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ちび王様と自衛官な私  作者: 吉田
旅の途上
27/28

豹族、ナアルリンガ


 

 薄暗かった小屋の中で、静かに光を放つ白銀の髪。真っ直ぐに伸びたそれは肩の下辺りまでで綺麗に整えられていた。

 しなやかで凹凸の激しい肉感的な身体を包む、滑らかな金茶の短毛。所々に特徴的な焦げ茶の斑点があり、両肩と両手首はふわりと膨らんだ白い毛。それはまるで装飾品のような優雅さでぐるりと縁取られていた。

 小さな顔には大きなアーモンドのような形をした金色の瞳。ちび様の物によく似た縦長の瞳孔が、私を見詰める間に室内の暗さに応じて丸く広がるのがわかった。

 猫、というよりかはもっと大型の……なんて言うか、豹。

 私の視線を受け、短く切り揃えられた前髪の下、斑点と同じ色をした模様から続く大きな耳をぴくぴくと動かして見せた。三角の、少し丸みを帯びた耳は確かに豹だ。

 耳の動きに合わせるように、お尻から伸びた長く太い尻尾が軽くしなる。


『初めましてぇ! あたしはフェーレス。見ての通りの豹族ナアルリンガでペルシカの血統だよっ』


 猫は笑わないって言ったのは誰だっけ、なんて変なことを思いながら、私は彼女の差し出した手を握り返した。……肉球は、ないみたい。


『あたしたち豹族ナアルリンガは、歌や踊りが得意でねえ。あっちこっちを彷徨いながら暮らしてんだにゃあ。今回も目的地の前にミーメに寄ってと思ったんだけど、どうも火薬の臭いが強いもんでここらでいったん様子見ようってことになったんだよお』


 そうしてたどり着いた小屋に私たちがいた、ということらしかった。

 彼女たちとちび様との間にどんな会話があって、どうして私たちを助けてくれるのか、詳しいことは語られなかった。多少警戒しつつもちび様が許してるってことは、まあ大丈夫なんだろうなとは思うんだけど。

豹族ナアルリンガは前竜王には恩があり、獣人リンガはよほどのことがない限り竜族を助けるものだ」っていうのが、ひとつの理由らしい。

 ただそれだけでガナドールっていう大国に逆らうのかどうかは、私にはちょっとわからない。

 含むところも大いにありそうだけれど、それも鑑みた結果ちび様が決断したことなら私も信じる。


 それからこちらの事情を大雑把に話し――インゼリアが落ちたことはもちろん知られていた。当然ちび様がインゼリア王だということも――、私の腕の傷を見せたところで初めてフェーレスさんが顔を曇らせた。


『これは癒しの法術士じゃないと無理だと思うにゃあ』


 どうやら、私の受けた傷は「呪い」に近い物らしい。あの時受けた短剣にそういった類の力が込められていて、下手をするとちび様か私は滅茶苦茶にされた竜鳥と同じ目にあっていたかもしれない、と。

 竜鳥が咄嗟に私を突き飛ばしてくれていなければ、左腕がこんな風になるだけじゃすまなかった。命を、落としていたかも……。

 そしてこの呪いは癒しに特化した法術士でないと解けないだろうと、フェーレスさんは言った。


『ちょうど今、ゾーナベルデにソワンて術士が来てるらしいよ。癒しでは一流らしいし、ゾーナベルデだったらあたしたちの行く方向だ。竜車に載せていったげてもいい』

『ソワン・セラピアが……!』

『ん? 知り合いかにゃあ?』

『まあな。……それで?』

『んん?』

『お前達が竜族おれたちに頭を下げてくれるのは知っている。だが、何の見返りもなくするほどお人好しではないことも知っているぞ、フェーレス。特に豹族ナアルリンガは強かだと聞く。なればこそ、流浪の一族ながら各地で人と上手く共存できている。違うか?』

『うひゃあ。褒められたのかにゃあ?』

『時間が惜しい、早く言え。俺たちの足元は充分確認しただろう』

『さっすが竜王様! ……あのねえ、あたしたちもそこらの人間よかは動ける方だけどね、旅暮らしをしてるとそれなりにあっぶない目にあったりすんだよお。で、そんな時のために用心棒なんかも雇ってるんだけどお』

『その用心棒が逃げ出したか?』

『じゃなくて、休暇中に喧嘩でもしたみたいでさあ。胸の骨を何本か折って、今ちょっと派手に動けないんだよね。ちょっとした野盗なんかならいいんだけど、人数が多かったり腕が立つようだと心許ないっていうかあ……』


 にんまりと愛想笑いをするにフェーレスさんに、ちび様もにやりと意地の悪い笑みを返す。


『お前達の行く道にゾーナベルデがある。そこには法術士がいて、こちらには怪我人。その道行きを共にする代わりに、俺に一時用心棒になれと。そういうことだな?』

『いやあもう、竜王様にそんな不遜な! ただ、ほら乙女ちゃんもいるし……守ってくれますよねえ?』

『あれを連れてさっさととんずらするかもしれないぞ?』

『あー、それは無理ですよお。知ってます? 最近ゾーナベルデに兵が立つようになったの』


 声を潜めてそう告げたフェーレスさんに、ちび様が眉を寄せる。そしてその顔を見て彼女は大きく頷いた。


『自治地区なんて謳ってたのはもう昔。裏ではガナドールが手を回してるんだあ。だから街に入るのに兵隊に調べられるし、“逃亡者”なんてのはその場でお縄だと思うんだにゃあ』

『くそっ! そういうことか!』

『そそ。しつこく追っかけてこないのは、どこに行こうとどっかで網にかかるのを待ってるってわけ。そこでお立ち会い!』


 ぺしぺしっと調子よく自らの尻尾で音頭をとりながら、フェーレスさんが手にしていた紙を何事かと訝しむちび様の前に差し出した。

 ぺらりとめくった所には、何やら人の名前らしきものとその他色々が書き込まれている。私の場所からではよく見えないけれど、何か身分証のようなものだろうか。


『おまえ……!』

『こういう商売してるとねえ、まあ人の出入りが激しいもんだから、機会がある時にはちょろっと予備とか予備とかを作っておくんだよねえ。頭のかったーいお役人とか兵隊さんとかは、そういうのは不法だ!なんて言ってるらしいけど、生活の知恵って言ってほしいよね、知恵って。だって、いちいち申請してたら年が明けちゃうもん』

『……で?』

『これがね、ちょうど二人分。そんでもって兄と妹なの。うちは衣装もあるし、化粧の玄人も連れてる。一緒に言ってくれるなら、これ全部タダ! なんなら食事も付けるっ』


 苦虫を噛み潰したように渋い表情になるちび様とは正反対に、今やフェーレスさんの顔はどこの大阪商人と言うほど輝きに満ちていた。勝負は……最初から決まってるような。

 そうして彼女の提案を受け入れた私とちび様は、何とかゾーナベルデへの旅の途上についたのだった、けれど――。


 まずは徒歩じゃなくて竜車に載せてもらえるのは素直にありがたい。

 竜車っていうのは私を庇って死んだあの竜鳥が二頭立てで引く、私の所で言えば馬車のような物だった。ていうか、馬車。

 身体が思うようにならない今、歩くよりは大分まし……とは言うものの、もちろん舗装された道などなく、どこばこどすんと跳ねる跳ねる。何がって私が。

 そして不意に襲ってくる『発作』と呼んでる、激痛。

 数時間毎に黄草を飲んだり、左肩に塗布したりもしてるけど、こればっかりはいつ来るかわからない恐ろしいものである。

 一度襲われれば黄草をとるより他ないし、そうなると意識は朦朧とするし体力も削られていく。眠ってしまうから食事も取れないで、結局ゆっくりと消耗している状態だ。

 そのせいかさっきもちび様に指摘された通り、数日前には高熱を出す羽目になった。

『発作』は日が経つに連れて激しく、間隔も短くなってきているように思える。

 それは呪いがより私の中に潜ろうと、この身に焼き付こうとしているせいらしく、とにかく一刻も早くこれを解いてもらわないと命すら危ういらしい。

 当人である私と言えば、殆どの時間を黄草の麻酔効果でぼやっとしているせいか、恐怖はない。

 ただ、こうして手を握ってくれているちび様に負担をかけていることだけが辛かった。


「ほら、目ぇ閉じろ」

「……はい」


 そっと瞼に掌を落とされて、私はそれに逆らうことなく目を閉じる。

 何もできない。私は、何もできない。

 こうして彼の言うことを聞くことだけしか……。

 ちび様は旅に出てからずっと寝ていないらしい。私が起きている時や時間がある時にはずっとついてくれていて、護衛や見張りの仕事もこなしている。

 本人曰く「竜族はひと月くらい寝食を忘れても充分動ける」らしいんだけど……それでも無理していることには違いない。

 何だか最近はちび様まで少し痩せたみたい。

 元々細身の彼は、より無駄な物がこそぎ落とされ、どこかひどく大人びて見える。

 47歳を掴まえて「大人びてる」なんて言うのはおかしいかもしれないけど、何だか急に何もかもを背負って立とうとしているようで、寂しい。

 うん、寂しいんだ、私。

 近いと勝手に思っていた距離が、ふとした瞬間にずっと遠くなっていたような。

 そんなに何もかも背負ったら潰れちゃうよ、ちび様。

 できるなら少しでも、私も隣で支えたら……だめかなあ?

 こんな風にひとりでは眠れもしない私が口に出せる願いじゃないけど、最近はそのことがっかり考えていた。


 この孤独な人の近くに、いたい。

 抱き締められなくていい。ただその隣に立っていたい。……それだけ。


 そんなことをぐるぐると考え込む私の耳に、低く途切れ途切れだけど穏やかな歌が聞こえてきた。

 それは小さい頃にいつも母親が歌ってくれた、子守歌の旋律。囁かれる歌詞はまったく違うけれど、誰もが知っている眠るための優しい歌。


 ――なんで、ちび様はこの歌を知っているんだろう。


 頭の中に浮かんだそんな疑問は、いつしか穏やかな歌声と優しく頭を撫でる手の感触に紛れ、深い眠りとともに散らばっていった。



 ***



「テラス! テラス・ガナドーレ! あなたはいったい何を考えているのですかっ」


 普段は几帳面に整えている髪も衣服も振り乱し、ノウェム・セプテンベルは留めようとする護衛兵士を振りきってテラスの居室へと踏みこんだ。

 陽に当たることの少ない文官という立場を越えてからもその面の白さには変わりはなかったが、今はそれも真っ赤に染まりきつく目の前の男を睨み付けている。開いているのかいないのか、と常にからかわれがちな細い目は珍しく見開かれ灰色の瞳が覗いていた。

 その視線の先。大きな窓に向かって立ち、世話係に衣服を整えさせていたテラスは軽く手を振りそれを払うと緑の瞳を怒るノウェムへと向けた。どこか面白い出し物を見ているとでもいうような視線に、ノウェムははあっと大きなため息をつく。


「御自分のなさったことがわかっているのですか!」

「私の副官ともあろう者が、朝から大騒ぎでどうした?」


 もはや緩む口元を隠すつもりもないらしく、派手ではないが趣味はいい外套の襟元を直しながらテラスはようやくノウェムを振り向いた。口調にひとつも荒れたところはない。それがまた、ノウェムの頭を痛める。


「“私の副官”とおっしゃるなら、その副官にも知らせず“いたずら”をするのは止めて頂きたい! いったいどうするおつもりなんです!」


 当初よりも幾分か冷静さを取り戻したノウェムは、先ほど伝令の持ってきた書をテラスへと突きつける。あまり質の良くないざらりとした紙に記されている文字を目で追い、テラスはわざとらしく秀麗な眉を顰めて見せた。


「なんということだ、ノウェム。本国からこちらに向かっていた領地統括官が亡くなったと?」

「予定日になってもお着きにならないので、竜騎兵の一翼を出して捜索させていたのですよ。そうしたら、ここより少し離れた崖の道に痕跡がありまして」

「ああ、山道には慣れていらっしゃらなかったのだろうな。統括官殿ご一行は中央育ちであるから。あれほどインゼリアへの道には気を付けよと申し上げたのに……」

「テラス総司令! いい加減に下手な芝居はおやめ頂きたい!」


 いかにも落胆しているとでも言うように黒の革手袋で覆われた手を目元に当て、静かに首を振ったテラスに対して、再びノウェムの怒りが爆発した。しかし今度は扉の外を気にするように、声を潜めて。

 噛みつくようにこちらを睨み付けてくる彼に、テラスはふっと小さく笑みをこぼし、あっさりと悲しみに満ちた表情を払拭した。触れれば切れそうなほどに整った美しい顔が、次の瞬間ひどく下劣に歪む。


「これは不幸な事故なのだ、ノウェム」

「それで私に納得しろと?」

「出来ればそうしてもらいたいが?」


 テラスはノウェムから書を取り上げると、ぐしゃりと無造作に丸めて近くのテーブルの上へと放った。ノウェムはさきほどから痛み始めたこめかみに手を当て、眉間に皺を作る。そうして乱れた髪や衣服を整えると、改めてテラスを睨み付けた。


「本国に付け入る隙を与えるつもりですか」

「この程度の者が死んだところで何の痛痒も感じないだろう、あの老人どもは。“統括官は誤って崖から落ちた”のだよ、ノウェム。誰の責任でもない。ああ、お悔やみの伝書を届けさせるか」

「……それで、あなたはこれからどこへ行かれるおつもりですか」


 いつもの黒い軍服姿ではなく、どこにでもいるような――少し身なりのいい青年のような格好をしたテラスに、ノウェムは出来ればすべてを見なかったことにしてしまいたいと思いながらも律儀に問うた。それこそ彼が彼たる所以なのだが。

 そのノウェムの苦悩を他人事のように眺めながら、テラスは宮廷中の女性たちを虜にしてやまない、この上なく優しい笑みを浮かべた。


「ゾーナベルデへ」


 てっきりまた周辺国へと潜り込むのだと思っていたノウェムは、テラスの口から出た意外な名前に眉を顰めた。


「ゾーナベルデとは、帝国領にあるゾーナベルデですか?」

「それ以外に同じ名の街があるとは聞いたことがないな」

「この時期に何をされに行くのです。あまり軽率な行動は控えて頂きたい。大体、インゼリアは落ちたばかり。未だこの地を含めて周辺も落ち着いてはいないというのに――」

「ノウェム」


 そのまま続きそうになった小言を押しとどめるように、テラスが名を呼ぶ。訝しげな顔で、しかし渋々ながらノウェムは口をつぐんだ。無理矢理だったとしても、信用ならなくとも、上官は上官である。何か考えあってのことなのだろうか、と次の言葉を待つ彼の耳に届いたのは、とんでもないひと言だった。


「少し疲れた。しばらくのんびりと身体を休めることにする」

「な――んですって?」

「聞こえなかったか? 私はしばらく休暇を取るのだと言ったんだ。なんならお前を連れて行ってやってもいいぞ、ノウェム」

「あなたは何を考えているのですかっ!」


 三度の大爆発。今度こそ遠慮も何もなく、ノウェムは思う存分にその怒りをテラスへとぶつけた。

 ナツメにおいてもインゼリアにおいても、テラスのやったことは紛れもない侵略行為。それを正当化するためにあの怪物を使い、さもインゼリアの謀略であったと、そのように事態を収拾しているその最中に、全ての元凶であるこの男は休暇を取るのだと!

 副官となってから、自分は朝から晩まで働きづめだというのに――と、ノウェムはそろそろ自らの何かが盛大に切れそうなのを何とか理性で抑える。


「そもそも何故ゾーナベルデなどに? 戦神と呼ばれるあなたでも、御自分の国は落とせますまい」


 せめてもの反撃をとちくりと潜ませた皮肉に、テラスは喉の奥で低く笑う。彼の中にある低く煮えたぎる野心を指摘されても、余裕の態度は崩さない。


「良き出会いがあるような気がしてな。私にもそろそろ花嫁が必要だ」


 どこか嬉しそうに笑うテラスを、ノウェムは呆然と見返すしかない。疲れすぎて幻聴までも聞こえてきたのかと首を振る彼に、テラスはそれ以上何も言うことはなく、ただ何か含んだような笑みを浮かべ続けた。



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