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ちび王様と自衛官な私  作者: 吉田
旅の途上
28/28

夢の中の青

 


 懐かしい子守歌を聴いているうちに、いつの間にか本当に寝かしつけられてしまったらしい。夢も見ないほど深い眠りに入り込んでいた私は、鼻先をくずくるように流れていく濃い緑の匂いにふっと意識を呼び覚まされた。

 風がゆったりと髪を揺らして通り過ぎ、そのこそばゆいような感覚に私は浮かび上がるように覚醒を始める。

 意識が鮮明になっていくほど、自分がどこか外で眠っていることに気が付いた。

 耳に届く葉ずれの音。どこからか聞こえてくる鳥の鳴き声。そして頬に当たる柔らかな温度は、まるで春の日射しのように心地がいい。


 ん?

 春の日射し?


 うっとりと寄せてくる浅い眠気に身を委ねていた私の意識が、そこで不意に引っかかりを覚えた。

 今、私とちび様がいる場所は寒いとまではいかないけれど、こんな陽気を感じるような季節ではなかったはず。インゼリアやミーメの里で感じたのと同じくらい、日本で言うと秋のような感じで……。

 あれ、そもそも私、天幕の中で眠っていたなのに。

 次々とわいてくる疑問を解決するため、とりあえず目を開けて周囲を確認しようとしけれど、なぜか瞼がぴくりとも持ち上がらない。当然のように身体も、それどころか指の一本も自分の意志では動かすことができない。

 真っ暗な闇の中に閉じこめられ恐怖を感じ始めた、ちょうどその時。


『迷い人よ、眠っているのか?』


 落ち着いた男性の声が聞こえた。

 低く、深みのある声音。とても穏やかで、人をほっとさせてくれるようなその響きに、恐慌状態一歩手前だった私は冷静さを取り戻した。

 誰、なんだろう。

 私がそんな疑問を持ったのと同時に、今度はやはり私の意志じゃなく瞼が持ち上がる。


『っ!』


 暗闇に慣れていた瞳が、飛び込んできた日射しの眩しさにくらんだ。

 小さく聞こえた悲鳴は私の声じゃない。でもどこか懐かしさを感じる声で……。

 ふっと光が遮られたのを感じ、瞳を光から守るように閉じられた瞼がもう一度ゆっくりと開かれていく。思い通りにならない身体がもどかしく、だけどすごく生々しい。

 広がっていく視界の中、まず初めに目に入ってきたのは深い青色の布だった。

 綺麗に整えられている下草の上、その青色が広がっている。それが誰かが身につけている衣服の裾だと気付いた時には、緩やかに視線が上へと移動し始めていた。

 洋服というよりかはころも。まるで外国の神話に出てくるような、ゆったりとした衣服。それが腰の辺りでベルトに引き締められている。

 そこから吊り下げられた剣に、私は見覚えがあった。あれは、確かちび様の……?

 もっとよく見ようとしても、視線は思い通りにはなってくれない。

 胸元には精巧な金糸の刺繍。

 インゼリア崩壊の夜、ティアオが持ってきてくれた本の表紙に同じ模様があったような……。ってことはここ、インゼリアなの? だとしたらこれは、誰?

 もどかしいほどにじわじわと見えてくるものに、私はひたすら集中する。

 体付きからしてこれは男性。

 広い肩には光る飾り止めと、そこからなびく黒色のマント。それにもまた金糸で細かな紋様が織り込まれている。まるで映画に出てくる王様のような出で立ちだ。

 そうして私ではない『私』の目は、ついに男性の顔にたどり着いた。


 ――なんて綺麗な人なんだろう。


『私』の感嘆に、中にいる私も思わず大きく頷いてしまう。

 視線の先、やんわりとした微笑を浮かべる男性がひとり。

 濡れたように光る黒髪を緩く結って背へと垂らし、同色の凛々しい眉とその下に覗く群青の瞳に胸が高鳴るのを感じた。夏の空のように澄み切った瞳が、こちらを見つめて優しく細められる。

 鋭さを感じさせる縦長の瞳孔は、いつも私を見守ってくれているちび様のものと同じだ。


 まさか、これはちび様、なの?


 彼の名前を呼びたくてたまらない私の口からは、それとは全く別の言葉が発せられた。


『ごめんなさいっ。私、アウィス様を寝かしつけているうちに、その、自分も……』

『よい、そう謝ることではないだろう』


 慌てる私の様子がおかしかったのか、男性はそう言って明るい笑い声を立てた。

 その声に、膝の上で何かが小さく動くのを感じ、私ではない『私』は慌てて視線を落とす。

 そこには金色の髪をした可愛らしい子供が一人、安心したように深い寝息を立てていた。閉じた瞼を縁取るのは、髪と同じ金色の睫毛。繊細に縁取られたそれが、何か夢でも見ているのか時折ひくひくと動くのが見える。

 二人の会話はこの子の眠りを覚ますものではなかったらしい。

 男性と『私』は安堵して大きく息を吐き笑い合う。今度は小さく、悪戯の共犯者のように。


『……アウィスはそなたによく懐いているようだ。謁見の日には毎回世話係の手を焼かせていたというのに、そなたの前ではまるで豹族ナアルの子供だな』


 膝の上で丸くなって眠る子供に慈愛に満ちた瞳を向けながら、男性は静かな動作で『迷い人』と呼んだ『私』の前に跪いた。男性にしては繊細な指が子供へと伸ばされ、前髪を優しく掻き上げ撫でつける。

 するとアウィスという名らしいその子供は、眠ったままで柔らかな口元に微かな笑みを浮かべて見せた。

 その安心しきった表情は、何とも言えない温かな想いを男性にも『私』にも伝播させる。何だか泣きたくなるくらいに、切ないほどに穏やかな時間が寄り添う三人に流れていた。


 ――ずっと、こうしていられたらいいのに。


 また、どこか深い場所から声が聞こえた。

 幸せで、すごく幸せで。けれど何かにひどく胸を締め付けられるような、そんな気持ちを感じる。

 だけどこれは私の感情じゃない。多分、この身体もこの『私』も、私じゃないんだ。

 私はこの人の内側に入り込んでしまっている?

 一体私はどうなってしまったんだろう。自分ではどうしようもない流れの中に放り込まれ困惑する私は、不意に動いた空気に気が付いた。

 それまで『私』の膝で眠る子供に向けられていた男性の視線が、こちらへと合わせられる。

 青い瞳。

 鋭くもどこか優しく、そして甘い熱を含んだその瞳に『私』の胸が震えたのがわかった。そしていつの間にか、とても近くなっていた二人の距離に初めて気が付く。

 今まで見たこともないくらい真剣に男性はこちらを見つめ、そして。


『森からの迷い人よ、私は――』

『お話中、申し訳ございません』


 男性がもどかしそうに『私』へと何かを告げようとしたのを遮って、ひどく冷たい声がその背後からかけられた。

 一瞬流れかけた、熱を含む空気そのものを凍らせるような、そんな声。

 突然のことに身を強張らせた『私』とは反対に、何かを言いかけていた男性は微かに息を吐き、それから静かに立ち上がった。そしてゆっくりとした動作で後ろを振り向く。


『シエル……』


 そこにはひとりの美しい女性が立っていた。

 男性と揃いで作られたような紺青の衣装に、膝で眠る子供と同じ豪奢で気高い金色の髪。髪はゆるやかに波打ち、まるで装飾品のように細い身体へと流れている。

 胸元には男性と対になっているような、金糸の刺繍。

 女性の身体にぴったりと合わされた衣装は、彼女の豊満な曲線を下品でない程度に浮かび上がらせている。

 そして何よりも私の目を惹いたのは、女性の類い希なる美貌だった。

 意志の強さを表す真っ直ぐに整えられた眉の下に、常緑の瞳。春先の芽吹いたばかりの刃先のような色は、けれど何の感情も含んでいないかのようにこちらを見つめていた。

 新雪のような肌に浮かび上がって見える赤く彩られた唇が、再び開かれる。ふっくらと艶を含んだそこからこぼれ落ちるのは、やはり温度のない声。


わたくしは離宮に戻ります』


 感情の欠片も込められない静かな言葉。

 許可を取る為ではなく、「そこに石が落ちている」とでも言うように素っ気なく告げると、女性は一度だけこちらに視線を送ってから背を向ける。そうして重さなど殆ど感じさせないような足取りで、遠くに見える建物の方向へと去っていった。


 ――シエル様……


『私』は去っていく女性の小さな背を目で追いながら、ひどく複雑な想いに震えていた。その中にぽつりと零れたのは、今の女性の名前なんだろうか?

 そんな『私』と同じようにシエル、という女性を黙って見送った男性は、固くなった場の雰囲気を動かすように大きく息を吐いた。それから再び『私』を振り返り、少しだけ苦い笑みを浮かべてみせる。

 何だか、とても悲しそうな目をして。


『すまないな』


 深い青色の瞳が複雑に揺らぎ、伏せられた。

 男性の言葉に『私』は、膝の上で規則正しい寝息を立てる子供の頭を撫でながら、小さく首を振る。何か言いかけた言葉は喉の奥で詰まり、声にならずに霧散した。

 男性はそれに気が付かず、自嘲気味に口を開く。


『私は彼女に嫌われているのだ。バードランデルより嫁いで来てから、ただの一度も笑顔を見せてもらった事がない。息子であるアウィスですら寄りつかせぬ』


 ――違うのに。嫌ってなんか、いないのに。

 ――じゃなければ、あんな瞳で彼を見る事はないもの……


 男性の言葉に痛んだ胸に苦く甦る、女性が立ち去る際に見せた切なげな横顔。

 凍り付いたような美貌の中、常緑の瞳の中に一瞬浮かんで消えた、焦がれるような色。上手く感情を伝える事が出来ないのだろう女性の、不器用な想い。


 ――気が付いているのは多分、私だけ


 寂しげに微笑む男性を見つめながら、『私』の中に暗雲のように重くどうしようもない気持ちが広がっていく。


 ――言えない。言いたくない。

 ――だって。だって、私も彼のこと――彼のことを、愛してるから。


 ――迷い込んだ私を救ってくれた、美しい竜王。


 ――ウェイフォン・インゼル……



 ウェイフォンて、ウェイフォンて……ちび様!?



「ええ!?」


 現実とも夢ともわからない不思議な情景の中、最後の最後で頭に響いてきた名前に、私は思わず声を上げた。

 あの夢に出てきた、どちらかと言えば格好いいというより美しい系の男性と、格好いいというより可愛い系のちび様が同一人物!?


「あり得ない!」

「なっ」


 また大きく叫び、私はそこでようやく目を開けた。

 すると何故か目の前に、夢に出てきた男性によく似た青の瞳が、まん丸くなってこちらを見つめていた。あ、ちび様。


「……あの、ええと」


 昨日眠りについた時のまま、柔らかな寝台に横になっている私の上に覆い被さるようにしてちび様がいた。えっと、なんだこの体勢。

 まるで「おはようのキス」でもされそうなほど近くに、幼さの残る整った顔が。身体の両脇には彼の腕。なんていうか、押し倒されてる感じ?

 至近距離で見つめ合ったまま動かないちび様に、私はとりあえず常識的に声をかけてみる。


「……おはようございます?」

「う、わ……!」


 多少疑問系になったことは仕方がないとして。

 朝の挨拶を口にしてみると、なぜだかちび様は言葉にならない悲鳴を発し、素早く私から身体を離した。あんまりにも勢いよく身体を起こしたものだから、バランスを崩して尻餅をついてしまっている。

 私は少し気怠い身体を慎重に起こし、少しだけ感覚の戻り始めていた左腕をそうっと伸ばしてみた。うん、まだ痛みはない。

 それから改めてちび様のほうを見ると、彼は真っ赤な顔をしてこちらを睨み付けていた。な、なんで怒ってるのかなあ。わかんないよ、男子!


「ちび様……なんでちょっとお怒り気味なんでしょう、朝から」

「おまっ、おま、え、が!」


 濃い青色の瞳が、鋭くこちらを睨み付けているけれど、顔から首から耳から何もかも真っ赤なままではどうにも迫力がない。

 ちび様は勢いよく叫んだ後、ちょっとの間呼吸を整えてから口を開いた。


「お前が泣きながら俺の名を呼ぶから……。だから心配になってお、起こしてやろうと思っただけだ! そしたら急に目ぇ開けやがって……!」


 言われて初めて目元に手を当ててみれば、確かにそこは泣いた後のように潤んでいた。頬にはぱりぱりとした涙の跡が。

 な、なんで? 泣きながらちび様の名前を呼んだって?

 そこで不意にさっきまで見ていた夢のことを思い出す。

 私ではない『私』の気持ち。切なくて、苦しい恋心。そして、あの美しい男性の名前。


「ウェイフォン・インゼル……?」


 ぽつりと零れた名前に、ふて腐れたような顔をしたちび様が「何だよ!」と答える。

 そう、そうだよね。これはちび様の名前で……だけど、何で?

 そのまま考え込んでしまった私を見て、こちらを睨んでいたちび様が首を傾げるのが見えた。

 夢の中の男性によく似た――いや、彼よりも幾分か濃い色をした青の瞳。光の加減のよっては黒色に見えなくもない、群青の。

 縦長の特徴的な瞳孔は鋭くも決して近寄りがたいものではなく、優しさと穏やかさを湛えている。

 あ、もしかして……。


「ちび様のお父さんも、ウェイフォン・インゼルって言うんですか?」

「いきなり何だ?」

「いえ、その……ちょっと気になったって言うか……」


 何と説明したらいいのかわからずあやふやに言う私を訝しみながらも、ちび様は当然だろうというように頷く。


「この名は代々のインゼリア王が継ぐ名だ。当然父上も王であった時はウェイフォン・インゼルを名乗ってた」

「インゼリア王の名前……」

「ああ。ウェイフォン・インゼルってのはインゼリアの竜王、という意味の古代竜語だからな」


 どこか誇らしげに、けれど少しだけ真っ直ぐなその瞳を歪めてちび様が言う。

 インゼリアの竜王。

 やっぱりあの夢の人はちび様のお父さん、なのかな。

 だとしたら、眠っていた子供は前にミーメの里で聞いたちび様のお兄さん?

 あの綺麗な女性はそのお母さんで、確かちび様とお兄さんのお母さんは血が繋がっていなくて……。じゃあ、『私』は誰だったんだろう?


「……バ! ウラバ!」


 私の頭の中にぐるぐると渦巻いていた疑問は、耳元で大きく響いた声に吹き飛ばされてしまう。今、何かすごく重要なことにたどり着きそうだったのに!


「何ですか、うるさいですよ!」

「お前、それが一国の王に対する態度なのか!」

「何を今さら……」

「よし、よく言った。俺が運んで来てやったこの朝食はいらねえってことだな」


 何か美味しそうな匂いがしていると思ったら、そう言うちび様の傍らには湯気が立つ雑炊のようなものが入った器が並べられていた。

 それを見た私のお腹が素直にぐう、と鳴く。……うん、正直。


「マジすいませんでした! 頂きます!」

「お前……」


 即行で謝って手を出した私に、ちび様は呆れたように大きなため息をつくと、それ以上何も言わずに器を差し出してくれた。

 器と同じく木で出来たスプーンのようなものを同時に受け取って、私はほくほくと早速ひとくち雑炊らしきものを口へと放り込む。

 少し茶がかった麦みたいなものがとろりと口の中に広がる。一緒に入っていたキノコのような食材も、噛み締めればぷりっとした歯ごたえとともに卵のような味がした。何これ美味しい!


「これ、すっごい美味しいですね!」

「ん」


 私と同じように雑炊を掻き込んでいたちび様が軽く頷く。


「感謝しろよ。この時期、シュニーユは探すのが大変なんだからな」

「探す……?」

「お前の調子が悪いからって、フェーレスの奴も手伝ってくれてな。あいつ、鼻が利くから木の中に潜り込んでるシュニーユがわかんだよ。便利だよな」

「木に、潜り込んで、る?」


 何かすごおく嫌な予感がする。

 その説明を聞いて固まってしまった私を見て、ちび様は首を傾げた。


「何だよ」

「しゅ、シュニーユって……なんですか……?」


 恐る恐る訊いた私に、眉を顰めていたちび様はああ、と納得したような声を出す。「お前は知らないのか」と。


「森の民が病気の時に食べるもんだ。本当は火で炙るのが一番なんだけどな。お前は消化器官も弱ってるだろうから煮込んでもらった」


 ほら、その黒い奴。

 そう言われて私は雑炊へと視線を落とし、そして今度こそ完全に凍り付いた。

 薄茶色ののお粥の中に「栄養満点です!」という顔をして浮いていたのは、虫。

 どこからどう見ても、芋虫。黒色が憎たらしいくらいの、ぷりっとした虫。虫。虫!!

 どうして私はこれをキノコだと思えたのか。空腹だったからか! 食いしん坊万歳!

 ……泣きたい。出来れば今すぐ号泣したい。

 いくら私が草と泥にまみれて細かい虫入り味噌汁が平気な女性自衛官でも、まんまは、まんまは嫌だああああ!

 しかし、半分泣きそうになっている私を見詰めるちび様の顔は、心の底から体調を心配してくれている真摯なもので……うわああああん!

 虫が駄目とか、こんなの食べ物じゃないとか、色々叫びだしたかった感情と一緒に、私はお椀の中に残っていた全てを一気に飲み込んだ。自棄になって全てをかみ砕く。間違いなく異世界。ここは異世界!


「そんなに気に入ったなら、お代わりもらってきてやろうか?」


 そんな優しい申し出を、私は違う意味で目に涙を滲ませながら全力で辞退したのは言うまでもない……。



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