第24話 不名誉な噂
「絶対に、お父様に言ってはだめよ。言ったらあなたをクビにするわ。本気よ」
ノアには口止めをしているが、侯爵に知られるのも時間の問題。早々に解決しなければならないが、その糸口は未だ見えない。
「ほら」
「今日はお一人みたいよ?」
「でも、昨日はマーク・リッジウェイと一緒でしたよね?」
「ええ。彼の馬車に乗るのを見たっていう方が……」
「あらあら。その前は、コリー・プライムでしょう?」
「よくやるわ」
「恥知らずね」
「貴族令嬢の面汚しだわ」
こそこそ話が耳に入るのにも慣れてはきた。しかし、気分の良いものでは決してない。
(ノアがいなかったら、私も冷静ではいられなかったかもね)
隣で静かに怒っている護衛騎士。彼を鎮めなければと思えば、ジリアンは冷静になれた。
「おはよう」
「おはよう、アレン」
ジリアンについて『学院の男を食い漁るアバズレである』という噂が立ったのは、入学式の約1ヶ月後。それから、さらに1ヶ月が経とうとしているが、噂の勢いは止まらない。
女子生徒たちはジリアンを遠巻きにするばかりで話しかけてこない。男子生徒も、ほとんどはジリアンから距離を置いている。賢明な判断だ。
しかし、この状況でもジリアンに話しかけてくれる男子生徒はいる。アレンもその一人だ。
「今日の『魔大陸史』のテストなんだけど……」
「ごめんなさいね。チェンバース教授に呼ばれているの。失礼するわ」
「おい!」
しかし、ジリアンは彼らを遠ざけることにした。当然の選択だ。不名誉な醜聞に、彼らを巻き込むことはできない。
(噂なんか相手にしなければ消えていくだろうけど……。問題は、お父様よね)
居心地の悪さなら耐えればいい。怒りなら抑えればいい。寂しさなら慣れている。
しかし、このことが侯爵の耳に入ればどうなるか……。想像するたびに身体が震えた。
(学院が消えちゃうわ……!)
「噂を口にした者を、全員消せばよかろう」
(だから、教育者としてあるまじき発言なんだってば!)
さて。
そんなジリアンに助け舟を出してくれたのは意外な人物だった。
「チェンバース教授。それではなんの解決にもなりません」
キース・チェンバース教授だ。
噂話を耳にした教授がジリアンを呼び出したのが、その発端。曰く、『なぜ、言わせっぱなしにするのだ! マクリーンの後継者ならば、さっさと蹴散らしてしまえ!』だ。
「なぜだ」
「この問題は、根を絶たねばなりません」
その呼び出し以降、男子生徒と気まずくなるたびにチェンバース教授の名前を出している。実際に研究室を訪ねると、あれこれと用事を言いつけてくれるので言い訳も必要ない。用事がなければ、こうしてティータイムを過ごすこともある。
教授は、頼まずともジリアンの避難所になってくれているのだ。
チェンバースとマクリーンは好敵手。互いにそれ以外の感情はない。武家同士の関係とは、そういうものらしい。
「根、か」
「ええ。……学生の噂話にしては、悪意が度を超えています」
言うに事欠いて、未婚の貴族令嬢に対して『アバズレ』の汚名を着せるとは。ただの僻みや妬みから出た噂話にしては、度を超えているのだ。
「見当はついているのか?」
「まあ。ただ、どう対応したものかと悩んでいます」
「ふんっ。対応など、殴るか斬るか殺すかのどれかしかあるまい」
「なんでそうなるんですか……」
「わしが学生の頃は、そうしていた」
「戦時中じゃないんですよ。だいたい、私は女子ですし、相手も女子です」
「関係ないわい。貴様はマクリーンの後継者であろうが」
「まあ、そうなんですけどね」
確かに、この件を武力で解決するという方法は無くはない。
授業にかこつけて、彼女たちを痛めつければいい。続けていけば、誰もがジリアンを恐れて何も言わなくなるだろう。
けれど。
「それでは同じです」
「なにが」
「私を虐待した実の父親と」
これには、チェンバース教授も黙り込んだ。
「恐怖で相手を支配するのは簡単です。それも方法の一つでしょう。けれど、私はやりたくありません」
時代の変化とともに、貴族のあり方自体が変わろうとしているのだ。そして、ジリアン自身も。その方法は、最終手段でなければならない。
「ふむ。ならば、どうする?」
「静観するのが一番なんですけど。それだと、お父様に嗅ぎつけられます」
そうなれば、大騒動に発展することは火を見るよりも明らかだ。
「そうじゃな。そこの護衛騎士も、そろそろ限界であろう」
「はい」
教授の言葉に、ノアが頷く。
「ただの噂ならば時間が経てば下火になるはずです。しかし、現在もその気配はありません。そろそろ侯爵閣下にご報告せねばなりません」
「そうであろうな。……どうするんじゃ?」
限界が近いということは、ジリアンにも分かっていた。
「もう少し。もう少しだけ、様子を見させてちょうだい」
「しかし……」
「お願いよ」
ノアがため息を吐く。これは、ジリアンのわがままを聞いてくれる時の顔だ。
「チェンバース教授に感謝なさってください」
「え?」
「教授がお嬢様のお味方についてくださったので、報告を遅らせているのです。そうでなければ、とっくに侯爵閣下にご報告しています」
「はい」
「……お嬢様は、もう少しご自分を大切になさってください」
「自分を?」
「おかしな噂話にさらされて、傷ついているのはお嬢様なんですよ?」
「そうだけど」
言い返せずに押し黙ったジリアンに、今度はチェンバース教授がため息を吐いた。
「彼の言うとおりじゃな。それと……」
そこで言葉を区切った教授が、研究室の壁に視線をやった。そこには、たくさんの写真が飾られている。古い写真もあれば、最近になって学生と撮った写真も多い。彼は厳しいが学生思いの教授なのだ。実は権力争いなど関係なく、彼自身が望んで教育者になったということに、ジリアンは気づいている。
「君は、友というものを分かっていないな」
「友、ですか?」
「そうじゃ」
「どういうことですか?」
「いずれ、分かる」
教授は、それ以上は教えてくれなかった。
しかし、彼の言葉の意味が分かるまでに大して時間はかからなかった。
その翌日、事件が起こったのだ。
学院中が、朝から上を下への大騒動だった。全ての学年の男子生徒が、一人も登校してこなかったのだ。
ただの一人も、だ。
女子生徒の中にも、登校してこない生徒が何人かいた。
「どういうことだ」
一限目の授業は『魔法工芸学Ⅰ』。全体の半数以下、しかも女子生徒しかいない教室を見たマントイフェル教授が、険しい表情で言った。
この日はエルフの技術に触れるということで、ジリアンも大教室に来ていた。
「マントイフェル教授!」
駆け込んできたのは教務課の職員。それに続いて、学院長まで大教室にやってきた。教授と学院長が何やら相談している様子を、女子生徒たちが心配そうに見つめている。一部はジリアンの噂話に興じているから始末に負えない。
しばらくすると、学院長と職員が退室していった。二人の背中からは、疲れがにじみ出ている。
「女子生徒諸君。君たちに、声明文が届いているぞ」
残ったマントイフェル教授が、少し楽しそうに言った。
「『ジリアン・マクリーン嬢に関する不名誉かつ事実無根の噂話を流布した学生と、これを放置した学院関係者に告ぐ。我々はこの問題が解決するまで、全ての授業と学院行事を拒否する』」
女子生徒たちの視線が、一気にジリアンに集まった。
「『解決とは、噂話を流した諸悪の根源の特定と糾弾、そしてそれに乗せられて噂話を口にした全ての生徒の謝罪である。これらは、諸君ら自身の手で行われなければならない。期限は3日。それまでに解決されなければ、そのときには拳で話し合うこととしよう。3日後、我々は諸君らに決闘を申し込む!』」
あまりのことに、女子生徒たちの表情が固まっている。全員がポカンと口を開いたまま固まる様は、いっそ滑稽だ。
「だそうだ。これでは授業にならんから、3日間は全ての授業を休講とする。我々教職員も、本腰を入れねばならなくなったな」
今までは、ジリアンの希望で教職員の口出しは止めていた。しかし、これではジリアンの希望も何も関係ない。学院を挙げて、この問題に対応しなければならなくなったのだ。
「さて。まずは、何からすべきかな?」
マントイフェル教授の問いに答えられる生徒は、もちろんいない。ジリアンも例外ではなかった。




