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ふう、と息を吐いて自分の椅子に座り込む。疲れた様子のアランシアに、ポーラは心配そうに近づいた。
「姫様、そんなに疲れる食事だったのですか?」
「まあね」
チェティットと言う少年が帰った後、ゼイヴァルは何もなかったように接してくるが、彼の冷ややかなあの表情を思い出し、なんだか気分はすっかり沈みこんでしまった。
勧められたチョコレートやケーキも結局口にする事はなく、すでに冷めてしまい香りが飛んだ紅茶を飲むはめになった。
「嫌だわ。また夜も食事会だとか言って顔を合わせるのよ」
とりあえず自分が落ち着くまでは会いたくない。
「それに……」
──夜、顔を会わすんだから。
夕食の時くらい自由が欲しい。彼が夜、こちらへ渡るのならそれまでに少しばかり心の準備が必要なのだから。
「姫様、そんなにお疲れでしたら夕食会は欠席されますか?」
「……そうね。ちょっと、眠たいし」
彼が夜渡るなら、それまでに起きて準備をしなくてはいけない。香りの良い風呂に入り、体や髪を洗って汚れを落とし、夜着に着替えて待ちながら、彼が来るのを待つ。
「では姫様、私は欠席の旨を伝えてまいります」
ぱたん、とゆっくりしまった扉を見つめ、アランシアは一人になった自室で、椅子に座ったまま、目を閉じた。
──たとえ政略結婚でも、夫婦の役目くらい、果たさないとね。
そう思いながらアランシアは眠りについた。
女が夢見る結婚を、諦めたのはいつだろう。
思い合う相手と結ばれ、初めての夜を共にし、幸せに囲まれて暮らす──という憧れを、諦めたのはいつだろう。
自由恋愛というのはどの身分だろうと存在しない。
貧しい者は玉の輿に乗るために金持ちを求め、金持ちは自分の家の繁栄の為に釣り合う者を探し、そして王族は政治的利益がある相手と政略結婚をする。
しかし、時には例外もあって、互いに思い合って結婚する恋人達もいる。
だけどその場合、家族がそれを受け入れてはくれない。その為、中流階級では駆け落ちが多発している。駆け落ちなんて、全ての責任を身勝手に放棄する行いだ。
──だけど、全てを捨ててまでそうしたいと思える相手にめぐり会えたのは、紛れもなく素晴らしい事だろう。
***
コンコン、と叩かれたノックの音で、アランシアは目が覚めた。頭がまだぼうっとしていて、うまく思考が回らない。
「誰……?」
扉に向かって呼び掛けると、ガチャリとドアが開いて侍女が数人入ってきた。
「アランシア様、お手伝いいたします」
よくわからないまま、侍女達に風呂に入れられ、寝化粧をされ、静かに素早くこなしていく彼女達に関心していると、最後に丸い瓶に入った液体を素肌に塗られた。
ほのかに甘い香りがしているこれは、おそらく香水だろう。そんな事を思っていると、再びノックされた。
──今度は誰?
しかし、アランシアが尋ねるまえに、扉ごしに答えが帰ってきた。
「ゼイヴァル様がお越しです」
「……え?」
お越し?──という事は、侍女達がやってくれているこの身支度は夜伽のためだったのか。寝起きの鈍い頭がようやく理解すると侍女達は支度を整え、こちらに一礼した。
「アランシア様、整いましたので私達はこれにて失礼致します」
侍女達が出ていくのを黙って見つめる。
待って、と引き留める声は心の中に止め、侍女と入れ違いで入ってくる自分の夫に、わずかに緊張する。
「……いらっしゃいませ、殿下」
ぱたん、と扉がしまる音がして、部屋は二人だけになった。彼は少し笑って、こちらへ手を伸ばす。
優しい手つきで頬を撫でられ、思わず体に力が入った。
「緊張してる?」
「……いいえ」
この男の、慣れた感じが気にくわない。
何故女だけ自分の貞操を守らなくてはならないのだろうか。
──私はまた、一番にはなれないのね。
するりと羽織物の紐が解かれ、肌着になっても、羞恥心は感じなかった。ただ酷く虚しさだけがあって、所詮自分は何十人の中の一人でしかない事に苦痛を感じた。
ベッドに覆い被さられても、明かりを消されても、全てが自分の意志ではない。妻である義務を果たすだけなのだ。
──それだけなのに、なんて寂しいのかしら。
政略結婚なんて、そんなものだ。恋愛結婚でない限り、どれも寂しいだけだろう。
しかし、それを覚悟で承知したのだから、妻になったからにはしっかりその役目を果たすべきだ。
そして寂しいなどと思ってしまう感情を奥にしまいこむ。ずっとそうしてきた。寂しさをしまって努力してきた。
目の前にある夫の顔ではなく、アランシアは別の顔が頭の中でちらついていた。
──ねえ、そうでしょ。姉さん。
酷く冷めた感情が吹き上がる。思い出しただけで、心が淀んだ気がした。
だけど、やがてそんな考えをしている余裕もなくなって、ちらついていた姉の顔が消えた。
変わりにやたらと彼と目が合って、一気に体温が上がる。
やがて迎える絶頂に身を任せた。




