71.かわいい秘密
私を助けるために大怪我を負った樹くんは、その場で救護部の医療チームの手当てを受けたあと、基地に戻って、風見部長の診察を受けることになった。
「幸い、骨折もありませんし、重要な神経や腱にも傷がついていなかったため、周辺組織が修復されれば、今まで通り活動可能でしょう。縫合してある部分は、今晩は水に濡らさないこと。かなり痛んで熱も出ると思いますので解熱鎮痛薬と、感染予防の抗生物質も出しておきます。明日の朝一、もう一度、診察しましょう。少なくとも抜糸までは、毎日診察が必要です。その間は出動も訓練も不参加となります」
後遺症が残らないことは不幸中の幸いだけど、しばらく活動出来ないくらいの酷い怪我なんだ。
先代のレッド、紅野炎悟さんが成し遂げた、六人全員が無休業で三年間の任期を終えたという偉業は、やはり簡単なものでは無かった。
「わかりました。ありがとうございます。桜坂さんの方はどうですか?」
樹くんは自分の身体のことも心配なはずなのに、私の病状のことも気にかけてくれた。
「桜坂さんは、脚の傷、肩の傷ともに、牙による咬み傷です。外からの見た目以上に傷は深く、組織が潰されたように傷ついています。桜坂さんも今晩は傷口を濡らさずに、解熱鎮痛薬と抗生物質を飲んでください。明日また診察を受けてもらい、今後の方針を決めましょう。一週間も経たずに自主訓練には復帰出来るでしょう」
あまり超期間、穴を開ける事にならずに済みそうだ。
二人も同時に抜けたら、残りの四人の負担が大きくなるから、早く治さないと。
「あと、顔の傷は、傷口を早く治す作用のある保湿剤を出しておきます。かさぶたができるまでは、市販の化粧水・化粧品はやめておいてください。恐らく跡は残らないでしょう」
風見部長は、そうそうと思い出したように補足してくれた。
メディアの露出のことを考えたら、傷はない方がいいだろうし。
「飯島本部長と赤木隊長宛には、診察結果報告書を送付しておきます。お大事に」
その日の診察は、これにて終了となった。
部屋に帰り、温かいお湯で濡らしたタオルで身体を拭きながら、今日あったことを思い出す。
年越しパーティーが終わって解散になった直後、出動命令が出て、オリックスと交戦して⋯⋯
フラッシュが焚かれたと思ったら、イーグルがいて、追いかけた先で待ち伏せされて、ハウンドを呼ばれた。
万事休すと思われた時に、樹くんが来てくれて、怪我を負いながら助けてくれた。
そして、イーグルの視線の先にいたのは、不審な男性⋯⋯
あの人はいったい、誰なんだろう。
身体を拭いたあとは、洗面所で髪の毛を洗う。
ドライヤーで髪を乾かしながら、ふと思い出すのは、樹くんのこと。
助けに来てくれた樹くん、かっこよかったな。
あれだけの数のハウンドに物怖じせず、戦ってくれた。
危険を顧みずに守ってくれた。
頼れる大先輩。最高のヒーローって感じだったなぁ。
それにアドレナリンに任せて伝えてくれた、好きって言葉⋯⋯
そう言えば樹くんは、どうやってお風呂に入るんだろう。
あれだけエイリアンと戦ったあとだから、洗わずに⋯⋯というのはさすがに厳しいはず。
利き手を怪我してるからお料理も出来ないし、何より今晩は熱も出て苦しい夜になるって⋯⋯
心配で、いてもたってもいられなかった私は、樹くんの部屋を訪ねることにした。
インターフォンを鳴らすと、中からガチャッと鍵があいて、ドアの隙間から樹くんが顔を出した。
お風呂上がりなのか、フード付きバスローブを羽織っている。
立ち込める色気とシャンプーの香りに、何やらいけないことをしてしまった気分になって、一瞬怯む。
「あの! 何か手伝える事がないかと思って来ました!」
中に入れて欲しいと頼むと、樹くんはすんなりと部屋に上がらせてくれた。
そして今は、ドライヤーで髪の毛を乾かしているところである。
「手伝ってくれて助かった。身体と髪は時間さえかければ左手で洗えるけど、ドライヤーは片手であてたら爆発するから」
髪の毛全体にゆるふわパーマがかかっている樹くんは、セットにもこだわりがあるのだそう。
オーダー内容は、無造作っぽくなるようにとのこと。
「樹くんはいつもお風呂上がりはバスローブ着てるの? 傷口濡らさないように入れた? かゆいところはありませんか?」
「バスローブはいつも着てる。特に夏場はこれ着たまましばらく寛いでると天国だし。傷口はビニール袋で覆った。あと、シャンプーは終わったから。かゆいところ今聞いてどうすんの」
ツッコミを入れたあと、ソファにもたれた樹くんは、口元が幸せそうにゆるんでいる。
「樹くんの髪の毛って、ふわっふわだね。猫ちゃんみたい」
入院中の秋人の髪の毛を、忙しい看護師さんに頼まれて乾かした事は何度かあるけど、秋人の髪はすっぴんの髪というか、サラサラなんだよね。
どちらも触ってて気持ちがいいけど、樹くんの髪の毛はあっちこっち向いてて面白い。
優しくワシャワシャしたあと、指に巻きつけて、くるくるしてみる。
完全に乾ききると、好き勝手していた髪の毛がうまい具合に落ち着くのが不思議だ。
「助かった。ありがとうね」
樹くんは、すくっと立ち上がった。
その拍子に、少しはだけた胸元に、ほくろがある事に気がつく。
「樹くんって変わったところに、ほくろがあるんだね」
左の鎖骨のすぐ下に、一つ。
なんかちょっと、かわいいかも。
「小春ちゃん、そういうこと、軽はずみに言わない方がいいと思うんだけど」
樹くんは何やら怖い顔をしながら、こちらに近づいてきた。
「え⋯⋯いやだった? 気にしてた? ごめんね。でも、褒め言葉だよ?」
とうとう壁際に追い込まれ、身動きが取れなくなる。
目の前にあるのは、お風呂上がりの緑川樹の瑞々しいお肌。
「ほら、ここのこと。やっぱ、まんまるでかわいいね」
人さし指でほくろをつんと突くと、樹くんは身体をびくっとさせて、慌てて後ろに逃げた。
「だから、どうしてそういうことができんの? 小春ちゃんの変態!」
顔を真っ赤にして怒ってしまった樹くんは、部屋着に着替えるからと、ダイニングの方に私を押し出したのだった。




