夫婦の体温
エブリスタで連載していた時に掲載していた応援得点です。
ぽたり、と窓に付着した雫が流れた。
水滴が流れていく様を眺めながら、アランシアはため息をつく。
夫であるゼイヴァルが、政務が忙しくて最近すれ違いが多いのを気にして、正午にアランシアの部屋に行くと約束した──にも関わらず、すでに時間は一時間を悠に越えてしまっている。
晴れていた天気も次第に曇り、今では雨まで降っている。
「……最低男」
本人がやってきたらどうやって罵ってやろうか。どんな罵詈雑言を浴びせてやろうか。──いずれにしても機嫌は治らないので、いっそのこと殴ってやった方が早いのではないだろうか。
王女としては有り得ない企みを悶々と考えていると、いきなり扉が開いた。
無遠慮にも程がある。アランシアが文句を言うために扉の方へ振り向き、口を開けたまま固まった。
「ごめん、アラン。遅刻だ」
詫びて気が済むほど、アランシアの機嫌は晴れていない。しかし、まるでドブネズミの様にずぶ濡れで、衣服や髪まで乱れた情けない夫に、どうやって怒ればいいのか。
「……どうしたのよ。その情けない姿は」
「馬車で悠長に帰ってたら間に合わないと思って早馬で駆けたんだけど、駄目だったよ」
昨日から彼は隣の領地へ視察に行っていた。間に合わないと思って、まさか距離のある領地からここまで馬で? しかも雨が途切れる間もなく降り続けているというのに?
アランシアはひとまず部屋の外で控えているポーラにタオルを持ってこさせようと扉まで歩み寄り、ゼイヴァルの横を横切る手前で手首を掴まれた。
彼の手は、まるで氷のように冷たい。
「……怒ってる?」
こちらの顔色を伺うように少し屈んで見上げてくる彼は、よく見たらわずかに震えていた。冬が近くなっているこの季節に雨の中駆けてきて、さぞや寒いのだろう。
「……いいわ。怒ってない」
怒りはどこかへ飛んでしまった。ここまで必死になって帰ってきた夫を叱るだなんて真似、できやしない。
「良かった」
そのまま腕を引かれて抱きしめられる。
べたべたに濡れた彼と密着すればこちらまで濡れてしまう。
いつもは「やめてよ」とはねつけるアランシアだったが、どうにもそう言う気にはなれなかった。
ただ、冷え切った彼の体を自分の体温で温めて上げたいと、柄にもなく思ってしまった。
こんな日も、たまになら悪くない。
2012.07.18 天嶺 優香




