63.ヒーロー観
樹くんにキスされた?直後。
私は椅子に座りながら、頭の中を整理していた。
私の記憶力が正常ならば、先ほどは間違いなく彼にキスされたはずだ。
私のことは対象外だったはずの緑川樹氏に?
いったい、どういう意図だったんだろう。
あっという間のことで、樹くんの表情は見えなかったし⋯⋯
というかそもそも、ここのイケメンたちは、恋人でもないのに許可なくキスをするのが当たり前なのかな?
少女漫画でしかありえないと思っていたんだけど、そんな状況が自分の身にも降りかかるなんて。
樹くんとのキスはあっという間の衝突事故みたいなものだったけど、本当に樹くんとキスをするとしたら、どんな感じなんだろう。
妄想が膨らんでしまうけど、今の私は、光輝くんと向き合わないといけない。
「どうぞ! 手作りカレーです!」
光輝くんの部屋にカレーを持っていくと、光輝くんは美味しそうに食べてくれた。
「小春ちゃんの手料理! しかもカレー! 食欲落ちてたから、スパイスが効く〜! さ・ら・に! 牛肉まで入ってる! もう、最高!」
あまりにもまぶしい笑顔に、こちらまで嬉しくなる。
これで少しは元気づけてあげられたのかな。
それもこれも、樹くんのお陰だ。
「ところで小春ちゃん、一旦、友達に戻るってことやったけど、先月予約したクリスマスデートは、まだ有効ですか?」
光輝くんは少し不安そうに眉を下げた。
その表情に胸がギュッとなる。
私の誕生日よりも前に、クリスマスはデートしようって約束をしたんだよね。
「俺にとっては小春ちゃんと過ごす時間が一番幸せやから。俺は今でも小春ちゃんの事が好きです。特別なんは小春ちゃんだけ」
恐る恐るといった様子でこちらに手を伸ばし、頭を撫でてくれる。
「はい。もちろんです。約束しましたから」
そう返事をすると、光輝くんは安心したようにふにゃりと笑った。
「ほな、洗い物は俺がするから〜」
光輝くんはルンルンなご様子で、鼻歌混じりに立ち上がる。
洗面台の前に立ち、腕まくりをすると、光輝くんの肘の近くに、最近縫合したような傷跡があった。
「え? 光輝くん、それ、どうしたの? 縫ってもらったの?」
縫わないといけない傷ということは、かなり深かったはず。
最近の任務や訓練で、そんな怪我をした様子なんてなかったし⋯⋯
「あ⋯⋯まぁ⋯⋯一華にやられた。アイツはほんま、ブチギレたら何するか分からんで。救護部長には転んだって言ってあるから、どうか内密に⋯⋯」
光輝くんは、はははと笑ったあと、ジャーと水を出して洗い物を開始する。
一華さんが光輝くんを切りつけたってこと?
光輝くんほどの実力者がやられたってことは、抵抗しなかったのかな。
どうして自分をここまで支えてくれる人に、そんな事ができるの?
病気だからって、そのままにしておくのは間違ってるよ。
光輝くんと話をしたかった私は、水道の水を止めて、両肩に手を置いて、彼の身体をこちらに向けた。
「光輝くん、こんなの私、心配だよ。一華さんのことを助けてあげたい気持ちは痛いほど分かるけど、光輝は対エイリアンのヒーローであって、普段は生身の高校生。病気の治療のプロじゃない。一華さんの家族でもないし、恋人でもないんだよね。だったら、どうして光輝くんが、一華さんの病気のことを責任持たないといけないの? これ以上、光輝くんが傷つけられるのはおかしいよ」
こんなこと言われたって、光輝くんだって困ってしまうのは分かってる。
一華さんの親や教師が光輝くんに全てを押し付け、クラスメイトたちだって、どうする事もできなかったから、この現状に陥っている。
でも、これ以上彼が傷つくところなんて、見たくないから。
「もし、エイリアンが現れた時に、一華さんから連絡が来たらどうする? 光輝くんは対応できる? その間に街が滅んだら誰が責任とってくれるの? もしくはその逆で、光輝くんが街を守っている間に、一華さんの身に何かあったら? 光輝くんの身体は一つなんだよ? 一華さんは、もう光輝くんが一人でどうこう出来る状態じゃないと思う。前に一華さんの仕事の事があるから病院も警察も行けないような事を言ってたけど、じゃあそんな怪我までさせられて、ディア能力に悪影響があって、光輝くんの仕事はどうなるの? 光輝くんのご家族は悲しまないの?」
冷静でいられなくなった私は、正論で光輝くんを追い詰めてしまっているのかな。
彼は最後まで何も言わなかった。
辛そうに俯いたままで。
「小春ちゃん、ありがとう。でも、もうちょっとゆっくり考えたい。何を大切にせなあかんかは、自分で決めんとな」
光輝くんはグータッチしようと、拳を前に突き出した。
私はその拳に向かって同じように拳を近づけ、コツンとぶつける。
光輝くんは将来の夢は、自分と同じように家庭環境が複雑な子どもたちに、勇気を与えることだと語ってくれた。
きっとその対象の中には、一華さんも入っているんだ。
何を大切にしたいか、価値観・ヒーロー観は人それぞれ。
きっと、これ以上は干渉しすぎだ。
願わくば、私の言葉が彼に正しく届いていればいいなと思いながら、自分の部屋に帰った。




