闇の中の緑、光の中の青 (1/28加筆修正)
「あ、あああああああああああああ――っ!」
焼ける。焼ける。焼ける。
内側から、外側から、焼き尽くされてしまう!
その熱さから、痛みから、逃れようとありったけの悲鳴を上げて身体をよじり、手足を暴れされる。けれど、身体は自分の思うように動いてくれない。
重くて、重くて、呼吸すらままならない。それがますます私のパニックを大きくしていった。
わからない。何もわからない。
痛い、熱い、重い……誰か、誰か助けて!
「ウラバ、ウラバ……ウラバっ!」
動かない身体を必死に動かす私の名前を、誰かが必死に呼んでいた。
重りをつけられたような腕を振り回せば、それを温かな何かが掴み取る。けれど、何もわからない私はそれすらも恐ろしく、無意識に涙を零しながら拒絶するように抗った。
怖い、怖い怖い!
「ああ、あっ」
「大丈夫、大丈夫だ、ウラバ。俺がいる、俺がここにいるから……!」
背中が、全身が熱い。熱いのに、芯はひどく冷えていて。その震える体を誰かがそうっと抱き寄せた。
底のない沼の中に沈み込んでいくような恐怖に怯えていた私は、その確かな温もりに必死になってしがみつく。お願いだから、離さないで。
私の心の叫びが聞こえたかのように、私を抱く腕に力が込められた。
「ウラバ……」
泣きたいのにそれを堪えるように震えた声が、私の名前を耳元で囁く。
狂ってしまいそうな痛みと熱に思考を支配されかけていた私は、その声に何とか耳を傾ける。これは、誰。誰だっけ……。
硬い手のひらが、汗で貼り付いた私の前髪をそっとよける。それに釣られて胡乱なまま目を開ければ、そこには苦しそうに顔を歪めるちび様の顔。
今にも泣き出しそうに、不思議な虹彩の瞳が揺れる。
「ちび、様……」
「ウラバ! わかるのか、俺がわかるかっ」
「ちび様、どうして……」
疑問を口にしようとして、私は激しく咳き込んでしまう。
そうすると、再びひどい痛みが左肩から全身にかけて襲ってきて、私はそれを堪えようと息を詰めた。
そんな私を横抱きにして、ちび様はただひたすらに囁く。
「すまない、俺のせいだ……! 俺が……っ。ウラバ、ウラバっ」
熱に浮かされたまま、私はその言葉に首を振る。
前後の記憶がまだ定かではないけれど、それでも何だか否定しなくちゃと、ただそう思って重く感じる手を伸ばす。
まだまだ少年と言っていい面立ちに指をそっと触れさせると、その手の上に彼の手が重ねられた。
「だいじょう、ぶ、だから……。こん、なの、筋肉痛、みたいな……もの、だから……っ」
「ウラバ――」
無理矢理に顔の筋肉を動かして何とか笑みの形にしてみたけれど、ちゃんと笑えたかどうかはわからない。けれど、目の前のちび様の表情は少しだけ和らいで、それにほっと息を吐く。
「今薬を飲ませてやるからな」
「くす、り……?」
「野草だがよく効く。リンガ達が黄草と呼ぶもんだ。精製できないから効く時間は調整できないが、大体はわかるから安心しろ」
頬にある私の手を一瞬だけ強く握り、それから壊れ物でも扱うように寝台の上へと戻す。それから彼は傍らの台に置いてあったものを手に取った。
それが黄草、というものなんだろうか。
黄みがかった柔らかそうな草を手にしたちび様は、それを私へと差し出した。えっと……?
わけがわからず視線で問いかければ、それに気が付いたちび様が口を開く。
「口の中で噛んで飲み込め。とりあえずはそれで痛みが和らぐ。身体が楽になったらこれをよく練ったものをそこに貼り付ける。何時間かは痛みを感じないだろう。ただし、左腕は麻痺して動かし辛くなるだろうけどな」
「は、い……」
何とか頷いて口を開くと、少し硬い感触の指先が唇に触れた。軽く口の中へと葉が押し込まれ、私はそれを噛み締めようとして……咽せる。
喉が痛むせいか、熱のせいか、衰弱している身体のせいか。美味く噛むことも出来ずに吐き出してしまい、私は苦しさと申し訳なさで涙ぐむ。
このくらいで泣きが入るなんて、情けない……っ。
「ちび様……ごめ、なさい……っ」
「馬鹿、謝んな!」
「で、もっ」
言葉を続けようとして、走る痛みに呻く。なるべく声を殺そうとして、失敗。
「無理に我慢すんな」と言いながら汗ばんだ額から前髪を避けてくれる。なんだか、大人の男の人みたいな仕草。
そっか、この人、男の人だった。
散漫になった意識の中でそんなことを思う。するとわたしを見つめていたちび様が、別の黄草を手にしてごくりと喉を鳴らす。何か親の敵でも見つけたような険しい顔で睨み付け、それから意を決したように手の中の葉を口へと放りこんだ。ちび様……?
数回葉を噛んだ後、それを手に吐き出して私へと再び近付ける。
「ちび、様?」
「気持ち悪いだろうが、我慢しろ。お、俺だって、求愛給餌なんか……なんかっ」
「きゅうあいきゅうじ……?」
言葉の中に出てきた単語が頭の中で意味を為さなくて、無意識に繰り返せばちび様の顔が更に赤く染まった。
「う、うるさいっ。口を開けろっ」
何で怒鳴られなければわからずむっとしたけれど、それよりもこの痛みを何とかしたい気持ちが勝って、私は言われた通りに口を開いた。
さっきとは違って今度はやや乱暴に、ちび様が噛み砕いた黄草が押し込まれる。舌の上に何とも言えない苦みが走り、反射的に吐き出そうとするのを何とか抑えて飲み込んだ。
それを見届けて、ちび様が顔を緩ませる。と同時に何故だかひどく気まずそうな顔をして、口元を手で覆い目を逸らしてしまった。
なんでそんな、何かエロ本を見ているのを見つかった男子高生みたいな反応するんですか……?
「お、俺はちょっと森へ行って食い物を調達するっ。お前は大人しく寝てろ!」
「はぁ……」
「身体が楽になっても、ぜってぇ捜しに来るなよ!?」
「え?」
「来るなよ!?」
物凄い形相で睨み付けられ、私はとりあえず頷く。
黄草が効いてきたのか早くもとろりとした眠気に襲われ始めた私は、ただぼんやりと前屈みになって部屋から出ていくちび様を見送ったのだった。
***
濃紺の闇が重くもたれた深夜。
深い森に囲まれ、いつもならば虫の音のひとつも届くはずの王宮だが、今はまるで何もかもが息を潜めているかのように不自然に静かだった。
その奥深く、簡素ながら気品に満ちた謁見の間。
不思議な透かし彫りで飾られた窓から、雲に邪魔されることのない三つの月の光が、彼の残酷なまでに美しい横顔を闇に浮かび上がらせる。左側から入る光は、無造作に流されている金髪に弾かれ、右側の闇をより一層濃く見せていた。
扉から縦に伸びるその広間を全て見渡せる位置――王の玉座に、彼の姿はあった。
「今宵もお美しく……。我が上位者、テラス・ガナドーレ」
悠然と当然の如くそこに腰掛けるテラスの前に、ひとつの影が跪く。黒のローブの下から低い声音が、二人以外人の気配のないその場に響き渡った。
片膝をつき、彼より適度な距離を持って顔を俯かせている影に、テラスはその緑の瞳をむける。彼の存在にたった今気がついたばかりだ、とでも言うように。
「玉座はこの手に落ちた。しかし、傍らに『彼女』がなければ、こんな無意味なものもないだろう」
笑みを含んだ言葉は、どこか危うい響きをも内包して影へと落とされた。
その言葉の意味することに微動だにしなかった身体を微かに揺れ、その途端猛烈な暴風が影に襲いかかる。跪いたままだった身体は簡単に吹き飛ばされ、どすん、とひどい音を立てて壁に貼り付けられた。玉座の近くより、出入り口のほうへと。
あまりの衝撃に言葉もなく胃の中のものを赤い血とともに吐き出し、影は苦しげに口元を歪める。
そこで初めてテラスは穏やかな笑みを向け、玉座より立ち上がるとゆっくりと影へと近づいた。
「テ……ラスっ……さ、ま……っ!」
「苦しいか、華の血を引く者よ。しかし、私はもっと苦しい」
「あ、が……っ」
残酷なほど美しい微笑に、何か見えぬもので全身を押さえつけられている影はそれでもなお見惚れた。
見惚れて、だらだらと涎が流れるその口元を醜く歪ませる。
「お、美し、く……あら、せ、られる……っ」
狂った忠誠の言葉にテラスは羽虫に止まられた程にも頓着せず、さらに風圧を強めてから影の身体を開放した。
月明かりを受けて輝くテラスの足下に転がる影は、真に彼の影のようにも見える。ひゅうひゅうと病気の動物のような音を立てながら、影はテラスの足へと手を伸ばす。
手足をもがれた生き物のように這いずり、皮の靴に包まれたつま先に影は躊躇なく自らの唇を落とした。
「私の、……上位、者……!」
「華の血を引く醜き下僕よ。私はお前に、彼の人を傷つけることなく私の前に連れてこいと言ったはずだぞ?」
「申し訳、ございま、せぬっ」
つま先を掴んでいた両手を振り払うように、テラスは足で影を蹴り上げる。小さな呻きとともに、影は近くへと仰向けに転がった。
どこかしら骨に異常があるような、不自然な呼吸音をさせながら上下する胸の上にテラスの片足が思い切り振り下ろされる。くぐもった鈍い音と、吐き出される血錆びの匂い。清廉なる謁見の間は暴力の場と化していた。
「補佐としてお前をやったというのに、一翼までも全て失い彼の人に傷を付け奪うことすらできず、それでお前は何をしにここに戻ってきたのだ?」
「申し、訳……っ」
「舐めろ」
がつん、と乱暴にテラスはつま先を影の口の中へと押し込む。苦しげに身体を痙攣させながら、影はそれでも忠実にそのつま先に赤い舌を這わせた。
それを見下ろしながら、テラスは緑の瞳を冷たく細める。蔑みではなく哀れな者への感情を乗せて。何よりも残酷な感情を。
「舐めながら、私の望むことを言え」
「は……、あ、彼の人、を……っ、彼の緑の乙女、を、必ずっ、御許に……!」
薄い茶の皮で出来たつま先を唾液で光らせながら、影は懸命にテラスへと言葉を紡ぐ。それを黙って聞いていたテラスは、言葉の後も自らのつま先に吸い付いている影を再び蹴り飛ばし、そうして玉座に背を向けた。
「望み叶うまで戻るな。あれにもそう伝えろ」
そう言い捨てちらりと出入りのための扉とは違うもう一カ所の扉に視線を向け、テラスは謁見の間を後にする。
そのまま捨て置かれた影はただひたすらにその背を追いながら、血と涎と吐瀉物にまみれた口元を歪ませた。
「お美しく、あらせられ、る……我が、上位、者……っ。憎々しい、までに――!」




