34.複雑な男心
広報部の樺山さんは、光輝くんによって追い出されてしまった。
「ねぇ、小春ちゃん。なんだか軽率すぎない? 初対面の男にも、ああやって簡単に触れるなんて!」
樹くんはさっきから怒ってばっかだ。
けど、なんだか今は本気で怒ってるみたい。
「どうして? だって、ハグして欲しいって言うから。あれくらいなら挨拶感覚じゃないの? 樹くんだって、後輩ちゃんたちに手を振ってって頼まれたら、手を振ってあげてるでしょ?」
「いやいや。それとは全然違うから」
樹くんは呆れたようにため息をつく。
「小春ちゃん、あのな。あんな人畜無害そうな樺山にも下半身はついとるんやで? 相手が相手なら危険なこともあるからなぁ」
光輝くんは本気で心配してくれているのか、諭すように語る。
「そんなに二人が言うのなら、さっきのは悪い事だったんですね。ごめんなさい」
あんまり納得がいかないけど、ひとまず頭を下げる。
「悪いことは言わん。あぁいうことは、好きな男だけにしときな?」
光輝くんは肩に手を置いて、にこっと微笑んだ。
「そうですか⋯⋯」
ハグは挨拶じゃなくて、恋人だけってことね。
一般の感覚では、キスとかと同じくらいの位置づけなんだ。
「ちゃんと理解出来てんのか微妙みたいな反応しないでよ。俺、小春ちゃんみたいなタイプ、絶対に彼女にしたくない」
樹くんがせっさに放った一言は、何故か私の胸にグサリと突き刺さった。
どうしてだろう。
今まで空手仲間にだって散々言われてきたじゃん。
お前なんか女として見れないとかっていう憎まれ口を⋯⋯
私は傷ついたことを顔に出してしまったのか、空気が一気に凍りついた。
それは、その一言を放った樹くん本人でさえも。
「ごめん。小春ちゃん言い過ぎた。俺はただ⋯⋯」
「いやいや。こちらこそ、そこまで不快にさせちゃってごめんなさい。けど、私が樹くんの彼女になることはないから、大丈夫だよ。ちょっと外の空気を吸ってきます。この度はお騒がせして申し訳ありませんでした!」
樹くんが何か言おうとしたのも遮って、涙が溢れる前に、逃げるように作戦会議室をあとにした。
作戦会議室を出て、廊下を進んですぐの小会議室にさっと逃げ込んだ。
床も壁も真っ白な部屋で、窓を開けると、涼しい風がよく入ってくる。
窓側の椅子に座って、机に伏せて、顔だけ窓の方に向ける。
私は何をやってるんだろう。
あれは、そんなにだらし無い行動だったのかな。
でも樺山さんは喜んでくれたじゃん。
あんなにも情熱的にアプローチしてくれたんだから、何かお返ししたかっただけじゃん。
でもそのせいで樹くんに嫌われちゃった。
せっかく仲良くなれたと思ったのに⋯⋯
十分くらい経っただろうか。
静かに扉が開き、隣に人が座る気配がした。
ふわっと漂ってくるのは、嗅ぎなれたシトラスの香り。
「光輝くん?」
机に伏したまま隣の席に顔を向けると、光輝くんが椅子の上で半分あぐらをかくようにして、頬杖をついていた。
「小春ちゃん、泣いとったんや。かわいそうに」
光輝くんは慰めるみたいに、頭をよしよししてくれた。
優しい手つきに、つい甘えて目を閉じたくなる。
「これから六連星のプレミアムパーティーの話をするんやって。樹のことは、兄ちゃんたちが懲らしめといたから。安心して戻っといで」
光輝くんの言う六連星のプレミアムパーティーとは、今代の六連星の引退と私たち新星六連星の着任を祝して行われる、いわば感謝祭と決起会を足したような重要なパーティーだ。
防衛隊のお偉いさんも、たくさん出席されるらしい。
そうか、いよいよ今代の六連星とご対面出来るんだ。
けど、今はそんなことよりも⋯⋯
「樹くん、叱られちゃったんですか? 彼は悪くないですよ。思ったことを言っただけなのに⋯⋯」
きっと樹くんは私がトラブルに巻き込まれないように、注意したかっただけだよね。
ただ、その釘の刺し方が、何故か偶然、急所にクリティカルヒットしたってだけで。
「いやいや、俺らから見ても言い過ぎやったから。樹がキャンキャン吠えるのは、今に始まったことやないねん。あの海星まで怒っとったで『⋯⋯樹⋯⋯意地悪⋯⋯小春⋯⋯傷つけた⋯⋯』って」
光輝くんは声をひそめ、海星くんのモノマネをした。
「今のはそっくりですね! しっかりと特徴を捉えてます!」
思わず笑ってしまうと、光輝くんも安心したように笑った。
けど、それからすぐに真剣な表情になる。
「俺さぁ、小春ちゃんのこと勘違いしてたかも。小春ちゃんが無防備なんは、空手仲間とのじゃれ合いの影響って言ってたやん? でも、あれから小春ちゃんのことを知っていく内に、ちょっと違う様な気がしてきてん。小春ちゃんは危ういなりに、それなりの警戒心は持ってる。防衛隊にもおんねん。お前らとなら男湯にも入れますタイプの女子らが。けど小春ちゃんはたぶん違うやろ? かと言って、天然ぶってボディタッチしてくるあざとい系とも思われへん。この違和感は何?」
ヘーゼルブラウンの瞳が私の目をじっと見つめてくる。
違和感⋯⋯か。
両手でこめかみをグルグルマッサージして、その答えを導き出す。
「たぶんなんですけど、理由は空手仲間であってると思います。ただ、その歴史を読み解くと、自分の中のトラウマ? 劣等感? みたいなものがありまして⋯⋯」
光輝くんは続けてと言って、前のめりになった。
「私が通ってた道場は女の子が少ないので、自ずと男の子ともペアになるわけですよ。それでなんか、変なところを触られた気がして、止めてって言ったことは、一度や二度じゃないんです。でも、事故だから〜とか、自意識過剰だから〜、お前なんか女じゃないから〜って、こっちが馬鹿にされる展開が毎回待ち受けているんですよね。だから私、そういうのって気にする方が変なのかな⋯⋯って思ってる内に、いつの間にか⋯⋯彼らの仲間であり続けるために適応したみたいな。陸地に上がってみたら、自然と肺呼吸出来てましたみたいな」
こんな話、誰にもしたことがないけど、光輝くんに問われた回答として合ってる?
光輝くんは口を手の平で隠すように、頬杖をついているけど⋯⋯
「そっか。小春ちゃんの無防備は、後天的なものみたいやな。嫌な気持ちになった事を無かった事にしようとして、自然と心に蓋をしとったんやろう。いつの間にかそれが小春ちゃんの当たり前になったんやないかな? 自分の心を守るために」
光輝くんの解説はすとんと腹に落ちた。
そうか。私は奴らに、やいやい言われすぎたせいで、無防備という不要なスキルを獲得してしまったと。
「流石ですね、光輝くん。やっぱり男女のあれこれの経験の差でしょうか。ありがとうございます! 冷静に分析してる内に、涙は乾きました! よっ! 恋多き男!」
私が元気よく立ち上がると、光輝くんもゆっくりと組んでいた脚を下ろして、立ち上がった。
「俺は別に恋は多くないねん。全ての女の子に幸せになって欲しい。そんな願いを抱きながら、答えのない女の子の海を彷徨ってるだけ」
光輝くんはウケ狙いなのか本気なのか、カッコつけた風に語りだす。
「答えのない海なら、ちょっと格好良かったんですけどね。女の子の海を彷徨ってる人はちょっと⋯⋯」
とは言え、今までスキャンダルが出たことないってことは、それなりに上手くやっておられるのだろう。
「ほな、帰ろっか!」
差し出された手を取り、作戦会議室に戻った。




