80.やきもち警報
樹くんが、ゆりにゃんカラーのホワイトのキーホルダーをつけていたことがショックだった私は、樹くんの部屋に招かれていたにも関わらず、逃げ帰ってきた。
あの樹くんが、普段身につけるものに女の子ゆかりのアイテムをつけているなんて、相当本気なんだ。
樹くんは年上のお姉さんっぽい人が好きって噂もあったし。
終わった⋯⋯
でもこれも全て、身から出たサビ。
いつまでも、こんなふわふわで、居心地良い距離感でいられるわけがないのに。
次から次へと涙が溢れてくる。
泣くほど悲しいなら、樹くんに言うべき事があったはず。
今さら気づいても遅い。
きっとこれが、好きって感情だったんだ。
私はまた間違えてしまった。
膝を抱えて泣いていると、インターホンが連打される。
「小春ちゃん! いるの?」
スピーカーから聞こえてくるのは樹くんの声。
追いかけて来てくれたことは嬉しいけど、どの面を下げて話せばいいのか。
いや、そう言えば樹くんは、私に何かを渡したいと言ってたんだっけ。
その用事が終わらないと樹くんは困るから、追いかけて来ただけ⋯⋯
「朔太郎さんもいるから! 早く開けて!」
樹くんはドアノブをガチャガチャとする。
「⋯⋯⋯⋯え!? 烏丸朔太郎!?」
それは、いけない。
先代のブラックが私に何の用?
まさか、来月の珊瑚お姉さまとの結婚式の件?
腕で乱暴に涙をふき取り、ドアを開ける。
「朔太郎お兄さま!! もうすぐ結婚式ですね! 楽しみにしております!」
勢い良く飛び出したものの、そこには樹くんしかいない。
あれ? もしかして、騙された?
「悪質なセールスマンみたいなことしてごめん。でも、ちょっと中に入れて」
樹くんはドアの隙間に足を入れて、押し入ってきた。
「ちょっと、お兄さん! 困りますって!」
「どうして急に逃げたの? まさか、泣いてたの?」
心配そうに見つめられると胸が苦しくなる。
「いやいや。樹くんが気にしてくれる道理のないことだよ。渡したいものって何? 大人しく受け取るから」
こんな態度では良くないと分かってるのに、ぶっきらぼうに手のひらを差し出す。
「やだ。こんな雰囲気で渡したくない。お願い。何があったか話して」
目を逸らすように俯くと、真剣な表情で顔を覗き込まれる。
「だって、樹くんは、ゆりにゃんと付き合ってるんでしょ?」
彼の視線から逃れたくて、スマホでキラスタを起動して、テーブルの上に置く。
その隙に奥の部屋に逃げ込み、頭から布団をかぶる。
「はぁ⋯⋯ごめん」
樹くんはため息をついたあと、一言謝った。
そのため息は何? そのごめんは何?
「光輝くんに気をつけろって言われてたのに。ここ数日はチェック出来てなかった。順番に説明するから出てきて」
樹くんがベッドの側に近づいてくる気配がする。
「やだ。のろけ話は聞きたくない。『私たち、こうやって付き合いました〜♡』とかいらない」
もう一度しっかりと頭から布団をかぶる。
けど、樹くんは側の床に座ったらしく、話し始めた。
「まず、レストランの写真に映ってるのは俺。今までの打ち合わせに出られなかったフローラルブーケ側のスタッフと顔合わせするからって呼び出されて、気づいたら百合花さんしかいなかった。これは俺が油断してた。ごめん」
ふーんそうなんだ。と心の中で相槌をうつ。
私は無反応を貫くも、樹くんは話を続ける。
「このパーカーは、確かに俺も同じのを持ってる。でも、俺は百合花さんに服を貸してないし、部屋にも行ってない。俺がこのパーカーを持ってるのは、六連星チャンネルを見てたら誰でもわかる。たぶん、真似されたんだと思う」
確かに、樹くんのオフショット回で、このパーカーを着ていた日があったかも。
それを百合花さんが匂わせのために真似をした⋯⋯?
「キーホルダーのことは、百合花さんが勝手に俺の色で発注したってだけ。俺が贈ったものじゃないし」
「でも、樹くんは、ゆりにゃんのホワイトのキーホルダーつけてたじゃん! それもゆりにゃんが勝手にやったの? 外さないでいるのは、樹くんの意思じゃん」
黙って聞いていられずに、顔出して抗議する。
すると、再び樹くんはキョトンとした顔をした。
「このキーホルダー? これがホワイトに見えるって?」
樹くんは、カバンからカードキーを取り出した。
顔の近くで揺れるキーホルダーを掴み、まじまじと見つめる。
「ホワイト⋯⋯と言うよりは、ピンクグレー? けど、こんな色、商品説明の時にはなかったはず⋯⋯」
光の加減で白っぽく見えただけで、間近で見るとそうではなかった。
「これは結局、採用されなかったやつ。小春ちゃんのメンバーカラーって、決定版は結構、濃いピンクだったでしょ? 最初、あまりにも濃いピンクだと、男性ファンが躊躇するかもって思って、薄めの色も作ってもらったんだよね。小春ちゃんのファンは男性も多いから、普段から使いやすいものをって思って」
樹くんはそんなことまで考えてくれてたんだ。
それなのに私は、勝手に勘違いして⋯⋯
「見て。なんて書いてある?」
樹くんはキーホルダーを裏っ返した。
そこに刻印されていたのは、樹くんの葉っぱのマークと私の桜のマーク。
刻まれた文字は『Destroyer』
「樹くん⋯⋯ごめんね。私、勘違いしちゃった」
ベッドの上に正座し、頭を下げる。
「俺こそごめん。あと、後日、何かの拍子に話に出てきたら嫌だから先にいうけど、本当はレストランのあと、部屋に誘われた。小春ちゃんには知られたく無かったから、言わなかった」
「そうだったんだ⋯⋯」
誘われただけで、未遂とは分かっていても、心臓がばくばくする。
「さすがにしつこくて腹が立って、『ダメに決まってんじゃん。俺の何見てイケると思ってんの?』って断っちゃった」
「樹くん、それはさすがに言い方が⋯⋯」
「酔っちゃったって言ってたし、後日なんか言われても、酔ってたんだから記憶違いでしょ?で通すつもり。あの人も本来ならモテるんだろうし、プライドが傷ついて、こんな悪質な投稿をしてるのかもね」
樹くんは少しイラ立ったように頭をかいた。
「裏でそんな事があったんだ。でも、樹くんが断ってくれて良かった⋯⋯」
ほっと一安心して、思わず笑みがこぼれる。
すると樹くんは、右手の人差し指と親指で、私の両側のほっぺたを挟んで、ぷにぷにとした。
その度に私の唇が金魚の様に、ぱくぱく開く。
「不細工になるからやめてよ」
「小春ちゃん、嫉妬してくれたんだ? かわいい」
樹くんが嬉しそうに見つめてくるから、恥ずかしさが湧き上がってくる。
客観的に見ると、私が怒ってるのは、おかしいのに。
「小春ちゃんに渡したかったのは、これ」
樹くんはカバンから、もう一つ、ピンクグレーのキーホルダーを取り出した。
樹くんと私のロゴに、『A Heart for You』の文字。
商品化は叶わなかった、私と樹くんだけの、二人だけのキーホルダー。
その宝物を受け取り、そのままの勢いで彼に抱きついた。
「樹くん。私、樹くんの事が好き。大好き。樹くんに恋してる。だから、たった一人の彼女になりたい」
胸に秘めていた想いを言葉にすると、樹くんは驚いたようにハッと息を呑んだ。
それからしばらくして、ぎゅーっと抱きしめてくれる。
「ありがとう、小春ちゃん。俺も好き。大好き。やば⋯⋯嬉しすぎる」
初めての感覚に心がじんわり熱くなる。
両想いになるって、こんなにも嬉しいことなんだ。
感動で胸が震えるって、こんな感じなんだ。
嬉しくて愛しくて、でも照れくさくって、顔は直視できずに、すりすりと頬を寄せる。
「樹くん、いい匂いがする。レモン・ライムの⋯⋯」
「うん。小春ちゃんが前に、好きって言ってくれたから。あの時のワックスがなくなったあとも、似た香りのやつを毎日つけてた」
私がこの香りが好きだって言ったのは、たしか約一年前のプレミアムパーティーの時の出来事だったはず。
樹くんのひたむきな愛に、今ごろになって気がつく。
「ねぇ、小春ちゃん。運転免許が取れたら、一緒に千蔵に行かない? 俺、最初に助手席に乗せるのは小春ちゃんがいい。それから、本物の空を見よう。あと、海も」
晴れて恋人同士になった私たちは、忘れられないまぶしい季節を迎えることになる。




