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ちび王様と自衛官な私  作者: 吉田
ベアルリンガ
24/28

温かな闇の記憶 (1/28加筆修正)



 水が入り込んだような、膜が張ったようなぼんやりとした私の耳に、ギャーっと鋭い鳴き声が聞こえた。振り向けば、こちらを見つめて何かを訴えるように鳴き続ける鳥竜の姿。

 ちび様によく似た鋭いその瞳が、今はどこか心配そうな色をのせていた。

 どうしたの、とそちらに向き直ろうとして――。


「――っ」


 重りでもつけられたかのようにだらりと垂れ下がった左腕。

 熱くて、熱くて。焼けた何かを無理に押しつけられたような、それが身体の奥深くまで突き刺されたような、そんな痛みが走る。

 私の左肩、ちょうど腕と胸の間辺りで光ったのは、さっきまで私が見ていた刃。真っ直ぐにちび様を狙って飛んできたそれは、彼を突き飛ばした私へと突き立てられていた。

 じわり、と肩口に広がっていく赤色。

 刺された左の指先からも血が地面へと落ちていく感覚。

 そこにもうひとつの心臓でもあるかのように、どくどくと脈打つ傷口。

 怪我が日常茶飯事である私だけど、さすがにこれはまずいかも、と妙にどこか冷静な頭で考える。人間て、どのくらい血を失ったら死んじゃうんだっけ。


「ウ、ラバ……!」


 突き飛ばされて地面に転がっていたちび様が、掠れたような声で私を呼んだ。

 じわじわと肩を中心に広がっていく痛みを堪え、傷に響かないよう静かに浅く息をしながら私は彼に大丈夫だと笑って見せようとして。


「なに……!?」


 まるで闇という闇を凝縮したかのような真っ暗なものが、私の左肩に刺さったナイフから一気に溢れ出した。

 何かの意志を持って軟体動物の足のようにうねり、夜の空に向かって高く吹き上がったかと思うと、急にその動きを止める。

 ただ呆然とそれを見上げている私を見下ろすようにして、そして。


「い、いや……っ!」

「ウラバ!?」

「嬢ちゃん!」


 無機質なそれと目が合ったと感じたのは、きっと気のせいじゃない。

 肩から噴出した闇は、今度は宙から真っ直ぐに私へ向かってそのうねる触手を伸ばしてきた。いや、いやだ!

 本能の警告。


 きっとこれに捕まったら、だめだ!


 けれど私の身体はなぜかその場に縫い止められてしまっているかのように、ぴくりとも動かない。

 いや、違う。左腕が何かに掴まれている!?

 全く自分の意志ではなく宙に投げ出されている左腕を引っ張ろうとして、だけどもう間に合わない。次に何が起こるのかわからないまま、恐怖にぎゅっと目を閉じる。

 すると、ギャーっと鼓膜を震わせるような鳴き声が聞こえた次の瞬間、さっき自分がちび様にしたのと同じようにどすんと強い力で突き飛ばされた。

 何かを考えるより先に身体の方が咄嗟に頭を庇うようにして、次に自分を襲うだろう痛みに全身に力が入って。

 けれど、私が地面に激突することはなかった。


「ウラバっ、ウラバ、大丈夫かっ」

「ちび、様……っ」


 受け止めてくれたのはちび様だった。

 前のめりに倒れ込んだところを、彼が地面と私との間に入りクッションの役目をしてくれていた。

 耳元で焦ったように呼ばれた自分の名前に反応すれば、腰に回された彼の腕に力が込められ、さらに引き寄せられる。まるで、抱き締められているような。

 図らずも二人して寝転がっているような体勢の所為か、普段感じている身長の差を感じない。私はちび様の意外に広く感じる胸にすがりつき、首筋には彼の鼻先が当たっている。

 早鐘のように脈打つちび様の心臓の音。

 じくじくと痛む肩の傷よりもその音と温もりがもたらす安堵感の方が強くて、そうしてほうっと息をつこうとした所に――。


 何かがめきり、と軋んだような、音。


 えっと痛む肩を庇いつつちび様の腕の中から身を起こし、振り返ると。


「や……っ」


 そこにはさっき私の肩から現れた闇の固まりと、それに絡みとられて押し潰されていく鳥竜の姿。闇は全身にその黒い触手を伸ばし、ぎりぎりと自分よりも大きな鳥竜の身体を締め付けていく。

 鳥竜はもはや鳴き声ひとつあげられず、くちばしから血の混じった唾液を垂らしながら、ぱきん、ぽきん、とひどく生々しい音をさせ小さくなって。ぐしゃり、と重たい水音とともに何かが地面にこぼれ落ちる。それと同時に辺りには思わず吐き気を催すほどの錆びた匂いと、排泄物の匂いが広がった。

 地面に落ちたのは、鳥竜の内臓。真っ黒なものの前で白い湯気が立ち、まだ命が通っているかのように、ひくひくと痙攣する心臓のようなもの。

 叫び声も上げられないほどの、凄惨な光景。喉をひりつかせ、逸らしたいのにその場に縫い止められたように視線は動かせない。

 ひゅ、とただ病んだ吐息が喉から零れ、竜鳥を乱雑に喰らった黒い影がそれに反応したようにこちらを向いた。

 目も耳も口もないただの影なのに、なぜかねっとりとした視線を確かに感じる。


「や、だ……っ」

「ウラバ!」


 身を起こし、だけどどこもかしこもが馬鹿みたいに震えて、身体が思うように動かない。その私にちび様が鋭く声をかけた、その矢先。


 黒い影が、笑った。


「ウラバっ!」


 ちび様が素早く身を起こすのと、影が私に襲いかかろうとしたのが同時だった。

 次の瞬間には左腕に焼かれた鉄の棒を押しつけられたかのような、激痛。右腕をちび様が掴み、強く自分へと引き寄せる。両腕をそれぞれに引っ張られ、私の身体ががくりと揺れた。


「あ、ああ――っ」


 黒い影が巻き付いた左手首からじゅう、と肉の焦げる音がした。身体の一番柔らかい場所に無数の針を突き立てられたような、激痛。

 それが肩へと向かってゆっくりと這い上がっていく。

 痛みよりもわけのわからないものへの恐怖が強い。身体の表層から何か暗い物が内側に食い込んでいく感覚。そして飲み込まれていく――。


「くそっ、何だこいつは!」


 影に引きずられようとする私を留めようとしていたちび様が叫び、手に握っていた日本刀によく似た細身の刀身をきらめかせたのを目の端に見た。

 その動きに気が付いた影がひくっと跳ね、対象を私からちび様へと変える。

 だめ、逃げて、ちび様……!

 そう言いたいのに、言葉は喉の奥に貼り付いたまま出てこなかった。その時。


「あ……っ」


 突然に左腕が影から開放された。

 私を強く引き寄せていた力そのままに、私はちび様へと倒れ込む。

 今度は一緒に倒れることはなく、私の身体に片腕を回したちび様は身体に戦いへの緊張を走らせたまま、低く声を発した。


「おまえ……なぜ!」


 焼かれつづれるような左腕の痛みに朦朧としながら、私はちび様の腕に支えられながら視線だけを動かし、声がぶつけられた方向を見た。

 そこには、さっきの黒い影に剣を突き立てる人影。森の闇よりも黒い影よりもなお濃く感じる、黒衣の――。


「――『彼女』に傷を付けてはならない」


 不思議な声音がその黒衣から発された。

 声変わり前の少年のような、低い女性のような、そんな声。それは隊長を刺し貫いたあの人のもの。

 なのに、今はなぜか私たちを黒い影から守っている。なんで……?


「上位者に与えられた命に背いた。やり直す」


 誰に言うでもない独り言のようにそう言葉を落とすのと同じく、剣を突き立てられた影が風に流れるように霧散した。まるで、何もかもが夢だったかのように。

 だけど左腕をもぎ取られたかのような痛みは激しく、全ては現実だ。


「上位者……おまえ、華人ファーレンかか!」


 駆けつけてきた黒衣の漏らした言葉に声を上げた。

 ファーレン、てなに……? 朦朧とし始めた意識に、そのどこか優雅な響きがする単語が刻まれた。

 デンスさんの登場とともに、再びちび様の身体が緊張する。二対一。だけど、こちらには足手まといである私がいる。

 私が、動ければ……そう思った途端に走る激痛。堪えきれない悲鳴を漏らすと、黒衣を警戒していたちび様がはっと腕の中の私を見たのがわかった。その隙を見逃さず、黒衣が素早く動く。


「デンス!」

「わーってるよ! これを預けとくぜっ、じゃあまた後でなっ!」

「借りる!」

「貸しとく!」


 短いやり取りの後、黒衣を追ってデンスさんが去っていくのを見つめながら、私はゆっくりと意識を手放した。



 ***



 ぽつん、と何かが頬に落ちてくる。

 粘着質な闇に包まれた意識を呼び覚ますように、ひとつ、ふたつ、断続的に。


 ――泣いている。


 唐突に、そう感じた意識が急激に浮上してくる。


 ――誰かが、泣いている。


 ふっと、それまで身体にまとわりついていた不快なものが取り払われ、私はようやく薄く目を開けた。

 まるで何年も眠り続けていたかのように、瞼が重い。一瞬、もう一度このまま深く眠ってしまおうかという考えが頭を過ぎり、けれど再びどこかから聞こえてきた泣き声に私はようやくしっかりと目を開けた。

 そこにあったのは、闇。

 いつか見た泣いていた少女と会った夢と同じ、明るい闇。

 さっきまで身体に貼り付いていたのとは違う、どこか安堵感すら抱くそれに私はほうっと息をついた。そうしてゆっくりと身を起こす。

 何だか、すごく疲れた。滅茶苦茶に戦闘訓練した後みたいに……いや、それ以上。

 少し痛む額を押さえ、まだぼんやりとかかる霞を振り払うように頭を振った、そこに。

 ぽつん、とまた何かが落ちてきた。

 手に受けてみれば、それは水滴。


(ごめんなさい、ごめんなさい)


 温かな闇の中、どこからか小さな子供の声が響いてくる。

 とても必死で、涙に濡れて。私はきょろきょろと視線を走らせてみるけれど、声の主の姿はどこにも見えない。ただぽつぽつと、どこからか水滴が降ってくるだけ。

 それは、誰かの涙のようだった。


(ごめんなさい、かあさま。ぼくがちゃんとうまれなかったからっ)

(こんなめをもってるから)

(こんなちからをもってるから)


 幼い男の子のようなその声は、「かあさま」と呼ぶ誰かに向かって泣きながら何かを訴えている。

 それは、聞いているだけのこちらの胸を刺すように切ない響き。彼が目の前にいたならば、今すぐにでも抱き締めて慰めてあげたくなるような。


(ゆるしてください、かあさま。おねがい、ぼくをだきしめて!)

(ぼくを、あいして)

(ぼくを、ぼくを、ぼくを――)


 闇の向こうに、何かが見えた気がした。

 まだ重い体を動かし立ち上がると、私はそちらに惹きつけられるようにして歩み寄っていく。見えてくる、小さな光。金色の髪をした、子供?

 華奢な身体を震わせて、握りしめた両の拳を伏せた顔に当て、彼は堪え切れぬ嗚咽を漏らしている。それは、あまりにも切ない。子供の泣き方なんかじゃなかった。

 悲しみという悲しみを、全部その小さな胸にしまい込むように、彼は静かに泣いている。

 堪らなくなって、私は彼を抱き締めようと手を伸ばした、その時。


(ぼくをうけいれないかあさまなんて、いらない)


 虚のような声が、震える小さな身体から発され。


(しんでししまえばいい!)


 小さな身体から何か大きな力がこちらに向かい、私は身を切り裂くような痛みに悲鳴を上げて――。



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