83.月と星空
緑川家所有の別荘に入ると、一階の海側は一面窓ガラスになっていて、ソファで寛ぎながら海が見えた。
リビングから繋がるデッキには、リクライニングできるアウトドアチェアと小さいテーブルが置いてある。
砂浜には誰もいないから、気兼ねなく過ごせそう。
「プライベートビーチだ⋯⋯贅沢すぎる⋯⋯」
窓ガラスに貼り付いて海を見つめていると、後ろからそっと抱きしめられた。
「どう? 結構良いところでしょ?」
唇が耳たぶに触れそうなくらい近くで話されると、体の芯がゾクゾクしてくる。
「うん。最高の気分だよ。ありがとう、樹くん」
恥ずかしくなってモジモジしていると、首筋に口づけられた。
「もう! くすぐったい!」
逃げようと身をよじっても、抱きしめる力はどんどん強くなっていく。
「運転、頑張ったから充電」
樹くんはそう言って、うなじに鼻をくっつけてくる。
「うん、それはありがとうだけど、汗かいてるから、だめだって⋯⋯」
すんすんと匂いを嗅がれて、血液は沸騰寸前⋯⋯
「本当だ。シャンプーの香りとちょっとだけ、汗の匂いがする。桃と桜の香りかな⋯⋯」
樹くんは髪の毛に顔を埋めてくる。
「ギャー! こちら、変態警察です! 両手を挙げて、今すぐ離れてください!」
腕をぐるぐるぶん回して、慌てて距離をとる。
樹くんはごめんごめんと笑いながら、素直に両手を挙げて離れる。
「海! 海が見たい! 行こう! すぐ行こう!」
空気を変えるために騒ぎ立てると、樹くんはちょっと待っててとクーラーボックスを持ち上げた。
「夕飯作るから、先に行ってて。ここから見える範囲にいてね。波に流されないようにね」
樹くんは子どもに言い聞かすみたいにして、送り出してくれた。
デッキのゲートを開けると、すぐに砂浜に出ることができた。
砂浜の上を歩くと、想像以上に足が沈んで、スニーカーの中に砂が入りそうになる。
波打ち際まで来ると、砂は固まっていて、足を取られずに歩けそう。
本当に波って押したり引いたりしてるんだ。
しかも、さっきはここまでしか波が来なかったからと油断していると、急に大きめの波が来たりする。
少し日も陰って来て、波が光を反射するのも綺麗。
太陽があんなに低い位置にある。やっぱり本物なんだ⋯⋯
しばらく一人で海を楽しんだあと、樹くんの様子が気になってデッキに戻ると、彼はキッチンに立って、何かをアルミホイルで包んでいるところだった。
デッキにあった、リクライニングチェアにうつ伏せに寝転びながら、じーっとその姿を観察する。
あぁ、私、幸せだなぁ。
愛しさが溢れてたまらなくなり、靴を脱いで再び室内に戻る。
「お帰り。もういいの?」
笑顔で迎えてくれる彼に、甘えるように後ろから抱きつく。
「うん。続きは樹くんと一緒がいい。樹くんのこと好き過ぎて、帰って来ちゃった」
彼の手元を覗き込むと、白身魚と舞茸とトマトなどの野菜をアルミホイルで包んで、グリルで蒸し焼きにしてくれるみたい。
「そう。もう少しで出来るから。一緒に行こうね」
彼の背中から聞こえてくる声は、安心するような優しい響きだった。
その後、夕日を見ながらもう一度海を散歩して、夕食をいただき、夜を迎えた。
温泉で温まったあと、少し涼もうとデッキに出た。
「月だ⋯⋯想像してたよりも小さいかも。それに、星も見える。こんなの殿宮だったらありえないのに」
暗くなった空には、樹くんが言った通り、ほぼ、まん丸の月と星たちがよく見えた。
「小学校の理科の授業で、星座盤ってのが配られたんだけど、使い方がよく分からなかったんだ。何月何日の何時、こちらの方角にこんな星が見えるとか言われても、UFOが邪魔で見えなかったから⋯⋯星座盤にはプレアデス星団も載ってた。今は見えてるのかな?」
授業のカリキュラムは全国共通だろうから、先生も授業で取り扱わざるを得なかったんだろうけど、見えないのに意味ないじゃんって、みんな大ブーイングだったんだよね。
「プレアデス星団は、秋とか冬にはよく見えるらしい。だから、また見に来よ」
樹くんは星空を見上げながら、さらりと言ってくれた。
当たり前のように、次の季節も一緒にいてもらえるんだ。
「うん。また見に来たい」
約束ねと指切りして、二階の寝室に移動した。
寝室にも海側に大きな窓があって、海も夜空もよく見えた。
キングサイズのフロアベッドに並んで横になり、照明を消す。
静かに目を閉じていると、そこは癒しの空間だった。
「波の音がここまで聞こえてくるね。なんだか落ち着く⋯⋯」
目を開ければ、星空が見えるし、なんて贅沢なんだろう。
ふと隣を見ると、月明かりに照らされ、黄昏れたような彼の表情が大人びて見えた。
瞳は中に星があるみたいにキラキラしていて、美しい。
そんな彼に触れたくて、無意識に頬に手を伸ばしていた。




