飲み会は得意なほうです
どこか静かな場所はないか、と言われて私がちび様を連れてきたのは、この間デンスさんに教えてもらった花畑。
こんな場所をよく知っているなと感心するちび様に、デンスさんが連れてきてくれたのだと正直に言えば、なんだか少し不機嫌そうになったのは私の気のせいだろうか。ちび様はため息をつくと、ただひと言「あれには気を付けろ」とだけ。
二人は前からの知り合いなんだろうか。首を傾げる私に、かすかに笑ったちび様が口を開いた。
「デンスとは、あいつが小生意気な小熊の頃からのつき合いだ。あの頃から、あいつは手当たり次第、女と見れば甘える口説くで、どうしようもねえ」
「はあ……」
ため息とともに吐き出されたその言葉に、私はなんとも言えず曖昧に頷いた。デンスさんの子供の頃からの知り合い?
熊の年齢を計ったことがないので、彼が今いくつなのかはわからないけれど、私の中で確実にちび様の歳がぼやけていく。気になるなあ、もう!
しかし、聞こうか聞くまいか悩んでいる私より先に、ちび様はその表情を改めるとぽつりと語り始めた。
「最初は、兄上だった」
「え?」
「最初にデンスと……ここの熊族たちと仲良くなったのは。その頃の俺は小さくて、弱々しくて、引っ込み思案でどうしようもない甘ったれな子供で」
自嘲するような笑みとともに吐き出されたその言葉に、私は驚いてまじまじとそれを語るちび様の横顔を見つめてしまった。弱々しくて、引っ込み思案?
こちらに来てから私が見てきた彼の姿と、かけ離れたその認識。私の知っているちび様は、いつも堂々として、頭も切れて、どこに出ても恥ずかしくない正に王様って感じ。
そんな私の驚きが伝わったのか、ふいにこちらを見たちび様は少し困ったように笑った。
「昔は甘ったれだったんだ。これでもずいぶんとシムに鍛えられたからな」
「シムさんに……?」
「あれは俺の叔父にあたる。父上の兄だ」
次々と明かされていくことに、私は瞠目する。
シムさんがちび様の叔父さん? お父さんのお兄さんにしては、少し歳が離れすぎるような気もするけど、王族ってそういうものなのかな?
今はもう、なんだか遠く思えるあの穏やかな顔を思い出し、痛む胸に手を当てる。
「そのシムも俺も、多分国の皆も。次の王は兄上だと信じて疑わなかった。兄上は賢く、法力も甚大で成長も早かった。姿も美しく威風堂々たる竜族の男で、政についても早くにシムに習い、まさに完璧な王子だったからな。それに、兄上の母は正統なるバートトランド王国の姫君だったし……」
「お兄さんの、お母さん?」
思わずその違和感のある言葉に反応した私に、ちび様は一瞬きょとんとした顔をして、それからああ、と笑う。
「兄上と俺の母は違うんだよ。兄上の母君……シエル様と違って、俺の母は身分がなかったからな」
「ええと、それは……失礼になるかもしれないけれど、側室さんてこと?」
「いや、母が父と結んだのは、シエル様が亡くなってからだ。兄上が10の頃だな。だから、実質兄も俺も母に育てられたようなもんだし、少なくとも俺は血の繋がり以上に兄上を慕ってた。だけど――」
そこでちび様は言葉を詰まらせる。
簡素なシャツの上からぐっと自分の肩の辺りを握りしめ、多分無意識に唇を噛み締めていた。なにかが自分の内からこぼれ出しそうになるのを、必死に抑えているような。
そのひどく辛そうな横顔に、私がもういいよと言いかけたのを、彼が無言で押しとどめた。大きく息を吐いて、その先を続ける。
「俺が12になった時、王印が現れた。兄上でなく、俺に」
ちび様はそう言うと、シャツの袖をまくり上げ、さっき強く押さえていた場所を私へとしめした。
細いけれど綺麗に筋肉のついた腕。その肩口にあったのは、鮮やかな緑色の模様のようなもの。シンプルな菱形の、これは入れ墨?
「これが王印だ。インゼリアでは『竜の鱗』とも言う。竜族の血を引く者の両肩に浮かび上がり、それが竜王の証となる。歳も性別も関係ねえ。これを持つ者が王だ」
「竜の鱗……。あの、竜族って……」
「インゼリアの王族は、その昔竜の月から舞い降りたってのが始まりだと伝えられてる。本当かどうかは知らねえけど、竜であることには違いねえな。見ただろ、ウラバ」
「竜……」
多分、ちび様が言ったのはインゼリアを襲った黒竜のことなんだろう。けれど、そう言われて私の頭に浮かんだのは、魔払いで出会ったあの美しい竜のほうだった。
不思議な光沢を放つ緑の鱗。ちび様の肩にある印の色と似ていて、それで思い出したのかもしれない。
そう言えば、ティアオが話して聞かせてくれたっけ。月から舞い降りた竜と乙女が出会ったっていうインゼリアの伝承。
「それじゃあ、ちび様も竜、なの?」
何だかファンタジーすぎて、その質問すら私にとっては違和感の拭えないものだったけれど、確認のためにそう訊いてみる。すると、ちび様は当然と言うような顔をして頷いた。竜……ちび様が、ドラゴン?
今は私と変わらないように見えるけど、でも熊さんが二足歩行で喋るところだからなあ。
そんなことを考えつつ、じろじろと見ていたのに気がついたちび様は、仕方ないなと言うふうに笑った。
「おまえは本当にわかりやすい奴だな。そう、俺も竜だ。本質は。ただ、俺はあの姿をとることは、できねえんだ」
「竜の姿になれないっとこと?」
「ああ。俺は『出来損ない』だからな」
『出来損ない』――するりと何気なく言われたその言葉に、言ったちび様よりも私のほうの胸が痛んだ。そう自分で言うことにも、言われることにも慣れてしまっているのだろうか、ちび様の表情は平静に見える。
「なんでなのかは知らねえけどよ。法力は問題ないんだけど、竜の姿に変体することはできねえんだ。昔からな。正統な血が流れていないからだとか、色々と言われもしたけど、俺には関係なかった。上に兄上がいたから。……だけどあの日、俺の肩にこれが現れてから、何もかもが違っちまった」
光の加減で黒色にも見える深い青の瞳が、少しだけ悲しみや怒りや、そういった激しい感情に歪んだ。今目の前に、語ろうとしているその光景が甦ってきているかのように。
あぐらを掻いたその膝の上に乗せられている両手が、白くなって見えるほど力を込めて握りしめられている。
こんなにも彼を苦しめる、過去。
「兄上は狂った。完璧な自らを差し置いて、出来損ないである俺に王印が現れたことを、認めることができなかったんだ。そして、王以外の竜族は竜としての力を封じられてしまう。それに、我慢できなかった」
「じゃあ、シムさんも昔……」
「ああ、竜に姿を変えることは封じられてる。インゼリアの竜はいつもただひとり。竜王だけだ。だからなのかもしれないな、シムが兄上に情けをかけたのは。父を、竜王を殺し、俺の母を殺した兄を、俺とシムは討った。森に逃げた兄上にシムが止めをさしたものとばかり思ってたんだが……」
シムさんの、最後の言葉。
『私は35年前の過ちを正さなければ……』――あれは、このことを指してのことだったんだ。自分と同じ境遇を受け入れられなかった甥への、情け。
お兄さんがそのまま逃げのび、静かに違う人生を歩んでくれていれば問題なかったかもしれない。けれど、彼は復讐を始めてしまった。インゼリアに、ちび様に。
ガナドールという国に利用されてまで――。
「あれ? ちょっと待って! ちび様っ」
「な、なんだ?」
それまでの重苦しい空気を破るように叫んだ私に、ちび様は瞳を丸くして答える。空気読まなくて本当に申し訳ないです。
申し訳ないんだけど、ちょっと私としては聞き捨てならないところがあったというか。確かめずにはおれないところがあるというか。
でも、なんだかその答えをもらったらとんでもないことになりそうな気がする……主に自分が。とか思いつつ、眉根を寄せて黙り込んでしまった私の顔を、ちび様が訝しげに覗き込む。
幼さの残る顔立ち。見るたびに不思議だと思っていた縦長の瞳孔は、本質が竜なのだと聞けば納得できた。鋭いけれど、どこか優しい。
王様にしては無造作な黒髪。少し日に焼けた肌。鍛えられているのだろう身体は、それでも少年特有の細さまではカバーし切れていない。どう見ても、十代前半のその容姿。
私はごくりと生唾を飲み込み、覚悟を決めて口を開く。
「あの、ちび様って……おいくつなんですか?」
***
「皆、酒は手にしたか!?」
陽気なデンスさんの声がそう問えば、集まった里中の熊さんたちから「おう!」との声が返る。みんな、その手に木でできた杯を持ち、乾杯の声を今か今かと待っていた。
その中には農家の肝っ玉お母さんであるリトスさん、私を背負ってくれたダーティさんの姿もある。
里の中では別格に扱われている巫女様もいるし、その代理のようなデンデロさん、巫女様の傍仕えであるアマンドさんとノワゼットさんも、珍しくこの場を楽しんでいるようだった。この、ミーメの里の一大行事であるらしい、秋の宴を。
私はといえば、リトスさんの手によって髪は繊細に結い上げられ、着ている衣装も特別なものになっていた。昼間ちび様の言ったとおり、ちびっ子たちから捧げられた花が、髪の中に結い込まれている。ち、ちょっとしたお姫様気分だ!
「あー、なんだ。今回はあ、光栄なことに竜族の王であるウェイフォン様と、その乙女でいらっしゃるウラバ様もご同席されている。くれぐれも、飲み過ぎて失礼のないようにな!」
なんというか、なんかの開会式での校長先生挨拶、みたいなだらっとしたデンスさんのそれに、待ちきれないあちこちから「早く飲ませろっ」との野次が飛ぶ。うん、このノリはどこに行っても変わらないみたい。
「ちったあ、若長の言うこと聞けよ、おまえら……。まあいいや。それじゃ、“種巻く我らに風の恩恵を!”」
「恩恵を!」
聞き慣れない乾杯の言葉に、みんなが一斉に杯を掲げるのを見て、私も慌ててそれに習う。横目でちび様を見れば、彼は慣れた様子でみんなと同じように杯を掲げている。ず、ずるい、ちび様!
その視線に気がついたちび様が、豪快に器に入ったお酒を飲み干しながら私を見た。
「苦手なんだったら、こっちに寄こせ。飲んでやる」
「違う! お酒はまあ好きなほうですけどね!」
「なんだよ、なに怒ってんだ? そんなに、俺の年齢が気になんのか?」
「気になるとかならないっていうか、あああ、もうっ」
まったくわかっていないちび様の様子に焦れて、私は手にしていたお酒をぐいっとあおった。うわっ、これアルコール度数高っ。
喉を焼くようにして通ったそれに、思わず咳き込んでしまった私を見て、ちび様は仕方ないなあみたいな顔をする。うう、その小さい子を見るみたいな顔が憎いっ。
「これは作り方が単純なだけあって、けっこうキツいんだよ。無理すんな」
「しょ、焼酎のビール割りよりも厳しい……」
思わず呟いたその言葉に、意味が通じなかったちび様は訝しげに眉を寄せた。
いや、多分私のところでも一般の人には通じないと思うよ、『焼酎のビール割り』は。ていうか、割ってないしそれっていうツッコミは、この際なし。我らが2整備中隊の飲み会では、後半になればなるほど定番となるその飲み物。
そもそも、飲み会では下っ端はビール瓶持って、各テーブルの上官を接待して接待して接待しまくるのが仕事である。とにかく、そうやって自分の顔や名前を覚えてもらい、なにかっちゃあ仕事を教えてもらったり、何くれと世話を焼いてもらったりするのだ。
その時には相手に注ぐだけではなく、当然自分にも注いでもらう。グラスに少しでも酒が残っていようものなら、飲み干してから、というのが常識。
目の前でぐいっと飲んで「お願いします!」と言えば、だいたいの上官は上機嫌になってくれる。酒が好きな私にはなんてことのないことだけれど。
そんな中、色んなテーブルを回っていれば、空いているグラスもないようなところもある。その時、焼酎なんかが入っているグラスがあろうものなら、即行そこにビールがそそがれ、楽しい『焼酎のビール割り』ができあがる。わ、わあい。
一年もいればね、慣れたよ。もはや、慣れだよ、あれは。
それでも、下っ端に酔っぱらっている暇はなく、そこかしこで食事をつまみ食いしながら、あとは酔っぱらいの世話を焼く。たいがい、バスを借り切って来ているから、全員乗せたかの点呼を取ったり、途中でコンビニ寄るか寄らないかを聞いたりと忙しいのだ。それに比べれば、今のなんという好待遇!
席は当たり前のように上座。自衛官にとって、上座と下座の区別は早々につかなければならない。
簡単に言えば、出入り口から最も遠いのが上座。近いのが下座になる。これを誤ると、飲み会の後に先輩から制裁が……。
「おい、もう酔ったのか?」
「や、なんというか、色々思い出すことがあってですね……」
「よくわかんねえけど、飲み過ぎんなよ」
見た目小中学生みたいなちび様からの、ちょっと呆れたようなその言葉に、私はむっと彼を睨み返した。
「ちび様、親父臭い」
「ああ!? なんだと!?」
「ちび様、親父くさーいっ」
「こっの……!」
何だかふわふわっとしてきたいい気分のまま、私はちび様に反撃を開始する。なんていうか、あれだね、ちび親父なんだよね。
親父、という言葉に敏感に反応したちび様は、笑っている私のこめかみに両拳を当てると、そのままぐりぐりぐりと制裁を加えた。いいい、痛いっ痛いって!
「ウラバ、おまえなあっ。俺の歳を知ってからころっと態度を変えやがって!」
「だだだ、だって、どう見てもちび様12歳くらいじゃないですかっ。それが47歳ってあり得ないですっ! 47歳って!」
そう。そうなのだ。
この一見ちょっと賢そうな、気の利いた少年風の外見を持つ王様は、実はものすごおおおおく、親父だったのだ。
『あの、ちび様って……おいくつなんですか?』という私の問いに、彼はものすごく今さらみたいな表情をした後、何ていうことないみたいにさらりとこう言った。『今年で47』と。
その時の私の恐慌といったら、もう……。
「わ、若作りすぎますっ」
「仕方ないだろ、12の時からこれ以上育たなかったんだ」
新しくそそがれたお酒をちびりと舐めながら、ちび様はちょっと怒ったように私から視線をそらした。その彼の横顔に、私はちょっとだけ罪悪感を抱く。
聞けば、竜族というのはだいたい10歳くらいで、見た目は人でいう成人に近い容姿になるのだそうだ。個人差はあるものの、身体の成長が早いのが特徴らしく、その中でちび様がいまだ小さな身体でいるというほうが特別なことらしい。
ちび様の語ってくれた過去。その時以来成長しない身体。私には、なんだかちび様自身が成長するのを拒んでいるようにも見える。本人には、言えないけれど。
あの時の竜が私に告げた言葉が、引っかかっているからかもしれない。
『その者は自らが王であることに疑いを持っている』――それはお兄さんの存在からくるものなのかもしれないけれど。
そう思ったら、今度はなんだかひどくちび様が可哀想になってしまって、私はお酒をぐいっとあおると、そのまま隣に座る彼へと抱きついた。
「ちびさまあっ、言い過ぎました! ごめんなさあいっ」
「うわっ。お、おまえもう酔っぱらってんな! 酔っぱらってんだろ!?」
「ちびさまあああっ」
胸を押しつけると、ちび様が焦ったようにもがくのが面白くて、私はますます彼の身体を抱き締める。ていうか、なにはともあれ、見た目もリアクションも子供だし。
何だかすっごくほわほわとして楽しくなって、私はけたけたとひとりで笑い始めてしまった。
「おっ、ご両人お熱いねえ!」
そんな私たちのところに、お酒の入った瓶を片手にデンスさんがやってきた。にまにまと笑っているのがわかる。
そのデンスさんに、私は手にしていた器をぐいっと差し出した。
「デンスっ、お酒!」
「おう、いい飲みっぷりだな、お嬢ちゃん。いつでも嫁に来いよ!」
「デンス!!」
どぼどぼっと遠慮なく器にそそがれる酒を見て、私に拘束されたままのちび様が焦ったような声を上げた。
それを横目に、デンスさんも自分の器を持ち上げて、乾杯。
「にしても、いい体勢じゃねえか、ウェイ」
「不本意だっ」
「ええーっ、失礼ですよ、ちび様。そりゃあ、私じゃ大きさが足りないことは認めますけどっ」
「なんだよ、ウェイはあれか、乳が大きいのが好みなのかよ」
「そうじゃねえっ!」
私の胸からようやく抜け出したちび様がデンスさんに叫び、そして私の手から酒の入った器を横取りすると、そのまま飲み干してしまった。あーっ、私のお酒!
恨めしそうにそれを見る私の鼻を摘み、ちび様はふとあたりを窺うように視線を走らせ、それを見ていたデンスさんもその黒い瞳を細めた。
「用意は?」
「里の者は大丈夫だ。花畑に袋を用意してある。ひとつだけだが、ウラバはどうせあれだろうし、お前が握るんだろうからな。最低限必要なものは括りつけてある」
「助かる。……竜馬か、やっかいだな」
「ま、できるだけ俺たちが派手にやるさ」
「気を付けろよ。引き際を間違えんな」
「誰に言ってんだ、誰に」
お酒のせいですでにとろんとしている私の耳に聞こえてきた二人の会話は、なんだかとても暗号めいていて理解できない。そのまま、ふわりとちび様の肩にもたれかかった私を見て、二人は少し笑ったようだった。
「面白え乙女じゃねえか。大事にしろよ、ウェイ」
「……こいつはそんなんじゃねえよ。国を取り戻したら、必ず、元いたところへ帰すって約束したんだ。だから……」
「……ばっかだなあ、おまえ」
「わかってる」
そんな二人の苦笑を聞きながら、私はいい気持ちのまま眠りの中へ落ちていった。
身体に回された温もりは心地よく、もたれても動じない腕の中にひどく安心する。今だけでいいから、もう少しこのままで――。




