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欲しいのは林檎とあなた  作者: 天嶺 優香
五 寵妃の娘
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4

 賑わう会場。聞こえるのは客人達の談笑と、ゆったり流れる音楽。

 貴族や異国の使者に挨拶を交わすゼイヴァルを、アランシアは遠目から眺める。

 優雅な笑みを浮かべてもてなす彼に、周りにいる貴族令嬢達が頬を染めるのがよくわかる。

──駄目よ、そんな悪い男に引っかかっちゃ。愛人何十人もいるんだからね。

 自分よりも年下の貴族令嬢達が何だか可哀想で、ついつい余計な口を挟みたくなる。

「……姫様、お顔が険しいですよ」

 ポーラに注意をされて息を吐いた。

 いけない。馬鹿な夫の事を観察している場合ではない。

 ゼイヴァルから贈られたドレスはサイズぴったりで、元々スタイルの良いアランシアの胸やウエストラインが際立つ。

 結い上げた髪も好評で、賛辞を言われるたび、後ろで控えるポーラの鼻がのびていく。

 先程から男性からの熱視線もあり、もうすぐ始まるダンスを申し込まれるだろう。ゼイヴァルが愛人を何十人も抱えているのは周知の事実らしいので人妻であるアランシアを堂々と誘えるというわけだ。

「この私がモテなくて、他に誰がモテるっていうのよ」

「姫様、お声に出ています」

 今まで有り得ない待遇だった。美しいと褒め称えられる為に努力した。我慢した。それなのにその努力を褒められないなんて、意味がない。


──綺麗だ。


 唐突に、ゼイヴァルが部屋に来たあの夜に、彼が言った言葉が耳に響いた。

 熱を孕んだ吐息と、かすれた声。決して強い力ではないはずなのに、掴まれた腕や体はぴくりとも動かなかった。

 彼の声が、感触が思い出されて、アランシアは真っ赤になる。

「……姫様?」

 ポーラが心配そうに名前を呼ぶ。体温がわずかに上がる。崩される、そう自覚した途端、不思議そうに首を傾げるポーラに言葉を返しながら歩き始めた。

「ちょっと頭冷やしてくるわね」

「はい?」

 訳が分からず首を傾げるポーラを置いて、アランシアは会場を出て中庭へと歩いて行く。

 頭を冷やして冷静な思考を取り戻さなくては。

 中庭は会場から漏れる光が当たって綺麗だった。草花がとても幻想的で、暫しそれに見とれていると、後ろから誰かに腕を掴まれた。

 驚いて振り返ると、先程まで令嬢達に囲まれていたゼイヴァルだ。

「何かご用?」

 冷たい声で尋ねると、彼は腕を掴んだままアランシアの顔を覗き込む。

「外に出て行ったから体調でも悪いのかな、と思ったのだけど、顔色は悪くないね?」

「ちょっと風に当たりたかっただけ。ダンスの申し込みが始まるからそろそろ離して頂けないかしら」

「……それは浮気宣言?」

 ゼイヴァルの声が急に低くなった。

──もしかして、怒った?

 まさか。だって怒る理由なんてないはずだ。

 しかし、掴まれた手に力を加えられる。

「痛いわ!」

 抗議の声を上げると、はっとしたようにゼイヴァルは手を離した。

「浮気してるのはあなたの方じゃないの!」

 彼が怯んだ隙にアランシアは背を向けて歩き出す。賑わう会場には何だか戻りたくなくて、そのまま庭を突き進む。

「アランシア!」

 背後から名前を呼ばれ、振り返れば彼が追ってきた。

「やだ、なによ! 追いかけてこない……っ!」

 叫んだ拍子に、高いヒールのせいで足が傾き、片方の靴が脱げた。

 みっともなくて、小走りしながら履いていたもう片方の靴を脱いでしっかりと手に持つ。

「大嫌い!」

 振り返りながら思い切り手に持った靴を投げつける。

 ひょい、と軽々とよけられて、怒りが増す。

「むかつく!」

 罵倒の言葉を浴びせていると、ぐらりと体が傾いた。しっかり前を見ていなかったせいで噴水に躓いたのだ。

「やっ」

 水に落ちる。

 そう頭で理解して、何でもいいから何か掴みたくて手を伸ばし、指先にかすめた布の感触に希望が見えて、しっかりと握った。

「おい、アラン、ちょ……っ」

 ばしゃん、と二人そろって噴水の水に落ちた。

 ぽたぽたと何かが上から降ってきて、閉じた瞼を更に固くする。

「……怪我はないか?」

 なぜかゼイヴァルの声がかなり間近で聞こえた。不思議に思って閉じていた瞼を開け──息をのむ。

 顔に張りついた彼の明るい髪がいくつもの雫をたらして、精悍な彼の頬を伝って、凄く綺麗だ──否、それよりも。

 噴水の中で尻餅をついている自分に、覆い被さるようにして跨がっているこの状況は一体何なのだ。顔が一気に火照って、思わず怒鳴りつけた。

「やだ、なに上にのってるのよっ!」

「君が引っ張ったんだよ」

 ため息をつきながら濡れた髪をかきあげるゼイヴァルの仕草に目を奪われながらも、アランシアはきつく彼を睨む。

「それはごめんなさい。でも、元々はと言えばあなたが……」

「黙って」

 そのたった一言で、まるで魔法がかけられたかのようにアランシアの口が閉じた。

 目の前の、月明かりでかすかに光る真摯な眼差しを向ける、この男は誰だろうか。こんな真剣な顔で、だけど欲を宿した瞳で見つめられて、心が揺れない女などいるのだろうか。

 彼の人差し指がアランシアの口元に添えられる。お互いの鼻先がかすりそうな程の至近距離で、視線を絡める。

 唸り声を上げて襲いかかろうとする獣のような、獰猛さを秘めてた妖しさは糸も容易くアランシアを翻弄する。

「……ゼイ、」

 ゆっくりと顔が近づいてきて、アランシアは観念して目を閉じた。

 仕方ないと、心の中で言い訳する。

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