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【完結】【書籍化決定】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜  作者: 鈴木 桜
第3部-第2章 勤労令嬢と死者の国

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第20話 瞳の奥


(ハワード・キーツは、まだ全ての手を明かしていない)


 ディズリー伯爵家から逃げおおせた時、確かに別の精霊の魔法を使っていた。『死者たちの女王(ヘカテー)』以外にも契約している精霊がいるのだ。また、それ以上に奥の手を持っているかもしれない。


 ジリアンは、剣を握る手に力を込めた。


(それでも、負けられない……!)


 その時だ。

 空を覆う暗雲が濃くなり、周囲が暗闇に包まれた。


(なに……?)


 海の底からゾワゾワと立ち上ってきた気配に、ジリアンの背筋がビリビリと震える。


「ジリアン、今の君に似合いの()()を準備したよ」


 ハワードが妖しく笑うと同時に、──海が弾けた!


「ジリアン!」


 予期せぬ攻撃に備えて、アレンの風魔法がジリアンと騎士たちを覆う。その風の膜の向こうに、巨大な()が見えた。じゅうじゅうと海の水分を蒸発させながら、山が盛り上がっていく。


「あれは……!」


 一対の、真っ赤に燃える瞳がギョロリとジリアンを睨みつけた。あれは山などではない。


「!?」


 はじめは巨人に見えた。だが、その腿から下は巨大な蛇がとぐろを巻く形でうごめき、背には翼が、肩からは無数の蛇の頭が生えている。


「『怒りの精霊(テューポーン)』だよ」


 その名には覚えがあった。

 魔大陸の創世神話に登場する、暴虐の神だ。


「……君たちの目的は知らないが、それほど余裕はないと見える。私も同じだ。これ以上、君のために割く魔力はない」


 ハワードがジリアンを見つめて、ニヤリと笑った。


「これで終わらせよう」


 それが合図だった。


 『怒りの精霊(テューポーン)』が大きく口を開く。その喉の奥に、灼熱のマグマが見えた。


「来る!」


 叫ぶと同時に、ジリアンは水魔法を練り上げた。前面に水の壁を築く。


 ──ゴォォォォォ!!!!!!


 水の壁は一気に蒸発。同時に蛇の頭がジリアンに襲いかかった。


「くっ!」


 無数の牙を剣で弾く。その牙の先から溢れ出た液体がジリアンのマントに触れると、ジュワッと音を立てて布地が溶けた。


「毒!?」


 遅かった。

 ジリアンの視界の端で、騎士の一人が倒れるのが見えた。彼の全身の皮膚が紫色に染まっている。


「下がって!」


 他の騎士に命じると当時にハワードの両手がうごめくのを見て、ジリアンはとっさに駆け出していた。毒で死んだ騎士の骸に、『死者たちの女王(ヘカテー)』の魔力が覆いかぶさろうとしている。


「やめて!」


(間に合わない!)


 そう思った瞬間、騎士の身体が燃え上がった。あっという間に炭と灰になった骸が、僅かな残滓だけを残して消える。

 『怒りの精霊(テューポーン)』の炎ではない。──ノアだ。


「お嬢様!」


 ノアがジリアンの身体を抱えあげて、後方に下がった。彼らを守るように、他の騎士が前面に出て水と氷の壁を築く。


「ノア、どうして……!」

「あのままでは、奴に操られる。……この場で死んだ者は、同じように燃やします」

「でも……!」


 それでは、ここで何もかもが消えてしまう。その骸を故郷に帰すことすらできない。


「皆、覚悟してここに来ました。あなたも、覚悟を決めてください」

「覚悟?」

「願いのために、全てを捧げる覚悟です」


 護衛騎士の、たくましい肩の向こうに、炎の渦が走るのが見えた。


「願い?」

「はい。……あなたの願いが、我らの願いです」


 ノアが立ち上がると、マクリーン騎士団を象徴する青のマントが熱風に煽られた。その向こうでは雪の代わりに灰燼(かいじん)が舞い、死の臭いが漂ってくる。


「我らが血路を開きます」


 ジリアンが止める間もなかった。ノアと3人の騎士たちが、飛び出していく。


「ノア!」


 後方のアレンが築いた風の防護壁を超えていく。一人の身体が燃え上がった瞬間、ジリアンも弾かれたように駆け出していた。


(今を逃せば終わる……!)


 ここで彼女が負けることは、世界の終わりを意味する。

 ジリアンの身体がふわりと浮かび上がった。アレンの風魔法だ。同時にジリアンは自分の胸の中心に集中した。そして全ての魔力を剣先に集中させる。


 一人、燃え尽きた。


 一人、毒で倒れた。


「お嬢様!」


 ノアが叫ぶと同時に、足元の風の床を蹴った。1歩、2歩、3歩、見えない床を蹴って前に進む。


 『怒りの精霊(テューポーン)』の炎がノアの左半身を焼いた。それでも、ジリアンは足を止めなかった。


(全てを、捧げる……!)


 その覚悟でここまで来たのだ。自分も、彼らも。


 4歩目に蹴ったのは、ノアの肩だった。

 彼の風魔法がジリアンの背を押す。目に映る景色がブワリと後ろへ走り抜けて、一気に間合いが詰まる。『怒りの精霊(テューポーン)』の頭部(急所)は目の前だ。


「くっ!!!!」


 身体に当たる風圧に歯を食いしばる。


(押し負けるな!)


怒りの精霊(テューポーン)』の喉から灼熱の炎が放たれるが、その熱は剣先に集めた氷魔法で相殺して。


 炎の渦の中を、まっすぐに飛んだ!


 ──ザシュッ!!!!


 ジリアンの剣が、『怒りの精霊(テューポーン)』の額に突き刺さる。


 ──ぎゃぁぁぁぁあぁ!!!


 耳を劈く雄叫びに身体がビリビリと震えても、ジリアンは剣から手を離さなかった。そのまま、その巨体に魔力を流し込む。渾身の力で練り上げた氷魔法が、額から首へ、そして全身に走る。


 ──ピキッ、ピキッ、ピキィッ……!


 ややあって、『怒りの精霊(テューポーン)』の巨体が凍りついた。

 巨大な氷の塊となった身体が、水しぶきを上げながら海に落下する。海面にぶつかると粉々に砕け散り、そして津波を起こしながら海の底へと沈んでいった。



 海岸に降り立ったジリアンは、荒くなった呼吸を整えながらハワードに向き直った。


「……次は、あなたよ」


 ジリアンに睨みつけられて、それでもハワードはニヤリと笑った。


「私はね、ジリアン。君の力を見くびっていたわけではないよ」


 そのセリフを最後まで聞くことはしなかった。風魔法を練り上げて、一気にハワードに肉薄する。


「……私が契約している精霊が他にもいると、君は知っているだろう?」


 ジリアンはハッとしたが、遅かった。剣先が何かに捉えられて、身動きが取れなくなる。


「何!?」


 とっさに剣から手を離してハワードから距離をとるが、今度はジリアンの身体が何かに包まれた。風魔法と似た感触に包まれる。


「『大気の精霊(シュー)』の魔法だよ。君たちの風魔法ほどの力はないがね。ほんの一時、君の剣を防ぎ、君を捕らえるくらいのことはできる」


 ジリアンは風魔法を練り上げて、自分の周囲の大気を切り裂いた。ハワードの言う通り、一時足止めされたに過ぎない。同じように剣を捕えていた大気を切り裂く。


「こんなもの……!」


 再び攻撃に移ろうとしたジリアンが見たのは、まっすぐジリアンを指差すハワードだった。


「一瞬だけでも、君を足止めできれば十分だよ」


 ハワードの指の先で何かが光った。黒い、火花だ。

 パチパチと音が聞こえたのは一瞬のことだった。


 次の瞬間には、ジリアンの眼前に黒い炎の塊が迫っていた。


「……っ!」


 死を覚悟した。





 ──ボォォ……!





 刹那、黒い炎に焼かれたのは、──ジリアンではなかった。



「ノアっ!」



 ジリアンが叫ぶと同時に、大きな身体が傾いだ。


「ノア! ノア!!」


 その身体を受け止めると同時に、炭化した四肢がボロリと崩れる。ジリアンは、必死にノアを抱きとめた。


「ノアッ!」


 ジリアンの叫びに、ノアがわずかに微笑む。


「ご無事……です、か……?」


 かすれた空気が喉を通っただけの、かろうじて聞き取れるほどの小さな声だった。


「わ、私は、無事、だけど……っ!」


 ジリアンの瞳から涙があふれる。もう手の施しようがない事は明らかだ。


「行って、ください」

「でも!」

「お嬢、様」


 ノアの身体が僅かに動いた。唯一残されていた右手の人差し指が彼女の頬に触れて、震える指で涙を拭う。


「……私の小さなお嬢様(マイ・リトル・レディ)


 優しくジリアンの頬をなでていた指が、ボロリと崩れる。灰燼となった身体が、サラサラと風にのって運ばれていく。


「お仕えできて、幸せでした」




 それが最期の言葉で、そこには何も残らなかった。




 ジリアンの胸の中にすら、何も。怒りも悲しみも、何もかもが溶けるように消え去って。





 その(あと)を埋めるように、ジリアンの瞳の奥に熱が灯る。

 彼女の中に眠っていた何かが、目覚めた──。







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― 新着の感想 ―
[一言] ノアさん…っっ!!(号泣)
[一言] まさか…ここでノアが…
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