3
***
ドタバタと、朝から騒々しい音が響く。まだ寝ていたいアランシアはうめき声をあげながら体を起こした。
「アランシア様! アランシア様!」
「……朝から何なのよ、ポーラ」
部屋に入ってきたポーラは満面の笑顔を浮かべながらテーブルに長方形の白い箱を置く。
「ゼイヴァル様から贈り物です!」
「……殿下から?」
薄手の夜着の上からローブを羽織る。のそのそと重い足取りでテーブルまで近寄り、箱を開けた。
「…………」
中には真っ赤なドレスが入っていた。体の線がよく出そうな、夜会ドレス。
「あの愛人達にドレスを破られたのを覚えて下さってたのですね!」
呆然とドレスを見つめるアランシアに対して、ポーラが飛び跳ねそうな勢いで喜んでいる。すると、ドアがノックされ、その音に気づいていないポーラの代わりにアランシアがドアへ向かった。
ドアノブを回して扉を開けて──すぐに閉めた。
デジャヴが起こった気がする。
「……何のご用かしら」
扉向こうにいた夫に、アランシアは尋ねた。
「ドアは開けてくれないんだ?」
今、あなたの顔は見たくない。そう言いたいのをアランシアはぐっとこらえ──きれなかった。
「約束破りのあなたの顔なんて見たくない。気分が悪くなるだけだわ。むしろ、それが目的で来たのではなくて?」
どうやら自分は一度吐き出すと皮肉が止まらない悪癖持ちらしい。
こんなに怒りを覚えた事がないアランシアだが、この国に来て質の悪い悪癖を発見してしまった。
「……どうしたら許してくれる?」
扉の向こうから聞こえる声はとても申し訳なさそうな、捨てられた子犬を連想させるもので、心が揺れた。
──ほら、また簡単に動く。
そんな風に言わないでほしい。節操がなくて、無神経で、失望ばかりさせるあなたを、嫌わせてほしい。──私を迷わせないで。
「あなたに何を考えているか、どんな事情があるかなんて、私にはどうでもいいの。だから、無干渉でいることを約束するから、あなたも私にかまわないで」
仮初めの夫婦の関係から何かを生み出す事はできない。慰めもいらない。同情もいらない。中途半端な気持ちで近寄ってきても、こちらが傷つくだけなのだから。
「それは、今後君に一切関わるな、という事?」
「……そうよ。あなたに想う人ができたら私は離れにでも住むわ」
「本気?」
「ええ、本気」
「……チャンスをくれないだろうか」
なぜこの男は、そこまでくいつくのだろうか。
もうこれ以上自分を乱されたくない。たとえ政略結婚でも、夫が他の女の所へ行くのは気分が悪い。
「チャンスなんて必要ないでしょ? 何も変わらない。チャンスを上げたら他の女の所へ行かないというの?」
「……なあ、それってもしかして嫉妬?」
瞬間、一気に体温が上がる。ドアを思い切り殴りつけて、怒鳴った。
「馬鹿な事言わないで! 偽物の夫でも、あなたが他の女の所へ行くと私まで嫌な噂が立つからよ!」
確かに先ほどの言い方は嫉妬に似たものだ。だが、あくまで祖国の王女として、この国の次期王位継承者の妻として、問題は避けたいだけだ。決して嫉妬などと、そんな感情を持てるほどこの男に入れ子んでいるわけではない。
「あなたには山ほど女がいるじゃない。私に構わずそちらに行けばいいわ」
だからもう顔を見せるな、話しかけるな、夜伽へ呼ぶな。
アランシアが提案していると、ドア越しの彼がため息をついたのがわかった。そうして返答を待っていると、下のドアの隙間から何やら手紙を入れてきた。
そのまま遠ざかっていく足音に、アランシアの中で何かが切れる音がした。
「返事を言わないで去るって、どういう神経してるのよ、あの男は!!」
手紙は、ありきたりな『親愛なるアランシア・ローズ様』から始まった。
先日のお詫びに、以前から計画していた王太子妃の御披露目会──舞踏会を行う、という内容だ。もちろん主賓であるアランシアは欠席など許されない。
手紙には、あなたにあうドレスを選びました、という彼の言葉。
振り返って、ポーラが丁寧に抱える真っ赤なドレスをアランシアは見つめた。
あの人が自ら選んだドレス?
ドレスが入っていた箱は、よく見ると一流デザイナーのサインが入っていて、デザイナーのオリジナルドレスだという事がわかる。
用意してくれたドレスも、舞踏会も、全てアランシアの為だ。こんなご機嫌とりに惑わされるな。
綺麗なドレスも、有名な一流デザイナーも、何もかもがアランシアのご機嫌とりだ。
ポーラと一緒にはしゃぎそうになる自分を必死に理性で押さえ込む。
「姫様の夫君は太っ腹ですね!」
……ポーラみたいに簡単に騙されると思ったら大間違いだ。




