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ちび王様と自衛官な私  作者: 吉田
インゼリア
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草を見ると身につけたくなるのが自衛官です



 暗く、闇よりもなお暗く。

 その部屋に続く回廊には松明の明かりさえ届かない。冷え冷えとした空気が足下を走り、近付く者を静かに威嚇する。空を見上げれば、細く欠けた3つの月がひどく冷たい光を反射して夜空にあった。

 古い伝承の中によれば、ひとつは我ら人の月。ひとつは竜の月。そして残るひとつは、この世界を産んだ神の月だと言われている。

 見つめる先でその二つ目の月、竜の月が黒い雲に覆われ霞んでいく。なんともこの先の『彼』の運命のようだ、と皮肉な笑みをその冴えた美貌にのせながら、男は再び歩み始める。

 人気のない、王宮の最奥。殆ど知られることのないその場所に、『彼』はいる。それは最早人の形すら保てなくなった『彼』の為の、特別に豪華な牢獄だった。

 カツリ、と硬質な音を響かせ部屋の前に立ち止まると、護衛としてという名目で置いている監視の兵が静かに頭を垂れた。命じるまでもなく、音も立てずに闇へと紛れ込む。

 ここが安住の地でも、近くに侍る兵士達が護衛でもないことを、多分この中にいる『彼』も知っている。

 なぜなら、もうすでに『彼』は人の域さえ超えつつあり、そんな者を害すことなど人は考えもしないからだ。――この男以外は。


「やあ、まだ起きているかい?」


 例え味方であろうとも、『彼』の醜い姿を目にした者は一様に震え上がるというのに、この男はまるで親友にでも会うかのように穏やかにそう声を掛ける。

 真実、男と『彼』は親友であった。互いの内がどうであろうと、今宵この訪問の時までは。

 男の呼びかけに、部屋の中から何かくぐもったような声が答える。人の声というにはあまりにざらついた、陰惨な匂いのする響き。獣よりもさらに残酷な。

 しかし、男は一切恐れる風でもなく、微かに笑って扉を開け放つ。

 外の闇よりもなお暗い部屋の中に、うっすらと月の明かりが入り込む。それは真っ直ぐに部屋の中を突き抜け、そして中央にいる何かを静かに照らし出した。

 再び、その何かがうめき声のようなものを上げる。

 男が部屋に足を踏み入れ扉を閉めると、一瞬の暗闇の後、今度は暴力的なまでの明るさが辺りを支配した。

 何かが声にならない声を漏らし、それが男の手の中にある燭台の火を大きく揺らす。

 灯りに照らされたそこにいたのは、ひどく醜悪な生き物。

 全身を黒色の鱗に覆われ歪な形の、『彼』。

 それは大きな竜だった。しかも、伝承に登場するような力ある誇り高き古代の生き物ではなく、そこにあるのはただ醜いだけの怪物。灯りを厭う緑の瞳だけが、辛うじて理性の光を一欠片持ち合わせている。


「夜遅くにすまないな。おまえには早く知らせてやりたかったのだ」


 竜を恐れる素振りも見せず、男は灯りを持ったままそれに近づき声を掛ける。少しだけ身じろぎをした竜は、男の言葉にじっと耳を傾けているようだった。


「西のナツメが落ちたよ。前司令官の時にはかなり手こずった小国だ。これでしばらく、僕の司令官としての地位も、王宮内での立場も確固たるものになることだろうよ。――全て君のお陰だ」


 微笑んで、男は竜の鼻先に掌をあてる。確かめるように、労るように。竜は男を見つめ、その手にすり寄った。心を許しているかのようなそんな仕草に、男は目を細める。

 そして、思い出したかのように懐からひとつの包みを取りだした。


「それで、これはナツメの薬士くすしに献上させたのだが、君のその『症状』によく効くらしい。治るとまではいかないものの、進行を遅らせるくらいにはなるだろうってことだ」


 荒れることなく、どこまでも慈愛に満ちた言葉に、竜は緑の瞳をきらりと光らせる。鋭い光彩の表面を何かが濡らす。

 そうして竜は首を持ち上げ、大きく口を開いた。

 男は深い微笑みを浮かべ、包みの中から丸薬のようなものを手にとって掲げる。


「さあ、どうか」


 竜はその声にゆっくりと首を男に近付ける。鋭い牙が灯りに光って、そして――。


 部屋に赤い色が散った。



***



 自衛官は草を見たら身につけたくなるのが習性です。嘘です。8割嘘です。

 後の2割は、偽装に使えそうな草を見ると、ちょっとだけそんなことを考えてみたりみなかったり。

 そんな残りの2割の状態にあるのが、今の自分の姿だというのが悲しいところ。

 おかしいなあ。隊長達と別れた後、しばらくは普通に森の散歩を楽しんでいたはずなのに。なぜかいつの間にか「おっ、ここ富士の演習場に似てる」なんて思って楽しくなっちゃって、気が付いたら「この草、いつも偽装に使ってる奴に似てるなあ」とか考え始めちゃって、終いには「ちょっと偽装してみよう」みたいな事になってしまった。

 どこで間違えた!? どう考えても班長は大変な洗脳を施していきました!

 あれは前期教育の時、まだ「訓練場A地区」という単語に地獄を予想出来なかった頃。班長達の偽装技術には度肝を抜かれたよ。

 一言で言うなら、「なにそれ緑のムック!」だった。とにかく頭から肩から草だらけの状態で、そこらの茂みに伏せていさえすればぱっと見絶対に見破れない。

 あの時は感動すら覚えたなあ。後々、それがめっちゃくちゃ面倒くさい作業だって知るまでは。

 まあ、私だってそんな本気でやってたわけじゃなく、ちょっとしたホームシック的な何かだったんだよね、多分。

 なんか突然こんな知らない場所に来ちゃって、事情も何もよくわからなくて、することもないし。深く考えれば考えるほど、どうしよう仕事放り出して1ヶ月失踪とかマジどうしよう、とかドツボにはまってっちゃうし。

 なんだろう、うちの家系、呪われてんじゃないんだろうか。

 昔々、おばあちゃんがよく私に寝物語として聞かせてくれた大叔母の話を、不意に思い出す。

 大叔母――おばあちゃんの姉は、やっぱりこんな風にしてふっといなくなってしまったらしい。当時は神隠しだ、いや誘拐だ、と大きい騒ぎになったようだったけど、結局それきり大叔母は戻っては来なかったと、おばあちゃんは寂しげに聞かせてくれた。

 あああ、どうして今こんなこと思い出しちゃったんだろう……。これ、現実の世界には戻れませんフラグとか?

 ていうかその前に、王宮に戻れませんフラグが立っちゃってんだけども。


「それで、ガナドールの情報はなにか入ってんのか?」


 まだ声変わりのしていない、けれど落ち着いた少年の声が鋭く響く。私の頭の上の方で。

 ぬ、盗み聞きじゃないんだ、決して。

 だって、私のほうが先にここにいたもん! 後から来て大事な話っぽいことし始めちゃったのは、ちび様だもん!

 誰に言うでもなく、心の中で虚しく反論してみる。

 そう、私が馬鹿みたいにうきうきと自分に草を巻き付けて寝っ転がっている所へ、ひとりやってきたのはちび王様、その人だった。

 珍しくシムさんもいないし、これはちび様に今後のことを聞いたりお願いしたりするチャンス!と飛び出そうとしたら、そのタイミングでシムさんが走ってくるという……なんという間の悪さ。

 そうなると、何だか「てへへ」なんて言いながら草まみれで出ていくのも何だな、とか気後れしているうちに、何だかとっても重要な話的なものが始まってしまったのだった。

 気まずい。ちょう気まずい。

 そこはかとなく冷えてきてトイレに行きたいし、お昼も近いのでお腹もそろそろ空いてきてるし。ここでお腹がぐうっとかいったりしたら、やっぱり「何やつ!?」みたいな展開になって切り捨てられたりして……。や、やめよう、その想像。


「ナツメが落ちたようです。軍本隊は一度帝国に引き上げたようですが……」

「ナツメが!? あの国にも法術士と防壁があっただろうが!」

「それが、まるで一方的に攻め落とされたとの情報で……」

「……くそっ、一体ガナドールは何を手に入れた!」


 吐き出されたその声音に、ちび様の苦渋が満ちる。シムさんは気遣うような言葉をかけるが、その声にもまるで力がない。

 ガナドール、ナツメ?

 話からすると、戦争が起こっているらしいんだけども、この世界の知識がない私はさっぱり要領を得ない。でも、こうしてちび様が頭を悩ませているということは、あまり遠い国の出来事ではないんだろう。


「引き続き情報を集めてはおりますが、国境は封鎖され、逃げ出せた生き残りも少数。しかもその生き残りも、まったく何が自国を襲ったのか理解出来ていないようで」

「わかった。それはお前に頼む。無理はすんな」

「御意」


 衣擦れの音がして、静かにシムさんの気配が去っていく。どうやら話は終わったみたいだ。

 これであとはちび様がどっかに行ってくれればなあ、とか安易に考えていた私の頭に影がかかる。え? まさか雨でも降る!?

 慌てて伏せていた顔を起こした私の目に入ったのは、茶色の長靴。使い込まれているけれども、丁寧に手入れをされている、そんな風な。


「それで? お前はここで何してんだ?」


 かけられた声にぎぎぎ、と靴から上に視線を上げていけば。

 そこには予想通り、群青の不思議な光彩を放つ瞳を呆れたように細め、こちらを見下ろしているちび様の姿があった。


「こ、こんにちは……王様!」

「……訳くらい、聞いてやってもいいけど?」


 なにこれ色々な意味で死にそう。


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