人為的な植物状態
ルシファーは再び男の姿を形作って異能の街を渡り歩く。先ほどの戦闘が終わり、真っ先に向かったのがレストランだった。
そこで適当に定食を頼んで胃袋を満たし、金を払って外に出る。
そこからどうしようか、というのが現状だ。
やはり、退屈しのぎといえばゲームセンターか古本屋しか思い浮かばないが、それでもその場所がわからないため適当に歩き回るしかない。
別の退屈しのぎもあるが、それだと先ほどのような騒動になりかねない。
――それにしても、本当になんなのかしら。
現在、ルシファーは尾行されている。距離は一〇メートル程度と近め。気配を隠しておらず、まっすぐに自分のことを見つめてくるところから明らかに素人だ。携帯を片手にずっと誰かと電話をしているが、それがブラフなのかはわからない。
目に入ったコンビニのそばの曲がり角を曲がる。
少しすると、男も同じように曲がり角を曲がってくる。
相手に気取られないように、徐々に歩速を上げると、相手も気づかないうちにスピードを上げる。
――決定的ね。
追われる理由はないが、わかってしまえば不快感が自然と募ってくる。いっそ、ただの肉塊に変えてやるのもいいかもしれない。
――駄目ね。クセになってる。
今までも何か厄介ごとがあれば全て武力で解決してきたが、今回は追われている理由も理解しなければならない。
一気にひき肉にしてしまえば、どれほど楽なことだろうか。
取り敢えず、撒くことから始めよう。それぐらいなら手馴れたものだ。相手が素人ならプロを相手にするよりもグッと楽になる。
どこかにいい場所がないかを探ってみると、すぐそばにショッピングモールがあった。
――ここでいいわ。
ルシファーはチラリと何気ない動作で追手を確認し、ショッピングモールの中に入った。
中は人で溢れかえっており、追手も自分の追跡も難しそうだった。
ふと気づけば、ルシファーはゲームセンターの前に立っていた。騒がしい音が轟き、ゲームに没頭する若者の姿が数多く見受けられる。
ルシファーは少しの逡巡の後、ゲームセンターに足を踏み入れた。
『おい、あの男ゲームセンターに入ったぞ』
「マジすか! あいつ案外遊び人でもあるんすかね?」
『知るか。だが、あいつ俺のことにすぐに気づきやがったんだからな!? 俺の『探索』もいつまで気取られずに済むかわかったものじゃない!』
急げ、と浩二のバイト先の先輩が言い、通話を切りながら咲達三人も急いでショッピングモールに向かう。
事の始まりは足取りを探し始めるところからだ。浩二に人探しなら良い人がいる、と紹介されたのがバイト先の先輩だ。
なんでも、彼の異能は物探しにちょうど良く、バイト仲間からもちょくちょく探し物を手伝わされている人だという。
それで探してもらえばすぐに見つかった。
だが、そこからが問題だった。浩二のバイト先の先輩が尾行を始めた瞬間、すぐに気づかれた、と連絡が入ってきたのだ。
確かに、彼はただの一般人であり、尾行などの行動には不得手だったらしい。簡単な内容だけは教えて送り出したのだが、こうもすぐにバレてしまえば少々残念だった。
折角昼食を食べていた三人も急いでそれを平らげて、横っ腹を痛めながらも全速力で追っているところだ。
「もっと尾行に手慣れた人とかいないの、あんたの先輩」
「無茶言うなよ! 流石にいねーって!」
いたらいたで怖い、と顔を引きつらせながらに絢に言い返している。何か実体験がありそうな物言いだが、今はどうでも良い。
「センセー、大丈夫かな?」
「医者があんだけ必死に治療しようとしてたんだ。無事だって信じようや」
「そだね」
今は信じるしかない。高千穂の無念は必ず――
「これならなんとか夜までには終わりそうだな」
「最近夜物騒だからな〜」
「あれ、なんかあったっけ?」
「あんた知らないの? 最近異能者が倒れてるって話」
「そんなのあったっけ?」
「結構騒がれてるぞ。何でも、誰かに襲われたんじゃないかって」
そんな話はあっただろうか……。
必死にここ数日のニュースを思い返してみる。最近はアンチ異能派の騒動ばかりでこれといった話はなかったと思われる。だが、二人がこうまで言うのだから、あったのだろう。
そして、長い間唸ってようやく思い出した。
最近、異能者がまるで死んでいるかのようになって倒れているところを発見されているらしい。まるで、植物状態のようになっているらしいが、特に外傷がないためにどうしてそうなっているのか判明していない。
「まぁ、大丈夫なんじゃない? だって――」
襲われているのは一人でいるところだけであり、私達は三人で行動しているんだから。
そう言おうと思った時、浩二の携帯に電話が入ってきた。
「先輩、どうしました?」
『すまん、見失った』
「『探索』はどうしたんですか!?」
『発動中だ。だが――うっ!?」
「先輩? ……先輩っ!?」
「何? どったの?」
浩二の態度がいきなり変わり、絢が何事かと訊く。
「何か、先輩が……」
それだけで、事態のヤバさが全員に伝わってきた。
あの男に襲われたのでは――
初めから尾行されているのに気づいていたというし、そう思うのも当然だ。
すると、通話状態の携帯越しに悲鳴が聞こえてきた。
そして、大パニックになっている人々の逃げ出す足音。その中で、何人かの足音が逆に近づく音が聞こえた。
『おい、あんた大丈夫か!?』
老齢の男のものと思われる声。どうやら、聞いている限り浩二の先輩は倒れているらしい。
『何かあったのか?』
「っ!?」
三人が同時に息を呑んだ。
通話越しに聞こえてきたのは、あの男のものと思われる多少ワイルドさがにじむ低い声だった。
――なんて白々しい!
思わず頭に血が昇るのを感じる。それだけこの男の態度が腹立たしいのだ。
自分で攻撃しておいて、何を言っているのか。
他の二人も同じことを思っているようで、二人とも眉を逆立てている。
『それが、この人が倒れていてな』
『取り敢えず、救急車に連絡はするんだが……』
『それがいい。ついでだ。少し見せてみろ』
『あんた、医者か何かか?』
『いや、違う。しがない無法者さ。――植物状態か? だが、少し妙だな』
あの男が怪訝な声音でそう言うのが聞こえた。
その瞬間、三人は顔を見合わせる。
植物状態といえば、今三人が話していたあの現象ではなかったか? だが、あれはいつも夜に被害が出て、昼間は比較的安全だったはずだ。
それは現場にいる人々も思ったようで、一気に怪訝な声になる。
『植物状態? そんな、まだ昼間だぞ……!?』
『昼間? 何のことだ?』
『何だ、あんた外から来たのかい? だったら知るわけないわな。最近ここいらで問題になっている事件さ。何でも、異能者が夜中に一人でいるとな――植物状態になるんだよ』
『話が飛躍しすぎだ。全く要領を得ん』
男の困惑したような声が聞こえてくる。
三人は浩二の携帯を中心に囲み、必死に耳をすませる。
『すまんが、ワシらにもわからないのだよ。ただ、わかっているのは夜に一人でいるとそうなる、ということぐらいしかわからないんだ。』
『ほぅ、そうか。では少し聞きたい。今こういった類の連中はどれだけいる?』
『詳しいことはわからないが、多分百人ぐらいじゃないか?』
『そうか。わかった。あんたらも気をつけろ。コイツは、人為的なものだぞ』
男の確信を持った口調に、全員がギョッとした。しかも、その言葉はその場にいる老人たちだけではなく、通話状態の自分達に向けて行ったのではないだろうか。
いや、きっとそうだ。確信を持って言える。
なぜなら、一瞬だけだが首筋にギロチンの刃を当てられたような威圧感を受けた気がしたからだ。
武道の時とも、異能の修練の時とも違う、純粋な敵意。追ってくれば迷わずに絶つ。その意思表示にも感じられた。
「おい、何だよ今の……」
「今、一瞬だけ……」
コツ、とやけに響く乾いた音が聞こえた。
見ると、そこにはどこか貴族然とした男が立っていた。特徴的な片眼鏡をかけた彼。無表情に三人を見下ろし、小さく溜息を零した。
「君たちが言っていたことの犯人を誰と勘違いしようが知ったことではない。だが、もしあの方に挑むと言うのなら、今晩町外れの廃工場に来なさい。あの方は、そこでご友人にお会いになる」
「誰よあんた!?」
「人間に語る名は持ち合わせては――っ!」
男が急に口を噤み、バックステップで距離をとった。
そして、冷たい眼光で咲を見据える。値踏みするかのような眼差しを向け、そして何かに納得したような顔になった。
「その瞳……その殺気……なるほど。これはあの方もお喜びになるだろう」
「逃げる気!?」
「させるかよ! 槍兵!」
浩二が叫ぶと、隊列を組み、西洋風の甲冑を着た槍兵達が姿を現した。
浩二の異能、『創造』だ。
「串刺しにしろ!」
「うぉぉおおおああぁあっ!!」
槍兵達が槍を構え、男に向かって殺到する。数多の刃を向けられ、逃げ場のないような状況だが、男はニヒルな冷笑を浮かべ始めた。
そして、コン、とつま先で軽く地面を蹴ると、その姿が消え――槍兵の軍団が一気になぎ倒された。
「くっ!?」
浩二の呻きが聞こえ、そちらを見ると、浩二の喉仏に手刀が柔らかに当てられていた。
「空間移動!?」
「違う! 純粋なコイツの速さだ!」
「あの御方は私と違い、優しくはない。行くなら行くで、覚悟を決めるんだな」
喉仏に当てられていた手刀が、ゆっくりと下される。
咲は唖然とするしかなかった。
どうやら、この男が高千穂を倒した男と知り合いだということは何となくわかるが、まさかランクSの六位がこうも簡単に手玉に取られるのを見ると、何も言えない。
男は三人に背を向けると、まるで空間に溶け込むかのようにその姿を消した。
それを見て、また三人が絶句した。
日が沈み、地上に夜の帳が落ちる。空には街の明かりのせいで星の光が見えなくなっており、周囲から音が消え、ただ静かな時間が過ぎるのみ。
町外れの工場。そこで、男の姿を形作ったルシファーが腕を組んで立っていた。
鳥を操り会う約束を取り付け、指定された場所がこの廃工場。随分長い間使われていないらしく、中はかなり埃っぽい。漆喰も半ばまで剝がれ落ち、しかし異能のおかげか崩れる素振りは全くない。
「……来たか」
ルシファーの視線の先、廃工場に入るための扉が外から開けられ、小柄と大柄の女性が姿を現した。
小柄の方は髪をツインテールに結い、シャツにホットパンツと何とも薄着だ。二〇代前半の容姿に一五〇後半の身長だが、それに加え凹凸の少ないスレンダーな体型をしている。
一見すると普通の若者だが、どこか高圧的な態度が見る者を萎縮させる。
もう一人の女は身の丈二メートルはありそうな筋骨隆々とした巨躯で、髪の色は赤銅色。胸元が開き、ヘソが見えた短めの赤銅色のタンクトップらしきシャツに革ジャン、ジャラジャラとチェーンのついた革ズボン、革のブーツと黒ずくめの格好をしている。
そんな二人に共通しているのは、口を開けると見える長く鋭い犬歯――牙だ。
小柄の女がルシファーに気付くと、親しげに片手を上げた。
「久しいねえ、ルキフェル。まさか、魔王の姿で来るとは」
「えぇ。久しいわね、鐳。元の姿じゃ、自然と注目されるからねぇ。仕方ないわ。それに元々この肉体はあの子のものだもの」
鬼の長との数百年ぶりの対面だ。
昔見た時とそれほど変わった点は見受けられないが、少しは力も増したらしい。
「蓮も久しいわね。またいつかのように手合わせを頼むわ」
「汝ほどの手練れの相手も我が求むるもの也」
「相変わらず堅っ苦しいわね」
「それが我だ」
「でしょうね」
懐かしの対面ではあるが、今日の昼間に気になるものを見たため、あまり与太話を弾ませる気にはならない。
追跡者のお仲間と思しき通話相手には危険だ、という旨を伝えたが、通じただろうか。
出来れば通じていてほしいものだ。
「鐳、せっかくで悪いけれど、ひとつ気になることがあるの」
「何だい? アンタがわからないことなんてあるのかい?」
「少ないけれどね。貴様らは何か知らない? 魂を抜かれた人間のこと」
ルシファーの核心を迫った一言に、鐳も表情を曇らせる。
植物状態といえば聞こえはいいかもしれないが、実際はあの肉体は器だけの空っぽだった。
魂は自然現象で抜けるなんてことは必ず起こらない。第三者が何らかの目的で抜いたとしか判断出来ないのだ。
鐳は少し俯くと、はぁ、と大きな溜息を零した。
「その様子じゃもう見たんだね? 人間には判断出来ない事象だろうからあんな騒ぎになるのは仕方ないね」
「誰がやってるかはわからないの?」
「からっきしさ。アタイらが調べちゃいるが、全然。ただひとつ、人間がやってるってこと以外はね」
スッとルシファーの双眸が細められる。
「人間がやってると?」
「あぁ、その他の類の臭いはしない。生物の魂に関しちゃ、あんたのほうが詳しいだろう?」
「私よりも、サリエルの方が詳しいわ。一度あの女の左肩を喰い千切ってやったけれど」
「ひゃぁ怖い。なるほど、それで魂の扱いと邪眼が使えたのか」
「ご明察」
サリエルとは『死を司る天使』とも呼ばれる天使であり、嘗ては沢山の天使を堕天として血の涙を流しながら堕とした存在だ。そんな彼女も今は堕天してしまっているが。
そんな彼女の役目は、先述の通り悪に走る天使の罪を量り、その者らを堕天させる役目と、霊魂による人の魂の看守の役目である。それによって、人の命を刈り取ることから、『死を司る天使』と呼ばれるのだ。
彼女が持つ邪眼は一瞥で相手の命を奪い、または相手の動きを止めることが可能としている。
ルシファーは、そんな彼女の肉を喰い、その細胞を取り込むことによって能力を扱えるようになった。無論、元々の力ではないため本人に比べるとその技量や諸々が大したものではなく、肉体への負担も大きなものとなる。
だが、それは全てルシファー自身の知恵で補える。
「そのサリエルとやらは何処に?」
「魔界よ。もうすっかり傷も癒えて、毎日口煩いわ」
ルシファーは肩を竦め、鐳もクツと小さく笑った。
が、不意にその二人も双眸を鋭くし、鐳達が入って来た扉を見やる。そこから人の気配がしたからだ。
「貴様ら、尾けられたか?」
「それはないねぇ。しっかりと確認してきた。アンタの追手のようにも見えるけどねぇ」
その場にいる全員が殺気を滲ませ出す。鬼達は牙を剥き、堕天使は徐々に魔法を使う術式の構築を始める。
魔法を使うに至っては、異能を使うのに比べて面倒な儀式のようなものが必要となる。
それが術式の構築だ。術式なくして魔術なし、と言われるほど重要なもの。設計の仕事と同じように、似たような計算――その難度は比較出来ない――が必要となるのだ。
「出てこい。いるのはわかっている」
「じゃないと、ここいらごと吹き飛ばすよ?」
「御屋形様の目が黒いうちに姿を見せよ」
「……アタイ、目の色緑なんだけど」
三人の威圧に、臆されたのかなかなか出てこない。
鐳の言った通りに吹き飛ばそうと組んでいた手を緩めた刹那、
三人を紅蓮の炎が大蛇の如くうねりながら三人を襲った。
即座に構築途中の術式に多少の変更を加えて発動。
雲霞を薙ぎ払うように腕を振るうと、一陣の強風が吹き荒れ、肉薄する炎の大蛇を吹き飛ばした。
「見てくれはいいが、制御がお粗末だ」
ルシファーがそう囁いた時、ルシファーの起こした強風によろめいたのだろう一人の少女と一人の少年が姿を現した。
「手ェ貸そうか?」
「不要だ」
「そうか? 危ないようにも見えるけどね」
「何を――ッ!?」
馬鹿なことを――と言おうとして、出来なかった。
いつの間にか背後にサイドテールの少女が回り込み、今まさにガラ空きの脇腹めがけて蹴りを繰り出そうとしていたのだ。
しかも、そのサイドテールの少女には見覚えがある。今朝、喧嘩の仲裁に入っていたやたらと正義心の強い少女だ。
「貴様は――ッ!」
その直後、ズドンッ――と生々しく重い音が廃工場内に木霊した。




