圧倒的
「……結局すぐにいなくなった」
咲が不貞腐れたように頬を膨らませ、絢が宥めるように苦笑する。
高千穂が出て行ったのは、これから戦闘を始めようとしてすぐ。いきなり彼女の携帯が鳴り響き、通話に出る。一言二言話すと、すぐに飛び出して行った。
咲に「自主練な」と言い残して。
仕方なくいくつか型を行ったが、退屈だ。
「まぁ、落ち着きなって。センセーも多忙なんだから」
「わかってるけど……」
高千穂が警官の対異能者の特殊部隊にいることは知っている。それで今日の事件で忙しいのはわかる。
だからとはいえ、それを割り切れと言われると無理だ。学校の授業での唯一の楽しみが奪われた感覚に陥る。
他の生徒達も高千穂がいなくなった途端、皆やる気を一気に失い、簡単な突きと受けで終わっている。
正直、体術だけならここにいる全員に勝つ自信がある。
「いっそのこと、何人抜き出来るかやってみようかなぁ」
「やめてくれ。付き合わされるあたしらがキツイ」
絢が苦笑混じりにかぶりを振る。
では、どうすればいいだろう。せっかく高ぶったこの思いがこのまま何もせずにしぼんでいくのは嫌だ。
「ついて行きたかったなぁ」
「今から行くか? 場所はわかったし」
不意に携帯で誰かと通話をしていた浩二がそう問いかけてきた。
だが、いきなりの唐突の提案に、「は?」と思わず聞き返してしまった。
「居場所わかったし、見に行くか? 今バイトの先輩に聞いたら目の前で物凄い戦闘繰り広げてるってよ。周りの被害が半端ないらしいぜ」
「はぁ〜やっぱランクSの三位は凄いねぇ」
「体術だけでも世界クラスの人を相手にまだ戦いが続いてる方が凄いよ」
「それな」
「で、どうする? 下手すれば巻き添えを食らうらしいけど」
再びの問いかけに、逡巡もなしに立ち上がった。それでわかったのか、二人の友人はやれやれ、と肩を竦めながら咲について行った。
スーパーマーケット周辺――
まるで銃撃戦を彷彿とさせる轟音が轟き続ける。時折衝撃の余波や、荒れ狂う紅蓮の炎、それとは対照的な氷の槍が付近のアスファルトを抉っていく。
そこは警官の交通規制により立ち入りが困難になっており、その中心で二人の激しい攻防が絶え間なく続いていく。
「随分とタフだな」
「そうは言っても、一度も当たってないよ」
実力は五分と五分。いや、相手が頭ひとつ飛び抜けている。
驚くべきことに、こちらの異能の能力を一目で見抜いただけでなく、その後の移動先までも想定して異能を使ってくる。そのどれもが驚くほど正確だ。
更に、その威力もランクSに匹敵するもので、少しでも躱すのが遅れてしまえば終わりだ。
携帯武器であるナイフに触れ、相手の左肩に移動させる。
高千穂の『空間移動』は物質にも効果は発揮する。物質の移動先の座標を認識し、それを発動させる。
さっきから、同じような攻撃を何度も繰り返しているのだが、その度に躱される。
今もそうだ。まるでナイフの移動先が見えているかのように、的確にその悉くを最小限の動きだけで躱す。
「それ見えてるのか?」
「何がだ?」
「わたしの『空間移動』の移動先を」
「そんなわけないだろう。まったく、これっぽっちも見えてはいない」
男が嘲笑うようにこちらを見る。
そういう割には今もまた躱した。
――この男は一体どういう能力なんだ?
先ほどから見ている限りでは炎と氷を使う能力者であることはわかる。
だが、普通の異能者が使える異能の数は一人ひとつがセオリーだ。一部の例外を除いては。
その例外というのが、魔術師――魔法だ。魔法は個人差にもよるが、使える数が普通の異能者よりも格段に多い。
魔術師かどうかを見分けるのにはそれが一番手っ取り早い。
もうひとつ見分ける方法がある。それは、攻撃を防ぐ際に魔術障壁を作ることだ。
だが、それは高千穂を相手にするに至っては無意味。物質を対象の体内に指定すれば、障壁を通り越して相手に重傷を負わせることが出来る。
つまり、高千穂の能力は謂わば『魔術師殺し』の能力に近い。
「フッ」
鋭い呼気と共に地面を蹴る。開いた間合いを一足で詰め、拳を固く握り締める。
が、不意に本能が警報を鳴らしてそれを下がらせる。空間移動で距離を取り、たった今自分がいた場所に三本の氷の槍が突き刺さった。
もしあのまま攻撃していれば……。そう思うとゾッとする。
「呆けている場合か?」
そう声をかけられると、気付けば眼前に足を振り上げた男の姿が。
――いつの間に!?
すぐさま能力を発動。男の背後を取るように移動し、側頭部を狙って上段回し蹴り。だが、身長が低くて一八〇近くある男の肩までしか上がらない。
男は高千穂の蹴り足を掴むと、肩に乗せ、乗せた足首に手を添えて一気に圧してきた。
足に響く激痛。魔法だけに頼る軟弱者かとも思っていたが、どうやら体術にも秀でているらしい。
「グゥッ!」
痛みを奥歯を噛み締めて堪えつつ、顔面目掛けて前蹴り。
だが、男はすぐに掴んでいた足を離すと、今上がったばかりの蹴り足の外側にズレつつすくい受けた。そのまま顎を下から押し上げられ、バランスを崩される。その状態の軸足を刈り取られ、一瞬の浮遊感が高千穂の恐怖心を駆り立てた。
「くっ」
すぐさま能力を発動して退避。離れた場所に逃れるも、間髪入れずに荒れ狂う熱波が襲い来る。
それもなんとかして躱すと、今度はその目の前に拳を固く握り締めた男の姿が。
――間に合わない!
そう直感すると、腕をクロスして数瞬後に来るであろう痛みに備えた。
男が体を横に向けつつ、地面を強烈に踏み込んでの渾身の一撃が防御越しに伝わってくる。
骨と骨の当たる感触。肌に打ち付けられる痛み。
気づけば、高千穂の体は宙を舞っていた。そのまま流れに身を任せ、スーパーマーケットの屋上から更に外側へ。
その時、しばらくの戦闘でガタが来ていたのだろうスーパーマーケットが一気に崩れ落ちた。粉塵を巻き上げ、瓦礫を転がしながら、男を巻き込んで崩れていく。
地面に倒れる際に何とか受け身をとってダメージを最小限に抑えるが、殴られた場所がビリビリと痺れており思うように力が入らない。
「くそ!」
自分自身に喝を入れ、何とかよろけながらも立ち上がる。
相手は予想していた以上に厳しい相手だ。異能者相手の訓練は受けているとはいえ、高千穂自身は一五人しかいないランクSの第三位だ。
それが、データにも載っていない無名の異能者を相手にこうまでボロボロにされるとは、一体誰が予想出来ただろうか。
少なくとも、スコープ越しに見ている同僚達は驚愕の表情をしていることだろう。いつもなら騒がしい左耳に取り付けたインカムも、今日は一段と静かだ。
突如、目の前のスーパーマーケットだった物体が爆炎を巻き上げ、瓦礫が爆ぜた。その拍子に巻き上がった粉塵に引火したのか、粉塵爆発が起きた。
熱風が高千穂の肌を撫で、ジワリと額に汗が浮かぶ。
鉄筋が爆発によって彼方へ吹き飛び、火の手が広がる。まさに灼熱地獄だ。
そして、火の手の上がる中心地にて彼が涼しい顔で立っていた。爆風をまともに浴びたはずだが、そんな形跡はまったくない。口元にニヒルな冷笑を浮かべながら、泰然として構えている。
「これで終わったわけではないだろう? 来い。お互いにまだピンピンしているだろう」
男の凍てつくような眼光が自分に向き、ゾワリと寒気がする。
咄嗟にナイフの残りを確認。
――あと三本!
一気に数本同時で放てば、流石の奴でも躱すことは難しいはずだ。
すぐさまナイフに触れて能力を発動。
男の左肩、右足、左脇腹に座標を設定し発動。
しかし、
「芸のない奴だ」
男は一歩後ろに下がり、設定されていた座標から移動した。指定された座標にナイフが現れ、ただ虚空に投げ出されただけになる。
――焦り過ぎた!
実際、座標を設定しているだけで、移動させたあとは物質はそのまま重力に従い地面に落ちるのみ。
それを今までの攻防で見抜かれていたらしい。
「さぁ、次はなんだ?」
「くっ……!」
思わず歯噛みする。残りがあるとすれば、こちらの体術のみ。それと、別に準備している仲間達の遠距離射撃。
初めにどこに隠れるかは話してある。スナイパーは全員で四人。後は、絶好の機会をこちらが作るしかない。だが、高千穂が近づき過ぎると今度は誤射の危険性が出て撃ってくれない。
「どうにかして――」
「――隙を作らねば、か?」
自分の言葉を続けられて、思わず目を瞠る。
いつの間にか先ほどのナイフをふたつ手に取った男が冷笑を交えて彼方の方向へ首を巡らせる。
その方向は、間違いなくスナイパーのいる場所だ。
――この男、まさか……!
スナイパーの位置に気づいているのではないか。
いや、そんな馬鹿な。高千穂達のいる場所からどのスナイパーも一キロ前後距離が離れているはずだ。
わかるはずがない。
その直後、男の向いている方向から小さな物体が飛来する。丁度男の眉間の位置だったが、すぐに何かにぶつかる音とともにその物体は地面に転がった。
魔術障壁。だが、普通のものよりも強固だ。対魔術師用の特殊な弾丸だったが、それを防ぐとは……。
「一人」
男が小さく呟く。すると、男が向いている方向にあるこれまた大きなビル。そこには一人の同僚がいたはず。そんなビルが、天地を揺るがすような爆音とともに内側から爆ぜた。
「なっ!?」
咄嗟に救出に向かおうと能力を使おうとして、すぐに足に激痛が走りその思考を断ち切られた。
見ると、先ほど男が手にしていた高千穂のナイフが、自分の足に突き刺さっている。そのまま地面に縫い付けられ、毒々しい赤い液体が絶え間なく溢れ出てくる。
「グッ!?」
直後、左肩にもナイフが突き刺さる。
「そこで見ていろ。仲間の凄惨な死に様をな」
「させるか!」
空間移動を使って仲間を全員救う。その思いを胸に、能力を発動――できなかった。
「そんな馬鹿な!?」
もう一度、もう一度と何度繰り返していても結果は同じ。高千穂が虚しく呻いているようにしか傍目からは見えないだろう。
「お前、わたしに何をした!?」
「簡単なことだ。ナイフを返してやっただろう。そこに空間移動妨害の術式を組み込んである。一時的なものだが、今のこの状況にはピッタリだろう?」
「そん、な……!?」
つまり、しばらくの間は能力を発動することが出来ない。仲間が殺されるところを黙って見ているしかないのか。
これほどの絶望を、高千穂は感じたことがない。
無力な自分に忸怩たるものがある。だが、今は目の前に集中する。後悔するのは、これが終わった後でいい。
奥歯を噛み締めて痛みに耐えつつナイフを抜く。カランッ、と音を立てて地面に置いた後、ふらつきながらも男に向かって特攻する。
多少の怪我がなんだ。もともと自分の十八番は体術戦だ。その持ち味を活かさなくてどうする。今仲間を救うのに、これを使わなくてどうするのだ。
「うぉぉおおぉっ!!」
地面を蹴り、その痛みを絶叫で吹き飛ばしながら腕を振り上げる。
だが、気づけばその場には男の姿が消え失せていた。
「なっ!?」
「何を驚いている? お前の常套手段だろう?」
背後からの冷たく乾いた声。その直後、脇腹を抉るような強烈な痛み。
蹴り飛ばされたと気付いた時には既に街灯に背中から激突した時だった。
「かはっ」
肺の中の空気が全て吐き出される感覚。すぐに空気を貪るように吸い込み、そしてむせた。
「人間にしてはよくやる。だが、それももう終わりだろう」
男はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。ゆっくり、ゆっくりとこちらの恐怖心を煽るように。
「お前、まさか『空間移動』を……!」
「語るに及ばず」
パシッと男が弾指を弾く。すると、高千穂の眼前で周囲の風が集まり出し、真空の刃となって襲いかかってきた。
「ぐぁあっ!!」
肉が裂かれ、足元に小さな血だまりが出来る。次の瞬間には風の勢いが強まり、高千穂の体を吹き飛ばした。
「まだだ……!」
「だろうな」
よろめきながらも立ち上がり、一歩踏み出そうとした瞬間、踏み出した先の地面が僅かに砕け散り、そこに足をつまづかせてうつ伏せに転倒。
刹那、倒れた先の地面から氷の刃が高千穂の腹部を貫いた。腹から背中まで貫通し、胃の中から気持ちの悪いものがこみ上げ大量の血塊を吐き出す。貫かれた腹部からもどくどくと赤よりも赤い血液が湧き水のように湧き出て来る。
「貴様との勝負も飽きた。本当に――人間のくせになかなかタフだったわ」
相手の声音がいきなり高くなり、口調もおかしくなる。
視界がぼやけながらも、なんとか顔を見上げる。
そこには、先ほどまで戦っていた男のものではなく、驚くほど長い金髪を風になびかせた女が立っていた。
顔のパーツまではわからないが、ワインレッドの瞳がまっすぐこちらを見据えているのだけがわかる。
「へぇ、まだ生きてる。本当にタフねぇ。ま、そろそろ貴様のお仲間も来るだろうし、私は行くわ」
「ま……て……っ!」
「私のことはキリスト教にでも聞いときなさい。なんて言われてるかわかったものじゃないけど」
そう言い残して、女は去っていく。その後ろ姿が次第に真っ黒に塗りつぶされ――
そのまま高千穂は意識を失った。
――なに、これ……。
思わず目の前のことが信じられなくなる。自然と血の気が引く。一緒に見物に来た絢と浩二も絶句して、目の前の光景に見入っている。
目の前に広がる激しい戦闘痕。この辺りでは大きな部類に入ったスーパーマーケットが全壊。消防隊が水の異能や放水ポンプで消化作業に移っている。
そして、大量の血痕。一際ひどいのは、スーパーマーケットから少し離れた場所。
そして、担架で運ばれていく血みどろの高千穂。
「マズイ! 血圧低下!」
「このままじゃ出血死しちまう!」
「傷の縫合! それと輸血パックを急げ! 救急車の中ですぐに始める!」
「腹部の穴はどうします!? 内臓もズタズタですよ!?」
「複製キットを使え! 絶対に死なせるな!」
これは何かの冗談だ。きっとそうに違いない。
ついさっきまで元気そうだったではないか。いつも上司との口論の後に見せる疲れた表情はどこにいった。
「……嘘でしょ」
「聖奈センセーが……」
「思ってたより、かなりマズイっぽいな」
全員の顔から血の気が失せている。
咲も喉がカラカラに乾き、それでも何かを飲みたいだなんて思えない。
自分の目標としている人が、これほどまで痛めつけられるのは心苦しい。だが、どうにかする力が咲にはない。
異能もランクはE、体術はクラスでトップクラスかもしれないが、それでも高千穂先生よりは弱い。
この程度の力で、何が出来るというのか。
「こうなったらよ、俺たちで聖奈センセーの仇打とうぜ!」
「はぁ? あんた馬鹿か? センセーで勝てないよーな相手に挑む気か?」
「確かに一人じゃ無理だろうよ。だが、俺はセンセーと同じランクもS! 体術はそこまで出来るわけじゃないが、クラスでも中の上! そして、ランクBのダチもいる!」
「咲を忘れてるよ」
「こいつは……俺の代わりに体術をやってくれる!」
「まさかの近接要員!?」
なんとも馬鹿丸出しの発言だったが、それでも気持ちは痛いほどわかる。
それがどれだけ無謀な行為だろうが、構わない。
絶対に、高千穂の仇を討つ。
まずは、相手のことを調べるところから始めなくてはならない。少なくとも、三人とも容姿はわかっている。全員戦闘が終わる少し前に間に合うことが出来た。
黒髪の、男にしては少し長い髪の男。背は高く、引き締まった筋肉が着ていた服の上からも露わになっていた。
一度、こちらに視線を向けられた時、慌てて身を隠したのだが、見つかりはしなかったらしく、再び観察しようとしたところで姿を消していた。
先ずは、男の足取りを掴むところからだ。
「行こう!」




