069 わたくしの所有物で宝物ですわ
「そうだ、それだけの魔力、捨て置くなど惜しいではないか! ジェイドはコレットの婿に、アリスは私の妻になればグラスリーフ家は安泰だ!」
そう叫ぶ、いや、これが普通の声量なのか? ともかく、コンラッドさんは楽しそうだ。
それが正しいことだと信じて疑っていない。
明らかにコレットやジェイドは頭を抱えているのだが、気にしていないようだ。
「グラスリーフ卿。そのことは私がコレット様の婿になることでご納得いただいたはずですが」
「そうですお父さま。それに何度も言ってますけど、アリスの体では赤ちゃんなんて埋めませんよ」
「何を言う! そんなもの魔法でどうとでもなるだろう!」
いや、ならないんじゃないかな。
魔力過剰症は普通の病気とは違うけど、病気であることに変わりはない。
いや、むしろ魔力が多い事が原因で起きているのだから、身体を強化するような魔法を使ったら症状を悪化させるだけだと思う。
「ん? コレッドのお父さんは結婚していない?」
「え? してますよ?」
不思議そうなミゾレに、重ねて不思議そうに返すコレット。
この辺は国でちょっと違うからわかりにくいよね。
「グリエンドの貴族は基本的に一夫多妻ですの。とはいえ正妻はきちんと決まっているのですけれど」
「え?」
「あ、といっても女性蔑視とかそういう事ではありませんわよ? ただ、貴族は基本的に魔導師ですから」
「……あ、出生率?」
それに軽く頷く。
弱い生き物ほど多産で、強い生き物ほど出産数が少ない。
そして、この世界の人間が鍛えると前世の人間より強くなるのは、平民で魔法が使えなくても魔力が肉体を循環しているからだ。
魔導師は平民より魔力が多いのだから、鍛えれば当然より強くなる。
まぁ、魔法にかまけて鍛えない人のほうが圧倒的に多いというか、前世に限らず文武両道できるのは限られた人なんだけど。
何が言いたいかというと、一般人より素で魔力の多い魔導師は、子供が生まれにくいのだ。
だから基本ひとりっこだし、その一人を得るためにグリエンドの男性貴族は奥さん以外にお妾さんを持つ事が多い。
結婚しているほうのお兄さまなんて、奥さんが六人も居るし。
いや、六人は貴族にしたって多いんだけど。
「そもそもアリスとて好きな男がいるわけでもあるまい! そこらの平民へ嫁ぐよりも、貴族である私と一緒になったほうが幸せに決まっているではないか!」
「え? えと、その」
ん? アリスちゃん、ジェイドの事ちらちら見てないか?
心なしか、頬も赤いような。
へー、ほー、ふふーん?
「どうかなされましたか、お嬢様?」
「なるほど。いえ、なんでもありませんわ」
ジェイドは、気がついていないのか、気がついていて素知らぬ顔をしているのか。
なんにせよ面白いことになってきたかもしれない。
「む、なんだその反応は? まさか好きな男がいるのか!? どこのどいつだ!」
「ひゃあっ!?」
「ちょ、ちょっと、待ってください、落ち着いて!」
その反応で何かを察したコンラッドさんがアリスちゃんに詰め寄ろうとするのを、慌ててイリスが止めに入る。
コンラッドさんにアリスちゃんを傷つける気はないだろうけど、ベッドの病人に向かって大男が迫ってくるというのは中々恐ろしいのだ。
僕も前世で経験した。
「む、高魔力保持者のお嬢さんか。すまないが今は私がアリスと……む?」
コンラッドさんの目がイリスの顔、正確には首に止まる。
そこには彼女に似つかわしくない、無骨な首輪がある。
いや、まぁある意味では似合っているのだけど。
「奴隷? 奴隷だと? 高魔力保持者ではないのか?」
「えっと、私は確かに奴隷で、それで高魔力保持者でもあるんですけど」
「ふざけるなっ!?」
びりびりびりっ!
突然の怒声で、家中のガラスが振動する。
多少威圧感はあっても、溌剌としていた笑顔は鳴りを潜め、眉はより、目が見開かれている。
あの表情、わりと疲れると思うんだけど、器用だな。
「奴隷が高魔力保持者だと!? 私たち下位貴族がその力をどれだけ切望していると思っている! それを、それをたかが奴隷の小娘ごときが!」
「え? え?」
「ちょ、ちょっとお父さま!?」
豹変したコンラッドさんがイリスに詰め寄ろうとし、それにコレットが慌てるが、僕はあまり心配はしていない。
イリスにはお兄さまさえ退けた防壁魔法があるのだ。たかが男爵ごときがどうこうできる相手ではない。
というか、これで色々と納得がいったというか、腑に落ちた。
グラスリーフがガラスの産地なのはいいとして、それならコレットが以前言っていた貧乏貴族というのが引っかかる。
ガラスを安価に増やせるといっても、芸術性のある高級品だってあるだろう。そういったものは当然高値で取引され、領地を、そして領主を潤すはずだ。
けれどひとつ、それを妨げる事実がある。
それが爵位だ。
男爵とは準男爵や騎士などの一代貴族を除けば最下位の爵位で、中には領地を持たないものすらいる。
そして領地をもっていたとしても、より上位の貴族、伯爵や子爵などの陣営に入ることでほかの上位貴族から庇護されているような危うい立場でもあったりする。
つまりまぁ、ぶっちゃけて言えばその上位貴族たちを経由してガラスを売っているのだろう。
つまり良質な商品があっても、お金を中抜きされているから貧乏貴族なのだ。
しかもグリエンドの貴族は基本的に魔法の力、魔力の量が爵位と直結している。
いくら硝子を使っての商才があっても、高魔力保持者より上の位を賜ることはない。
「私にも、私にもその魔力さえあれば! くそう! なぜ奴隷のような道具ごときが!」
「お、お父さま! アリスとジェイドさまの前ですよ、お父さま!」
そりゃあそんな状況で高魔力保持者の奴隷がいたらあらぶりたくもなるだろう。
ジェイドやアリスちゃんを家に取り込もうとしているのも、その状況を打破するためなんだろうに、イリスは最初からそれを全部持っていて奴隷なのだから、馬鹿にされていると思い込んでも仕方ない。
非常にみっともないし八つ当たりでしかないけれど。
豹変し、大声で喚き散らすコンラッドを前にしたイリスの手が震えている。
怯えている、わけじゃないだろう。彼女は人並みに傷つく普通の女の子としての一面もあるけれど、それを表に出すようなタイプじゃない。
これはどちらかといえば、初めて会ったあの日、ニックに対して怒っていたときの感じだ。
お兄さまに対して、怒っていたときの表情だ。
それでも彼女は何も言わない。
まだ手を出されたわけでもないし、自分自身を侮辱されたわけでもないからだ。
イリスは貴族と平民では立場が違うことを理解している。
どれだけ貴族が横暴でも、戦う力を持たない平民を、魔獣や魔物から守っていると理解している。
だから直接危害を加えられるまでは我慢している。
そう、今までなら、そうしなければいけなかった。
僕はイリスの耳元に口を寄せ、そっと囁いた。
「イリス、我慢しなくていいですわよ」
或いはそれは、人によっては悪魔の囁き、なんて言うのかも知れないけれど。
知ったことか。だって僕は悪役なのだから。
「了解です、クリスタさま」
次の瞬間。虚ろな目をしたイリスが、コンラッドさんを殴りとばした。
「ぎゃへっ!?」
「お父さま!?」
おお、豪快にいったなぁ。
「き、貴様平民の、それも奴隷と分際でこの私によくも!」
「え、あれ? あ、わ、わたしそんなつもりは」
「イリス、気が済むまでお好きになさい」
「了解しました、クリスタさま」
「ぼきゃっ!?」
親指から一本ずつぼきぼきっと鳴らしてから思いっきり殴りつけるイリス。
それも何度も、何度も、何度もだ。
目にも止まらぬ早業とはこの事か。
コレットパパが少し浮いている。
あ、よく見たらイリスの手、うっすら桃色に光ってるな。付与魔法までかけてるのか。
いやぁ派手だなぁ。あっはっは。
「も、もうやめ……」
「ふぅ……あ、あれ? えーと、あっ!? く、クリスタさまですね! 首輪使うの止めてください!」
そう、イリスには《隷属の首輪》がついている。
主の命令は絶対なのだ。もちろん悪用する気はないけれど、今の、別に僕は悪くないと思うんだよね。
だって。
「と、言われましても。わたくしは好きになさいと言っただけですわ。殴れとも、ましてや魔法まで使ってぼろ雑巾のようにしろとは言ってませんわ」
「そ、それはそうですけど、そうなんですけど!」
そう、我慢するなといっただけで、何をしろとは命令していない。
耐え忍ぶ奴隷に、好きにして良いと言ったのだ。こんなに優しい奴隷の主が他にいるだろうか?
間違っても責められる謂れはない。
「な、なぜこのような事を! ブリューナク家は貴族よりも奴隷を大事になされるのですかっ!?」
晴れ上がった顔と、滅多打ちにされたお腹を押さえながらコンラッドさんが起き上がる。
さすがは男爵といえど貴族。ある程度は回復魔法で直したらしい。
これだからこの世界はやりやすいんだよね。特に、貴族の相手はさ。
「ねぇ貴方。もし、もしも貴方がわたくしの屋敷で、そうね、高価な絵画を切り裂いたらどうなります?」
「え? そ、それは」
「或いは壷でも、食器でも、ブリューナク家が所有する高価な物ならなんでも構いませんわ。それを家畜ごときが傷つけたら、どうなりますの?」
まぁ僕の暮らしていた幽閉屋敷にそこまで高価なものはなかったけれど、これはあくまでもたとえ話だ。
「か、家畜? い、いえ。それはその、偉大な侯爵家であらせられるブリューナク家の所有するものを傷つけるなど、赦される話ではありませんが、それがこれと」
「彼女はわたくしの下僕、いえ、愚鈍な貴方にもわかる言葉でいうのなら奴隷ですわ。奴隷とは主の所有物ですの。ねぇ、貴方先ほど、誰の所有物に向かって暴言を吐いたのかしら? 誰の所有物を傷つけようとしたのかしら?」
何故かここで、ジミーやミゾレ、ついでにジェイドまで「うわぁ」という顔で僕を見ていた。
待て、君らはどっちの味方なんだ。
そう思ってちらっと視線を向けた先で、ガラス窓に反射した自分の表情が目に入る。
相変わらずとても綺麗だ。とても綺麗な、悪い笑顔をしていた。
これは引かれても仕方ないな、うん。
「え? あ、あぁ……!?」
その間に僕の言葉の意味を理解していたらしいコンラッドさんが驚きに表情を歪める。
うん、いいね。さっきまでの怒りの形相なんかより、そっちのほうがまだ僕の好みだ。
「この際だからこの場の全員に、はっきりと告げておきますわ。たかが家畜に過ぎない、いいえ、いいいえ、それにすら劣る暗愚な貴族よりも、わたくしの宝物であるイリスのほうが、余程価値ある存在ですのよ。お分かりいただけまして?」
さて、どうしてくれよう。
僕のは演技だからいいとして、コンラッドさんが奴隷を公然と道具と言い放つほどに身分差別に凝り固まっているのなら、ちょっとやそっと矯正したくらいじゃ変わらないだろう。
かといって放置するのもまずい気がする。
男爵という地位に不満をもち、魔法を重視しているのに、本人は大した力がない貴族、か。
ニックやディアスも放っておいたらこうなっていたのかと思うと、トイレの太郎を褒めてやりたい。
僕のことだけど。
今後コンラッドさんが僕が関わる人間には手を出さなかったとしても、知らない場所で平民や奴隷が犠牲になる可能性はある。
別に見ず知らずの人間を助けたいとまでは言わないけれど、いつかまたこの町へ来たときに、こいつの子供として母親のわからない高魔力保持者なんかがいたりしたら、胸糞悪いなんて話じゃ済まない。
やっぱり、腕の二、三本は諦めてもらうか? ブリューナク家の所有物に手を出したんだし、お爺さまもお許しくださるだろう。
いやぁ、でもなぁ……。
実際に人を襲った盗賊ならともかく、無抵抗の人間を切り刻むのはさすがにちょっと、悪役じゃなくてただの悪人なのではないだろうか?
そこまで堕ちるのは嫌だ。
どうしよう、これ。
「さすが、さすがですお姉様!」
「こ、コレット?」
悩んでいた僕に、唐突にコレットが抱きついてきた。
一瞬親を守るために僕を止めるつもりなのかと思ったけれど、どうもそんな様子じゃない。
「私の目に狂いはありませんでした。さぁ、差別主義に凝り固まったお父様をさっさとやっちゃってください!」
「ま、まてコレット! 何を言っている!?」
本当に何を言ってるの!?
「前々から気に入らなかったのです。お母様というものがありながら、魔力の高い人をみるとすぐ粉をかけようとしますし、私のお友達まで手篭めにしようとしますし! 魔力が、地位がなんですか! そんなにお金や貴族であることが大事なら、ご自分でどうにかなさってください!」
え、いやいや、貴族として育ったコレットがそれ言っちゃダメでしょう。
ていうか仮に貴族を辞めたら、コレットはどうやって暮らして……。
あ、コレットも貴族の例に漏れず最低限の魔法は使えるから、食いっぱぐれることだけは絶対にないのか。そうか。
「ふざけるな! お前はジェイドを好いているのだろう!? お前がそいつと一緒になれるのはお前が貴族で、そいつが優秀な魔導師だからだ! この私がお前らを引き合わせてやったというのに、その恩を忘れて親を売ろうというのか!?」
「え? あ、そうですね」
「ふぅ、わかったか。それでこそ私の娘だ」
「もうジェイド様とは婚約済みなので、お父様は用済みですね。やっちゃってくださいお姉様! グラスリーフは私が継ぎます!」
はい!? そう来るの!?
まさかの下克上!?
「なにぃ!? お、おまおま、おまえ、お前は本当に、それでもこの私の娘なのか!?」
「お父さまの娘だからこそ、自分の欲求に正直なんです!!」
「「「「「あー、なるほど」」」」」
思わずみんな揃って納得してしまった。
ていうかコレット、これが素か。
普段のお嬢様っぽいアレは自分の都合の良いように周りを動かすための演技か。
なんか、僕と似てるな、この娘。
「あれ? もしかして、侯爵家に手を出した愚か者を内々に処理する、という名目なら、わたしがここで殺っちゃっても大丈夫ですか?」
あ、やばい。放置してる間にコレットの目が殺る気になっている。
「ひいいぃいいいっ!?」
「だ、だめですコレットさま! 自分の親を殺すなんて!」
「やべぇ、事が事だけに、貴族な俺はなにもできねえ。ていうか他所の家督争いとか絶対に関わりたくない」
「ん? 見てる分には面白い」
おかしいな。さっきまではコンラッドさんの腕を飛ばして悪人に堕ちるかどうかまで悩んでいたのに、すごい可哀想になってきた。
うん、なんかほんと、うん。
コンラッドさんが奴隷を、イリスを道具、奴隷の小娘ごときなんて蔑んだことは、何一つ赦されることじゃないけど。
今だけは泣いて良いと思う。
「え、と。兄さん、わたしどうしたらいいのかな」
「なんというか、すまん」
ジェイドの妹さんは大層おろおろしていた。
本当に申し訳ない。
「ブリューナク家のお嬢様が関わると、大体大惨事になるんだ。安心しろ、いずれ慣れる」
「へぇ~。やっぱりすごいんだね、ブリューナク家って」
そして我が家の評判にまた何か変なのが増えそうだけど、これはジェイドのせいってことで、お許しくださいお爺さま。
僕は悪くないです!
奴隷の立場を決めたときから、このネタはやろうって決めてました!
人の持ち物を馬鹿にしたり傷つけたらいけませんよね。ええ、いけません。




