうやったら元の場所に帰れるのか、とか。……帰れるんだとしたら、だけど。
「その『緑の乙女』ってなんなんですか?」
ずいっと迫った私に対して、ちび様はなんなく気まずそうに視線をそらした。おっと、今日こそ誤魔化されないぞ、とそらされた視線を追って私も移動する。ほれ、言ってしまえ。
じっと見つめる私に、彼はどこか困ったような複雑な顔をする。少しの逡巡の後、意を決したように瞳を上げた。近くで見た、その青の力強さに戸惑う。
「最初に言っておくけど、俺が望んだわけでも、絶対そうしろってわけでもないからな!」
なんだその不吉な前置きは、と思いながら、私はごくりと唾を飲み込み大きく頷く。
どうしよう。この期に及んで、生け贄の称号だ、とか言われたら。
「つまりは、だ。『緑の乙女』ってのは……」
「乙女っていうのは?」
言いにくそうにするちび様を急かすように言葉を重ねる。ああもう、もどかしいな!
多少いらっとしつつ、さらに身体を近付ければ、なぜだか彼は頬を赤くした。何その反応。
しばらく私たちは、これ以上ないというくらい近くで見つめ合う。耐えきれなくなったのはちび様が先。よっしゃあ!謎の勝利に満面の笑みをこぼす。
そんな私を睨みつけながら、真っ赤になった彼はなかば投げやりに、さっきの言葉の続きを叫んだのだった。
「つまり、俺の嫁だ!」
展開、いきなり斜め上過ぎる!




