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「はあぁぁ……」
大きなため息をつき、アランシアは自分の部屋の大きなソファに身を投げた。ぼふっという抜けた音が部屋に響く。
「もう姫様! 衣装がぐしゃぐしゃになります!」
「……そうね」
しかし、返事はするだけで、アランシアは一向に起きようとしない。
「姫様ったら!!」
やっとアランシアは身を起こし、結い上げた髪をほどいた。ぱさりと金髪が肩にかかり、視界も陰る。
「ねえ、ポーラ。あの愛人達が持ってきた朝食。品のない悪戯だったのよね」
「……そうです。後で私も食べて見ましたけど、決しておいしいとは言えないものでしたよ」
アランシアは大きなため息をついた。
「味がわからないっていうのも難儀なものだわ」
アランシアの味覚障害は幼い頃からのもので、もう原因すら覚えていない。しかしそこまで味に頓着するほうでもなかったので今まで気にならなかった。
「でも、一体何のおつもりなのでしょうか」
「なにが?」
首を傾げて尋ねると、ポーラは貴族出のお嬢様とは思えない程勢いよく見事に地団駄を踏んだ。
「なにって姫様の夫君ですよ! 愛人を山程囲うなんて不貞極まりないです!」
ポーラの凄い剣幕にアランシアは瞬きし、それからくすりと笑った。
「何を笑ってるんですか姫様」
「いつも大人しいポーラがそこまで怒るなんて珍しいと思ったのよ」
「私だって怒る時は怒ります」
先程の勢いはどこへやら。ポーラは椅子に弱々しく腰掛けた。礼儀に厳しい主のところで勝手に椅子に座ろうものなら首が飛ぶが、アランシアはそうではない。昔なじみの彼女が項垂れた様子に、胸が痛む。
「だって姫様は嫌じゃないんですか?」
「もちろん嫌よ。腸煮えくり返りそうよ」
もうそれは本当にぐつぐつと煮えたぎっている。ポーラは呆れ顔でこちらへ視線をよこし、嘆息した。
「……一国の姫君が腸煮えくり返るなんて言っちゃ駄目ですけどね」
この話はこれ以上言えばアランシアのじゃじゃ馬っぷりをポーラに叱られるだけだ。年下のこの侍女は何よりそういう面で厳しい。素早く話題を変えようと、気になっていた事を口にした。
「そういえばポーラ、雑草男が見つからないのよ」
「ああ、姫様に雑草を渡したあの少年ですか」
「そう。確か茶髪なんだけど、朝食の時に集まってた他の王子を見たけど、昔見たあの茶髪をした王子がいないのよ」
うーん、とアランシアがソファ上でごろごろ転がっていると、コンコン、と誰かがノックした。すぐにポーラがドアを開けると、外にはゾアが待っていた。彼はアランシアに向かって一礼する。むくりとアランシアは体を起こして尋ねた。
「何か用なの?」
「はい。昼食は王子が是非あなたと一緒にとおっしゃっていますが、どうなさいますか?」
「お誘いありがとう。有り難くお受け致しますと伝えてちょうだい」
即答したアランシアが意外だったのか、ゾアは目を見開いて固まったが、すぐににこやかな笑顔になり、返事を返した。
「かしこまりました。準備が整いましたらお呼びします」
「わかったわ」
ゾアは再び一礼し、退室して行った。扉が閉まったのを合図にアランシアは立ち上がり、そのまま扉へ向かって歩いていく。
「ひ、姫様? 髪も結わずに行かれるのですか?」
「そうよ。不貞男と会うのにわざわざ嫌よ」
「でもアランシア様、一体どこへ行かれるのですか? 昼食が出来たら呼びに来られるんですよ?」
「ただの散歩よ、散歩」
そのまま部屋を出て行ったたアランシアを、仕方なくポーラは追いかけた。
***
「王太子妃さま!」
自由気ままに散策していると背後から突然声をかけられ、アランシアは振り返った。
見れば先日、ルクートに行きたいから連れて行ってとせがんだ女だ。
「突然何ですか。ぶ、無礼ですよ!」
彼女が新しく侍女になったのはポーラも承知している。新入りに威厳を見せようとしているポーラに、思わずアランシアは笑った。
「ポーラ、別にそこまで気を張らなくていいのよ」
「でも姫様、侍女達の上下関係は厳しいものなんです!ここで気張っておかなければ私の質が落ちます」
頬をぷっくり膨らませて主張する彼女自身がすでに質を落としているのだが、本人はさほど気にならないらしい。
「あの、私を連れて来て頂きありがとうございます」
深々と頭を下げる女にアランシアは笑いかけた。
「いいのよ。丁度新しい侍女が欲しいと思ってたの。それで、貴方の名前は?」
「ローテスです」
「ローテスです、ではなく、ローテスと申しますと言いなさいよ」
「ちょっとポーラ」
しつこいポーラの攻めを見かねてアランシアが注意する。すると彼女は先程より大きく頬を膨らませた。
もはや人間ではない。フグである。
「……顔、フグになってるわよ」
「いいんですっ! ほかっておいて下さい!」
どうやらフグになりたかったらしい彼女に、アランシアは大きくため息をついた。
──珍しいわね。何をここまでムキになっているのかしら。
アランシアがどうしたものかと悩んでいると、ふと足音が聞こえ、そちらに目をむけた。




