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──お寝坊さん、もう朝ですよ。
柔らかい母の声が脳裏に浮かび、アランシアは口元を緩ませた。
幼い頃は寝坊癖のあるアランシアを母が起こし、大きくなると今度はポーラが起こす様になった。
だから現に今も、ポーラが自分を起こした今朝も、以前と同じ朝なのだと思った。
しかし、すぐに間違いに気づく。
ポーラの衣装が違ったし、何より部屋の内装が違う。
──ああ、ここは、ルクートなのね。
初日から衝撃続きで、アランシアは思わず現実逃避をしたくなる。だが、それでは問題解決にはならないし、何より現実逃避してはこの状況に敗北するという事だ。
「そうよ。私はルクートでの生活を存分に楽しむわ」
アランシアは鏡台の前に座り、ブラシで髪をとく。ポーラが運んでくれた水で顔を洗い、ドレスへの着替えを手伝ってもらいながら尋ねた。
「ポーラ、朝食は何時?」
「すぐにお呼びがかかると思います」
そう言ってポーラからタオルを受け取った時、扉をノックされる。
すぐにポーラがドアを開けた。
「おはようございます、妃殿下」
見れば愛人達がにこやかな笑顔でドアの前に立っていた。
「おはよう。何かご用かしら」
アランシアはポーラの近くに歩みより、愛人達に声をかけた。
「実は朝食をお持ちしましたの」
そう言って前に進み出たのは漆黒の黒髪を持つ美女だ。彼女はにこやかな笑みを口元にたたえ、スープの入った器を差し出した。
新手の嫌がらせなのだろうか。明らかに不自然な状況にアランシアは首を傾げたが、お腹の空腹状態が異常だ。すぐに何かを食べたい気分になり、器を受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
愛人達はそう言って立ち去った。アランシアはすぐにポーラにスプーンを持ってきてもらい、椅子に腰かけた。
「一体どういうつもりなんでしょうね?」
アランシアはすぐにスプーンをスープにつけ、飲む。
そのままその行為を続けた。美味しいとか、不味いとかは関係ない。ただ腹を満たしすだけ。
「うん。何も入っていないし、大丈夫みたいね」
アランシアがそう言いながらぺろりとスープを平らげた。愛人達がどういうつもりでこれを用意したかは知らないが、異物さえ入っていなければどうと言うことはない。
「あの姫様、食べ終わったのならそちらの器をかたずけてもよろしいでしょうか」
「ええ、お願いするわ」
ポーラはすぐにスプーンと器を持って部屋を出た。
アランシアの部屋の扉を閉め、器に残るスープを指ですくい、口にふくんだ。
「…………っ」
すぐに口元を押さえ、器を持つ手に力を込め、口元まで上がってきた不快感をやり過ごす。特に変なものが入っているわけではないが、これはそう。厨房のありとあらゆる調味料とだしを混ぜ合わせ、果実のジュースを入れて出来上がった悪戯の産物。
一舐めしただけでこのありさまだ。やはり、愛人達は嫌がらせをしてきたのだと、ポーラは悟った。
***
コンコン。軽いノックにアランシアはぴくりと反応する。ポーラのいない時に客が来た事はまだなく、柄にもなくアランシアは緊張した。
アランシアは少し扉を開け、顔を覗かせた。
「どなた?」
扉の向こうに立つ顔を確認し、アランシアは反射的に閉めた。
「……おい」
いきなり閉められた当人は不機嫌そうな声で扉をもう一度軽く叩く。
一方のアランシアはパニックだ。
訪問者は意外にも昨日アランシアの夫となったルクートの王太子ゼイヴァル王子だ。
何故彼が朝早く自分の部屋に来たのか。と言うよりも、思わず閉めたりして失礼ではないか。
アランシアはドアノブを握ったまま混乱していた。
「……君の国では客を閉め出すのが礼儀なのか?」
向こう側から聞こえた彼の発言に、思わず頭に血が登った彼女は混乱から立ち上がり、扉を開けて身を乗り出す。
「では同盟国から来た自分の妻になる女を出迎えもせず、しかも結婚式にも何の便りもよこさないのが貴方の国の礼儀?」
いきなりの反論に暫しゼイヴァルは目を丸くしていたが、すぐにため息をつく。
「それについてはゾアに叱られた。だから来たんだ」
「一体何をしに?」
無礼とはわかっているが、しかし口が止まらない。口を開けば辛口の批判が勝手に飛び出てくる。
「……君はいつもそうなのか?」
「何がです?」
「その皮肉めいた物言いとか、キツイ態度とかさ」
アランシアは無言で乗り出していた身を部屋の中へおさめ、再び閉めようとするが、すぐに扉をゼイヴァルにつかまれる。
「失礼は詫びる! 悪かったよ!」
「それはどうも」
「どうもって、こっちが謝ってるのに何だよ──いや、そうじゃなくて……、つまり、君を朝食の誘いに来たんだ。謝罪の気持ちをこめて」
ゼイヴァルは片手でドアを押さえ、空いてるもう片手で綺麗にセットされた髪の毛をぐしゃぐしゃとかきみだす。
アランシアは閉めようとしている手を引っ込めた。
「朝食の誘い?」
「君は俺の妻だ。家族と食事をするのは当然だろう?」
もう朝食なら食べた、と言おうとしたが、こちらの文化で二食朝に出すのかもしれないと思ったアランシアは口をつぐんだ。
「……朝食に来てくれるね?」
「ええ、いいわ。お腹減ってたの」
スープだけでは腹が満たされないアランシアは部屋から出て扉を閉めた。




