最強の堕天使の力の片鱗
「……傍観していた方が面白そうだ」
実際のところ、ルシファーが仲裁に入ったとしても何の得もない。どころか、あの野次馬たちからブーイングを受けるだけ。
それなら、傍観を決め込むに限るのだ。
荒れ狂う水流が幾重にも分かれて鋭い水の槍を形作る。対して、小柄の男も更にその身体を下げ、ほとんど四本足歩行と言っても過言ではないだろう。
二人の間に見えない火花が散る。
そもそも、こうなった原因は何なのだろうか?
生憎こちらからは遠くて何かを話していても――聞く気がないと――聞こえないが、正直大して興味もない。
人間の喧嘩なんてものはくだらないものでいつでも起こる。それが周囲に与える影響には差があるが、それでも一時の感情で流されるほど愚かな生物に対した興味もない。
その時、
「待ちなさい!」
と少女の声が聞こえてきた。
見ると、サイドテールの少女が息を切らせながら全力で走ってくる。
十中八九、喧嘩の仲裁だろう。殊勝な事だ。
少女は何とか拮抗する二人の間に入ると、何事か怒鳴りだした。
余程正義心が強いのだろうか、初めは話の聞いていた二人が再び暴れ出した瞬間にまた止めに入った。
「……さて、別の場所も見て回ろうか」
ルシファーは腰を上げ、静かに――誰に悟られる事もなくその場から抜け出した。
ルシファーはここ数百年単位の情報を得るために何かないかと探し回った結果、異能の街で一番大きい図書館に足を踏み入れた。
中は物静かだが、紙とインクの匂いが鼻をくすぐり少しこそばゆい感じがする。人の姿はまばらに見えるが、そのほとんどは手持ちの携帯端末とにらめっこを続けている。
ルシファーも適当に歴史の本を数冊手に取り、人が少ない窓際のテーブルに腰掛けた。
本のページを捲り、そこに書かれている文字の羅列や当時の写真なのだろう画像を流し読みしていく。
どうやら、以前よりも異能者や魔術師が増えてはいても、携帯端末などの科学は随分と進歩しているように思える。
事実、図書館内に設置されているパソコンにはキーボードが存在せず、電源をつけてやっと触れることが可能なホログラムのキーボードが現れるようになっている。
しかし、武器などの近代兵器は当時のままで大した進歩もしていないようだ。
魔王が死した後も、どうやらくだらない争いは終わる事がなかったらしい。
時刻はもうすぐ午前一〇時。まだここに来て一時間ほどしか経っていないが、ここの常識なら既に理解は出来た。もう用はない。
本を元の場所に戻し、図書館を後にする。
図書館を出ると、たくさんの高層ビルが視界に入ってくる。その内の一角に、キラリと何かが光を反射した。
「俺の事を知られた? 天界の連中じゃあるまいし、それはないか」
実際、彼女は知らないが昔話になっている天界と魔王率いる魔族の戦争に参加した当事者だ。それを撃退された身として、奴らは自分を目の上のたんこぶにしているはずである。
だが、それでもさすがに早過ぎる。
神という連中は高貴であり、腕を軽く薙いだだけで地上に大きな被害をもたらすそんな存在だ。
そんな彼らは人間の事を――ルシファーと同じように――大した感慨は待ち合わせていない。中には多少だが人間を大切にしようとするものもいるが、それでもついで感覚だ。
ふと、気づけば周囲に数人の男たちが囲んでいた。
ナイフや拳銃といったものを携帯しているところを見るに、おそらくは何の力も持たないただの人間といったところだろうか。
「お前、異能者か?」
「どうしてそう思う?」
「力のない俺たちをバカにしてるような目をしているからだ」
「それでは単なる決めつけというものだろう。俺は貴様らだけではない。力を持つ者に対してもこういう目をしている。さしたる興味がないからな」
数は四人。拳銃が二人にナイフが一人。もう一人は、どうやらメリケンらしい。
ルシファーはジーンズのポケットに手を突っ込んだまま、四人を睥睨する。立ち姿や姿勢から相手の情報はある程度読み取れる。メリケン以外は素人だ。
メリケンを隠し持っている男はガッシリと鍛えられているが、それでもどこかスマートさが感じられるのを見るに、おそらくボクサーだろう。
「へぇ、じゃあお前が異能者じゃない証拠を見せてもらおうか?」
「それは無茶というものだ。たとえば、貴様の持つその拳銃で俺の頭を撃ち抜いたとしよう」
男の隠し持っている拳銃を指差すと、全員動揺したように身じろぎした。気づかれていないと思っていたらしい。
「それで俺が死んだら異能者ではないことになる。だが、死んでしまっては元も子もない。貴様らからしてみれば、志を同じくしているかもしれない同志を自らの手で殺したことになる」
ハッと四人が息を呑むのがわかった。
口八丁は得意ではなかったのだが、案外いけるものなのかもしれない。
「その時、貴様らからしてみればどうだ? たとえあったばかりの他者で、精神的なダメージも少ないだろう。だが、夢見が悪くなることはまず間違いない」
「あぁ、確かに」
「が、それは異能者を殺した後もそうではないのか?」
四人がグッと口を噤み、下を向き始めた。どうやら、その通りだったらしい。
人間が一番精神的なダメージを受けるのは、主にふたつ。人を殺した時と友を殺された時。それがあるから、世の悪党や軍人は人を撃つときに何か別の理由をつけて殺す。要は思い込みだ。
奴らをキャベツに思え、道に転がる看板だと思え、とはよく聞く話だが、そうでもしなければ道徳心が勝ってしまうのだ。そのせいで、殺しにくくなってしまう。
それはこの四人にも同じらしい。が、ルシファーは違う。
人間を殺すことを躊躇いはしない。だからこその口八丁だ。
これは自分自身が逃れるための話ではなく、彼ら自身の命が長くするためだ。
――随分と甘くなったわね。
思わず自分でもそう思ってしまうほどだ。
それでも、殺すとなれば話は別だ。こちらはいつでも迎撃出来るよう戦闘態勢は整えられている。
この程度の連中に魔術や呪術を使う価値はない。
「貴様らが何人殺したか、誰を殺したのかは興味がない。が、その分貴様らは苦しんだだろう。もうそんな――っ!?」
先ほど光が反射して見えたビルの一角、そこが一瞬だけ光った。明らかに光の反射ではなく、まるでマズルフラッシュのように。
咄嗟に軽やかなステップで横に移動すると、さっきまで自分の肩のあった場所を一発の弾丸が通過した。
「どうやら、血を見るしかないらしい」
弾丸の来た場所に向けてパチン、と一度弾指を弾く。
すると、大気を揺るがすほどの大爆発がビルで起こった。窓ガラスが割れ、支えを失った高層ビルが崩壊。瓦礫となって多くの人間を生き埋めにした。
「コイツ!」
「やっぱり異能者か!」
全員が戦闘態勢に入った。
全員が隠し持っていた武器に手を伸ばし、そのうちの拳銃を持った男へとすぐさま距離を詰めた。
男が気付くよりも早く拳で打ち合う方が早い間合いになり、男が慌てて拳を握るも既に遅し。顔面にルシファーの掌底が叩き込まれた。
バミャリと骨を砕いた感触が手に伝わり、ルシファーは恍惚に笑った。
「テメエ!」
ナイフを持った男が怒りを露わに走ってくる。
「おい、素人がそんなものを持っていると危険だ」
「うるせえ!」
「善意は受け取っておくものだ」
ルシファーは微笑をたたえたまま、駆けてくる男に向き直る。
「死ねやぁっ!」
男はナイフを腰に構え、一気に突く。
それを、すれ違いざまに左足を軸に半回転。ナイフの切っ先を躱すと、今度はそのナイフを持つ男の手首に左手を当て、そのまま今度は右足を軸に半回転。男の運動エネルギーを働かせ続けると、引っ張り寄せた男の右手と体の隙間に右足を入れ、右肘に自身の右手を添える。そして、腰を落とした。
次の瞬間、男の体がその場で掴まれた右腕を軸に一回転。くるりと擬音がふさわしいほど見事な回転を見せた。
「うおっ!?」
流れるような動作にその場にいた全員が見入ってしまい、呆然と立ち尽くしていた。
ルシファーは未だ宙を舞っている男の持っているナイフを奪い取り、側頭部に渾身の踵落としを叩きつけた。
踵に伝わってくる骨を砕く感触。振り下ろした踵の勢いをそのままに、男の頭が地面に一気に叩きつけられ、次の瞬間真っ赤な液体が飛び散った。
「さて、あと三人。そのうち一人は虫の息だ。まだやるのか?」
双眸に氷点にまで温度の下がった冷たい眼光が二人を順番に見据える。その怯えた姿がルシファーを喜ばせ、更に嗜虐的な笑みを見せる。
「うっ、うおぉぉおおっ!!」
男が絶叫を迸らせながら、拳銃の引き金を引いた。
刹那、銃口が火を噴き、弾丸が打ち出される。が、ガタガタと震えてしまっていたために狙いがずれ、明後日の方向へと飛んで行ってしまった。
そして、二発目が襲ってこない。見ると、どうやら次弾が装填されていないらしく、ホールドオープンの状態でスライドが止まっていた。
「故障りやすい残念なものを使うからだ」
奪い取ったナイフを手首のスナップを活かして投擲。ナイフの切っ先は男の首の肉を裂き、真っ赤な鮮血を噴き出させた。
「あ……あぁ…」
首の傷を押さえるも、もう意識も虚ろ。死ぬのは時間の問題だ。
ルシファーはその男に完全に興味失ったかのように、残り一人を見据えた。
「ば、馬鹿な……!?」
「恨むなら、貴様の業を恨め」
ルシファーは男にそう吐き捨てると、地面を強烈に踏み込み、瞬き程の時間で、男の眼前で硬く握り締めた拳を振り上げていた。
「サヨナラだ」
ニヤリと不気味な笑みを貼り付けたまま、リラックスされた強烈な拳がボクサーらしき男の顔面を捉えた。
パァンッ――というインパクト音と共に男の体がトラックに跳ねられたかのように吹っ飛んだ。
「久しぶりだが、この肉体も鈍ってはいないものだ。さすがは魔王と呼ばれたあの子の肉体だ。染み付いた体術が出るのは否めないが、それでも実に馴染む」
「――またその御姿ですか」
背後からそんな声が聞こえ、ルシファーは体をビクリと強張らせる。
どこか咎めるような物言いではあるが、その内に呆れを交えた声音だった。
ゆっくり振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
スラリとしたスマートな青年だ。丁寧に整えられた黒髪に、日焼けと縁のない生白い肌。目鼻立ちの整った美形で、ジャケットこそ着ていないものの、上質な白いシャツの上にベスト、下はグレーのスラックスに革靴を履いていた。手には甲の部分に何かの魔法陣が描かれた白い手袋。首元までもキチッと着こなされており、気取った格好だったが、最も目を引くのはやはり、右目にかけられた片眼鏡だろう。その格好から、前世紀の貴族を彷彿させる。
「随分と懐かしい御姿ですね」
「あ、あー……これはそのぅ……」
「言い訳は無用です」
自分の従者である者に、悪魔を束ねるはずのルシファーはしどろもどろになる。
そもそも、ルシファーが今回こちらに来たのはお忍びだ。誰にも言ってないし、その分準備もしてきた。
何故バレた、なんて今はどうでもいい。パティンという面倒な従者が来た、これだけで面倒ごとだ。
「悪魔王様。このような場所で何をしていらしてるのです? 何もこんな場所に……あぁ」
説教を始めようとしたパティンが不意に頭を抱えてしまった。
その理由はルシファー自身にもわかっている。
「こらぁっ! 何の騒ぎだこれは!!」
警官が数人、大急ぎで駆けつけてきたのだ。これにはルシファーもため息を吐くしかない。
一瞬全員蹴散らそうかとも考えたが、パティンが首を横に振ってその考えを一蹴される。
今はとりあえず、逃げるが勝ちだ。
「黒王っ!」
ヒュイッと指笛を吹くと、どこから現れたのか一匹の黒い馬が現れ、すぐさまその背に跨る。手綱を握り、パティンが飛び乗ったのを確認して馬を走らせる。
馬は一度大きく嘶くと、地面を駆けていく。
「あっ、おい待ていっ!」
警官隊が叫ぶ。待つわけがないだろうと言いたいが、今は去ることに集中しておいたほうがいい。
「待て、と言ってるだろうが!」
一人の小太りの男が一際大きな声で吠えると、横綱のしこふみよろしく地面を踏み鳴らす。
すると、地面が隆起し始め、ルシファーの眼前に隆起した地面の壁を作り上げた。
「へぇっ!」
「お楽しみすぎないよう」
「無理な相談だな、パティン。黒王、構わん。上がれ!」
馬に囁くと、我が意を得たりと一度ブルルッと鳴き、走るようにして空を駆け始めた。
眼下を見下ろすと、警官隊は全員ぽかんとした間抜けな表情でこちらを見上げているだけだった。
ルシファーは左手を上げると、巨大な火球を作り出す。そこに、ふたつ目の太陽を作り出したかのような現象に、警官隊の何人かは尻餅をついた。
「失せよ、貴様らのような俗物共に興味はない!」
その時の声音は、元のルシファーのものだった。男の声ではなく、美しく透き通った綺麗な声音だった。
ルシファーは火球を操り、警官隊に向かって特攻させる。
すると、先ほどの小太りの男が再び地面を隆起させ、仲間達を守る盾にした。
火球が盾と激突。耳を劈くほどの爆音が轟き、その威力で壁が一瞬で崩れ去った。それだけにとどまらず、その衝撃の余波でその場にいた警官隊を吹き飛ばし、近くの建物の窓ガラスを全て破壊してしまった。
「やり過ぎた?」
「しっかりと防御を取っていたので大丈夫でしょう。ご覧下さい。原型が残っております」
「確かに。なら、大丈夫だな」
パティンの指摘にルシファーも頷き、黒王を走らせた。
実際のところ、その場にいた人間達の中に生存者はおらず、通りがかったりたまたま近くにいただけの一般人も巻き込んでしまっていた。
死者は二十七人に上るとされ、高層ビルの爆破と共にその日のニュースを大いに騒がせたのだった。




