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72.アドレナリンの夜

 樹くんは私をダイニングへ押しやったあと、部屋着に着替えてから、再びドアを開けてくれた。

 

「着替えるときは痛くないの? 熱はない? そう言えばご飯は食べた?」


「多少は痛いし、糸は突っ張るし、なんとなく熱い感じはするけど平気。レッツゴーマートでサンドイッチ買って食べた。心配ありがとうね。もう大丈夫だから」


 樹くんは、大丈夫大丈夫と言いながら、私を追い返そうとする。

 けど、既に熱が上がり始めているのか、顔が赤くなって、汗もかいている。


「樹くん、熱が出てきたみたい。もう寝てて。洗濯と洗い物はやっとくから」 


 今度は私が樹くんをぐいぐいと押して、寝室に押し込める。


「明日以降、自分でやるから良いって」


「だめだよ。樹くんは潔癖なのに! そんなの耐えられないでしょ?」


「そもそも、小春ちゃんだって怪我人でしょ? 帰って寝ときなよ」


 と言いながら、樹くんはそろそろ限界だったのか、ベッドに戻って横になった。


「あーもう。ごめん。無理⋯⋯」


 樹くんはしつこい私に対して、抵抗するのを諦めたのか、左腕をおでこの上に乗せて、目を閉じた。

 

 ならばと今の隙に、洗濯機を回し、流しに置かれたマグカップなどを洗って乾かす。

 

 お風呂場に洗濯物を干して、乾燥のスイッチを押したら任務完了だ。

 洗濯物の中に黒のボクサーパンツがあったことは、少し申し訳ないけど⋯⋯


 寝室に向かうと樹くんは眠っていた。

 熱が高いのか、息が上がっていて、眉間にしわが寄っている。


 失礼して冷凍庫を開けると、柔らかいアイス枕が入っていた。

 適当なタオルで枕をくるんで、頭の下に入れてあげる。 

 すると、少しだけ楽になったのか、表情が和らいだ。


 この熱は、正常に傷口が修復する過程でも出るし、感染を起こしている場合も出るのだそう。

 どちらが原因かは、明日の診察を受けてみてからでないと分からない。

 熱冷ましの薬、速く効いてこないかな。


「ごめんね。樹くん」


 頭をなでなですると、樹くんは気持ちよさそうにした。

 かわいい。やっぱり猫みたい。


 余ってそうな毛布を借りて、近くにあったソファに横になる。

 戦闘や怪我による疲労や消耗のせいもあって、すぐに寝付くことが出来た。



 けれども、夜中の三時頃。

 樹くんの苦しそうな声で目が覚めた。

 

「⋯⋯っ⋯⋯」


 樹くんは熱にうなされ、傷口も痛むのか辛そうにしている。


「樹くん。大丈夫⋯⋯うわっ、熱っ」


 樹くんの右腕に触れると、かなりの熱を持っていた。

 

 救護部に連絡したほうがいい?

 けど、熱も痛みもあるのが普通って言われたし⋯⋯


「どうしよう、樹くん⋯⋯」


 不安と恐怖で押しつぶされそうになる。

 経過としては説明通りだけど、万が一手遅れになったら⋯⋯

 判断に迷っていると、樹くんが目を覚ました。


「小春ちゃん、泊まってくれたの? 今、何時?」


 身体を起こして水を飲もうとコップを探しているみたいだったので、水を汲んできて飲ませてあげる。


「勝手に居座ってごめんね。今は夜中の三時。うなされてたけど大丈夫? 救急で診てもらう?」


 すがりつくように様子を尋ねると、樹くんは静かに首を振った。


「大丈夫。あと五時間もすれば診療時間だし。熱も痛みもヤバいけど、最悪な夢を見た。さっきの屋上で⋯⋯間に合わなかった夢」

 

 樹くんは怠そうに前髪をかきあげた。

 

「とにかく、小春ちゃんが生きててくれて良かった。大丈夫だから、そんな顔しないで」


 樹くんは、腰元に抱きつく私の背中を撫でてくれた。

 そのあまりの優しさに涙が出そうになる。

 けど、ここで泣いたら、更に樹くんを困らせてしまう。

 涙を隠すように顔を伏せ、返事代わりにうんうんと頷く。


「自分が小春ちゃんを守れたんだと思うと、結構、今の状況にも満足してる。俺の願いは小春ちゃんが無事でいてくれることだから。小春ちゃん、好きだよ。何言ってんのコイツって思うかもだけど。樺山さんの件では酷いこと言ってごめんね。あの時は嫉妬心であんな事言っちゃったんだと思う。小学生なのは小春ちゃんの幼馴染じゃなくって、俺の方だった。これからは絶対に傷つける事はしないし、大切にする。それは、小春ちゃんが別の男を好きになったとしても、約束する」


 樹くんの言葉に、胸が締めつけられるように痛む。

 この気持ちはなんなんだろう。

 すごく苦しくて、ますます泣きたくなる。


「樹くん、ありがとう。そこまで言ってもらえて、すごく嬉しい。たぶん私さぁ、樹くんのことが気になってた時期はあったんだよね。でも、あの言葉が頭に響いて、軌道修正しちゃって⋯⋯その言葉が誤解だったなら、もしかしたら、またあの時の気持ちに戻れるかもしれない」 


 顔を伏せたまま、ぽつりぽつりと語るのを樹くんは黙って聞いてくれる。


「樹くんの優しさってさぁ、憎まれ口に隠れて、一見分からない時もあるけど、それに気づけた時は、宝物を見つけたみたいで、嬉しくなるんだ。でも、今の私は、宝探しをする元気がなくって⋯⋯今も胸が痛くて苦しくて、結構ギリギリなんだ。だから、だから⋯⋯」

 

 どうしてこんなにも苦しくて涙が出るんだろう。

 光輝くんとのあれこれから、まだ立ち直れていないから?

 樹くんの想いを聞いて嬉しいから?

 でもやっぱり、好きになるのが怖いから⋯⋯?


 涙声になりながらも、なんとか言葉を紡ぐ。

 意味不明な私の話、樹くんには伝わったのかな。


「小春ちゃん、傷つけてごめんね。宝探しはしなくていいから。これからは俺が真っ直ぐ伝えるようにする」


 樹くんは、痛みと熱でしんどいのに、私が泣き止むまで頭を撫でてくれた。

 


 朝になって、診察を受けた結果、樹くんの傷口は感染を起こしてはいなかった。

 私もしばらくはガーゼ交換に通う事になるけど、予定通り、早期に復帰できる見込みとのこと。


 私たち二人が療養している間、六連星として立ち止まりたくは無かった私は、樹くんにある話を持ちかけた。


「ねぇ、樹くん、相談があるんだけど⋯⋯開発部に一緒に来てくれない?」


 なんの話?と驚く樹くんに、自分の考えを話した。

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