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ちび王様と自衛官な私  作者: 吉田
ベアルリンガ
22/28

月明かり、三度の再会



 さっきまで、あれだけ賑わって暖かな気配に満ちていた里の中は、今はもうしんと静まりかえっていた。広場の火は消され、家々にも明かりのひとつも点いていない。肌寒い風が通りすぎていくだけ。ただ、いつも聞こえていた虫の音までもが消え去っていることに、胸が嫌にざわめいた。

 大丈夫。人の気配がないってことは、リトスさんや他の女の人たち、子供たちは無事に里から出たってことだよ、きっと。

 自分に言い聞かせるようにして、胸の奥でわだかまるものを飲み込む。そして沸き上がる恐怖を堪えるように、前を走るちび様とつながれた手に力を込めた。すると、彼はちらりとこちらを視線だけで振り返り、唇にほんのりとした笑みを浮かべて見せた。


「ベアルたち森の民より道に詳しい奴らはいねえ。無事に森を抜けるだろう」


 私もちび様に遅れないように走りながら、黙ってその言葉に頷いた。

 繋がれていないほうの手で、小銃の追い紐を握りしめる。こちらに来てから癖になってしまった仕草。自衛隊にいた頃は、そんなに思い入れのあるものでもなかったんだけど、と思うとちょっとだけ不思議な感じもする。

 持って歩いてもどうせ武器にもならないものだし、この際だからここへ置いていこうかと考えたけれど、それを止めたのちび様だ。

 元の居場所と自らを繋ぐものを易々と手放してはならない、そう言って。

 それがどんな意味なのかまだよくわかっていないけれど、それでもこうして持ち歩けるうちは、と思い直したのだ。自分の存在をこの世界で確立していられる指針。そして、これがあれば帰れる気がするから……。

 その時、里から少し離れた場所でぱん、と花火のようなものが上がった。小さな火花のようにそれが弾けた瞬間から、急に周りの空気がざわめき、動き始めたのがわかった。


「ちび様っ」

「来たな……! 今のは三の罠の合図だ、まだ時間はあるっ」


 突然動き出した状況。悲鳴を上げる代わりに彼の名を呼んだ私に、ちび様は落ち着いた言葉を返す。乱れない足取りは、まっすぐ森の奥を目指していた。

 この道は、いったいどこに続いているんだろう。

 少し上がった速度に、私は呼吸を整えながら付き従う。月の明かりは鬱蒼と茂った森の木々に阻まれ、地面を照らすほどには明るくない。昼間とは違って暗い獣道に足を取られそうになりながら、ひたすらにその場所を目指す。木の根に引っかかって転びそうになった私を、ちび様が素早く支えてまた走る。彼には暗闇でも道筋が見えているみたい。

 再び背後で花火が上がった。


「二の罠まで来たか……!」

「デンスさんたち、大丈夫ですよね!?」


 ちび様の固い横顔に、私は訊いても答えようがないような問いをぶつけてしまう。言ってしまってから、私は後悔に唇を噛んだ。ちび様だって、耐えてるのに。私は不安をぶつけるばかりだ!

 振り切るように無理に足を動かせば、呼吸が乱れてさらに情けない気持ちになる。そんな私の手を、今度はちび様が強く握った。


「舐めてかかれる相手じゃねえけど、森に攻めいるのに相手がベアルじゃ、いくらガナドールだって分が悪い。それに、奴らの目的は俺たちだ」

「私たちがここからいなくなれば……」

「無理してまでデンスたちを追うことはない。俺たちにとっては危険が増すが、このあたりの地形は多少は頭に入ってる。他国人に遅れはとらねえよ!」


 力強く響いたその言葉に、私は焦って乱れかけた心を何とか落ち着かせる。

 今はただ、彼の足をできるだけ引っ張らないようにすることだけ考えよう。ガナドールの目的が私たちを捕らえることなんだったら、一刻でも早くこの場を去ることが、デンスさんたちのためになるはず。


「よしっ、見えてきた!」

「あ――」


 そこは前にデンスさんに連れてきてもらった、あの花畑だった。

 真っ暗な中でも、月明かりを受けて小さな白い花が幻想的に光っているのが見える。こんな状況じゃなければ、綺麗だと思えたのかもしれないけれど。

 その花畑の奥、大きな木に隠れるようにして何かの影が、私たちの声に反応して動いた。


「ちび様っ」


 びくっと身体を揺らして足を止めようとする私に、手を繋いだままでちび様はこちらを振り返り、安心させるように笑う。


「大丈夫だ。あれはデンスが用意してくれた鳥竜だ」

「ちょう、りゅう……!?」


 駆け足から早足へと速度を落とし、ちび様はそれだけ言ってずんずんとその影に近づいていく。私もその手に引っ張られるまま、木の陰に目を凝らして……思わず大声をあげそうになってしまった。

 そこにいたのは、ひどく奇妙な生き物。

 顔から首まではトカゲのような、月明かりにてらてらと光る黄土色の鱗に覆われ、途中からは柔らかそうな緑の羽毛に変わり、姿形はまるでダチョウのような。

 小さく生えた角らしきものの下にある金色の鋭い目が、私たちを見つけてきゅっと縮まる。それは少しだけ、ちび様の瞳の形と似ていた。

 鳥竜、と呼ばれたその生き物を目の前にして固まる私を置いて、ちび様は特に怯えることも警戒することもなく近づいていき、首の辺りを優しく撫でる。そうして、耳があるであろう場所に口を寄せて、何やらささやいた。


「ダァビーツ、ザァガンネルツァーレイネン」


 歌うような、流れるような言葉がその口から発せられると、鳥竜は金の瞳を細め、ちび様の伸ばした手に頬をすり寄せた。ちび様もまた首筋を優しく撫でてやる。そして、呆然と立ち尽くしている私を振り返り、手招きした。


「なにしてんだ、早く来い」

「えっと……あの、ちび様、それなんですか?」


 そろそろと警戒しながら近づきつつ、私はこちらをじっと見ている鳥竜を指さして訊く。少なくとも、私はそんな生き物、見たことないんですけど!

 鳥竜のほうも私を疑わしげな目で見つめ、太いやはり鱗に覆われた尾を横に振っている。なんていうか、これにとっても私は謎の生物らしい。

 ちび様は鳥竜の身体に括りつけられていた荷物を目で確認しながら、木に結びつけられていた手綱を手に取った。


「有袋竜の一種で、インゼリアでは一般的な乗り物だな」

「乗り物!?」


 私の声に、その鳥竜がくえっと勢いよく声を上げる。ちび様はまた軽く首筋を叩いて宥めるようにすると、手綱を引いて私の元へと近づいてきた。

 油断なく、辺りを窺うようにしてから私に向き直る。


「とにかく、話は後だ。これに乗って森を抜ける」

「乗ってって、私、こんなのには乗ったことないんですけど!」


 思わずそのトカゲ頭を指させば、何かが気に障ったらしい鳥竜が私の頭をごつっとこづいてきた。痛い痛い痛いって!


「ヒビィナエァシュロウス、ヴァーテン、ヴァーテン」


 睨み合う私たちの様子に少しおかしそうにしながら、ちび様が再び不思議な言葉をかけると、鳥竜は仕方ないなとでも言いたげにくう、とひと鳴きした。なんというか、ちび様に免じて許してやんよ!って感じだ。くっ……!


「遊んでないで、出るぞ。早く乗れ」

「ど、どうやって!?」

「ここ、腿に足をかけて一気に背に乗れ。手綱は後ろで俺が持つから」

「え、だって身体的に私が後ろのほうがいいんじゃ……」

「弓でも射られたらどうすんだよ。大丈夫だ、後ろからでもなんとか手は届く」


 なんかそこはかとなく失礼なことを言われた気がしないでもないけれど。

 確かに私が後ろじゃ、追っ手を上手くいなすことはできないだろう。それどころか、自分の背中すら守れない。

 私はひとつ頷くと、ちび様に指示されたとおりに鳥竜の硬く発達した腿に足をかけた。そこを踏み台にして、勢いよく背中へと乗り上がる。案外、大人しく鳥竜は私を受け止めてくれた。

 長く伸びた首の付け根、その両側に向かって退化したような小さな翼。ちょうどそこにある窪みに腰を落ち着ける。意外と、羽毛がふわふわしていて乗り心地はいい。

 私が落ち着いたのを見て、ちび様もさっと身軽に後ろに飛び乗ると、手綱を引いて竜鳥へと合図を送った。


「ゲェヒェンシューナール、シューナール!」


 ちび様が指示を出すと同時に、背後でひときわ派手な花火が次々と夜空に炸裂した。

 ぐん、と加速を開始した鳥竜の首にしがみつきながら、私は後ろを振り返る。今までとは感じが違う!


「撤退の合図だ、来るぞ……!」


 ごくっと喉が鳴ったのが自分でわかった。

 今まで追っ手を押さえていてくれた里の人たちに、どうか犠牲が出ていませんように。今はそんな風に力無く祈るしか、私には出来ない。

 深く暗く、木々が密集している道なき道を、鳥竜の太く強い足が走っていく。ところどころに出ている太い根にもつまずくことなく、身軽なジャンプとしっかりとした爪で避け、速度を落とすことはない。

 それでも、背後で手綱を握るちび様からは張りつめた緊張が伝わってきていた。


「三騎……いや、四騎か。これはデンスたちに感謝しねぇとな……っ」


 そう呟くと同時に、それまで何の気配も感じられなかった夜の森に、突然何かのいななきが響き渡った。

 びくっと肩を揺らして四方を見渡せば、いつの間にいたのか、私たちの後方には奇妙な姿をした馬のようなものに跨った兵士たちがこちらを窺っている。

 深い森に時折さし込む月明かりに鈍く光るのは、兵士たちが身につけた甲冑。中世の騎士と言うにはどことなく無骨で、華美なところは一切ない、ただひたすら実用に特化しているような印象のそれは、奇妙な馬の頭や身体にもつけられている。

 あれは……インゼリアで見習三人が世話をしているのを見たことがある。鳥竜と似たような、濃紺の鱗に全身を覆われた馬の形をしたもの。

 真っ赤な鋭い瞳をこちらに合わせ、獰猛に肉薄してくる。


「さすがに、鳥竜に二人乗りじゃ、竜馬りゅうま相手には分が悪ぃなっ……!」


 手綱をぴしり、と何度か鳥竜にあてて合図を送りつつ、奥歯を噛み締めるようにしてちび様が独白する。それは、ここの生き物について何も知らない私の目にも明らかだった。

 追っ手たちよりも確実に早くこの森に入ったというのに、もう彼らは私たちに手を伸ばせば届くところまで接近してきている。走る速度が、あまりにも違いすぎるんだ……!

 それでもいまだに何とか振り切っていられるのは、鳥竜が器用に障害となる木々を避け、より深い獣道へと走っているから。

 私はできるだけ邪魔をしないように、その首筋にしがみついた。


「頑張って……っ」


 その声に答えるように、竜鳥はひときわ大きく鳴き声を上げる。


「だけど、何であいつら弓を射てこねぇんだ!? これなら充分に射程距離に入るはず……何を狙ってる?」

「ちび様!?」


 不安げに響いたちび様の声に私が振り向いた、その時。

 くええっとどこか悲痛な叫び声を上げて、鳥竜は急激に足を止めて横へと動いた。あまりに突然の出来事に、私はその翼にしがみつくのがやっと。

 背後からちび様が振り落とされないように身体を支えてくれたのがわかった。


「な、なに……!?」

「……くそっ」


 衝撃も醒めやらないまま、ちび様の声にぎゅっと閉じていた目を開ければ、目の前には――。


「影……!」


 道なき道の目前に現れたのは、インゼリアで隊長を傷つけ、シムさんを追いつめたあの黒い影。三度みたびの再会に、身体の芯から震えが始まる。

 目深に被った黒いフードと、まったく表情を読ませない白の仮面。ただ、唯一晒されている口元だけが、ほんのりと笑みを浮かべていた。

 その姿はまるで死神。不吉の、象徴の如く――。

 私たちがその影と間合いを取る間に、後ろからは四騎の兵士たちがすでに周りを取り囲んでしまっている。抜け道は、ない。


「ちび様……」

「絶対に、俺から離れるな……!」


 真っ直ぐ前を睨みつけたまま、ちび様はその小さな身体で私を抱き寄せると、耳元で力強くそうささやいた。私も、いつでも動ける姿勢をとって、小さく頷く。

 この人の邪魔にならないよう、足手まといにならないように。このちび王様は、インゼリアの人たちに残されている唯一の希望なんだから!

 悪意と殺意と緊迫感に満ちた、どろりと濃密な空気が動く。

 それまで差していた月の明かりが雲に遮られ、一瞬の闇が出来た。そして――。


「ウェイフォンっ!!」




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