96.最後の夜
みんなのご厚意に甘えて、樹くんと二人で寮の部屋に戻って来た。
今夜は樹くんも、ここに泊まってくれるとのこと。
玄関の扉が閉まった途端、腕を引かれて抱きしめられた。
「もう色々ありすぎて、頭ごちゃごちゃ。訳わかんない」
樹くんは私のことを、ぎゅーっと抱きしめながらため息をつく。
「うん。私も、現実を受け入れられてない」
人命を奪われない代わりに、生け贄を捧げる同盟⋯⋯
米谷さんたちは、それを阻止しようと奮闘してくれているけど、私だって内心わかっている。
飯島本部長と話したところで、恐らくこの話は止められない。
だって、世界各国で同時に戦闘が起きてしまえば、今の私たちにはこの星を守る術がないから。
「ごめん。休まないとね。お腹空いた? 何か作ろうか?」
樹くんは身体をぱっと離して、部屋に入るよう、そっと背中を押した。
「ううん⋯⋯冷凍庫に、前に樹くんが作ってくれた肉じゃががあったと思う」
樹くんは冷凍庫から肉じゃがが入った容器を取り出し、レンジにかけてくれた。
それからお茶を入れたり、食器を用意したり。
その間、私は休んでいるようにと言ってもらえたので、ベッドに横になる。
迷いなく引き出しから茶葉を取り出して、お湯を注ぐ姿を見て、同棲しているカップルみたいだなぁと思う。
しばらく時間が経つと、肉じゃがのいい匂いが室内に漂ってくる。
あぁ⋯⋯ダメだ。泣けてきた⋯⋯
こんな風に穏やかな時間を過ごすのも今日でおしまい。
明日の今頃、私はUFOの中。
デザライトを作るために毎日泣かされるのかな。
奴隷みたいに働かされるかもしれない。
米谷さんとは比べ物にならないくらい、嫌な実験をされるかも。
「小春ちゃん。出来たよ」
優しい声で呼ばれてベッドから起き上がる。
向かいあってテーブルについて、一口、肉じゃがを口に運ぶ。
「美味しい⋯⋯」
相変わらず具材に味がちゃんと染み込んでる。
手が込んでいて、食べる人の身体のことを考えた思いやりに溢れた味付け。
そうか。私はもう、樹くんの手料理を食べられないんだ。
一生、会えないんだ。
そう思うと、どんどん涙があふれてきて、テーブルの上をポロポロと濡らしていく。
「小春ちゃん、絶対に連れて行かせない。大丈夫だから」
樹くんは立ち上がって、再び抱きしめてくれた。
背中を優しくトントンしてもらうと、余計に涙が止まらなくなる。
「うん。行きたくない。このまま樹くんとずーーっと一緒にいたい」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔で訴えかけると、樹くんは優しくキスしてくれた。
鼻が詰まってるせいで息が苦しいけど、もっともっととせがむ。
「あのね、樹くん。私のお願い⋯⋯聞いてくれる?」
甘えるように首の後ろに腕を回すと、返事の代わりに、頬にちゅっとしてもらえる。
「何? なんでも言って」
なんでも良いとのことなので、とっても恥ずかしいけど、耳元でコソコソっとお願いを伝える。
全く予想していない答えだったからか、電源が落ちたみたいに固まってしまった樹くんの手を引いて、ベッドに倒れ込む。
両手で頬を包み込んでキスをすると、最初は戸惑いがちに応えてくれた。
けれども、すぐに主導権を奪われて、いつの間にかされるがままになる。
抱きしめる腕の強さが、乱れた息遣いが、私を見つめる熱い瞳が、思いを語ってくれる。
その晩、私たちは、また更に特別な関係になった。
気が済むまであれこれしたあと、ピロートークと呼ばれる状況になった。
二人してぐしゃぐしゃになったシーツの上に寝転んで、樹くんの腕に頭を乗せる。
「何? さっきから放心状態? 退院したばっかりなのに、無理させた?」
少し心配そうな樹くんは、先ほどとは別人みたい。
なんというか、オスモードから、いつも通りに戻っている。
「そうですね⋯⋯私の中のイメージでは、もっと欲望をぶつけ合って終わり! みたいな感じだったけど、実際は愛されてた。すっごく幸せだった⋯⋯かな」
何度も目を見ながら、好きって言ってもらえたし、優しくキスしてもらえた。
髪を撫でてもらって、辛くないか労ってもらって⋯⋯
「そう。それならよかった。けど、あんまりストレートに言われると照れるから」
樹くんは私の身体を抱きしめて、髪に顔を埋めた。
結局、陽太さんたちからの連絡はなく、そのまま二人で眠りについた。
真夜中。
セットしていたアラームのバイブで目が覚めた。
「小春ちゃん、どこ行くの?」
樹くんは目をこすりながら、かすれた声で尋ねてくる。
「ちょっとお手洗い」
前髪を撫でてあげると、彼はすーっと眠りに落ちた。
気持ちよさそうに眠る顔を見て思う。
やっぱり好きだな。
大好きだ。
この人の側を離れたくないけど、失うのはもっと嫌だから。
さて、行きますか。
カバンを持って、寮の部屋を出る。
基地の駐車場に向かうと、朝倉統括がいた。
そのまま車に乗せてもらい、上守城の天守へと向かう。
昔の人が建てた木造のままの天守は、階段は急でミシミシ言うし、天井は低い。
こんな脆そうな建物が今まで無事だったのは、ここがUFOとの連絡通路だったからだ。
天守の最上階で床の上に座るように指示され、正座してその時を待つ。
しばらくして、一瞬、雷のような光を感じ、目を開けると――――身体が瞬間移動していた。




