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そうよ、と愛人の一人が素直に答える。
アランシアはそれだけ聞いてその場を立ち去った。
寵姫がいる。それは、きちんと彼に確かめる事なのだ。アランシアは真っ直ぐゼイヴァルの執務室に向かった。
何度かノックの音がして、やがて閉めたドアの向こう側から護衛の兵士が声をかけてきた。
「アランシア様がお見えです」
予想外の来訪者に、ティーカップに紅茶を注いで給仕をしていたベルが、ぱっと顔を上げた。
「通してくれ」
なぜ彼女が来たのか。来訪する理由がよくわからなくて、困惑気味に許可した。
すぐに兵士はアランシアだけを執務室へ通し、ドアを閉めた。
ベルがアランシア用にティーカップを用意しようとするが、彼女は微笑みながら丁寧に断る。つくづく笑顔が似合う美人だな、とベルの顔が赤面するのを見ながら思った。
ティーカップを遠慮したという事は長居するつもりはないという事だ。それとベルに退室を遠回しに求めているのだろう。
お茶なんて良いから出て行って。
そんな彼女の心の声が聞こえた気がして、ゼイヴァルはベルを退室させた。二人だけになると、アランシアは小さく笑って礼を言った。
「ありがとう」
やっぱり退室を求めていたか。
そうするという事は、何か人前では聞きにくい、もしくは言いにくい事があるはずだ。
「怪我はもう平気?」
しかし直球で聞くのも躊躇われて、とりあえず日常会話から開始する事にした。
「おかげさまで」
にっこり微笑まれて思わず先ほどまでいたベルのように赤面しそうになったが、なんとか咳払いでごまかす。
おかげさまで、とは嫌みを含んでいるのか否かが判断しきれず、返す言葉も見つからないので直球の質問をした。
「それで、こんな時刻にどうかしたの?」
なるべく爽やかそうな笑顔にするために、頬に力を入れる。
「実はあなたの愛人達から気になる事を聞きまして」
「へえ。一体何かな?」
所詮愛人絡みということは「あの子を国へ送り返して!」という要望だろう。そう予想していると、彼女はこちらを見つめたまま尋ねた。
「寵姫がいるのですってね」
「……それを誰から聞いたのかな」
あくまで笑顔は崩さない。予想外の問いに眉がわずかに動いた。てっきり我が儘を言うかと思っていたのに。
「否定しないって事はいるのね」
彼女も笑顔は崩さないが、逆にその笑顔が怖い。
寵姫というのが誰の事なのか予想できるが、彼女に話すつもりはない。
しかし、アランシアもそれでは納得できないのか、こちらを見つめて更に言葉を重ねる。
「ヒヤシンスの手紙をやり取りする方?」
その言葉に、わずかに口元が引きつった。鋭い。まさに正解だ。しかし、あくまで表情は余裕の笑みを浮かべたまま。内心は冷や汗だらだらな訳だが、そんな事を顔には出さない。
「……当たり?」
それでも魅惑的に笑う彼女は本当に妖艶で、綺麗に口の端を上げてみせる仕草にぞくりとする。
「そうだね、君はとても鋭いよ」
手品の種明かしをするようにさらりと言う。
彼女はその綺麗な笑顔を浮かべたまま罵倒するだろう。──そう、思っていたのに。
「最低ね」
罵倒の言葉はゼイヴァルの予想通り。だというのに、彼女は笑ってはいなかった。顔を曇らせて、ぽたぽたと小粒の涙を流していた。
「……アランシア?」
「ああ、ごめんなさい」
自分でも今気づいたようで、涙を流す目を片手で抑える。
「嫌だわ。みっともない」
人前で泣くのを恥じているのだろう。アランシアは涙を拭って部屋を退室して行った。ぱたん、と閉まったドアを、呆けたように見つめる。
何もかも彼女は予想外だ。思い通りにいかない。寵妃の件は彼女に話すつもりはない。
──だけど。彼女に、あんな顔をさせたかった訳ではない。
***
初めはただ知りたかっただけだ。愛人の中に寵姫がいるとなればそれなりに対応が必要になる。
ただの愛人ならばそこまで問題はないが、寵姫となれば身ごもった暁には子どもが世継ぎに選ばれるかもしれない。
そう思って質問してみたのだが、彼はまったく笑顔を崩さなかった。
腹立たしくて、問いつめると白状されて、それが余計に悲しくなった。
なによ、私を抱いたのはやっぱり義務だったのね。そう思うとなんだか胸が苦しくて、気づけば涙を流していた。
たかが政略結婚をした相手だと言うのに何を泣くことがあるのか。
自分が惨めで、涙を止めようと手で押さえる。
だけど、美人になる為の努力をしてきた自分が酷く虚しくて、また涙が零れた。逃げるように部屋を出たのはこれ以上、醜態を晒さないため。
酷く悲しいのは決してゼイヴァルに惹かれているわけではない。
美人という価値を得た自分が見向きもされない、という事が悲しいのだ。アランシアは自分に言い聞かすように心の中で呟いた。




